ASIAN NOMAD LIFE

日本、香港、中国で生活・仕事をしてきてシンガポール在住7年目。
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    電気自動車時代の先駆けで利用広がる電気スクーター
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      JUGEMテーマ:幸せなお金と時間の使い方

       

      テスラを筆頭にガソリン車から電気自動車への転換が世界中で一気に進みそうな昨今、都市国家シンガポールではその潮流に先駆けるように電気スクーターが流行中です。

       

      そもそも国土面積が東京23区内程度しかなく、渋滞や環境悪化を避けるため自家用車所有にはクォータ制、輸入には高い関税をかけるなど、国民に自家用車を極力保有させない政策をとってきたシンガポールですが、いっぽうで、ヨーロッパの諸都市と違い、南国特有のスコールが多く1年を通じて高温多湿な気候ゆえ、リクリエーション用バイク以外の自転車はあまり普及していませんでした。

       

      ところが、ここにきて一気に広まる様子を見せているのが、電動スクーター。といっても中国のようなバイク型ではなく、スケートボードにハンドルがついていて簡単に折りたたみができるものや、取っ手がついていて片手で持ち上げて運べる一輪車型など、軽量でコンパクトなものが主流です。

       

      価格はスーパーマーケットで気軽に買える3万円程度から、専門店で販売する高級品の10万円ほどまで。時速は普及品で15卍度、高価格帯のものになると50勸幣綵个襪發里發△蝓下手にバスや地下鉄を利用するより目的地に早く着ける可能性もあります。降雨時は公共交通機関やタクシーの利用も可能。折り畳み自転車のように他の乗客の邪魔になることもありません。

       

      さらに、この流れを加速するかのように「パークコネクター」という歩行者専用道路網の整備が進んでいます。

       

      もともとは国民の健康増進のため、国中に散らばる公園をジョギングやウォーキングコースとサイクリングコースでつないで余暇の利用に役立てる目的で始まったものですが、この地図で見る限り、各住宅地から都心までだいぶネットワークが広がってきていて、通勤にもじゅうぶん使えそう。

       

      シンガポール政府も電気スクーターのトレンドには注目しており、一部のコミュニティセンターにスクーター用のロッカーを整備したり、将来的には各地下鉄の駅に共用できる電気スクーターを配置して通勤や通学に使えるようにするという計画もあるようです。

       

      日本では法律上、私有地以外でこのような電気スクーターに乗ることはできないと思いますが、私が見る限り、高齢者の乗り物としても電動カートよりはずっと手軽ですし、歩道で走行できる分自転車より安全だと思います。

       

      高齢者の運転による交通事故の増加や、逆に、運転免許を返上して日常生活の足を失ってしまう高齢者も今後増える中、ぜひ電気スクーターの合法化を考えてみてはどうかと思います。

      | 後藤百合子 | シンガポール社会 | 19:11 | - | - |
      シンガポールの普通預金金利が暴騰中
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        JUGEMテーマ:国際社会

        昨日の土曜日、近所の大きなショッピングモールに家族で出かけました。

         

        そこで見たのは、ローカル&外資大手のコンシューマー銀行の窓口に、口座開設のため並ぶシンガポールの人々(一部はどこでもやってた無料アイスクリームの列に並ぶ人たち)。夫もあるイギリス系銀行で口座を作ろうとしていたのですが、一時間待ちと言われて、アイスクリームだけ食べて口座開設は諦めました。

         

        現在、シンガポールの各銀行は普通預金の金利利上げ合戦の真っ最中。

         

        給与振り込みにすると1%、クレジットカードで月2000ドル(16万円くらい)使うと1%などなどを積み重ねていくと、最高で普通預金金利が4%近くまで跳ね上がります。適用される預金額も最初は200万円弱などが多かったらしいですが、現段階では競争激化で1,000万円を超えそうな勢い。アメリカの政策金利引き上げの波及効果です。

         

        ヨーロッパの金融緩和政策もそろそろ終わりに向かいつつあり、今後長期金利が漸増していく方向性が見えてきました。

         

        日本は? マイナス金利政策に終焉が訪れたときにどうなるのか?

