ASIAN NOMAD LIFE

日本、香港、中国で生活・仕事をしてきてシンガポール在住8年目。
アメリカ人が獲得した「家族」という新しい宗教
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    元旦に「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」、2日に「Ricki and the Flash」(邦題:幸せをつかむ歌 3月公開予定)を観ました。前者は世界的人気を誇るSF超大作、後者は大女優メリル・ストリープ主演のヒューマンドラマという対照的な映画でしたが、根底に流れているのはどちらも「家族」というテーマではないかと思いました。
     
    ■「善悪の対立」から「成長の物語」に方向転換したスター・ウォーズ
    私はスター・ウォーズをリアル・タイムで観てきた世代です。
     
    シリーズ最初のエピソード4は1977年公開。まだ米ソ冷戦の真っただ中でした。当初のストーリーは単純明快。悪の帝国を象徴するダース・ベイダーと正義のために立ち上がった人々が作る共和国の戦士たちが戦う物語。波乱万丈はあっても善は悪に必ず勝って大円団を迎えるという定石をきちんと踏襲していました。
     
    このストーリー展開はルーク・スカイウォーカーが主人公の3部作で共有されますが、次のアナキン3部作になると若干、物語が混戦してきます。善の側だったはずのアナキンが徐々に悪の側にからめとられていき、最後は悪を代表するダース・ベイダーになってしまう。そして彼こそが前シリーズの主人公ルークとレイア姫の実の父だったことが明らかにされるのです。
     
    最新作のエピソード7では、新しい主人公レイがフォースの力に目覚めるところから物語が始まります。レイは子供のころに連れ去られ、辺境の星で今も家族の再会を願いつつも、独力でたくましく暮らす女性。そして、彼女のパートナーになるのは冒頭で悪の側から「人を殺すのなんかいやだ」と善に寝返った黒人青年のフィン。
     
    物語が進むにつれオリジナルシリーズの登場人物が登場してきますが、ハン・ソロは新しいダース・ベイダーの息子に殺され、隠遁しているルークはレイの実の父親ではないかと示唆されます。
     
    最新作では勧善懲悪という単純明快な従来の物語ではなく、より複雑に善と悪がからみあい、そこに家族のメンバーが巻き込まれていくあまりに人間的な物語への変容が起こっています。しかも若い登場人物たちはその中で家族との相克や喪失に悩みつつも、自分の能力や存在意義を発見し、成長していきます。
     
    ■自分の夢のために子供を捨てた母親
    いっぽう、「幸せをつかむ歌」の主人公リッキーは、ロックスターになるという夢のために3人の子供を置いて出奔し、老眼鏡の世話になる年齢なのに、いまだにスーパーでレジのバイトをしながらナイトクラブで歌い続けています。そこに離婚して自殺未遂を起こした娘の面倒をみてやってほしいと前夫から連絡が入り、長いブランクの後、リッキーは再び母親に戻ろうとします。
     
    もちろん子供たちが大喜びで彼女を受け入れるはずがありません。母親に捨てられてどんなにみじめだったか、彼女がいかにひどい人間であるかとリッキーを攻撃し、傷つけます。しかし、最後には子供たちが母を認めて和解し、次男の結婚式でリッキーが彼の好きな歌を歌い、全員で踊るというあまりにもアメリカ的なエンディングで締めくくられます。
     
    この映画でもスター・ウォーズと同じく、テーマは家族の喪失と再発見です。メリル・ストリープの2年前の映画「8月の家族たち」にも言えますが、さまざまな問題を抱える家族のメンバーが、反目や相克を抱えながらも最後には家族としての絆を再び取り戻すというストーリーが最近のアメリカ映画の大きなトレンドといってもよいのではないでしょうか。
     
    ■「アメリカ」を支える家族の絆
    「幸せをつかむ歌」の中で主人公リッキーは「アメリカン・ガール」という曲を歌い終えてから「世界で最高の国に生まれて私は幸せ」と観客に語りかけます。彼女の生活は貧しいその日暮らしであり、さまざまな問題にあふれていますが、それでも彼女をしてそう言わしめるのは、アメリカ人特有の楽天主義であるとともに、やはり「家族」という存在が大きいのではないかと思うのです。
     
