ASIAN NOMAD LIFE

日本、香港、中国で生活・仕事をしてきてシンガポール在住8年目。
「みんな違う」環境で小学校低学年から高度なチームブィルディング教育を行うシンガポール
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    2015年の学習到達度調査(PISA)の「協同問題解決能力調査」で52ヵ国‣地域中、日本の高校生の平均点が第2位になったことが発表されました。

     

    PISA結果の国別比較ではこちらでダウンロードできますが、科学的リテラシー、読解力、数学的リテラシーのすべての分野でシンガポールがトップ。シンガポールは年々順位を上げてきており、徹底した詰め込み教育の成果が出ていることがうかがわれますが、今回はこの「共同問題解決能力調査」でも1位となりました。

     

    日本の基準で考えると、入学枠が限られた国立大学進学への切符を手にするために、幼稚園から熾烈な学力競争を強いられるシンガポールの教育システムで、グループでの問題解決能力が発達するというのはどうにも不思議な気がします。

     

    そこで改めて、小2の子どもの「Character and Citizenship(人格と市民教育)」の教科書を読んでみると、なるほどと思わせられました。

     

    ご存じの通り、シンガポールは他民族国家の国です。

     

    中国系の華人が約75%を占めて最も多いのですが、イスラム教徒のマレー系が13%、インド系が9%、そしてその他の民族が3%、国民及び永住者として暮らしています(特に私自身も含む「その他の民族」はこの50年ほどで比率が3倍近く増え、教科書にはフィリピン系の子どもも登場します)。また、国民と永住者以外の外国人も165万人おり、全人口の3割を占めています。

     

    このような人口構成では、日本の多くの小学校のように「みんな同じ」という前提は通用しません。

     

    皮膚の色などの外見、家庭で使っている言語、宗教や習慣、食べ物、さらには家庭の経済状況(貧富の差は日本に比べても非常に大きいです)に至るまですべてが違うわけで、当然、親や本人の価値観や考え方もまったく違います。

     

    その中で強調されるのが、違いを尊重した上で、それを超えて共同して問題解決にあたるという論理の組み立てです。

     

    教科書には、各民族の食べ物や祝日の違いはもとより、ラマダーンで断食中のイスラム教徒の子どもが「食べるものがない人のことを覚えて」断食しているという、信仰内容の説明を同級生にする章もあります。

     

    中でも私が最も興味深く読んだのは、次の章でした。

     

    ある子供が音楽のグループレッスンに遅刻した上に楽譜を忘れたため、他の子どもと口論になり、その子どもが遅れた子供を突き飛ばします。

     

    突き飛ばした子供は先生の部屋に連れて行かれ、信号機の絵が描かれたポスターを見せられて、

     

    赤「思ったことをすぐ行動に移さないで、まず深呼吸して1から10まで数える」

    黄「いろいろな選択肢とその結果を考え、その後、どれを選ぶか決める」

    緑「選んだことを実行する」

     

    と先生から説明されて諭されます。その後、グループレッスンに戻って突き飛ばした子供に謝ると「僕も遅れて悪かった。次は改めるよ」と言われて大円団。

     

    途中で、「遅れた子どもはどうしなければならなかったのか」とか「突き飛ばす代わりに何をしなければいけなかったのか」というごくごく一般的な設問も入りますが、「ポスターに書いてあるような方法をとった場合ととらなかった場合の違いは何か」とか「自分がその子だったらどのよう行動するか」など、かなり思考力が要される設問も入ります。これを、教室で子供たちがグループ討論するのです。

     

    正直、たかだか8歳の子供にこのようなセルフコントロール法を教え、解決方法を考えさせる教育手法にかなり驚きました。

     

    遅刻する子も、かっとしてすぐに手が出てしまう子も、それぞれの個性です。

     

    我が家の娘はかなり重度のADHDで、薬を飲んでいないと授業中椅子に座っていることができず教室を歩き回ってしまいますが、それもある意味、個性と言えるでしょう。

     

    ただ、このような個性をただ野放しにしていたり、「こうしてはダメ」としてはいけないことを教えるだけでは、もともとバラバラな個が集まった集団で成果を上げることは不可能だと思います。そのために、自分で自分をコントロールし、結果を予測した上で実行させる方法を小学校低学年から学ばせているのだと思います。

     

    このような視点で日本の小学1,2年生の道徳の教科書を読んでみると、レベルの違いに唖然とさせられます。

     