         

        国会での黒田日銀総裁は「時期尚早」としてこれまで出口戦略について言及するのを避けてきましたが、そろそろ政府とともに日銀が今後の国家財政をどう考えるのか明確に語ってほしいものです。

         

        | 後藤百合子 | シンガポール社会 | 12:37 | - | - |
        「一生涯詰め込み教育」が国のサバイバル戦略のシンガポール
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          JUGEMテーマ:幸せなお金と時間の使い方

           

          ■シンガポールの小学校で落ちこぼれた我が家の娘

          本日からシンガポールの学校で新年度が始まりました。今年小学校2年生になった我が家の娘も初登校。小1の間は小学生になったばかりということでいろいろなことが許されてきましたが、もう甘えは通用しません。休み中に親や先生からいろいろ言われたせいか、今朝は少し緊張して登校していきました。

           

          シンガポールでは、政府が設立したいわゆる「公立」という学校は少なく、多くの学校が宗教や出身地の共同体などの背景をもっていますが、アメリカンスクールや日本人学校などのインターナショナルスクールでない限り、すべて文部省の管轄下にあり、シンガポール国民はこのうちのどれかに通うことが義務づけられています。

           

          就学に関わる費用は教科書代や制服代などを除けばほぼ無料に近く、国内のどの小学校に進学することも可能です(ただし、学業レベルの高い中学への進学率が高い学校は応募者が殺到するため、選考条件の1つである「家から近い」マンションへ引っ越しする家庭も少なくありません)。

           

          娘の小学校は、家から徒歩10分程度。学校全体の成績は中レベルですが、芸術や文化教育に熱心な学校です。娘なりに学校生活をエンジョイしていると夫ともども安心していたのですが、1年を終えたところで娘の成績を渡されてショックを受けました。1年生の成績が、英語、算数、母国語(中国語)のどれもクラス最下位レベルだったのです。

           

          親バカかもしれませんが、娘はどちらかというと利発なほうで、けっこう気が利いたことを言ったりしますし、物事の飲みこみもそれほど悪くありません。ところが、この有り様。生活態度に若干問題があったこともあり、学期末のある日、夫婦で学校に呼び出されていくつか注意を受けました。成績についても指摘され、同級生に後れを取っている分、休み中に家でしっかり親が教えるように説教されたのです。

           

          ■「落ちこぼれ」させないための教育

          なぜうちの娘が落ちこぼれたのか? 答えは簡単。私たち夫婦が「学校で勉強させれば十分」と考えて、学校以外は私立の学童保育で宿題をみてもらう以外、家でまったく勉強させていなかったのです。

           

          我が家のようなケースは非常に稀で、ほとんどの家庭では親が学校から帰った子供たちの勉強の進捗具合をチェック。自ら教えたり、塾に行かせたり、家庭教師をつけたりするのが普通で、このような家庭教育は幼稚園時代から始まります。夫も私も「そんなことをしなくても、ちゃんと学校で授業を聞いていれば何とかなるだろう」と楽天的に考えていましたが、実際にはどうにもならず、見事に落ちこぼれてしまいました。

           

          特に成績が悪かったのが算数で、学校の呼び出しを受けてから教科書をチェックして驚いたことには、小学1年生ですでに2桁の足し算、引き算、後半には九九まで始まっていました。さらに2年生の前期には3桁の足し算が始まるばかりか、2桁の割り算もあり、日本の公立小学校と比べると想像を絶するスピードで授業が進んでいきます。

           

          英語も同様で、読解問題はともかく、文法では仮定法や比較級、語彙も「爬虫類」や「共同体」など小1の子供にコンセプトを理解させること自体が難しい問題がこれでもかというほど出てきます。このまま放置していたらますます授業についていけなくなると危機感を抱き、1か月強の休み中、私と夫が交代で毎日、3〜4時間程度、3教科を集中して教えました。

           

          まるで日本の有名私立進学校のようなカリキュラムでも、ほとんどのシンガポールの子供たちが落ちこぼれずに学校の授業についていっているのは、このように家庭で親や祖父母(「母国語」は祖父母が教えるケースが多い)が必死になって子供を教育しているおかげだと、身をもって思い知らされました。

           

          PISA世界トップのシンガポールが生徒に求めるもの

          OECDの発表によると2015年度のPISA(学習到達度調査)で、シンガポールは世界第一位となりました。科学、数学、読解すべてで世界トップとなり、圧倒的な強さをみせつけたのです。

           

          シンガポール式教育に対する関心は年々高まってきており、中国やインドネシアなど近隣諸国から裕福な家庭の子弟がシンガポールの小学校や中学校に留学するのは当たり前。また、フランスやオランダなど海外でもシンガポールの教科書を採用する学校が増えているそうです。

           

          親が「我が子に良い教育を受けさせて良い職業につけさせたい」と願うのはどこの国でも同じですが、では、小さいうちからこれだけ子供に勉強させた末、シンガポールでは全員が大学に進学するのかというとこれもまた違います。以前の記事にも書きましたが、いわゆるシンガポールの国立大学に進学できるのはせいぜい3割程度で、半分以上の子供たちは、中学卒業後ポリテクニックという技術系の高等教育機関(日本でいう高専のような扱いですが、分野は工業に限らず幅広い職業教育が行われます)や、職業訓練専門学校に進学。

           

          また、その後、海外私費留学や欧米の私立大学のシンガポール校へ進学する学生もいますが、学位は取れても、よほどの有名大学でなければ、国立大学卒と同等とはみなされません。

