ASIAN NOMAD LIFE

日本、香港、中国で生活・仕事をしてきてシンガポール在住8年目。
嫌われることを恐れない勇気をもつということ
0

    JUGEMテーマ:国際社会

    日経ビジネスオンラインの小田嶋隆さんのコラム、『「教育勅語」を愛する人々』を読みました。

     

    この中で紹介されていた小田嶋さんのツイート、

     

    教育勅語が若い世代を含む多くの日本人を未だに魅了してやまないのは、並列された文言の背景に一貫している「個々の人間の個別の価値よりもひとまとまりの日本人という集団としての公の価値や伝統に根ざした心情のほうがずっと大切だぞ」という思想が、根本的にヤンキーの美学だからだよ。

    より大きな集合の一員であることの陶酔に挺身するのがヤンキーの集団主義道徳で、その彼らを結びつけている文化が友情・努力・勝利の少年ジャンプ的なホモソーシャルである以上、教育勅語はど真ん中の思想ですよ。

    を読み、現在の日本に蔓延する閉塞感について改めて考えさせられました。

     

    ■シンガポールのNational Pledge

    教育勅語は戦前・戦中の学校教育で重要視され、生徒全員が暗唱させられていたそうですが、実はシンガポールにも似たような「Pledege(誓約)」があります。

     

    子どもたちは小学校に上がるとすぐに(娘の通っていた幼稚園では年長クラスから始めました)これを暗記させられ、毎日朝礼で唱和します。 そのためシンガポール建国後に教育を受けた国民であれば、全員これを暗唱できます。(この思想に基づいた「公民」教育も行われますので、ごく少数の例外を除きシンガポール国民は全員文部省管轄のローカル小学校に通うことが義務づけられており、インターナショナルスクールには入学できません)

     

    また、このPledgeは軍隊や建国記念日の行事などでも必ず唱和されるため、首相や議員たちが子どもと並んで唱和している様子なども目にすることがあります。

     

    内容はといえば、いたってシンプル。

    We, the citizens of Singapore, pledge ourselves as one united people, regardless of race, language or religion. To build a democratic society, based on justice and equality, so as to achieve happiness, prosperity and progress for our nation. 私たち、シンガポール市民は、人種、言語、宗教にかかわらず、一つの団結した国民であることを誓います。正義と平等に基づき民主主義社会を構築し、私たちの国家のために幸福、繁栄、進歩を達成します。

    ※これは英語バージョンですが、中国語、マレー語、タミル語バージョンもあります。

     

    簡潔さ、わかりやすさという点では教育勅語とは大きく違いますが、「心を一にして」は「一つの団結した国民」に似ていますし、「進んで公益を廣め」も「私たちの国家のために幸福、繁栄、進歩を達成します」に通じます。「徳」とされているところは「正義と平等に基づき」に近い概念ともとれます。

     

    ぱっと見では、さすが「独裁国家」と揶揄されることもあるシンガポールならではの文言で、国家のために専ら精進して尽くしましょう、という大枠では教育勅語と大差ないように見えるかもしれません。 しかし、いっぽうで、二者の内容をよく吟味すると、主語と国民の定義が正反対であることがわかります。

     

    ■主語が「私」ではない教育勅語

    企業理念や校歌など、日頃から私たちが唱和したり歌ったりするものには通常、「私はこうします」という決意表明ととれる主題があるのが普通です。教育勅語も似た側面はあるものの、主語はあくまでも明治天皇であり、「主」である明治天皇の「お言葉」を「従」である一般の国民が唱和するというところが非常に屈折しています。

     

    例えば、会社の社長の訓示を毎朝、社員が聞くことはあっても、自分が社長に成り代わって話すという形態はいかにも不自然ですし私は聞いたことがありません。理念や会社方針など、たとえ社長が決めたことであっても、あくまでも主語は「私」や「私たち」であって、それを実行する主体として「私たち」が唱和するのです。

     

    私は教育勅語を唱和した経験がないのでわかりませんが、主語が天皇のまま唱和されることにより、ひょっとしたら天皇が自分に憑依しているような、一体感、全能感が感じられるのでしょうか? もしそうだとしたら、教育勅語の主語である「天皇」は、あくまでも特定の「明治天皇」という個人ではなく、自分が一体化できる絶対者であり、一面では宗教的な受容者なのかもしれません。