    熾烈なサバイバル競争を子供に強制するシンガポールの詰め込み教育には私はあまり賛成しませんが、このようなセルフコントロールやチームビルディングの実際的な思考力を養う教育は、日本でもぜひ見習うべきだと強く感じました。

    | 後藤百合子 | シンガポール子育て | 16:29 | - | - |
    幸福な後期高齢者になるために必要な5つのこと
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      ここのところたて続けに、話題の人生の大先輩の方々の本を読みました。

       

      全員が後期高齢者。曽野綾子さんだけが現在86歳と80代ですが、91歳で亡くなられた夫、三浦朱門さんと過ごされた最期の日々を書かれています。

       

      それぞれご活躍される分野で素晴らしい業績を残されてきた方々ですが、読んでいるうちに、後期高齢者と呼ばれる年齢になってもこのように現役で活躍され、私たち後輩に力強いメッセージを送っておられる皆さんに共通する項目がみえてきたので、それを5つのポイントにまとめてみました。

       

      1.好奇心

      曽野さんは、夫の三浦朱門さんのお棺の中に、その日の朝刊を入れられました。朱門さんは亡くなる9日前に入院されるまで1年強を自宅で療養されましたが、その間の愉しみが読書。不自由な体になりながらも、自宅のベッドで熱心に本や雑誌、新聞を読まれていたそうです。

       

      佐藤愛子さんも、新聞の人生相談を読んだり、テレビを観たりしては、内容についてあーでもない、こーでもないと考え、辛口のエッセイを書き、家族や友人と一緒になって悪口を愉しみます。

       

      瀬戸内寂聴さんの愉しみは「食」。ご自分でプロデュースした大吟醸酒をたしなみ、今でも盛んに肉を食べられているそう。相変わらずメディアへ登場する機会も多く、何度も大病をされたにもかかわらず、95歳にしてまだまだ現役で、週刊誌だけでも4種類は読んでいるそうです。そして、今年には、88歳に寝たきり生活を経験してから始めた俳句の句集を自費出版されています。

       

      そして、今年亡くなられた生ける聖人のような日野原医師も、なんと105歳になってから絵の勉強を始められたとのこと。「運動不足」より「感動不足」のほうが深刻だ、と書いておられます。

       

      自分がまだ知らないことを知りたい、世の中の変化を知りたい、感動したい、新しいことに挑戦したいなど、旺盛な好奇心をもっていることが、病気や身体の衰えによる無力感や、老年期うつを克服する秘訣のようです。

       

      2.ユーモア

      あなたにもおすすめしたいのは、ユーモア、つまり笑いの効能です。

      なぜなら一緒に笑うということは、何より人と人との一体感を深めてくれるものだと思うからです。

       

      日野原さんは、ご自身の人生を変えたというよど号ハイジャック事件のときも、人質になった乗客が笑いを忘れず、事件が解決して飛行機を降りるときに、犯人に向かって「これから頑張れよ」と声をかけた人もいた、と書かれています。

       

      佐藤愛子さんの毒舌に含まれたユーモアは有名ですが、どちらかというと厳格な印象のある曽野綾子さんも、夫の朱門さんの̪死の床でも冗談を言い合い、亡くなられてからは機知に富んだ夫の言葉が書かれたメモを読み返したと言います。

       

      瀬戸内寂聴さんの法話では、5千人もの方々を前に話されることもあるそうですが、やはりウィットにあふれたお話で聴衆を魅了し、法話を聞き終えた人たちが帰るときには、みな大変晴れ晴れした明るい顔になっているそうです。

       

      ユーモアがあれば、自分だけでなく周囲の人々も明るくできます。老年期になれば多くの人々が多少なりとも人の力を借りて生活をするのが普通ですが、周囲から好かれる老人になるという意味でも、ユーモアは重要でしょう。

       

      3.仕事とお金

      佐藤愛子さんは、長編小説『晩鐘』を88歳で書き上げてから、もうこれで仕事はたくさんと感じ、のんびり老後を過ごす予定だったといいます。

       

      しかし、実際にその「のんびり」生活に入られた後は、気力がなくなり、訪ねてくる人も少なくなり、気が滅入ってきて「これは老人性ウツ病」だな、と思うほどになってしまいました。

       

      そこに「女性セブン」の編集者が訪れて連載を依頼し、大ベストセラー『90歳。何がめでたい』が生まれ、ウツ病からも回復されたといいます。

       

