ASIAN NOMAD LIFE

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【書評】『道行きや』伊藤比呂美著(新潮社刊)
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    伊藤比呂美が100%人間ではない何か別のものに変わった。

     

    比呂美は私よりちょっと先の人生を凄まじい形相で進んでいった人である。産み、産まされ、育て、育てさせられ、噛みつかれ、噛みつき、愛し、愛され、傷を負い、傷を負わされ、世話をし、世話をさせられ、聞き、聞かされ、満身創痍で振り返らずにずんずんと歩いていった人である。

     

    思春期の子供たちには牙をむかれて閉じこもられ、母と葛藤し父の寂寥に相槌を打つために何度も何度も太平洋を横断し、夫に嫌味を言われながらも下の世話をし、いろいろな性格の犬たちと一緒に南カリフォルニアの荒地を歩いた。

     

    そして、時間が経って、子供たちも親たちも夫も犬たちもいなくなった。

     

    いま、比呂美の傍にいるのは流れるように毎年替わっていく無数の学生たちと、一緒に熊本の河原や山を歩く怯えた犬のホーボー、彼女と犬の前に突如現れては抑揚のない声でつぶやく古老たち、様々に同じ境遇を生きる何人ものヨーコさんたち、河原や山や家の中にはびこり繁茂しては死んでいく植物たち、そして彼女とホーボーがやってくると森を鳴らして歓迎する山の神。

     

    これまでの比呂美の詩(エッセイでも小説でも比呂美が書くものはすべて詩だ)で繰り返し描写されてきた、くっきりとした自我と輪郭と匂いをもち、比呂美の存在そのものに戦いを挑んできた子や男や親や犬たちはもう登場しない。代わりに半透明な体であちらとこちらを行き来する、カオナシのようなものたちばかりが現れては消えるのだ。

     

    彼らは比呂美自身の中に住んでいる。鏡を見れば母の姿が映り、後ろから話しかけないよう、はっきりと発音するよう繰り返し要求した父や夫の言葉が、聞こえにくくなった耳に甦る。山の匂いの中に昔の男の匂いがたちのぼり、ポーランドのお菓子から忘れたポーランド語がぽんぽーんと形をもって飛び出してくる。

     

    比呂美の日本語さえ、indigenousな日本語ではない何かに変質している。私の中で彼女の日本語は容易に英語に変換されてしみこむ。でもその変換された英語は、南カリフォルニアの赤い皮膚と麦藁のような髪の人たちが話す言葉ではなく、私の周囲にたくさんいるタミル語やマレー語や広東語や福建語やタガログ語がもともとの自分の言葉である人たちと同じ種類の質量と温度をもった英語だ。

     

    比呂美はどこに行ってしまうのだろう? 本人もそう慄いているのかもしれない。だから書くのだ。

     

    Hey, you bastards!  I’m still here! 

     

    と。

     

    この本を読み終わったばかりなのに、次に比呂美が見せてくれるであろう世界をすでに楽しみにしている。

    | Yuriko Goto | 書評 | 12:42 | - | - |
    「ハンバーガーしか食べない」ビル・ゲイツが出資する会社が中国でベジタリアン・バーガーを売り出す理由。
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      1980年代後半。当時の上司が来日中のビル・ゲイツ氏(まだWindows発売前のMS-DOS時代でベンチャーの旗手としては有名だったが今ほどの世界的著名人ではなかった)を接待することになり、頭を抱えていました。

       

      下戸とはいえそれなりに美食家で、外人受けする寿司屋やら天ぷら屋やらしゃぶしゃぶ屋やらをよく知っている上司がなぜそんなに悩んだのか? その理由は「ビルはハンバーガーしか食べない」からでした。

       

      あからさまに嫌な顔をしないものの、当時の彼は大変な偏食で、自分が食べ慣れたもの以外にはほとんど口をつけなかったそう。さすがに接待でマックに行くわけにもいかず、当時はまだバブル前で高級ハンバーガー屋もほとんどなかったため、連れていくところがないと上司は嘆息していたのです。

       

      時は流れて2020年。

       

      世界一の大富豪となった彼はビジネスの第一線を退き、ビル&メリンダ・ゲイツ財団を設立して社会貢献に勤しんでいます。そしてこの財団が時価1300万ドル(約14億円)(2019年9月末での保有残高にて計算)もの出資をしている会社、ビヨンド・ミート社こそゲイツ氏の大好物、ハンバーガーのパテが主力製品の会社です。

       

      しかし、同じハンバーガーでもこの会社のバーガーは一味違います。いっさい肉を使わない人工肉、動物性食材を全く使用しないヴィーガン・バーガーなのです。

       

      ビヨンド・ミートは2009年、イーサン・ブラウン氏によって設立された人工肉製造販売会社。設立当初からビル・ゲイツやTwitter創業者ビズ・ストーンをはじめ、著名ハイテク企業創業者らから投資を募って急成長。2019年にはNasdaqにも上場し1年間で売上240%増と驚異的な成長を遂げつつあります。