    アメリカ人が家族に対してよく使う「I am proud of you」(私はあなたを誇りに思う)という表現を、私はこれまで、他の国の人から聞いたことがありません。逆に、どんなにダメだと思う状況に陥っても、こんな言葉を家族からかけられた経験があれば、そこを乗り越えていくことができるのではないかとも思うのです。
     
    この2つの映画でも描かれているように、アメリカの家族というのは一筋縄ではいきません。離婚、再婚、連れ子、養子は当たり前。血のつながりがまったくない家族も珍しくありません(「幸せをつかむ歌」の中では、リッキーの元姑が「あなたは私の息子を捨てたけど、それでもあなたがずっと大好きだったわ」と再会を喜ぶシーンも出てきます)。
     
    そんな中で、たとえその絆が断ち切れたとしても、何度でもやり直し、家族を再構成していくという営みをやめようとしないことこそ、現在のアメリカを支える活力の一つなのではないでしょうか。それは一面、宗教をなくしてしまった社会に生きる人間を支えるものとして、「家族」への信仰が始まったのではないかとも思えるのです。
    JUGEMテーマ:自分探し
    | 後藤百合子 | 情報 | 07:11 | - | - |
    ネット情報偏重の危険性について
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      ■シンガポールのワーク・ホリデーには日本のトップ5校出身者しか応募できない?
      ある方がネットメディアで、シンガポールのワーク・ホリデー・パス(ワーキングホリデービザのシンガポール版)には東大、京大など、日本のトップ校5校のみしか応募できない、日本の大学は世界水準を満たしていないのであり方を変えるべき、という趣旨の記事を書かれていました。
       
      そんなことはないだろうと思い、シンガポール労働省のHPからメールしてみたところ、半日ほどで返事をもらいました。それによると、以下のサイトにある日本の大学はすべて応募してもよいので、参照するようにとのこと。
       
      http://www.mext.go.jp/english/relatedsites/1303116.htm
      http://www.mext.go.jp/english/relatedsites/1303119.htm
      http://www.mext.go.jp/english/relatedsites/1303136.htm
       
      このリストには、国公立私立、日本のほとんどの四年制大学が入っています。
      もちろん、応募したから全員ビザが下りるわけではありませんが(総数2,000人が上限)、有名大学在校生でなくても、じゅうぶん試してみる価値はあると思います。
       
      この記事を書かれた方の根拠は、シンガポール労働省HPのワーク・ホリデーを説明した
      という記述にあると思うのですが、上記3つの大学ランキングのトップ200位には確かに日本からは5校しか入っていません(ただしExamplesという但し書きがあるので、これ以外はNGとは私は読めませんでしたが)。
       
      ■アジアでのランキングトップのシンガポール国立大学には全体の18%の子供が進学
      こちらは一番目のQS大学ランキングについての英語版Wikiの記述です。これによるとアジアの大学ランキングでは、シンガポール国立大学がトップ、2位が香港大学。10位までに日本の大学は入っていません。
       
      2014年のシンガポールの15~19歳人口は247,337人ですので、平均すると1歳あたり約5万人。いっぽう、シンガポール国立大学の学部生の総数は28,000人。在学年数は3~4年(日本の教育制度と違いシンガポールにはジュニア・カレッジと呼ばれる2年の大学準備過程があるので大学在学期間は3年が最も多い)ですので、在学期間を3年として約9,000人。成績上位の子供からシンガポール国立大学に進学すると考えたら、全体で約18%の進学率となります。
       
      40人学級であれば7人以上がシンガポール国立大学に進学することになり、東大と比べれば門戸は非常に大きく開かれているといえるでしょう(留学生は数に入れていませんし、シンガポールの受験戦争は日本と比べてもはるかに熾烈であることは事実ですが)。
       
      ■世界大学ランキングは「英語で大学教育を受けるなら」という但し書きが必要
      こう考えると、この世界大学ランキング自体を少し疑ってかかったほうがいいと言えると思います。実際、前出のWikiを読んでも、ランキングの選考方法について異議を申し立てている人がけっこういるようです。
       
      その理由は、評価の40%を占めるのが大学関係者への調査によるものであること、また、引用される論文などの数が英語に偏りがちであることなど。
       
      実際、最新のランキングをみても、上位を占めるのは、シンガポール国立大学、香港大学を含め米英カナダ、オーストラリアなど、ほとんどが英語で授業を行っている大学です。30位以内にはスイスの2校とフランスの高等師範学校が入っているくらいで、ドイツではハイデルベルグ大学が49位、中国では清華大学が47位、日本と韓国は東大とソウル国立大学が31位、50位までにロシアやインドの大学は入っていません。
       