     

    いずれにせよ、「私」という自覚的な主体が存在しえないことは間違いありません。

     

    ■「みんな違う」が前提のシンガポールと「みんな同じ」が前提の日本

    Pledgeの前段にあるように、シンガポールでは国民が基本的にそれぞれ「異質な人々」であるということを明確に規定しています。

     

    シンガポールでは申請書や申込書などによく「民族」を書く欄がありますが、「華人系」「マレー系」「インド系」「ユーロアジア人(白人とアジア人の混血)」「その他」があり、その度に、この国にいろいろな人種が存在している事実に改めて気づかされます。これは宗教も同じです。

     

    いっぽう教育勅語で言及されるのは、天皇家に何代にもわたって仕えてきた「臣民」であって、憲法をもつ近代「国家」に属する「国民」ではありません。さらに、「臣民」にはその昔は朝敵であった「アイヌ人」や、別に王朝をもっていた「琉球人」、ましてや植民地統治下で日本国民となった方々はまったく想定されていないのです(植民地下でも教育勅語の唱和は行われていたため、現在でも台湾などに教育勅語を唱和できる方はいらっしゃいます)。

     

    同時に、教育勅語の天皇家は神道の長ですから、理屈では仏教徒(明治時代には仏教は神道に反するからといって廃仏毀釈運動が起こりました)や私のようなキリスト教徒が臣民=氏子にはなることはできませんが、当然のようにそれが求められています。 ここでもやはり、「私」という個の出自や信仰などの多様性はまったく無視されて、天皇という存在が要求するように「臣民」全員が同じようにふるまうことを期待される、まさに小田嶋さんのいう「ヤンキー的」理想郷が想定されているようです。

     

    この理想郷をいったん自分のアイデンティティの基礎に据えたら、それに反する思想や教義を信奉する他者は受容できないし、受容しない。

     

    この排他性こそ、教育勅語に象徴される敗戦前の全体主義の根底に脈々と流れていた体質であり、現代日本で教育勅語の思想に共鳴する方々にも引き継がれている伝統なのではないでしょうか。

     

    また皮肉なことに、ある意味、この排他性は、世界に冠たる民主主義国家アメリカの思想的支柱となってきたキリスト教原理主義者の考え方に非常に似かよっているようにも思えます。

     

    ■「みんなちがってみんないい」をあえて言わなければならない社会 

    「みんなちがってみんないい」と書いたのは詩人の金子みすゞですが、人間が一人一人みな個性をもち、考え方も違うのは自明の理であり、あえて深読みすれば「みんなとちがうことは悪である」という日本的共通認識への強烈なアンチテーゼである気がします。

     

    また、自分自身が他の「みんな」と同じでなくなることへの恐怖とともに、人が自分と違うことを許さない人たちが感じているであろう、自分の集団に「異質なものがいる」恐怖、いわば「異分子恐怖」ともいうべきものが日本社会にずっと共有されてきたのではないでしょうか。

     

    サービス残業問題(みんながやっているのだから一人だけいやとは言えない)、ブラック企業問題(おかしいと思っても自分ひとりではなかなか会社を辞められない)、子どものいじめ問題(自分もいじめなかったら逆に自分がいじめられる)、等々すべて同根。 誰からもはっきりと要求されていないのに「空気を読み」、誰もはっきりと言葉に出して言わないのに「空気を読んで」全員が同じ行動をすることを期待する人々が社会的多数を占めていること、そしてその暗黙の了解によって実は自分自身の首を絞め、呼吸できないほど息苦しくなっている人々がやはり大多数であることこそが、現在の日本の閉塞感の元凶ではないかと思うのです。

     

    「空気を読まざるをえない」「空気に従わざるをえない」恐怖感は教育勅語的なるものの排他性に攻撃され、社会的に抹殺される可能性に対する恐怖なのではないのでしょうか。 その中で「みんなちがってみんないい」は私には、自分の信念に反して社会に妥協することを是としなかった金子みすゞの、苦しみ悶えながらの絶叫に聞こえてしまうのです。

     