      人間は「のんびりしよう」なんて考えてはダメだということが、90歳を過ぎてよくわかりました。

       

      日野原さんは、生涯現役の医師として活躍され、全国で講演会をなさり、また、韓国人テノール歌手ベー・チョチュルさんのプロデューサーとしても、精力的にお仕事をされました。

       

      瀬戸内さんは僧侶としての活動はもちろん、今も作家活動を続けられ、2011年、89歳のときには『風景』で泉鏡花賞を受賞されています。

       

      曽野さんが保守の論客として、やはり活発な文筆活動をされていることは周知のとおりですが、そんな彼女が、仕事によってお金を稼いでいたからこそできたこと、について何度か触れています。階段を上がる簡易エレベーターや、室内物干しなど、決して贅沢をしたいわけではないけれど、お金にほんの少しゆとりがあってできることも、蓄えを食いつぶすだけの生活ではなかなか思い切ってできないことでしょう。それができたのは、仕事を続けてきたこと=お金にゆとりがあることだと説明されるのです。

       

      仕事を続けることによって社会に貢献し、お金のゆとりも増えるという意味で、体力の許す範囲でできる限り仕事を続けることは二重に意味があると思います。

       

      4.家族

      『95歳まで生きるのは幸せですか?』で一番驚いたのは、瀬戸内さんが、若いときに出奔して婚家に置きざりにした娘さんの家族(ニューヨーク在住の孫とひ孫)と交流しているということでした。

       

      すべてを捨てて仏門に帰依したはずの瀬戸内さんですら、老年になって家族との交流を復活されています。

       

      夫の両親、自身の母親、そして夫と、多忙の中4人もの介護をされた曽野さんの奮闘はもちろんのこと、佐藤さんも文句をいいつつ娘さん一家と二世帯住宅に暮らし、日野原さんも最期まで次男の妻の献身的な介護を受けられたそうです。

       

      施設での介護も、ヘルパーさんも、もちろん必要ではありますが、やはり物理的なサポートだけでなく、身近で心の支えとなり、老年の生を支えてくれるのは、自分自身の家族ではないでしょうか。

       

      5.信仰

      瀬戸内さんは言うまでもなく仏教の聖職者、曽野さんはカトリック教徒、日野原さんはプロテスタントのキリスト教徒です。

       

      佐藤さんは特定の宗教に帰依しているわけではないようですが、以前の記事にも書いたように、老年になってから霊感が強くなってあの世との交流をもたれるようになり、この世で徳を積まなくてはいけないということを繰り返し書かれています。

       

      皆さんに共通するのはやはり、自分自身の力だけでなく、もっと大きな力に生かされているという信仰が、言葉の端々に表れていることです。

       

      何かあったとき、やはり宗教をもっている人は強いでしょうね。何も持っていない人よりは。だけど、便利だから信仰を持ちなさいというわけにもいかないですしね。

       

      と、瀬戸内さんは語ります。

       

      お釈迦さまは、人間の不幸の源は「生老病死」と言われましたが、後期高齢者になればこれがすべて襲ってきます。「ピンピンコロリ」をいくら願っても、死なずに生きれば生きるほど病気になり、痛みに襲われ、自分が生きていることの意味がわからなくなってくるのだと思います。そして100歳を越えた日野原さんでさえ、いつか必ずやってくる自分の死を「恐ろしい」と断言するのです。

       

      だからこそ、朝起きて自分が生きているということが、心から嬉しいのです。生きているからこそ、新しい一日をスタートできる。様々な出会いがある。105歳という年齢を迎えてもなお、僕にはまだ自分でも知らない自分がたくさんあり、その未知なる自分と出会えるということに、心からわくわくしているのです。

       

      日野原さんのこの言葉は、おそらく、聖書の「ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」(コリントの信徒への手紙供。款16節)にインスパイア―されているのではないかと思いますが、死を目前にしてこのようなお話ができるのは、やはり長年の信仰に裏打ちされた生活の果実だと思います。

       

      瀬戸内さんではありませんが、功利的な意味でも、100年生活を生き抜くのに宗教は「便利」なのではないでしょうか。

      | 後藤百合子 | 書評 | 18:31 | - | - |
      シンガポール地下鉄事故頻発で考える交通システムの今後
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        JUGEMテーマ:ビジネス