      評価の中には教職員の待遇や、大学の財政状況、留学生の数なども入っているのでいちがいに学生の学力の高さを測るものとは言えないのですが、実際には、このランキングは英語で大学教育を受けるとしたらどの大学がよいか、という指標くらいに考えておいたほうが実情に即していると思います。
       
      研究者になってより多くの研究者と交流を深め、最新の研究成果をアップデートするのであれば英語で討論できるくらいの英語力は必要ですし、実際に英語は世界共通語になっているのですが、以前の記事にも書いたように、通常のビジネスの世界でそこまでの英語力は求められませんし、ランキング上位に入っていないからといって、日本の大学での教育レベルが低い、という結論にはならないと思います。
       
      この方がおっしゃりたかった「もっと日本の大学の卒業生は寄付をして大学の発展に貢献すべき」という趣旨には賛同しますが、だからといって日本の大学の卒業生が国際社会で低く見られていると卑下する必要はないのではないでしょうか。
       
      ■ネットに書かれていないことはウソ?
      これで思い出したのが、以前、私がシンガポールの住宅政策の記事を書いたときにある方から「シンガポール政府からはHDB住宅(シンガポールの公営住宅)の購入はできないのにウソを書いた」と指摘されたことです。
       
      たまたまこの記事を書く直前に知人が中古HDB住宅を政府が運営する公団から購入した話を聞いていたため「新築と中古を買うことができる」と書いたのですが、この方は「例外を書くのは間違い」と執拗に主張されました(実際には、後で友人に聞いたり、他のケースを思い出したりして中古HDBを政府から買ったケースが私の直接知っているだけでも4件もありましたので、決して例外ではありませんでしたが)。
       
      この方の論拠はおそらく政府HPにこのようなケースに関する情報が掲載されていないことだと思うのですが、ネットにすべての情報が書かれているとは当然、限りません。シンガポール政府のHPは日本のお役所に比べてずいぶん丁寧にいろいろな情報が掲載されていることをふまえても、玉石混交のインターネット情報の中でも一定の信頼をおかれている政府HPでさえ、上記のワーキング・ホリデーの資格要件や中古HDBの購入についてのように、実際に直接聞いてみたり、直接体験した知人から聞いた話がHPに書かれていないことであったり、若干違っていたりすることは日常茶飯事なのです。
       
      ■ネット情報も含めていろいろな情報を組み合わせることが大切
      同様のことは仕事の現場でもときどき起こります。
       
      仕事で20代、30代のスタッフに何かを質問したとき、返答がちょっと違うなと思い「どうしてそう思うの?」と聞くと「ネットにそう書いてあったから」と返ってくることがときどきあります。確かに一面では間違ってないのですが、別の観点から見ると明らかにおかしい。しかも、実際に仕事の現場で起きていることとまったく正反対であることさえあります。
       
      なぜ彼らがそう思い込んでしまうかというと、最大の原因はネット情報を表層の部分ですくいとるだけで全体像が見えるものと勘違いしてしまっているからではないかと思います。
       
      私はネットネイティブ世代ではありませんが、パソコン通信でパソコンマニアたちの怪しい情報がチャットで流れている頃からネットの世界をかじっていました。その経験から、基本的に「ネット上で流通する情報には信用できないものも多い」と考えています。また、役所などへは疑問点があれば電話やメールですぐに直接聞くようにしています(そのために税金を払っているわけですから)。ネット情報も必ずいくつかのサイトを見て内容に齟齬がないかを確認しますし、新聞や本でも情報を集めます。また、直接知っている人からの口頭での情報は多くの場合、最も信頼性が高いと思っています。
       
      以前は政府の統計や白書の多くは印刷物を自分で購入するか日比谷図書館に行かなければ閲覧できませんでした。現在では役所の情報を含めありとあらゆる情報がネットで公表されていますので便利になったとは思いますが、最も有効な情報の集め方は、その問題に対してのプロフェッショナルに直接聞く、それもできれば複数の人に聞くことです(プロのジャーナリストの多くが毎日複数の新聞を読むのも同じ考え方だと思います)。
       