       

      主力製品はバーガーパテですが、それ以外にも人工肉ソーセージやミートボールなど製品ラインアップは多彩で、米国内のホールフーズやテスコなど全国チェーンスーパーで販売する他、輸出にも積極的。私が住むシンガポールでもスーパーやネットスーパーで手軽に購入でき、日本市場でも販売間近と聞いています。

       

      そんなビヨンド・ミートのバーガー・パテを使ったハンバーガーが2020年6月3日、つまり昨日から中国で販売開始というニュースが報道され、投資家の間で話題になっています。

      www.cnn.co.jp

       

      この記事によると、中国のファストフードチェーンのフランチャイジー、ヤム・チャイナ社と提携し、北京、上海、杭州、成都の4都市のKFC、タコベル、ピザハットで試験販売。うまくいけば大々的に全国展開する見通しとなり、株価が急騰して、コロナショックで低迷していた5月中旬の最安値の2.4倍近くになるという大逆転劇となっています。

       

      なぜ今、中国なのか?

       

      いうまでもなく中国は世界最大の食品市場。異様なまでに食に執着し「椅子以外の四つ足は何でも食べる」と言われる14億人が、世界各地の最高級食材からワシントン条約違反の希少動物まで貪欲に探し求めて輸入する国です。世界中の食品製造業者の販売ターゲット市場としては、もちろんじゅうぶん魅力的。

       

      しかし、ビヨンド・ミート社の製品はいくら「肉そっくり」と言っても所詮は本物のミートではないまがい物。世界最高の和牛をはじめ美食に慣れた中国人が先を争って買い求めるとはとても思えません。

       

      しかも主戦場は富裕層向けの高級市場ではなくミドルクラス対象のファスト・フード。だいぶ値段がこなれてきたとはいえ、シンガポールでもパテ2枚パックで約800円、つまりバーガーパテだけで1枚400円もコストがかかる人工肉ハンバーガーが飛ぶように売れるものでしょうか?

       

      通常であれば、まずはミドルクラスの平均所得が中国より高い、先進国のファスト・フードチェーンである程度の実績をつけてから中国市場参入、と考えるのが順当だと思います。反対に、その過程を飛ばしていきなり中国を主戦場に選んだのには、実は切羽つまった事情があるのはないかと思うのです。(ビヨンド・ミートのコンペティター、インポッシブル・フーズは米国内のバーガーキングやマックなどで人工肉バーガーを販売していますが、まだまだ成功というには遠く及ばない状況のようです)

       

      wired.jp

       

      昨年はブラジルのアマゾン川流域で大規模な森林火災が起き、国際的なニュースとなりました。アマゾン森林火災は毎年のように報道されますが、昨年は近年になく件数が多く、その煙は遠く離れたサンパウロまで届いたといいます。こうして裸になった土地は主として農地として利用されます。

       

      では、このように拡大してきた耕地で、いったいどんな農産物を作っているのでしょうか? ブラジルはBRICsの一角を占め、めざましい経済成長を遂げてきた国ですが、経済発展とともに人口が爆発的に増えて、米や小麦栽培を増産する必要にかられているのでしょうか? 

       

      確かにブラジルは農業大国で、大豆は輸出品目2位に挙げられます。いっぽう、近年めざましく輸出が伸びているのが食肉。ブラジル産鶏肉はスーパーでみかけたことがある方も多いと思いますが(シンガポールでは冷凍鶏肉はほぼ100%ブラジル産)、流通量こそ少ないものの金額ベースで鶏肉に比肩するのが牛肉輸出なのです。

       

      2019年のブラジル牛肉輸出量は約183万トンで前年比12.4%増。金額ベースでは約27億ドル(約2900憶円)で全輸出量の約8割が中国向け。牛肉生産量は右肩上がりで伸び続けていますが、国内需要より海外需要が強く、2020年には260万トンの輸出が見込まれるそうです。いっぽうの中国の2020年の牛肉輸入予測量は290万トンとなっていますので、ブラジルの牛肉生産量の伸びはイコール中国の牛肉輸入量の伸びと考えていいでしょう。

       

      中国ではもともと「肉」といえば豚肉をさすほどで、牛肉の消費量はさほど多くなかったのですが、開国・経済成長が始まった80年代後半から一貫して牛肉消費量が伸び、国内消費量はこの頃と比べて10倍以上になっています。

       

      それにつれて国内牛肉生産量も伸びて90年代には一部輸出もしていたのですが、国内需要に供給が追いつかないため内需に回るようになり、それでも足りずに2010年代からは輸入が始まります。そして2013年にはたった41万トンだった輸入量が290万トンまで7倍近くに膨れ上がったのです。

       