         

        シンガポールのMRTが大変なことになっています。

         

        MRTMass Rapid Transit 大量高速輸送)は、マニラについで東南アジアで2番目、1987年にシンガポールに導入された地下鉄(一部区間は地上)システムで、毎日、300万人以上の足となっている、バスに次ぐシンガポール市民の足。シンガポール政府が建設し、運営はバス、タクシーなども経営する株式会社のSMRT社とSBSトランジット社に委託されています。

         

        積極的な移民政策により人口が急増するシンガポールにあって、MRTの果たす役割は重要です。物価と比較して非常に抑えられた運賃や、急ピッチで年々増加する路線と駅数、各駅に空港並みのオブジェなど芸術作品を配置するなど、シンガポールの周到な都市計画の中でも、国策として特に力を入れていることがわかります。

         

        ところが、数年前からこのMRTに異変が起きています。遅延が頻発し、乗客が車内に閉じ込められたリ、通勤時間帯に駅に人があふれて身動きできなくなったりという状況が日常茶飯事になりつつあるのです。そんな中、昨年にはメンテナンス職員が電車に轢かれるという死亡事故も発生。

         

        遅延は最初のうちこそ大きく取り上げられましたが、あまりに数が多いため多少の遅延では最近ではニュースにさえならなくなりました。市民のほうも慣れてきたようで「通勤には2時間余裕をもって」などブラックジョークまで飛び出しています。

         

        これを重くみたシンガポール政府は今月、運営会社の社長以下、経営陣を国会に呼んで運輸大臣が延々と説教する(証人喚問ではなく説教をひたすら聞いているだけ)という前代未聞のパフォーマンスまで行いましたが、その成果といえば、先週15日に発生した駅での電車衝突事故。乗客29人が負傷しましたが、この中にはマレーシア人も含まれており、国際問題に発展しかねない状況です。

         

        事故の原因は現在のところ、フランスの軍需産業大手タレス社が納入している信号システムにあると考えられており、真偽のほどは定かではありませんが、頻発する遅延の原因もタレス社が契約を盾にシステムの内容を公開していないからだというSMRT社員の声を伝えるネット情報もあります。

         

        機を同じくして先週、日本でつくばエクスプレスが、電車が20秒早く発車したことに対して謝罪。欧米同様シンガポールでもニュースで大きく報じられました。度重なる地下鉄遅延や事故に相当なストレスを感じているシンガポール市民が、「やっぱり日本製はいい」と再認識したことは間違いありません。

         

        おりしも、マレーシアの首都クアラルンプールとシンガポールを結ぶ高速鉄道の受注会社決定時期が今年末に迫っています。

         

        中国の金にあかせた猛烈な営業活動と採算を度外視した価格の前に、次点の有力候補とされている日本は劣勢に立たされていますが、立て続けに起こるMRT事故から両政府が学んで、ぜひ日本製が採用されてほしいと思います(私の夫は「もし中国が選ばれたら絶対に乗らない」と前々から公言しており、個人的にも日本製を選んでもらわないと困ります)。

         

        いっぽうで、今後の日本経済の行方を考えると決して楽観できないニュースもあります。

         

        ウーバーやシェア自転車などシェアリング・エコノミーがすでに根付いているシンガポールで、来週から電気自動車シェアリングのベータテストが始まることが発表されました。

         

        運営会社BlueSG社は2ドア車80台でテストを開始するとしていますが、年末までには充電ポイントを30か所に設置。3年後の2020年までに電気自動車1,000台、充電ポイントを2,000か所に拡大すると意欲的です。

         

        アジア随一のお金持ち国シンガポールでは、ベンツやBMWなど高級車が街にあふれていますが、高品質で手頃な価格の日本車も根強い人気です。しかし、車はクォーター制で、購入価格は日本の3〜4倍が当たり前。電気自動車のシェアリングが定着すれば、超富裕層はさておき、これまで日本車を購入していた中流層が一気にそちらに流れる可能性も予想されます。

         

        日本の戦後を支えてきた輸送産業は、現在、正念場を迎えていると思います。

        | 後藤百合子 | 日本のこれから | 12:17 | - | - |
        「自分と他人の権利」を同様に尊重する大人の社会
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          JUGEMテーマ:国際社会