           

          もちろん、多くの親たちが必至になって子供に勉強させる最大の動機は、子供を何とか選ばれた3割の中に入れて国立大学に進学させたいというものかもしれませんが、我が家のように「別に大学など行かなくてもいいから、読み書きそろばんだけはきちんと身につけて、自分に合った職業をみつけてほしい」と考えている親も決して少なくありません。

           

          しかし、そんな子供にも、学校(=文部省)は徹底的な詰込み教育を要求してきます。そしてそこからは、「これからの時代、どんな職業を選んでも、基礎的な学力と思考・発想力を身につけなければ生き残れない」「グローバル社会の中で弱小国のシンガポールが生き残っていくためには、国民全体の知的レベルを上げるしかない」という政府の教育に対する考え方が透けて見えてくるのです。

           

          ■次のターゲットは生涯教育

          このようにシンガポールでは、小中学校で基礎教育を徹底的に詰め込みした後、さらに高等教育を受ける学生と、職業教育を受ける学生に分かれますが、近年になって文部省の下に、SkillsFuture SingaporeSSG)という生涯教育に特化したプログラムを推進する委員会が設立されました。

           

          日本で生涯教育というとカルチャー教室のようなイメージが強いですが、こちらではもっと実践的で、いろいろな学歴レベルの国民が職業人としてさらに高いレベルを目指すためのプログラムを受けるための支援が受けられるようになっています。

           

          MBAなど本格的な知識習得コースはもちろん、私立専門学校と提携しての長・短期コースや、さらに気軽に職業的な知識を得られる駅前施設での夜間単発プログラムなど、多種多様な選択ができます。例えば、飲食店の従業員向けに「仕入れ材料の受け入れ検品方法」という半日コースなど、非常に実用的ながらビジネスの質を上げるであろうことが容易にわかり、たいへん興味深いと思いました。

           

          実は昨年、私もある専門学校の4日間のコースに申し込んだのですが、9割が政府補助とのことで、驚くほど安い授業料で授業を受けることができました。このように、国民にとって非常に身近に「このくらいの出費だったら頑張ってちょっと勉強してみようか」と思えるような機会がふんだんに用意されているのです。

           

          シンガポールではもはや教育は「学校を卒業したら終わり」ではなく、職業人として働いている限りずっと学び続ける、という姿勢と習慣が期待されていると思われます。

           

          ■「教育」についての考え方を根本的に考え直す時期に

          大学全入時代、私立中学・高校や大学の教育費の家計における家計負担増加、AIによる職業環境の激変、高齢化社会の進行による就業年数の長期化など、教育と就労の関係について、また教育の質と時期、方法について、日本では現在、根本的に私たちの考え方を変える時期にきているのではないかと感じます。

           

          その中で、「人こそ国の財産」と建国時代から国民教育になみなみならぬ情熱を注いできたシンガポールの取り組みは、同じく人材が国の発展に非常に重要な意味をもつ日本でも参考にするべきではないでしょうか。

          | 後藤百合子 | シンガポール社会 | 15:20 | - | - |
          超学歴社会のシンガポールでつくづく「職業人生において学歴はさして重要でない」と思う。
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            ■小学校6年生で進路が決まるシンガポールの学歴社会
            シンガポールの受験戦争は、小学校6年生がピークです。

            6年生の後半に行われるPSLEと呼ばれる全国共通テストで行ける中学が決まり、さらには大学受験そのものができるかできないかがほぼ決まってしまう(中学を4年で終わらせるExpressコースか、5年かけて卒業するNormalコースに分離)ため、少しでも大学進学(全体の約25%)の可能性を高めようと、就学前から必死のお受験対策が始まります。

            2,3歳でアルファベットや数字がすべて書けるのは当たり前、小学校入学時にはほぼ全員が英語のみならず母国語(中国語やマレー語など)の簡単な読み書きや、一桁の足し算引き算はできるようになっています。小学校ともなればスタートから同級生全員がライバル。多くの親たちは何とか子供たちをトップ25%の中に入れようと、塾や家庭内学習を含めありとあらゆる対策を講じるのです。

            トップ25%にはいれなかった子供たちがどうなるかというと、多くは高等専門学校(ポリテクニック)か職業専門学校へ。中学卒業資格をもつOレベル、卒業後大学入学資格取得するためのジュニア・カレッジ卒業資格のAレベル、高専卒業資格のディプロマなど、それぞれのもつ資格によって就職先が違ってきます。日本のように「学歴・専攻不問」というような求人はほとんどなく、Oレベルでも応募できるのかAレベル以上でないとだめか、高専や大学を卒業しているとしても、どの科目の学位をもっているか、中途採用の場合はさらにどの分野で何年以上の経験が必要かが細かく指定されるのが普通です。大卒、高専卒、高卒、中卒とそれぞれで職業人生の入り口がはっきりと分かれるのがシンガポールの厳しい現実なのです。