      さて、ブラジルの食肉牛飼育は国土の狭い日本と違い放牧型で、2013/14年度の統計によると1ヘクタールあたりの飼育頭数は1.3頭。体重約700圓竜蹐らとれる食用肉は約230圓任垢ら、1ヘクタールあたりの肉量は約300圈ここまで育てる年数を考慮しなければ、260万トンの食肉生産には870万ヘクタールの耕地面積が必要であり、日本の国土面積の約23%になります。たった10年ほどでこれだけの草地面積が必要になったわけですから、熱帯雨林を伐採して調達する必要があったのです。

       

      問題は森林伐採だけではありません。

       

      牛1頭が1日にげっぷやおならとして排出するメタンガスの量は1日あたり160から320リットルと非常に多く、世界のメタンガス発生量の約24%が家畜により発生すると言われます。2015年の数値ではメタンガスが世界の温室効果ガス排出量の16%を占めており、しかも、同じ量のメタンとCO2を比較した場合、メタンには28倍もの温室効果があるというのです。

       

      つまり牛の飼育頭数が増えれば増えるほど、地球環境が急激に悪化していくのです。

       

      ビヨンド・ミート創立者のブラウン氏も、投資者であるゲイツ氏も当初からこのビジネスを単なる食品ビジネスとは考えず、環境問題を解決し、人々の健康や動物愛護に寄与する事業と位置づけています。そんな彼らが昨年のアマゾン大規模森林火災や急増する中国の牛肉輸入量を目の当たりにしたとき、企業ミッションとして中国市場での一定のシェア確保が喫緊の課題であると考えたのではないでしょうか。

       

       

      mrs-lowe.hateblo.jp

       

      この記事でも書きましたが、今回のコロナ禍を数年前から予測し警告していたジャーナリスト、クオメン氏は、エボラ熱、HIV、SARS、鳥インフルエンザなどの感染症の頻繁な流行は森林伐採により野生動物と人間や家畜の居住域が接近したために起きたものだと述べています。

       

      その上で今後の予防対策として私たちができること(しない場合は今後も繰り返しコロナのような世界的疫病流行が数年おきに発生する)として、旅行を控えること、子供をたくさん産まないことと並び、肉、特に牛肉をできるだけ食べないことを推奨しています。

       

      たまに食べれば牛肉はごちそうですが、日常的に牛肉を食べるようになればなるほど、地球環境が破壊され、そのツケは私たちの命という形で払わされることになるのです。

       

      ビル・ゲイツ氏はベジタリアンではないそうですが、ハンバーガーしか食べなかった彼が、人工肉バーガーしか食べなくなる日も遠くないかもしれません。

       

      JUGEMテーマ:ビジネス

      | Yuriko Goto | 世界経済 | 18:04 | - | - |
      人間はみんないつか、何かで死ぬ。
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        シンガポールのロックダウン(政府はサーキットブレーカーと呼んでいる)解除まであと5日になった。

         

        大規模寮に住んでいる外国人建設労働者の感染対策に失敗したため、シンガポールは感染者数が現時点で3万人超えというアジアでも有数の感染国になってしまったけれど、一般市民の感染はとても少なく、コロナウィルス感染により死亡した人も現時点では23人しかいない。なので、ウィルスに対する危機感よりもロックダウンによる精神的・経済的閉塞感の方がずっと大きいというのが正直な気持ちだ。

         

        欧米と違って死亡者が少ないから、という理由もあるけれど、私にはどうもこの感染症に対する恐怖感が沸き上がってこない。

         

        最初は違った。1月に中国で感染が爆発して武漢が閉鎖された頃には、この病気のことはほとんどわかっていなかった。本当に怖かった。自分がかかって死ぬかもしれない恐怖より、10歳の娘が感染して死んでしまったり重篤な後遺症が残る可能性が否定できなかった。旧正月休み明けには学校を3日間休ませた。

         

        しかし、この感染症で大部分の20代未満の子供たちが深刻な被害を受けないことがほぼ確実になってきた現在、私の恐怖心は消えた。私や夫は50代半ばなのでもう十分それぞれの人生を生きてきた。2人とも一番多忙だった時期を過ぎて現在は子育てや趣味が中心のセカンドライフを送っている。社会的にはいてもいなくてもたいして影響がない者たちだ。子供さえ助かれば私たちはどうでもいい。

         

        現在は深刻な持病もないし、もし今日コロナウィルスに感染して、数日、もしくは数週間で死んでしまうとしたら、ひと昔前にみんなが憧れていた「ピンピンコロリ」死じゃないだろうか? 