          ■イスラム教女性のヒジャブやブルカ禁止にみる欧州諸国の根本姿勢

          今年3月、欧州司法裁判所が、EU加盟国の企業が職場でイスラム教女性の職場でのヒジャブ(髪を覆うスカーフ)を禁止することができる、という判決を下しました。

           

          これは2003年、ベルギーのイスラム教女性が、働いていた職場でヒジャブ着用を理由に解雇になったことを不服として起こした裁判で、判決の理由は、宗教による差別は禁止されているが、企業が社内規定で「政治的、哲学的、または宗教的信条を表わすもの」を身につけることを禁止しても直接的な差別には当たらないというものでした。

           

          機を同じくして、ドイツのバイエルン州でも8月から、公共施設内で顔全体を覆うブルカやニカブの着用を禁止。これには独メルケル首相も「法の規制が可能な限り、禁止されるべきです。私たちの法律は社会儀礼や、部族や家族間のルール、そしてシャーリア(イスラム法)より優先されます。このことは明確に説明していく必要があります。人とコミュニケーションするときは、顔を見せることが重要なのです」」と、支持を表明しています。

           

          フランスではさらに以前から、公立学校ではヒジャブを、公共の場所ではブルカやニカブを禁止しており、ブルカとニカブについては、ベルギーやスイスのティチーノ州でも禁止(スイスの全国的禁止法案は上院で否決)されています。 ティチーノ州のブルカ禁止令は観光客にも適用されますが、今年初めて女性の車の運転を認めた厳格なイスラム教国のサウジアラビアは、「法を遵守」するよう呼び掛けており、国家間の深刻な対立は起きていません

           

          女性の顔をすべて覆ってしまうブルカやニカブと違い、頭を覆うだけのヒジャブについては欧州でも大方の対応は緩やかで、EU脱退を表明したイギリスでは、ヒジャブを警官の制服の一部に取り入れるなど、ヒジャブについては欧州でも対応が分かれるようです。 

           

          いっぽうで、衛生上の理由からイギリスの一部病院ではスタッフのヒジャブ着用を禁止しており、こちらは論争が続いています。

           

          これらのニュースを読んでいると、おぼろげながら大量の移民を受け入れつつ将来に向けて進んでいこうとする欧州諸国の考え方が見えてくるような気がします。

           

          それは、個人の思想・信条を尊重しながらも、様々な思想・信条をもつ人々が共生する公共の場では、それを公にしないでほしい、端的に言えば「他の人が見たくないといっているものを見せないでください」ということではないでしょうか?

           

          ■「猥褻」や「不愉快」を禁じる功利主義的妥協法

          英語では通常、猥褻な事柄を形容するのに「obscene」という言葉が使われます。

           

          前回のブログ記事で、シンガポールであるアパレルメーカーのビル広告が撤去された、という話を書きましたが、このときも「obscene」という言葉が使われました。

           

          もう少し詳しくこの顛末を説明すると、ある若者向けのアパレルブランドが、オーチャードロードという、日本でいえば銀座に相当するショッピング街のビルに男性の裸の上半身の写真の巨大ポスターを設置。これを見た市民が新聞に「このようなobsceneな広告は景観にそぐわず不快である」と投稿し、これに賛同する人々が口々に同様の感想を表明したことから、自主的に撤去されたのです。

           

          辞書で調べるとわかりますが、obsceneという言葉には、性的な「猥褻」という意味以外にも、品位を乱すとか、非常に不愉快であるとか、道徳的に許されない、というような意味があります(例えば、あるオンライン辞書には「The salaries some bankers earn are obscene.」という例文が掲載されています)。

           

          確かに、ビーチやプールに行けば上半身裸の男性は大勢いますし、それを猥褻であるという人はいないでしょう。しかし、もし銀座にこのような恰好の男性が大勢歩いていたら、日本でも非難されることは間違いありません。

           

          欧州裁判所の判決もこの考え方に近いものがあると思います。

           

          例えば、職場に「トランプ大統領の退陣を!」とか「ナチス万歳!」とか書いたメッセージTシャツを着ていったとしたらその意見に賛同できない人は仕事に集中できないでしょうし、熱心な仏教徒がムダな殺生を許さないとしてゴキブリがいる環境を病院で放置したら、病院運営そのものが成り立ちません。

           

          これは極端な例かもしれませんが、いろいろな出自や考え方の人たちが集まる欧州だからこそ、個人は尊重しながらも最大公約数の利益を追求するというベンサム的功利主義の妥協的手法をとっているのだと思います。