    ■嫌われることを恐れない勇気をもつ

    「空気を読んで同調してしまう病」は、教育勅語好きな人だけでなく、正反対の立場をとるいわゆる「リベラル」な人々の間にも蔓延しているように思えます。

     

    議論というのはいろいろな立場や考え方の人がいて、さまざまな角度からの意見や考察が述べられて深められていくものだと私は思いますが、いま盛んに取り上げられている森友学園問題を見ていても、些細な事実の暴露合戦や非難の応酬がほとんどで、この問題について、実は何が本当の論点なのかを理解して議論している人たちの数が非常に少ないことに驚かされます。

     

    日本人、外国人にかかわらず、人はみな性格も考え方も違います。表面的にはみな似たような意見に集約されているように見えても、心の底ではいろいろな考え方や意見をもっているはずです。しかし、空気を読み、暗黙の了解で「こういっておけば無難だろう」という防御的思惑によって表面化されず、結果的に非常に貧しい選択肢しか提示されず、それによってまた絶望する。という悪循環がずっと続いているような気がします。 

     

    いろいろな側面において現在の日本はかなり危機的な状況にあると私は認識していますが、自分自身が生まれ育ち、現在も国民である日本という国家に今後も明るい未来が訪れること、ましてや今後、この国家を担っていく若い世代やこれから生まれてくる子どもたちが「この国に生まれてよかった」と思える国家であってほしいと願う心は年々強まっています。

     

    それを実現するためには、困難な課題を国民一人ひとりが多角的なアプローチで解析し、解決していくことこそが必要であり、「空気を読まず」「嫌われる勇気をもって」自分の「個」を原点に返ってもう一度確立することが不可欠であると私は思います。

    | 後藤百合子 | 日本社会 | 03:01 | - | - |
    国籍を選ばなければいけないとき
    0

      JUGEMテーマ:国際社会

      ■二重国籍が当たり前の香港

      今から20年ほど前、香港で暮らしていたときのこと。ある機会に一人の日本人女性に会いました。当時、30代後半から40代くらい。自由業の方でしたが、香港にかなり長期間暮らされていて、しかもカナダのパスポートを持っているというので、とても驚いたことを覚えています。

       

      ちょうどその時期は香港がイギリスから中国に返還される直前で、たいへんな数の香港人が、イギリスやカナダ、オーストラリアや南アフリカなどに移住してそれぞれの国の「パスポート」を取得していました。イギリスは返還前に大盤振る舞いで香港人にイギリス・パスポートを発行していましたが、カナダ、オーストラリア、南アフリカなど一部のコモンウェルスの国(旧英植民地)では、一定期間移住して暮らせばパスポートが発行されました。そのため、数年それらの国で暮らしてから香港に戻ってきたり、97年直前に引っ越していったりということが日常茶飯事だったのです。

       

      パスポートを持っているということはイコール、その国の国籍をもっているということです。ビザなしで居住することはもちろん、投票もできますし、政治家として立候補もできます。何よりも、世界中どこに行ってもそのパスポートを発行した国が守ってくれるということがパスポート保持の最大のメリットです。日本人が事故や犯罪などに巻き込まれたときに真っ先に安否確認をするのは各国の大使館の義務ですし、昨年のネパール地震の際にはシンガポール政府は航空機をチャーターして希望するシンガポール人を全員、帰国させました。

       

      中国返還前の香港人が将来を不安に思い「何が起こっても自分と家族を守ってくれる国の国籍がほしい」と考え、仕事を辞めるなど相応の覚悟で移住した気持はよくわかります。実際、昨年にはスウェーデン国籍の香港書店主がタイで中国政府によって拉致され、現在も明らかに冤罪とわかる罪で拘束されていますが、スウェーデン政府は現在も粘り強く中国政府と交渉を続けているようです。

       

      このように二重国籍(多重国籍も含む)は香港ではごくごく普通のことなのですが、香港に限らず、ヨーロッパや中南米を中心に、他重国籍者を認めている国は決して少なくありません。

       

      ■抜け道だらけの二重国籍禁止

      ただ、日本の法律では成人してからの二重国籍は法律で認められていないので、冒頭の女性の発言は非常にショックでした。

       