         

        ガンで闘病して数年にわたり苦しい治療を繰り返すわけでもなく、糖尿病や腎不全で不自由な生活を長く続けなければならないわけでもなく、心臓のバイパス手術や脳溢血後のリハビリも不要で、認知症みたいに周囲に迷惑をかける必要もない。私としては、コロナ死こそ理想の死に方じゃないかと思うのである。

         

        とつらつらと考えたのは、このロックダウン中に、私の理想とはかけ離れた闘病生活を送らざるをえない可能性に直面させられたからだ。

         

        発端は胸部の超音波検査で左胸に9伉度のしこりがみつかったことだった。

         

        私は50歳になった頃から更年期障害の症状緩和のためにHRT(ホルモン補充療法)を受けているため、1~2年おきに子宮がん検査(パップテストと超音波)と乳がん検査(マンモグラフィと超音波)が義務づけられている。これまでの検査でも何度か、子宮や乳房にこのような小さなおでき状のものがあったことはあった。しかし、今回は少し大きかったため乳がんの生体検査を受けることになったのだ。

         

        大きいといってもマンモではみつかない程度。たまたま超音波検査でみつかったから大ごとになっただけで、自分の体の見えるところ(皮膚の上)にはこのくらいの大きさのおできなど何個もある。年齢を考えたら当然だろう。

         

        そんな検査しなくてもいいです、といちおう医者には言ってみたけど「ではHRTは続けられない」と返されてしぶしぶ受けることにした。女性ホルモンを飲まないとたちどころにホットフラッシュが復活して体調が最悪になるからだ。

         

        結果、悪性の細胞はみつからなかった。しかし、良性のおでき細胞もみつからなかった。

         

        そこで医者が言うには、「この結果は超音波の画像と一致しない」ので、採取した生体組織はこのおできの細胞でない可能性が高く、とすると悪性であるかもしれないので、この近辺の部位を直径5僂曚匹瓦修辰叛攴して検査する、というのである。

         

        おいおい、ちょっと待ってほしい。悪性の細胞がみつからなかったのにそんなにたくさん切っちゃうのですか? ほんの一つまみの生体細胞を針で採っただけでも1週間以上胸が痛くて掃除やヨガもできなかったのに、ベニスの商人じゃあるまいし、5僂硫瑤鮗茲辰燭蠅靴燭蘓瑤月はまともな生活ができない。また、一度取ったとしても、おできだからまたできる可能性も高い。こんなことを一生繰り返すのですか?

         

        さんざん医者と議論(口論に近い)したあげく、もう一度超音波検査を受けておできが6个砲覆辰討い襪里魍稜Г靴討發蕕ぁ⊂辰┐殖貝佇は検査した生体の中に入っているはずで、そこに悪性細胞がなかったのだから手術を受ける必要がないことを主張し、今後、2,3か月おきに定期的に超音波でおできが大きくなっていないかチェックすることを条件にHRT継続を認めてもらった。

         

        ひとまず事なきを得る。

         

        いくらクオリティ・オブ・ライフをキープしたい私でも、明らかに乳がんであるのに手術や抗がん剤治療も受けずにがんが全身に広がっていくのをじっと傍観したいわけではない。ただ、悪性であることも証明されていないのに、悪性である可能性がなくはないから、という理由で不必要な手術を受けさせられたり、余計な検査を強制されたりするのが嫌なのだ。

         

        「将来乳がんになる可能性が高いから」と乳房を取ってしまったアメリカの女優さんがいたけれど、私だったら絶対にしない。虫垂炎になってしまうかもしれないから、といって盲腸を手術で取ってしまうのと同じじゃないかと思うからだ。盲腸になったらなった時のこと、がんができたらできた時のこと、その時に最善を尽くせばいい。

         

        とはいえ、生活習慣病は違う。

         

        これは長い時間をかけてだんだん病気が悪化していくものであって、糖尿病、高血圧症、心筋梗塞症はもちろん、一部のガンや認知症や腎不全なども含めて、高齢者の病気の半分以上は運動習慣や喫煙や食事が原因になっている。そしてそれらの習慣が最終的に死因になる。

         

        私の祖母は76歳で心不全を起こして入院し翌朝亡くなった。数えの29歳で未亡人になり、女手一つで事業を営みながら3人の子供を育て、還暦で引退した後は習い事に旅行にと好きなことと美味しいものを存分に楽しみ、亡くなったときは「大往生」と言われた。

         

        おばあちゃんっ子だった私は後追い自殺したいほど悲しかったが、今思うと彼女にとってはこの死に方はとても良かったと思う。好きなものを食べて、好きなことをして全うする人生より幸せなことがあるだろうか?