            ■中卒でも大成功をおさめたあるシンガポール女性
            では、受験戦争で落ちこぼれてしまった子供たちは、一生、職業的成功への途を絶たれ、低収入に甘んじなければならないのでしょうか? 決してそうではないところがこの国の素晴らしいところで、私の身近にも好例がいます。

            彼女の名前はPさん。シンガポールの私の会社のお客様で、シンガポール政府が出資する大きな観光施設のギフトショップ部門の責任者で取締役です。私とほぼ同年輩の彼女の職業人生の出発点は、シンガポールのデューティーフリーショップの店員。「あの頃は日本人観光客といえばみんなハンティング・ワールドのバッグを肩から下げてたからすぐにわかったわよ」と笑うくらいですから、おそらく中卒ですぐに働き始めたのだと思います。組織の中では一番下のランクからのスタートです。

            しかし、彼女はその後いくつかの職場でありとあらゆることを自力で学んでいきます。デューティーフリーショップも観光施設のギフトショップも、専門店とは違い、食品から衣料、雑貨まで非常に広範な商品知識が必要とされる店舗です。のみならず、商品ディスプレーの設計方法や並べ方、消費者へのセールストーク、レジでの消費者の扱い方、さらには数千点もある商品の会計処理まで、すべてに精通していなければスタッフの指導ができません。Pさんはそれらを全て自分でこなせるだけでなく、数十人のショップや仕入れスタッフを教育し、まとめあげているのです。

            これだけの能力の人ですから、スタッフに対しても非常に厳しい態度で接します。傍で聞いていても震え上がってしまうくらいの恐ろしい剣幕で怒鳴りつけているのを数回目撃したことがありますし、彼女がかけている中国語の電話で、中国語を勉強したときに「これは非常に悪い言葉だから絶対に使っちゃいけない」と先生にくぎをさされた言葉を何度も繰り返し使って相手を叱っているのを聞いたこともありました。

            しかし、ほとんどのスタッフは彼女に心酔しており、「確かにPさんは厳しいけれど、彼女のおかげで本当にいろいろなことを勉強させてもらっている。彼女の下で働けて本当に幸せ」と口にします。私もまったく同じで、商品選択について彼女から厳しい指導を受けたこともありますが、ディスプレイの仕方や商品補充のタイミングなど、小売り業界は初めての私としては本当に多くのことを学ばせてもらいました。

            ■仕事をやり抜く強い意志と積み上げた実績があれば学歴は関係ない
            そんなPさんですが、この観光施設のウェブサイトの取締役紹介のページを見ると、他の政府関係の大卒、大学院卒のぴかぴかの超エリート取締役たちと並び、にこやかに笑っています。

            スタッフの話によると、Pさんはこの観光施設ができる前は、北京のショッピングモールで数店舗あるチェーン店を経営していたそうで、たまたま親の介護が必要になって帰国する際にこの施設のオープンと重なり、ぜひにと乞われてこの観光施設を運営する会社の取締役に就任したとのこと。Pさんにとってもタイミングはよかったかもしれませんが、会社にとってもかけがえのない人材を得られたことは間違いなく、3年ほど前に私が初めて商品を納品していた頃の仕入れスタッフはPさん以外に1人しかいなかったのが、現在は10人を超える大所帯になっており、シンガポールを訪れる観光客が減少する中、反比例するようにこの施設のショップ売り上げは右肩上がりで増加しています。

            Pさんを見るたびに、自分の娘も彼女のようにたくましく生き抜ける力をぜひ身につけてほしいと思います。シンガポールの知人の中には彼女以外にも、学歴はなくても自ら起業して成功している人々が何人もいますし、逆に、イギリスの大学院卒の学歴で、経営学や生産管理方法などあらゆる手法を駆使して自分のアパレルブランドを立ち上げたものの、業績が泣かずとばずでショップスタッフに賃金を払えず、毎日、自分で店頭に立っている人もいます。彼らみていると、つくづく、ビジネスの成功には学歴は関係ないと思わざるをえません。

            小学校卒業程度の読み書きソロバンは人生を生き抜いていく上で不可欠だと私は考えますので、自分の娘には何としてでも叩きこむつもりですが、それ以降は自分が完遂できる意志をもてる業界や職種をみつけ、自分が満足できるペースで一生涯、続けていけるような仕事をもつことこそが、職業人生における最大の成功ではないかと思います。