           

          もちろん、ここには「最大多数の」という意味も含まれますので、将来的に欧州のイスラム人口が増えた場合、これらの規制が正反対になる可能性も否定できません。

           

          ■「成熟した大人の社会」は他人の権利に寛容と規制で臨む

          現在の日本での受動喫煙防止法の流れも、同じ考え方からきていると思います(個人の権利まで否定する自宅での喫煙禁止には議論の余地があると思いますが)。

           

          経済発展ただ中の新興国では通常、自分や自分の家族の豊かさの追求に必死で、他人の権利や公衆道徳などは二の次です。

           

          日本でも同様で、私が子供の頃、高度経済真っ最中の時代には、とにかく公衆トイレが汚く、家族旅行にでかけるときもトイレのことを考えただけで憂鬱になった記憶があります。また、バブル期あたりまでは、職場に女性のヌードポスターが貼ってあったり、男性上司が挨拶がわりにOLのお尻を触るなど日常茶飯事でした。それらを考えると、日本も経済だけでなく社会的にもこれだけ成熟したのだという感慨を覚えます。

           

          日本も、ドイツをはじめとする欧州も、70年前の焼け跡から復活して経済成長を遂げ、「成熟した大人の社会」になった現在だからこそ、自分自身と他人の幸福追求の権利に対し、同等な想像力をもって再考するステージに立たされているのだと思います。

          | 後藤百合子 | グローバル社会と宗教 | 13:43 | - | - |
          人の不倫に騒ぐ前に、100年ライフを生き抜く夫婦関係構築を。
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            JUGEMテーマ:幸せなお金と時間の使い方

             

            半年ほど前から楽天マガジンを購読しています。

             

            読み放題定額料金のため、料理関係の雑誌や経済誌など、以前から紙媒体で読んでいた雑誌はもちろん、男性向け週刊誌などこれまではほとんど手に取ることがなかった雑誌も読む機会が多くなりました。

             

            男性向け週刊誌では、政治や経済など時事ニュースの他、新刊本の書評や、ネットではほとんど読めない作家やエッセイストの方々の連載もあり、けっこう楽しみに読んでいるのですが、困るのがセックス関連の記事や劇画です。

             

            書評を読んでいるうちにいつの間にか「人妻の浮気」特集や、胸も露わにした性交シーンの描写に。劇画はもちろんのこと、シンガポールでは漢字を読める華人系の人も多いので、バスや地下鉄に乗っているときにこういう記事に当たるとどきどきしながらすぐに画面をオフにします。

             

            ■性的コンテンツが氾濫する日本

            地下鉄の中吊り広告ではグラビアアイドルが水着で挑発的なポーズをとって乗客をみつめ、浮気や人妻といった見出しが躍る。コンビニでは一般誌のすぐ隣に成人向け雑誌コーナーが設けられ、駅前の一等地には風俗店の猥雑な看板が並ぶ中、通学や塾帰りの子どもたちが平気でその前を通っていく。現役のアダルトビデオの俳優さんが地上波のテレビに出演して仕事を語る。

             

            日本ではごく普通の光景ですが、はっきり言って、世界的スタンダードでは異常です。

             

            シンガポールでは売春は合法ですので風俗店もありますが、場所が決められていて一般人が近づくことはほとんどありません。

             

            日本のような中吊り広告もありませんが、数年前、ある米アパレルブランドが上半身裸の男性のビル広告を出したときには、「猥褻である」と市民の猛反対に遭って撤去されました。

             

            テレビはもちろん、雑誌や漫画なども、成人向けのものは書店で立ち読みできないようしっかりと包装されて指定年齢未満の子どもは買えないようになっています

             

            性的嗜好は個人的な事柄ですので、幼児ポルノ等を除き法の範囲内で趣味を追求するのは大人の自由ですが、子どもはもちろんのこと、私のように普通に生活していてこのような情報に晒されたくないと思っている人も決して少なくないはずです。

             

            冒頭に書いたように、書評やエッセイを読んでいたら、いつの間にかおもしろおかしくセックスを扱う記事に辿り着いてしまったという話も、日本ならではの現象だと思います。

             

            ■浮気を奨励し不倫を叩く矛盾

            対照的なのは昨今の不倫バッシングの嵐です。

             