         

        しかし、昨今は心不全で人はなかなか死なない。医学の進歩だ。私の周囲にも何人かいるが、バイパス手術を受けたりペースメーカーを埋め込んだりして助かる。もちろんそれまで通りの生活はできず、若くして仕事を辞めざるをえなくなった人もいる。

         

        脳梗塞も同じ。以前は死に至る病だったけれど、現在では半分以上が助かり、その後何十年も生きる方々も少なくない。その中には半身不随になる方もいれば、長年リハビリを続けられる方もいる。

         

        医学の進歩は素晴らしいことだ。しかし、そのおかげで私たちは「ピンピンコロリ」死から年々遠ざけられている。もちろん、重い病気をして障害を負っても、何度も手術を繰り返す生活を送っても、人が生きるということは、生きているというだけで素晴らしい。ただ、それは永遠に続けられることではない。

         

        人はいつか、必ず、何かで死ぬのだ。

         

        世界のコロナ対応を見ていて思うのだが、ほとんどの国やほとんどの医者やほとんどの人たちは、常に「人を絶対に死なせないために何をしたらいいか」を考えて行動しているような気がする。死ぬことは、そんなに悪いことなのだろうか?

         

        そう考えていない人たちもいるようだ。

         

        コロナ対策で他のヨーロッパ諸国とまったく違う対応をとったスウェーデン。ロックダウンはせず、リスクの高い高齢者の外出規制もしなかった(高齢者との接触を避けるようにという指導は行っている模様)。基本的には、自分の命を守るためにどうするかは自分で決めてください、という姿勢で、この対応は高齢者が自力で食べられなくなったときに、点滴をしたり胃ろうを作ったりして延命をしない、というこれまでのこの国の医療方針とも一致している。

         

        確かに天寿を全うして老衰で死ぬのは人として一番幸せなことだろう。

         

        でも、多くの人はそれほど幸運ではない。日本を含む多くの先進国で平均寿命と健康寿命の間に5歳程度の開きがあることからもわかるけれど、自分の思うようにならない身体を抱えて、死にたくても死ねない人がたくさんいるのだ。

         

        腎不全で人工透析を受けている方は透析治療中も病状が進行し、大半が5年前後で亡くなるそうだ。腎臓移植を受ければこの方々の寿命はさらに伸びるのだけれど、あえて手術を選択しない方々も少なくないという。週3回、数時間にも及ぶ透析治療を続けながら、この方々がご自分の死と対峙し受容していかれる過程を私は尊敬する。

         

        ある方がTwitterで、一人の高齢者の方が夕刻に担架で救急車に運び込まれる写真を載せられて「これが彼が見る最後の夕陽かもしれない」という意味のことを書いていらっしゃった。私はその夕陽が美しくて本当に良かったな、としみじみ思った。この世で美しい夕陽を見て人生を終えられるなんて、なんと素晴らしいことだろう!

         

        人生は終わりがあるから美しい。

        美しい終わりを迎えるために、私は今日を生きたいと思う。

        | Yuriko Goto | 老いと向き合う | 18:28 | - | - |
        次のコロナ禍を引き起こさないために私たちができること
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          The next big human pandemic—the next disease cataclysm, perhaps on the scale of AIDS or the 1918 influenza—is likely to be caused by a new virus coming to humans from wildlife. 

          人類が次に経験する大きな疫病―次の激変をもたらす疾病は恐らくAIDSか1918年のインフルエンザ規模になるーは、野生動物から人間に感染したウィルスによって起こるだろう。

           

          HIVやエボラ熱などの感染症取材を長年にわたり続けてきた科学ジャーナリスト、デヴィッド・クワメンの2012年の著書『スピルオーバー』は、コロナウィルスによる厄災到来を正確に予測していた。

           

          この中で彼は中国南部の洞窟に住む蝙蝠のウィルス(実際に中国の学者たちが2017年に雲南省で採取したウィルスについての研究を発表)が人に感染する可能性を指摘。このウィルスは現在のCovid-19ウィルスと97%同じ構造をもつという。

           

          世界の感染症学者やジャーナリストなどの専門家たちからすれば、今回のコロナ禍は想定外とはほど遠く、当然予想されたことだったのである。

          e360.yale.edu

           

           にもかかわらず、世界の行政府がCovid-19発生に先立って何の備えも行ってこなかった怠慢を彼は厳しく非難する。ビル・ゲイツ氏が数年前にコロナ感染症の到来を予言していたとネットで話題になったが、その程度のことは感染症業界では常識であり、各国政府や米危機管理局の感染対策セクションも当然知っていた。しかし警告を真剣に取り合わなかった行政府の姿勢が今日の大混乱の元凶となったのだ。

           

          野生動物がもつウィルスは150万種類以上あると考えられており(特に哺乳類の種の4分の1を占め、18~20年と寿命が長く集団生活をして集団内でウィルスを拡散する蝙蝠は各種ウィルスの宝庫)、巨大なウィルス貯水池を形成している。そこから何かの拍子にウィルスがこぼれ落ちたとき(spillover)、未知のウィルスが野生動物から家畜に飛び移り、(もしくは直接)人間に感染を広げるという。

           

          つまり、今回のコロナ禍はそのほんの一例にすぎず、将来的にあらゆる種類の感染症が野生界から人間界にもたらされる可能性が非常に高いということだ。クワメン氏は、今後10年に一度は今回のコロナ禍のようなウィルスによる大掛かりなパンデミックが繰り返されるだろうと予言する。彼の警告はこれまでの例を拾っても控えめにすぎるくらいだ。