            超学歴社会のシンガポールでも、大学に行けなかった子供たちのために、高専や専門学校の職業教育が非常に充実しているのは、それを政府がわかっているからこそなのではないでしょうか。
            | 後藤百合子 | シンガポール社会 | 11:08 | - | - |
            首相にも元首相にも国民が直接会って陳情できるシンガポール
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              JUGEMテーマ:シンガポール
              同じマンションに住んでいる70代後半のおばあさんの最近の自慢話は、ゴー・チョク・トン前首相から5年の滞在ビザをもらったことです。

              香港で生まれ育ち、パスポートも香港。インドネシア華僑と結婚したものの未亡人となり、一人息子の教育のためシンガポールに移住しました、息子はシンガポールに帰化したのですが、今は仕事の関係で香港に住んでおり、彼女は一人暮らしです。
               
              東南アジアではこのように各国を転々とする華人は少なくありません。不思議なのはシンガポールに20年以上住んでいるにもかかわらず永住ビザをもっていないこと。このため、彼女は3か月に1度ずつマレーシアに行っては観光ビザを更新していました。お金に不自由なく、健康で、マンションの住民など周囲も親切にしてくれるので日常生活にも困らないものの、唯一このビザの問題だけはいつも不満をもらしていました。
               
              そんな彼女がついに行動に出たのは、先月のこと。ゴー・チョク・トン元首相の「Meet-the-People」セッションに参加したのです。
               
              Meet-the-People」セッションとは、住民が直接、国会議員に会って陳情できる機会で、決められた場所に行って手続きをすれば誰でも参加できます。ゴー・チョク・トン元首相は選挙区のある公団住宅の1室で、毎週水曜日夜8時から深夜までこのセッションを開いています。
               
              おばあさんはシンガポール国籍ではなく有権者でもないのですが、直接元首相に会って「滞在ビザがほしい」とお願いし、いったんは「息子さんがいるのなら香港に戻ったほうがいいんじゃない?」と切り返されたものの、「シンガポールが好きだからここで暮らしたい」と粘って5年の滞在ビザを発行してもらったと、得意げに語りました。

                        

              写真は、元首相の20141211日のFacebook投稿。セッションはこんな感じで行われ、この日は主に公団住宅に関する44件の陳情があったそうです。
               
              驚くのは、現役の首相のリー・シェンロンも他の国会議員たちと同じようにこのセッションを開いていることです。この記事によると、2012年に首相が直接、陳情されたケースは2,800件。1/3強が住宅関連で最も多く、次の14%が経済支援、それに続くのがビザ関連、交通・駐車場関連、教育関連だったそうです。また、2%に満たないものの医療費問題の陳情もあり、リー首相は「医療費については国民が気にかけており、今後も注視していきたい」と語っています。
               
              超過密スケジュールにもかかわらず、律儀に市民に直接会い続けることを、リー首相は「シンガポール独自の民主主義」として、外国人記者たちに下記のように語っています。
               

              "You must have policies which are in the interest of the people and you must also show to the people that you actually care for them," he added. "You have to work with them at the ground as well as at the policy level."
              One way is through the Meet-the-People session (MPS), where MPs meet and help residents facing problems, and through constituency activities. As a result, residents know MPs, who are able to hold the ground.
              市民に関心の高い政策を打ち出すだけでなく、市民のことを真摯に考えていることを示すこと。また、それを市民とともに実践すること。
              その一つの方法が「Meet-the-People」セッションで、国会議員が選挙区での活動の一環として住民と会い、抱えている問題の解決に協力することにより、住民は議員への理解を深め、議員も選挙区の基盤を固められるのです。

               

              今回の選挙戦でも、与党PAPPeople's Action Party)は、しきりに「我々ほど人々に耳を傾けてきた政党はない」と主張していますが、私の目から見てもシンガポール政府は国民の意見を聞き、それを政策に反映するのに実に熱心だと思います。その結果、何も知らない人が見たら独裁ともとれるような、長期政権の維持につながったのではないでしょうか。
               
              選挙では野党が市民から批判が多い政府与党の政策、移民、教育、低所得層への手当て問題などをついてきていますが、与党PAPがどこまで議席を守れるか、もしくはいったん失った議席を奪回できるかはひとえに、長年培ってきた与党と国民との信頼関係をどこまで守れきれるかにかかっていると思います。選挙結果が非常に楽しみです。
              | 後藤百合子 | シンガポール社会 | 08:00 | - | - |
              「義務投票」制度のシンガポールにみる国民の政治意識
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                JUGEMテーマ:シンガポール
                現在、選挙戦真っ只中のシンガポール 
                シンガポール建国50周年記念行事も一息ついた825日、ここぞのタイミングとばかり、リー・シェン・ロン首相がが国会を解散、国を挙げての選挙戦に入りました。前回の選挙で歴史的敗北(といっても87議席中6議席を失っただけですが)を喫した与党PAPPeople’s Action Party)がどこまで議席を守れるかが注目されています。
                 