      彼女の話によると、カナダでパスポートを申請するときに日本の国籍を放棄するかどうかは確認されず、日本政府にも自ら届け出をしなければわからないため、実際に多くの二重国籍者がいるということでした。確かに、パスポートを取得した国から直接連絡がいかなければ日本政府にはわかりませんし、出生地や外国人との婚姻により20歳までは認められている二重国籍でも、22歳までに国籍離脱の届け出をしなければ「自動的に日本国籍を選択した」とみなされるとありますので、やはり二重国籍状態を続けることは可能です。罰則もありません。

       

      ペルーのフジモリ元大統領が2000年に日本の事実上の亡命をしたとき、日本政府はフジモリ元大統領を日本国籍保持者として認め、ペルー政府からの身柄引き渡し要求をすべて拒否しました。これも「国民を守る」という観点から行われたことですが、もしもフジモリ元大統領を二重国籍者として日本国籍をはく奪していたら、とっくにペルーに強制送還されていたことでしょう。

       

      また、シンガポール人と結婚してこちらで暮らしている日本人女性と将来の子供の国籍について話すことがありますが、女の子のお母さんはどちらを選んでもいいという人が多く、実際に日本大使館に届け出をしないでずっと二重国籍のままの人も少なからずいるようです。

       

      シンガポールは国籍に対しては非常に厳しく、シンガポール国籍を放棄した場合は、永住権が与えられず、ビザも一般の外国人と同じ扱いになります。その元にあるのは「教育や福祉をはじめ、国にはコストをかけて国民の生活を守る義務があるのだから、国民も国に対して義務を果たし、国に貢献すべき」という精神です。

       

      ■国民の義務と国に貢献するということ

      ただし、シンガポールと日本の二重国籍の男の子をもつ日本人の母親は、この問題についてまた違う考えをもっています。兵役があるからです。

       

      シンガポール政府は皆兵制度をとっており、17歳になると男子は全員徴兵されます。また、2年間の兵役義務を終えてもその後、13年間は予備役となり、毎年訓練に戻らなければなりません。これがシンガポール政府の考える「国民の義務」なのです。実際に国連軍に参加するなどで海外に派遣されるのは職業軍人ですので、徴兵されたらすぐに命の危険があるわけではありませんが、有事の際にはシンガポール国籍をもつ兵役年齢にある男子は全員、軍務につくというのがこの国では当たり前で、その事実を前にしたとき非常に悩み「やはり日本国籍を取らせたい」と思う日本人母も少なからずいるようです。

       

      私自身の子供は女の子ですし、シンガポール国籍しかありませんので悩む必要はありませんが、男の子をもつ母親としては当然の苦しみでしょう。ただ個人的には「国民としての権利を行使するには、きちんと国民としての義務を果たすべき」というシンガポール政府の断固とした姿勢には好感をもちます。皆兵制に賛成かどうかはさておき、納税や選挙権の行使をはじめ国民としての義務をしっかりと果たし、国家に貢献して力を合わせてよりよい国を作って行こうという精神に健全な民主主義を感じるからです。

       

      ■政治家は国民のために自らの人生を捧げてほしい

      現在、民主党党首選に立候補した蓮舫氏の二重国籍疑惑が話題になっていますが、この産経新聞のインタビューを読む限り、私見ですが、蓮舫さんが台湾で国籍放棄の手続きをしているのかどうかはかなり疑わしいのではないかと思います。

       

      いっぽう、彼女の気持ちは、海外在住者として痛いほどよくわかります。その国に根を下ろして暮らしていこうと決意しても、やはり自分の出自を考えれば、できるものなら国籍を残しておきたいという気持ちは、自分の心の故郷を捨てたくない、帰れる場所を確保しておきたいという、人間なら誰しももっているものではないかと思うからです。また、上述のフジモリ元大統領やカナダ・パスポート保持者の日本人女性の例にもある通り、二重国籍問題はグレーゾーンが広く、これをすぐさま法律違反として弾劾するのもどうかと思います。

       

      しかしやはり最終的には、政治家として、その国の将来を決定していくという仕事を職業として選んだのならば、自らの郷愁に決別し、国民の生活を守るためにすべてを捧げてほしいと、一国民として思います。