      ■情報をどう集め使うかの教育が必要。
      情報ソースは多ければ多いほどいい、そして情報元(ソース)に近ければ近いほどより信頼性が高まる、一つだけでなくいろいろな見方からの情報があればなおよい、と思います。そしてそれらの情報を分析・判断して導き出される結論も、人によって違ったり、同じ人であっても状況や時間によって変わったりしても当然、おかしくないと思います。
       
      ネット情報だけですべて解決できると過信してしまったり、その情報を頼りに一面的なものの見方に固執してしまうのは物事の本質を見誤ることにもなりかねません。ネットで情報が簡単に瞬時に入手できるようになった時代だからこそ、もう一度情報の集め方や情報を使った判断の方法を、学校や職場で教え直していく必要があると思っています。
       
      | 後藤百合子 | 情報 | 12:32 | - | - |
      ブログというメディアで情報発信するということ
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        前回シンガポールの公団住宅政策について書いた記事について、シンガポール事情をご自身のブログで書いていらっしゃるブロガーの方から「事実誤認多数」とツィートでご批判を受けました。
         
        この方によると私のブログ記事の問題は、
        • 出典を明記しない
        • 一部事例や自分の身の回りの事象を一般化する
        2点だそうです。
         
        指摘されてこの方のブログを拝見しましたが、確かにほぼすべての文章に出典が付記されており、一般事例や自分の身の回りの事象のことにもほとんど触れられていませんでした。
         
        (ただ「シンガポールのスーパー明治屋は在住日本人の生活に欠かせず、日本人であれば必ず使う」というご本人の身の回りの事象とおぼしきものが記載されている記事がありました。シンガポール永住者の多数派であるとこの方が定義されているシンガポール人配偶者の私はシンガポール在住5年ですが、どうしても日本から持ち込めなかったパイプクリーナを買うための1回以外、ここで買い物をしたことはありませんし、同じ背景の日本人女性たちと食材の話をしても頻繁に明治屋に通っているという話はやはり聞いたことがありません)
         
        ■ブログというメディアはどこまで信頼できるのか?
        私は若い頃、広告出版業界で仕事をしていたことがあります。
         
        当時の広告業界ではコピーライターがまず原稿を作り、それをたたき台にディレクターとクライアントの2者がその文章を徹底的に検証する、という作業が一般的な仕事のやり方でした。「消費者がこの文章を読んでその商品を購入したくなるか」はもちろん、確実なデータの裏付けがない「一番」や「これまでにない」に類する曖昧な表現、消費者を不快にする文言はご法度で、徹底的にチェックされました。それでもときどき広告がバッシングを受け取りやめになる事件は起こることはご存じの通りです。
         
        出版社の場合、基本は編集者と二人三脚でした。編集歴数十年のプロの編集者の方が担当についてくださると「てにをは」や誤字脱字などの文章表現はもちろん、インタビューの書き起こし記事では根掘り葉掘り文脈を読み込まれ、取材時のテープを何回も聞き直したりすることは日常茶飯事でしたし、場合によっては図書館に一日籠って孫引きの文の出典を当たることもありました(当時はインターネットで何でも即座に調べられる環境でなかったので、この作業には実に時間をとられました)。また、担当編集者以外の編集責任者からダメ出しをされることもありましたし、雑誌の場合は、校正時に編集部全員で記事を回し読みして確認するのが通例でしたので、担当編集者からOKをもらっても気を抜けなかったことを覚えています。
         
        今回も一点だけ、「ベーシックインカム」という言葉を私が完全に誤認していた箇所があり、この方に指摘されて訂正しましたが、昔のように第三者が客観的な目で記事チェックをしていてくれたらこのミスはなかったな、と懐かしく思い出した次第です。第三者のチェックなしでそのままインターネットというメディアに乗ってしまう個人ブログというメディアには常にこのように正確性に対する不安要素が伴うということを、私も含めブログ読者は知っておくべきだと思います。もちろん、間違いをご指摘いただいた場合、感謝して訂正させていただいています。
         
        ■出典明記は常に必要か?
        私がこのブログを書き始めたときには、実は引用についてはほぼすべて出典を明記するかリンクを貼っていました。しかし、当時掲載していたサイトの方から「出典紹介が多すぎて読者の思考の流れが中断されてしまう」という指摘を受け、どうしても必要な重要な根拠になる出典以外は省くようになりました。
         