                前回の選挙時にはまだシンガポールの政治の仕組みも各政党の主張もよくわかっていなかったのですが、4年あまりが経過した現在では、私も毎日テレビやネットで選挙選のニュースや各治家の演説を毎日、非常に興味深く聞いています。
                 
                投票日は911日の金曜日。当日は国民の祝日となり、約250万人のシンガポール国民が投票を行います。2011年選挙時の投票率は93.18%。投票に行けない海外在住者などを除き、21歳以上の国民のほぼ全員が投票します。それは、投票が国民の「義務」だからです。
                 
                選挙に行かないと選挙人名簿から抹消
                シンガポールの「義務投票」制度では、選挙に行かないとその人の名前は選挙人名簿から抹消されます。海外在住(一部の国では在外選挙もあり)、出張、旅行、病気などでたまたま投票できなかった人は、パスポートの記録など選挙に行けなかった証拠を政府に提出し、再び選挙人名簿に登録し直してもらいます。私の夫も日本で暮らしていたときには、選挙のたびにこれを行っていました。
                 
                正当な理由なく投票しなかった人については、罰金5ドルとか50ドルとかを払って再登録してもらうというネット情報もあるようですが、政府はいっさいこのような情報を公開していませんので真偽のほどは定かでありません。友人・知人に聞いてもそもそも「投票しない」ことが前提として頭にないので、知らないという人ばかり。1回でも投票に行かないと、下手をしたら永遠に投票できない可能性さえ否定できないのです。
                 
                ”compulsory voting(義務投票)の意味
                では、シンガポール国民は法律で決まっているので仕方なく、しぶしぶ選挙に行っているのでしょうか? 私にはまったくそうは見えません。それを説明する鍵が、"compulsory voting"という言葉にあるのではないかと思います。
                 
                Voting is compulsory for all eligible citizens.(投票はすべての有権者にとっての義務です)
                 
                この言葉は、投票を促す政府広報ですが、そもそも“compulsory”という英語は、同じく「義務」と訳される“mandatory”とは若干、ニュアンスが違います。このサイトの用例を見てもわかるとおり、“mandatory”が「逃れられない」という意味合いが強いのに比べ、"compulsory”は強制ではあるが、行う人にもメリットがある重要な事柄という印象を受けます。その最たる例が“compulsory education”(義務教育)でしょう。

                このような意味を理解した上で投票をしているので、シンガポール人には選挙を「いやなこと、面倒くさいこと」と考える人が少ないのではないかと感じるのです。

                 
                ■生活と政治が不可分のシンガポール選挙
                選挙戦中、毎日数十か所で開かれる議員たちの演説には大勢の人々が集まります、支持政党のボランティアをする人や、Facebookで支持政党への投票を呼びかける人も私の友人・知人の中に多くいますし、テレビやラジオでは、連日、候補者たちの演説を何時間も放送します。
                 
                自然、公約や演説の内容も外交や安全保障、産業振興のみならず、保険、年金、教育、子育て支援、税制改革など具体的に数字をあげた予算や政策に直結するものが多く、「選挙結果が自分の生活に直接影響する」と考えている人が大部分です。この政治と生活の近さこそ、シンガポール選挙の特徴ではないかと思えます。
                 
                そして、ここまで候補者も国民も真剣になれるのは、やはり「国民全員で選んだ代表」という意識があるからではないかと思うのです。
                 
                ■日本でも「義務投票」の検討を
                投票が国民の義務となっている国は、シンガポールだけではありません。オーストラリアをはじめ、ルクセンブルグ、タイ、ブラジル、アルゼンチンなど世界10か国以上あります(罰則がどこまで厳格かは国により違うようですが)。
                 
                投票率が高ければ高いほど、民主主義の精度が上がることは間違いありませんし、それだけ国の政策決定に国民が真剣になるのは当然でしょう(給料から天引きされるより、自分で税金を申告して支払うほうが税に対する意識が上がるのと同じ理屈です)。

                日本では私が知る限り、「義務投票」制度は議論されたこともないですが、
                18歳まで選挙権を拡大した今だからこそ、今後間違いなくやってくる厳しい日本の将来を見据え、有権者全員がしっかりと自分の国政考えるという意味で、「義務投票」制度導入をぜひ検討してほしいと思います。
                | 後藤百合子 | シンガポール社会 | 15:00 | - | - |
                シンガポールにとってあの戦争とは何だったのか? − チャンギ博物館訪問記
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                  JUGEMテーマ:シンガポール
                  ■英豪人が訪れるシンガポールで人気の博物館
                  日本の敗戦後70年目の8月14日、以前から行きたいと思っていたシンガポールのチャンギチャペル&博物館を訪れました。