       

      厳しい決断ではありますが、蓮舫さんには、ぜひこの問題をはっきりとさせて、新たな気持ちで日本国民のために全力を尽くして働く覚悟を決めてもらいたいと願っています。

      | 後藤百合子 | 日本社会 | 19:57 | - | - |
      限りなく本物に近い「ニセモノ作り」に情熱を傾ける中国人、「変なもの」を発明させたら超一流の日本人
      0
        ■節約とニセモノ作りの独創性でぶっちぎりの中国人
        高級電気自動車テスラの充電源を電柱から直接引っ張って作ってしまった中国、四川省の事件がネットで話題になっていますこの車、1台120,000米ドル(約1,500万円)もするのですが、中国では充電施設が少なく、自前で充電設備を作るとなると高くつくため、直接電線から取ってしまおうという発想のようです。こんな高級車を買えるだけのお金があるのなら何もそこまでしなくてもと思うのですが、本人は大真面目でやったに違いありません。
         
        また、以前にもご紹介した偽造プラスティック米など、中国にはニセモノを作ることにたいへんな情熱をかけている人々が多数存在します。私が中国で工場経営をしてきたときも、「スイスの有名な機械とまったく同じものを作って10分の1の値段で売るから買わないか」と地元の機械メーカーの営業マンがやって来たことがありました。真偽のほどは定かではありませんが、中国の大学の工学部には「機械をコピーする方法」という授業まであるそうです。
         
        その成果かどうか、最近では中国製偽ブランド商品のクオリティが非常に上がっていて、税関職員では真贋が識別できないため、わざわざ本物のブランドの会社から人を派遣してもらい識別してもらうケースもあるそうです。有名ブランドの商品と見分けがつかないくらいの品質のものが作れるのなら、わざわざニセモノを作る必要もないのにと思うのは私だけでしょうか?
         
        このように、中国の一部の人たちの、節約のための独創性や、ニセモノ作りにかける情熱には、怒りを感じるというより、むしろ脱帽してしまいます。そして、この情熱を商品開発などもっと別のことに回したらさぞかし素晴らしい製品ばかりになるのに、と思ってしまうのですが、なかなかそうはいかないところが国民性というものです。
         
        ■日本で一番有名な発明家、ドクター中松の珍発明
        日本はどうでしょうか?
         
        日本人はほとんど気がついていないのですが、実は世界では、「変なものを発明するのに信じられない情熱をかける日本人」という評判が確立されています。
         
        「日本人発明家」というと、都知事選や衆院選など選挙にもたびたび登場して話題になったドクター中松の名前がすぐに浮かびます。「ジャンピングシューズ」を履いてぴょんぴょん飛びながら演説をするドクター中松の姿は、たびたびテレビで紹介されたので、多くの方々の記憶に残っていると思います。
         
        ドクター中松の自己申告によると、これまでの発明は3,000件以上。燃料電池(実用化はされていないようです)やフロッピーディスク(実際に特許を保有しているのはIBM)など、けっこう真面目な発明もあるのですが、前述のジャンピングシューズや、スマ手(左手にはめる手袋で、スマートフォンを挟んでおくと置き忘れがない)など、本当に役にたつのかどうかわからない発明も多いようです。
         
        ■ドクター中松だけではない、日本人の「変な」発明の数々
        発明家はドクター中松だけではありません。
         
        私の会社でも年に数回、「御社の商品に関連するこんな発明をしたので、商品化して特許使用料を払いませんか?」という個人の方からのお手紙をいただきます。たいていは本業とあまり関係ないのでコンタクトを取らないのですが、中には「これ作って何に使うの?」という珍発明も少なくありません。
         
        しかし、このような発明家の方々は大真面目で、日本国内だけでなく海外でも積極的に営業をかけているようで、外国人の中には「日本には変な発明をする人がたくさんいる」と思っている人が多いのです。1994年に私が香港に移住したとき、当時ツィム・サ・チョイにあった香港で一番大きい本屋さんでは『Bizarre Japanese Inventions(奇怪な日本の発明)』という英語の本が平積みで売られていました。
         