        適当な記事を書きたくありませんので、出典は必ずすべて確認していますし、時間の許す限り、統計データなどは原文の1次資料を当たるよう心がけています。ただ、やはり学術論文や公的資料ではありませんので、出典をすべて書くことは控えています。
         
        今回ご指摘があったアメリカ、香港、シンガポールのジニ係数のデータはこちらのブログを参考にさせていただきました。ブロガーの舞田さんは研究者だけあって非常に正確な情報を発信されている方なのでときどき使わせていただいています。しかし、この順位を「事実誤認」とされたブロガーの方はCIAの資料をお使いになっており、順位が違うと批判されていますが、この方が参考にされたとおぼしきWikipediaの資料をみても 各国の調査年度がばらばらで、為替やときどきの経済状況により大幅に値が変動しますので、厳密に順位づけをすることはあまり意味がないと考えられます。
         
        私がこの記事で言いたかったのは、シンガポールは格差社会として指摘されるアメリカや香港とほぼ並んでジニ係数が非常に高く貧富の差が大きい社会ですよ、ということですので、出典や調査年度を詳述する必要は特に感じていません。
         
        ■表現に完全な「正しい」はない
        この方のご指摘によると、「メンテナンスはすべてHDBがしてくれますので、補修の心配もありません」という文と、「隣国のマレーシアやインドネシアで時折発生する民族同士の対立がまったくなく」という表現は正確でないので「事実誤認」だそうです。
         
        まずHDBフラットのメンテナンスです。
         
        私の住むマンションはHDBではなくプライベートのため住民による管理委員会があります。我が家では夫が積極的に参加していますが、築10年程度なのに雨漏りがひどかったり、外壁の塗り替えがあったり、植木やプールの手入れをする会社や管理会社の評価や選定など雑事が非常に多く、本当に大変です。また、維持・修繕のための月々の積立金や管理費も馬鹿になりません(日本でも分譲マンションの住民は同様でしょう)。
         
        こういう金銭的、時間的、精神的負担がないHDBは住民に負担が少ない、という意味で書いた文でしたが、この方は「外部の補修はしなくてもよいが、室内の配管は自分でメンテナンスしなくてはならないので書くべき」というスタンスだそうです。わからなくもないですが、賃貸ではなく購入物件ですのでトイレの配管の詰りや、水道のパッキン交換、室内の壁の塗り替えもすべてHDB任せという風に理解される読者はまさかいないと思います。
         
        民族同士の対立については、表立ってはないが、仲間内などで多民族の悪口を言うこともあるのでゼロではない、というお考えだそうです。
         
        もちろん軽口で「○○人はこれだから嫌だ」という人も皆無ではありませんが、シンガポール人と話していているとこのような発言が非常に少ないことは事実です。
         
        また、「隣国のマレーシアやインドネシアで時折発生する」と書きましたが、1998年にジャカルタで中国人をターゲットにした暴動が起きたときは「中国人に間違われないために掌に日の丸を書いてよく見えるように手を振りながら道を歩いた」という話を友人のビジネスマンから冗談まじりに聞いたこともあるくらい、これらの地域では民族間の緊張が爆発的に高まることがあるのです。シンガポールでHDB政策が軌道にのってからこれに類する深刻な民族間対立が起こった、という事実はありませんし、シンガポール人に「国民の中に民族の対立ってあるの?」と聞いても即座に否定されることでしょう。
         
        このような問題をどこまで詳細に、どこまで「〜ということはあるけれど、一般的には〜」という表現をするかは、第三者から指摘されることでなく、ブログを執筆する本人に委ねられるべきであると私は考えます。
         
        ■公開資料だけでは見えてこない実情
        ここまでは私のミスであったり、互いの「見解の相違」であったりであると私は認識していますが、この方の批判でどうしても納得がいかなかったのが、以下のものです。
         
        HDB住宅に入居しようとするカップルは、複数の希望を書いて申し込みます。中古で空きとなっているものも含まれます」という私の文章に対し、「HDBフラットの中古は不動産市場で探すものであり、政府は名義変更には関わるが、申し込まれる対象ではない」と指摘されている点です。
         