            当初は不倫とバッシングされながらも現在は理想的なカップルと称賛される、糸井重里さんと樋口可南子さん、沢田研二さんと田中裕子さん、政治家では船田元さんと畑恵さん夫婦などがいらっしゃいますし、夫婦の問題はあくまでも当事者にしかわからないことですから、昨今の報道は度が過ぎているとしか思えません。

             

            いっぽうで一般人の浮気や売春を煽り、いっぽうで有名人の不倫を徹底的に暴いて叩く。

             

            このいびつな情報が、子どもたちの目にも否応なく触れてしまう日本の現実を考えると暗澹たる気持ちにさせられます。

             

            ■「仕事とセックスは家庭に持ちこまない」が変えた夫婦像

            他国と比べて、日本には伝統的に性的な事柄に対して鷹揚な文化があることは私も理解しています。

             

            江戸時代の春画などは現代で言えばアダルトビデオと同等でしょうが、では、これがあちこちに氾濫していたかといえば決してそうではなく、「おばあちゃんが嫁入り道具と一緒にもってきて仏壇の奥にしまっておいた」というような扱い方をされていたと聞いています。

             

            70年代には文豪永井荷風作の春本「四畳半襖の下張」が裁判騒動になり、80年代、私が大学生の頃には「ビニ本」と呼ばれた成人雑誌がありましたが、文字通りビニールが被せてあって立ち読みなどはできませんでしたし、置かれている店も限られていました。

             

            それが現在のように性情報が市井に氾濫する状況に変わったのは、「仕事とセックスは家庭に持ちこまない」と公言したタレントさんの言葉の影響が大きかったように思います。同じ頃流行したCMの「亭主元気で留守がいい」というフレーズも同様ですが、夫婦間のセックスに対する考え方と同時に、性全体に対する日本人の態度が大きく変化したのはこの頃ではないかと感じるのです。

             

            ■ますます進む夫婦のセックスレス?

            ちょうど3年前、「夫婦の55%はセックスレス! 少子化の最も深刻な原因?という記事を書きましたが、残念ながらこの状況がこの間、劇的に好転しているとは感じません。

             

            それどころか、昨今の人妻浮気記事や不倫報道をみるにつけ、ますます悪化しているのではないかと危惧しています。

             

            最近、ある女性有名人が書かれた「セックスしたくないのならスキンシップでもいいから夫婦で話し合えばいい」という趣旨の記事を読みましたが、良好な夫婦関係を保つための基本の一つに性行為があるのですから、そこをスルーしてよいことにするというのは根本的な夫婦関係の解決にはならないのではないかと感じます。

             

            ■海外にみる夫婦のセックスレス回避の努力

            ただ、結婚して何年も経ってお互いに刺激がなくなったり、女性が更年期で物理的に行為が難しくなるという側面は確かに否定できません。

             

            これは特に日本人に限らず、どこも同じです。私の夫が定期的に読んでいるシンガポールの「Men’s Health」という雑誌には健康のためのトレーニングや食品メニューなどの記事と並んで、セックス関連の記事が定期的に掲載されますし、世界中で読まれている女性誌「Cosmopolitan」のサイトを見るとさらに具体的で驚きます。

             

            また、女性の閉経後の性欲減退や性交痛については、HRT(ホルモン補充療法)が有効ですが、オーストラリアの56%を筆頭に欧米では3040%程度の普及率なのに、日本ではわずか1.7%にとどまっているのです。

             

            100年ライフを生き抜くためには、強固な夫婦の紐帯が不可欠

            ブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーが共演した映画『Mr.Mrs.スミス』では、夫婦関係がうまくいかなくなったスミス夫妻が結婚カウンセリングを受けるところから始まりますが、その中で「セックスの回数は?」とカウンセラーが質問するシーンがあります。

             

            『チャタレイ夫人の恋人』のように、障がいや病気で正常な性生活が送れない夫婦であれば別ですが、そうでないのなら、夫婦がお互いに満足できる性生活を送ることは良好な結婚生活にとって非常に大切であると思います。

             

            特に、来る100年ライフを生き抜くに当たり、仕事やお金と同様、いや、それ以上にパートナーとの関係はますます重要性を増してきます。

             

            人の不倫や浮気を興味本位に騒ぎ立てるより、まず自分自身の夫婦関係を見直し、より良い関係を築く努力をすることこそが優先課題なのではないでしょうか。

            | 後藤百合子 | ワークライフバランス | 14:54 | - | - |
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