           

          ボリビア出血熱、ボリビア、1961年;マールブルグ病、ドイツ、1967年;エボラ出血熱、ザイール及びスーダン、1976年;H.I.V.、ニューヨークとカリフォルニアで発見、1981年;ハンタウィルス、米国南西部、1993年、ヘンドラウィルス、オーストラリア、1994年;鳥インフルエンザ、香港、1997年;二パウィルス、マレーシア、1998年;ウエストナイル熱、ニューヨーク、1999年;SARS、中国、2002-3年;MERS、サウジアラビア、2012年;エボラ出血熱再来、西アフリカ、2014年

           

          しかしただ手をこまねいて次の厄災を待つだけではなく、私たちが多少なりとも被害を軽減するためにできることがないわけではない。蝙蝠を筆頭とするウィルスの宿主である野生動物取引禁止は最も手っ取り早い方法であるが、それ以外にクワメン氏が推奨するのは以下の3点だ。

           

          1.できるだけ肉を食べない。

          私たちは野生動物の生息環境である熱帯雨林や森林を切り開いて牧草地を作り、家畜を飼育する。宿主が減少したウィルスは家畜に乗り移り、そこからさらに人に乗り移っていく。

           

          地球上の陸地のうち居住可能なのは全体の71%。そのうち半分が農業に使用されており、さらにその77%が牧畜用だ。つまり、地球上の全陸地の3割近くで家畜が飼育されていて、アマゾン森林伐採や焼き畑農業により拡大を続けている。ここが野生動物から人にウィルスが乗り移るステップアップ地帯であり、食用肉の流通を減らすことによりこの面積の拡大を阻止できる。

           

          2.できるだけ旅行をしない。

          ウィルスは人に感染し、飛行機に乗って世界に拡散する。1999年にやはり中国で発生したコロナウィルスが引き起こしたSARSがアジア内にとどまったのに対し、今回のCovid-19が世界中で猛威をふるったのは、発生地である中国から大量の中国人旅行客が世界に散らばってウィルスを拡散したことが最大の原因であると考えられる。

           

          仮にどこかの地域で未知の感染症が発生したとしても、世界に拡散するスピードが遅ければその間に対策を講じることができる。時間稼ぎのためには航空機による大量観光客輸送の時代を終わらせる必要があるだろうし、あのウォーレン・バフェットがコロナ以降を見越して大量の航空会社保有株を売却したのも象徴的である。

           

          3.子供をできるだけ産まない。

          「あなたがまったく動物の肉を食べないヴィーガンになっても、まったく旅行をせずに家に閉じこもっていても、子供が4、5人もいればその効果は帳消しになる」とクオメン氏は語る。

           

          地球環境にとって最大の脅威は人類が増え続けることだ。

           

          しかし、いくらグレタさんに怖い顔で「How dare you!」と睨まれても、すでに生まれてきてしまった私たちは自殺するわけにもいかないし、現在享受している文化的な生活のすべてを放棄して縄文時代の採集生活に戻れるわけでもない。人間の生活による環境への負荷増大を止めるには、人類の再生産を減少させてその影響を最小限にとどめる消極的な選択しかないのだ。

           

          先進国の多くで少子化が進んでいるのは、無意識のうちにこのような選択が働いているのかもしれない。

           

          感染症問題とは、つまるところ環境問題なのである。

           

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          世界のどの国も同じであるが、私たちには今後、このような感染症による厄災を定期的に何度も受け入れられるだけの社会的余裕も経済的余裕ももちあわせていない。コロナウィルスの脅威がまだ生々しく残っている今こそ、次の災禍を回避するための対策を真剣に論じるべきであろう。

          ミセス・ロウ (id:gotocord) 

           

           

          | Yuriko Goto | ライフスタイル | 16:07 | - | - |
          恐れるな。
          0

            f:id:gotocord:20200412203046j:plain

            本日はイースター。キリストが復活されたとされる日だ。

             

            クリスマスは大好きな日本人だけど、イースターにはまったく興味がないようだ。プレゼントの習慣がないからきっとたいした商売にならないのだろう。

             

            しかし世界人口の3割を占めるキリスト教徒にとって、イースターはクリスマスより数倍重要なイベントである。クリスマスを取るかイースターを取るかと言われたら、みんな迷わずイースターを取るはず。それは彼らの信仰にとって決定的な出来事がこの日に起こったからである。

             

            ・いったん死んだ人が生き返る?

            ・ありえないでしょう。

            ・ゾンビじゃあるまいし。

            ・科学で説明できないのは奇跡じゃなくて迷信。

            ・もし実際に複数の人たちが復活したイエスに遭ったのだったらそれって集団ヒステリーじゃないの?