                  チャンギ空港に近く、中心部から地下鉄とバスを乗り継ぐと優に1時間以上かかる非常に不便な立地ですが、口コミ情報が2億件を超えた世界的旅行サイトTripadvisorでは、シンガポールの観光名所中17位、博物館の中ではトップとなっています。

                  Tripadvisorの口コミが圧倒的に多いのは、オーストラリア人とイギリス人。それもそのはず、この場所は日本軍のシンガポール占領中捕虜収容所となっており、POW(Prisonar of war捕虜)の大多数がイギリス人とオーストラリア人だったのです。1フロアしかない小さいスペースの中には、当時この収容所の囚人だった捕虜たちの証言を始め、この時代を生き抜いたシンガポールの庶民たちや、さまざまな国籍の住民たちの言葉と写真、実際に当時使われていたものなどが展示されています。

                  まず入館してすぐに見えるのが、イギリス人捕虜が描いた大きく引き伸ばされたイラスト。弱り果てて自分の足で歩くことができない白人捕虜を、同じ捕虜仲間が両方から抱えて運んでいる絵です。ここと隣接するバラックに収容されていた白人捕虜たちの多くは、映画「戦場にかける橋」で描かれ、「死の鉄道」と恐れられた泰緬鉄道の建設に駆り出され、過酷な労働の中で5人に1人が命を落としたといいます。このイラストに描かれているのも極端に悪い栄養状態でマラリヤやコレラなどの疫病にかかり命を落とした兵士です。

                  そして、脇の壁には日本軍が太平洋戦争中に進撃をした経路。東は真珠湾から西はチベットまで、あまりにも広大すぎる範囲で、70年以上前にこんなところまで祖父母の世代の人々が故郷を離れ、派兵されていたのかと思うと、気が遠くなるような感覚を覚えました。

                  ■占領開始時から無謀な作戦であることを知っていた山下司令官
                  そしていよいよ証言を元にした展示が始まります。証言のトップは意外なことに、シンガポールを奇襲し「マレーの虎」と称された山下司令官の言葉。1942年2月、日本軍は連合軍の裏をかく作戦でマレー半島を南下し、油断していた背後からシンガポールに侵攻します。10日間にわたる壮絶な戦いの末、イギリス軍を中心とした連合軍は歴史に残る大敗を喫しましたが、同時に日本軍も相当の被害を受け、実際には連合軍のほうが数において優勢であり、バックアップの兵站も欠如していたことを山下司令官は知っていました。そのため、連合軍に対し迅速な降伏を求めたのです。「我々は数の上でも劣勢、そして兵站ももたないことがわかっていた」とまず、占領そのものが日本軍にとって最初から無理なものであったことを彼が認識していた、と最初に示唆しているのです。

                  続いて、シンガポールの庶民や居留していた西洋人たちの証言が始まります。中国やマレー半島北部に日本軍が侵攻していることは彼らも知っていましたが、ほとんどの人々はまさか日本軍がここまでやってくるとは思っていなかったようです。そこをついた奇襲作戦で、いきなり出現した日本軍に対し、市民たちには抵抗する術もありませんでした。そして主として華僑系の市民を対象とした弾圧が始まり(インド人コミニュティーは除外)、「抵抗した」として初日に8人が殺され、斬首されて、その首が市中に晒されました。実際に晒し首の写真があり、その脇には白人捕虜を日本刀で切ろうとしている日本軍人の写真もありました。決して数は多くありませんが、思わず目をそむけたくなるような写真が何枚かありました(シンガポール博物館などにはこの類の写真は展示されていません)。この時日本軍に殺害された華僑系住民の数は5千人とも3万人ともいわれます。

                  この他にも「レストランで仕事があるからと連れてこられた」という従軍慰安婦の韓国人の証言や、「日本軍が来るまで空腹なんて感じたことはなかったけれど、食料が配給制になってとにかくいつも空腹だった」という当時子供だった人の証言など、日本軍占領時代がいかにひどかったかを語る証言が延々と続きます。

                  ■占領によって変わった西洋人と地元民のパワーバランス
                  いろいろな証言の中で特に異彩を放っていたのが、シンガポール建国の父リー・クワン・ユー元首相の発言です。「それまで西洋人は常に『ご主人様』だった。日本人がやってきて、それは変わった」という意味の言葉から、若きリー・クワン・ユーが、日本人による支配をただ恐ろしいものとだけ認識するのではなく(彼自身も日本軍に捕まりましたが、逃げ出して九死に一生を得ました)、西欧列強の植民地経営による白人を頂点としたヒエラルキーが、決して永遠に続くものではないことを悟ったことが紹介されています。

                  これは西洋人の側からみても同じだったようで、「毎朝、空腹を抱えて作業に行く私たちに少しばかりの食べ物を与えてくれる老婆がいた。彼女は何度も日本人に叩かれ、止めるように言われたが決して止めなかった。あの老婆には本当に感謝している」という証言や、「それまで現地人は私たちより劣ったものだと考えていたが、それは間違いだった。心から反省している」という証言もありました。


                  ■シンガポール建国の父、リー・クワン・ユー元首相が見たもの

                  The dark ages had descended on us. It was brutal, cruel. In looking back, I think it was the biggest single political education of my life because, for three and a half years, I saw the meaning of power and how power and politics and government went together, and I also understood how people trapped in a power situation responded because they had to live. One day the British were there, immovable, complete masters; next day, the Japanese, whom we derided, mocked as short, stunted people with short-sighted squint eyes.