        この状況は今も変わっておらず、ネットで、bizarre(奇怪な)  strange(変わった)  weird(奇妙な) Japanese invention(日本の発明)という言葉を入れて検索すると、いくつも日本のアイディア商品を紹介するサイトが現れます。
         
        このサイトでは、新旧とりまぜて23商品が紹介されていますが、9の自撮り棒はもはや世界スタンダードになっていますし、20のバター押し出しケースは、NHK朝のニュースの「まちかど情報室」コーナーでも紹介されていました。23の四角いスイカは高級ギフトとして人気です。このように、日本人である私たちにとっては「便利そう」とか「ちょっといいな」という商品でも、外国人の目には「日本人って何でこんな変なもの作るの?」と映っているのです。
         
        ■「変な」便利グッズが大好きなDNAは日本人の中に刻まれている。
        今はもうなくなってしまいましたが、以前、東京には「王様のアイディア」という便利グッズ販売専門の老舗店がありました。私の父はこの店が大好きで、上京するたびに子供たちを連れて店をのぞいていました。子供ながらに「変なものばかりあるなー」と商品を眺めていましたが、前述のバター押し出しケースなどを見るとつい「便利そう」と思ってしまう私にも、しっかり父のDNAが刻まれています。
         
        中国人をはじめとした外国人観光客の「爆買い」で注目される日本のドラッグストアでも、観光客に大人気なのは便利グッズです。観光客というのは自分の国では買えないものを買っていきますので、日本で売られている便利グッズの数々がいかに希少価値の高いものかがわかるでしょう。実際、以前の記事でも紹介したアメリカ人ブロガーのジェニファーさんも、ブログで来日時にドラッグストアで「まとめ髪スティック」を買ったと自慢していました。
         
        本物と変わらないクオリティなのに安い値段で売られるニセモノ作りに情熱を傾ける中国人、本当に役にたつかどうかわからない「変な発明」に情熱を燃やす日本人、一見、全然違うようですが、「モノ作り」にかける情熱はさほど変わらないのではないかと思います。
         
        | 後藤百合子 | 日本社会 | 12:29 | - | - |
        日本年金機構のシステムは根本的に欠陥があるのでは?
        0
          日本年金機構の個人情報流出が大きな問題になっています。
           
          2007年に発覚した「消えた年金記録」問題に加え、今回は流出した125万件のうち約55万件はパスワードをかけていなかったとのこと。あまりにも杜撰な管理体制に非難が集中していますが、そもそも年金機構のシステムがまったく機能していないことは、私の個人的な経験からよくわかっていました。以下、それをご紹介したいと思います。
           
          ■外国人からぼったくりの年金
          私の夫は結婚を機に2001年に来日。シンガポールに帰国するまでの約8年間、日本でサラリーマン生活をし、厚生年金を払い続けました。年金記録によると、雇用者分と合算して合計500万円以上を納付しています。
           
          帰国後の2010年になってから、夫は「脱退一時金」を申請しました。これは年金を支払っていた外国人が帰国した場合、それまで払っていた年金の一部が還付される制度で、当時は最高で125万円程度でした(現在は最高280,620円)。この制度があることを知り、HPから必要書式をダウンロードし、日本年金機構に必要書類を郵送しました。
           
          待つこと半年以上。20112月になってやっと年金機構から返信が来ました。それによると、脱退一時金は不支給。理由は、永住許可をもち、年金を支払った期間と年金受給年齢(65歳)までの合算が300か月を超える場合は、支払わないとのことです。要するに、日本で数年以上暮らして永住許可を取得し、40歳以下で年金を払い始めればこの期間に合致しますので、一時脱退金はもらえないということ。これでは、制度自体がないも同じです。
           
          (数年以上日本に居住している外国人は煩雑なビザ更新手続きを避けるため永住許可申請をすることが多いのですが、全員が日本に定住するとは限りませんし、一定期間再入国許可の更新をしないと永住許可そのものが失効しますので、永住許可を盾にとった年金合算期間は不合理です)
           