        HDBフラットは建設中のHDBを申込み、完成を待って入居するのが一般的で、公開されているHDBHPにもそう書いてあります。ただ、HDBの中にも分譲されず政府所有で賃貸ししている物件があり、テナントがいなくなり空きが出ると中古でも販売することがあります。たまたま昨年、知人の若いカップルがこのような中古物件に入居したため「そういえばそんなこともあったな」と挿入したのがこの一文です。
         
        それをお応えすると、今度は「HDBフラットの中古はプライベートと同じくマーケットで流通しているものであり、このようなケースは『例外』と明記して書くべき」と再度批判されてこられたのです。
         
        そこでさらに記憶をたどってみたところ、知人で中古HDBフラットを中古マーケットからではなくHDBから購入した例を2件思い出しました。合計3件のうち2件は非常に入居を急いでいて建設中の物件を待てなかったケース、1件は「どうしてもここに住みたい」という本人の強い希望があり、かつ、単身者のため入居できる物件が限られていた、というケースです。このようなケースが稀有な例外とは思えないので、訂正はしていません。
         
        (この記事を書いている間にも、他にこんなケースを知らないか問い合わせをしていた友人から「自分の妹が以前は別の人が所有していたフラットをHDBから購入した。購入理由は安かったからでHDBには新築だけでなくいろいろな物件があるよ」というメッセージが入ってきました)
         
        ■人によって違うシンガポールの社会像
        シンガポールでの私の生活範囲には、ほとんどシンガポール人か永住者しかいません。明治屋には行きませんが、シンガポール人の家族・親戚に囲まれ、友人・知人や仕事相手と話していると、このようにインターネットで検索してもどこにも出てこないような情報が時折入ってきます。
         
        もちろん、話を聞く相手は徹底的な裏付けを取るジャーナリストではなく、市井の人々ですので間違いが絶対にないことはないでしょうが、私自身を含め、市井の人々が実際に体験している生の情報には、政府統計や大手メディアの情報とは別の重要な価値があると私は考えています。また、このブログでは、そのような他でなかなか入手できない情報を中心にご提供したい、と思っているのです。
         
        その情報を分析し、判断し、自分自身の論理を再構築される作業は読者の方に委ねられています。もちろん批判されるのもご自由です。
         
        ■社会や事象は切り口や立ち位置により風景が変わる。
        ある方がブログで、シンガポールの幼稚園では、両親の国籍が違う子供たちばかりで、本当にインターナショナル、という感想を書いていらっしゃいました。その方のお子さんが通う幼稚園は確かにそうなのだと思います。
         
        逆に私の子供が通う幼稚園は大部分がシンガポール人のカップルか、中国人のカップルの子弟。数人、白人系のお子さんもいらっしゃいますが、両親は同じ国籍の駐在員家庭が一般的です。少し郊外のHDB団地にいけば、シンガポール人子弟の割合はさらに高くなることでしょう
         
        同じシンガポールに暮らしていても、仕事や学校や親族・友人などの交友関係、また住環境によっても100人100様のシンガポール像があると思いますし、それぞれの印象もまた180度違うものであったとしても不思議ではありません。
         
        多様な背景をもち多様な環境に暮らす人々によって書かれるブログは、他人が自分と同じ社会や事象をみても、いろいろな見方、考え方をされるということを知る意味で、非常に有用なメディアです。前述したように第三者のチェックが入らなかったり、見解の相違により間違いや認識の食い違いが起こったり、「それは違う」と考えられる方もいらっしゃるかもしれませんが、そのようなフィードバックをまた、ネット上で受けられることもブログの利点だと思います。
         
        私が若い頃には情報というものは、時間とお金をかけて獲得するものでした。政府統計は霞が関の売店で買うものでしたし、同じ仕事をしていても情報量の差によって所得に大きな差が出ることも珍しくなかったのです。しかし現在ではインターネット上で多くの情報が無料で、ネットアクセス環境があれば誰でも簡単に入手できるようになっています。そしてまたブログも情報収集の有力な手段の一つなのです。
         
        このようなブログの利点を活かし、さらに情報格差が縮小する社会を目指すところに、私を含めいろいろな方が書かれているブログの存在価値があるのではないでしょうか。
         
        最後になりましたが、今回、批判をしていただいたブロガーの方からは私もいろいろな意味で勉強させていただきました。この場を借りてお礼を申し上げたいと思います。
         
        | 後藤百合子 | 情報 | 15:30 | - | - |
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