             

            しかし、このキリスト教徒における最重要イベントに対して、無宗教の現代人が抱く感想は概してこんなものではないだろうか? 私自身も洗礼を受ける直前までそう思っていた。

             

            そして、キリスト教徒になってから30年以上たつ今も、完全に、本当に、絶対に、イエスの復活を信じてるか、と問い詰められたら、確信をもってイエスと答えられる自信はない。

              

            子供の頃、ミッションスクールや教会学校に通ったことがある人で「キリスト教にシンパシーは感じるけど洗礼を受けようとは思わない」という人が時々いるけれど、たいてい私のように復活で「躓いて」いる。

             

            というのも、新約聖書にある他の「奇跡」はある程度事実として信じられても(死人を生き返らせたというのは仮死状態だった人がたまたま蘇生したのだとか、パンや魚を大量に増やしたのは少しの食料をみんなで分け合って食べただけ、などの解釈はちょっと苦しいけど成立しないことはない)、イエスの復活だけはどう理屈をこねくり回しても説明できないからだ。

             

            いっぽう、科学の力が宗教を凌駕するようになった20世紀において、キリスト教神学最大のテーマとなった「史的イエス」研究は、長いキリスト教の歴史において人間としての属性が曖昧になり輝かしい天上の神となってしまったイエスを、貧しい大工の息子として再発見することから始まった。

             

            気の遠くなるような文書研究によって(カトリックや多くのプロテスタント教派で正典とされる新約聖書の文書以外にもさまざまな文書を用いながら)、聖書の中で実際に起こったであろうこと、実際にイエスが言ったり為したりしたであろうことと、後世に付け加えられたことをできる限り仕分けしていく作業の中でわかったのは、

             

            イエスは栄光ある神としての人生を過ごしたのではなく、貧しい者、虐げられた者、蔑まれた者たちと共に社会の底辺に生きたただのみすぼらしい男だった。

             

            の一言につきる。もちろんイエスの復活を証明することなんかできない。

             

            さらに、十字架上で死にゆくイエスが最後に叫んだ言葉はルカ福音書によれば「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」となっているが、史的イエス研究が研究しつくした結果によると、これはたぶん後から付け加えられたもので、実際にはマタイ福音書にある「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」(わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか)が最後の言葉だとされている。イエスは神から見捨てられちゃったとこで死んでるわけだ。

             

            身も蓋もない。

             

            史的イエス研究は、現ローマ教皇であるフランシスコ神父の出身地南米で1980年代に吹き荒れたカトリックの「解放の神学」運動の礎にもなっている。当時は南米の国々自体がイエスが生きていた時代のイスラエルみたいなものであった。

             

            スペインやポルトガルの植民地にされて搾取され、独立してもいつまでたっても庶民は豊かになれず、軍事独裁政権に支配され、恐怖と貧困と犯罪が支配する土地。それが南米の多くの国々が直面していた現実だった。解放の神学はその中で、教会という権威の砦にたて籠らずに貧しい庶民と一緒に不条理な政権と戦う、という神父たちのムーブメントで、フランシスコ神父もまさにその渦中にいたのであるが、当時のバチカンの対応は冷ややかであり、目立った活動をした神父たちは異端として排斥された。

             

            しかし、豪華絢爛な(金ぴかの)バチカン宮殿で緋色のガウンに身を包み、神の代理人役をつつがなく務めるのがナザレの大工の息子、イエスの弟子たちの末裔の正統な役目なのだろうか?

             

            キリスト復活の日、つまり2千年くらい前のだいたい今日くらいの日、イエスの弟子だった2人組が、エルサレムからちょっと離れたエマオという村に向けて歩いていた。それまでずっとイエスにくっついて旅をしてきたけれど、イエスは死んでしまったし、エルサレムにいると自分たちも逮捕されてしまうかもしれない。なので、とりあえずエルサレムを出てエマオに身を隠そうとしていたのだ。

             

            イエスが処刑されるまでは救世主として崇め奉り、世直しだと意気盛んに人々に帰依を迫っていた弟子たちが、教祖(イエスは自分のことをそう呼んではいないけれど)がいなくなった途端にたいへんなビビリになって、危険なエルサレムから逃げようとしていたのである。どの口が信仰をいう? の世界である。

             

            ところが、エマオへ向かう途上で2人の前に見知らぬ人が現れ、共に歩きながら聖書(まだ新約はないので旧約)を語った。そしてエマオに到着後、一緒に食事をしようとしてこの人がパンを裂いたとき、初めて弟子たちはこの人が復活したイエスだということに気づくのである。その瞬間、イエスは消える。

             