          このため、私が夫に代わり電話をかけて抗議したところ、65歳になったら年金を支給するのだからと言われましたが、実際に受給申請する場合は、最終の居住地の年金事務所にでむき、必要書類を提出しなければいけません。書類はすべて日本語なので、私が代行しなかったら夫は自分で作成できませんし、年金の海外送金もしないと聞きました。日本人の配偶者がいる夫のような立場の外国人ならまだしも、一時大挙して南米から出稼ぎに来てリーマンショック前の日本経済を支えてくれていた外国人の方々など、わざわざ数十万円もする飛行機代を支払って再来日し、年金事務所に行って日本語で手続きし、居住もしていないのに年金用に銀行口座を開いて自分で海外口座に送金するなど、あまりにも非現実的です(私が知る限り、日本に住所がなければ銀行口座は開設できません)。
           
          要するに外国人のための年金脱退一時金給付とは、選挙権もなく、日本語が不自由な外国人から取れるだけ取って、最初からほぼ外国人には年金を払うつもりがない、ぼったくり制度だったのです。
           
          ■日本にいないのに国民年金督促状が来続ける。
          しかし、問題はこれで終わりませんでした。
           
          脱退一時金不支給決定通知書の日付は2011215日。厚生労働大臣の判子つきで、基礎年金番号、受付番号もしっかりと記載されています。この文書が交付された時点で、日本年金機構は夫が日本国内にいないことを当然、知っています。
           
          ところが、国民年金の督促通知が毎月、数か所から、夫が住民登録をしていた私の実家に届くのです。基礎年金番号をキーにした個人年金データはあるのですから、すでに日本に居住していない(=年金支払いの義務がない)ことがわかっているのであればその事実が入力されているはずです。しかし、督促通知が届くということは、夫が日本に居住しているという前提です。
           
          最初は何かのミスかと思い、督促状に書かれているねんきん専用ダイヤルや、年金事務所の電話番号に電話をかけ、すでに帰国していることを説明して督促状を送らないようお願いしていましたが、さすがに5回以上説明しても何も改善されなかったため馬鹿らしくなり、電話をかけるのをやめました。
           
          督促状は3年以上来続け、最後には「払わないのなら財産を差し押さえする」という脅迫状のような督促状まで届くようになりました。その後、しばらく来なくなったなと思ったらつい最近、今度は「マイナンバーによるサービスが始まるので、住民票の住所をお知らせください」という通知が来ました。記入しろと同封されていた「住民票住所申出書」には、夫の基礎年金番号がしっかり記入されていました。
           
          ■基礎年金番号で情報を管理できないのなら、マイナンバーを導入してもムダ。
          この経験からわかったのは、日本年金機構の基礎年金番号が、個人情報のキーとしてまったく機能していないということです。年金機構本体だけでなく、各地の年金事務所や、アウトソーシングしている年金ダイヤルでも、加入者情報をどう管理しているのか、まったくもって謎です。
           
          これでは、基礎年金番号に加え、来年から始まるマイナンバーを付け加えても、システムの効率が上がるどころか、逆に、基礎年金番号とマイナンバーが一致せず、さらなる混乱が起こる可能性も十分あります。
           
          今回の情報流出は、職員が外部とのやり取りをするPCにウィルスメールが送られてきたことが原因だそうですが、通常の会社では、基幹業務システムと、それ以外の一般業務システムのセキュリティを分けて管理することは常識ですし、それすら管理されていないとすれば、現在の年金機構のシステムには大きな欠陥があると言わざるをえません。
           
          日本からとっくにいなくなっている外国人に延々と督促状を送り続けるムダ、膨大な人件費を払って年金ダイヤルを設置し対応させても何度も同じ内容の電話を受けるムダに加え、今度は大混乱を引き起こすかもしれないマイナンバーを、現在あるデータに一つ一つ手作業で加えていく作業が加わります。これらのコストはすべて、私たちが毎月払ってきた年金の中から出されているのです。
           
          ただでさえ自分の足を食いつぶしながら生きながらえている日本の年金に、これ以上ムダな経費をかけさせないよう、根本的なシステムの見直しが喫緊の要件です。
           
          | 後藤百合子 | 日本社会 | 16:10 | - | - |
               12
          3456789
          10111213141516
          17181920212223
          24252627282930
          << September 2017 >>
          + PR
          + SELECTED ENTRIES
          + CATEGORIES
          + ARCHIVES
          + MOBILE
          qrcode
          + PROFILE