            驚いた2人が急いでエルサレムに戻ると、すでに復活したイエスはペテロにも出現していて(バチカンのサン・ピエトロ寺院の名前にもなっていて、初代教皇とされる弟子ペトロは、逮捕前のイエスに「鶏の鳴く前に3度私を知らないというだろう」と予言されて実際にその通りになり、自分の情けなさに大泣きする聖書中最大のチキンである)、ペトロをはじめ、ビビリでチキンであった弟子たちはまるで人間が変わったように、死をも恐れぬイエスの教えの伝道者となって布教活動に邁進し、次々と殉教していくのだ。

             

            ・あのペテロを筆頭に、どうしようもないチキンであった弟子たちがここまで変わった。

            ・彼らは復活のイエスを見たと言っている。

            ・復活か何かはっきりとはわからないが、彼らをあそこまで変えたからには相当ショッキングな事件があったに違いない。

             

            というのが、どうしても復活を信じられない私に信仰の師が教えてくれたことであり、この恩師の言葉が私の受洗のきっかけとなった。

             

            私には今もって復活を合理的に説明することはできないが、私が今キリスト教徒であるということは、この弟子たちが実際に存在したということの証明でもある。というのは、仏教やイスラム教やユダヤ教と違い、キリスト教徒になるには必ずキリスト教徒による洗礼が必要であり、それはこの弟子たちから始まっているからなのだ(さらに遡るとサロメで有名な洗者ヨハネ)。

             

            復活を信じないのは科学的法則に基づく演繹的否定であるが、復活を信じるのは歴史的事実に基づく帰納的肯定なのである。

             

            どちらが本当に正しいのかは誰にもわからない。後世に実は間違いだったと正される科学法則などいくらでもあるし、歴史的事実なんていうもののほとんどはどちらの見方をとるかの主観にすぎない(文書が残っていても「本当のことはネットに書いてある」という人と同じで、それがフェイクである可能性は排除できない)。

             

            さて、このイエスの復活を祝う日、イースター前夜祭のミサでフランシスコ教皇は「恐れるな」と語ったという。伝えるニュースに出典が書いてなかったのでどの聖書の個所の引用かわからないが、恐らくここではないだろうか?

             

            こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った。そこで、イエスは言われた。「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。」 

            ルカによる福音書24章36-39節

              

            この後、イエスは十字架に磔にされたときに手にあいた釘の穴を触らせてみたりするのだが、これってまじで怖い。顔も姿も生前とは全然違って見える人が「ここに穴が開いてるから触れ」と言って手を差し出してきたら怖くないほうが不自然だろう。

             

            現在の状況も似たようなものだ。多くの人が歴史上見たこともない獰猛なコロナ・ウィルスにより、あれだけ毎日、途方もない数の人がばたばたと死んでいくヨーロッパにあって、次は自分の番かも、自分の家族の番かもと怯えている人たちにとって、恐れは日常生活の伴走者だ。

             

            その渦中にあってフランシスコ教皇は、「恐れるな。恐怖に身をゆだねるな」「これは希望のメッセージだ」と語るのである。

             

            厳密に言えば、私たちが恐れているのはコロナ・ウィルスそのものではない。ウィルスにより私たちの日常生活が奪われ、私たちの生活の糧を稼ぐ仕事が奪われ、自分自身や家族や友人たちやその他の多くの人の命が奪われるかもしれない現在と将来のことだ。

             

            つまり、私たちが昨日まで送っていた日常が消え去って、自分がまったく新しい世界にいや応なく投げ込まれてしまうということなのだ。

             

            これってイエスの弟子たちがイエスの死のときに経験したことと同じである。

             

            そしてフランシスコ教皇がずっと過ごした南米の国々で、軍事政権や貧困によって多くの人たちが経験してきたことでもある。

             

            内戦や戦乱によって家や家族を失い、命からがら逃げだして難民キャンプで暮らす中東の人々が経験していることでもあり、

             

            3.11の地震や津波で家も家族も失い、原発事故で帰る故郷さえ失った同胞の日本人が経験してきたことでもある。

             

            つまり、今まで対岸の火事と傍観してきたことと同様のことが、自分の身に起こりつつある、ということなのである。

             

            しかし、このような人々と同じく、そして、これから私たちを襲うことになるかもしれない境遇と同じく、神からも人々からも見捨てられどん底の最期を経験したイエスが、復活した。それを知るからこそ、フランシスコ教皇はあえて「恐れるな」というのではないだろうか? 

             

            どんな苦境にあろうと、どんなに見捨てられたと感じても、イエスは必ず復活する。そして私たちと共に歩いてくれる。だから恐怖におののいてはいけないのだと。

             

            恐怖のどん底にあって、私たちを救うのは希望なのだと。希望こそが復活なのだと。

             

            いつ収束するかまったくわからないコロナ禍の渦中にあって、恐れるな、私の言葉が希望である、と語る教皇の姿を見て、やはりキリスト教徒であって良かったと感じた私の三十数回目のイースターの日であった。

            | Yuriko Goto | 危機管理 | 23:59 | - | - |
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