                  ... the old mechanisms had gone and the old habits of obedience and respect (for the British) had also gone because people had seen them run away (from the Japanese) ... they packed up.

                  We were supposed, the local population was supposed to panic when the bombs fell, but we found they panicked more than we did. So it was no longer the old relationship.

                  暗黒時代が我々にやってきた。粗暴で残虐だった。振り返ると、私の人生の中でこの時代は最大の政治的レッスンだった。3年半の間、力というものの意味、力と政治、政府がいかに一体化するかを学び、生きのびるために、人々が力によって作られた状況の中にどのように囚われていくのを理解した。ある日、イギリス人がそこにいた。揺るがぬ、完璧なご主人様だった。翌日、日本人がやってきた。我々が軽蔑し、チビと嘲笑っていた日本人が、腫れぼったい近視の目で我々を震え上がらせた。

                  以前のメカニズムは失われ、(イギリス人に対する)従順と尊敬という古くからの習慣も失われた。人々は彼らが荷物をまとめて(日本人から)逃げていくのを目撃した。

                  爆弾が落されたとき、我々地元民がパニックに陥るのは当然だった。しかし、彼らは我々よりもっとひどくパニックに陥っているのがわかった。もはや古い関係は消滅したのだ。 (「The Telegraph」より)

                  これを読む限り、「日本がシンガポールを植民地支配から解放した」という一面があることは間違いありません。しかし、リー元首相は決して日本の「八紘一宇」の精神に共感したわけでなく、イギリス人より「粗暴で残虐な」日本人がやって来たことにより、それまでご主人様と尊敬してきたイギリス人が慌てふためいて逃げ出す様子を目撃し、その姿に深く失望したところから始まったのでした。

                  ■チャペルに飾られた千羽鶴とシンガポール人の日本人観
                  チャンギ博物館には屋内と屋外に小さな黙祷所(チャペル)が併設されています。ここに収容されていた捕虜の親族たちが祈りを捧げるために設けられいるのですが、十字架の隣の一角にシンガポールやタイなどの日本人小学校や長野県の小学校などの生徒たちが折った千羽鶴が捧げられており、広島で被爆し12歳で短い生涯を閉じた佐々木禎子さんが折り始めたことが紹介されています。

                  私の夫の父方の祖父も占領中、日本軍に連れ去られて行方がわからなくなった(おそらく殺された)華僑の一人でした。古くからマレー半島に住みついた華僑、パラナカンの一族で、占領前はジョホールでプランテーションを経営し裕福な一族でしたが、農園は没収され、大黒柱を失って、当時中学生だった義父は母の作るお菓子を売り歩きながら一家の糧を稼いだそうです。私が夫と結婚したとき、伯母の一人は「日本人と結婚するなんて言語道断」と結婚式への出席を拒みました。日本とシンガポールは建国直後の1967年に戦後補償協定を結び、伯母も数年前に亡くなりましたが、いくら賠償金を受け取っても、愛する人を失ったシンガポール人や、ここを訪れる白人の多くが、「過去のことはすべて水に流し日本人がしたことを許そう」と考えていないことは想像に難くありません、私もまた、シンガポール人である娘をいつかここに連れてきて、私の生まれた国の人々が70数年前に娘の曽祖父や娘の国の人々にしたことを教えたいと思います。

                  私がチャンギ博物館を訪れた日の夜、戦後70年の安倍首相談話が発表されました。シンガポールの夜9時のニュースでは、コメントなしで、以下の言葉が紹介されました。

                  Future generations should not be predestined to apologise.
                  | 後藤百合子 | シンガポール社会 | 12:00 | - | - |
                  東南アジアを襲う偽装米パニック! 中国産プラスチック・ライスって本当?
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                    JUGEMテーマ:国際社会
                    「偽装米」といえば、日本では産地を偽ってブランド米に偽装するのが一般的ですが、先週からSNSを中心に中国産偽装米、プラスティック・ライスが東南アジア地域に流入しているという噂がかけめぐり、一大騒動となっています。
                     
                    19日のシンガポール紙The Straits Timesでは、シンガポールに密輸された形跡は今のところないとしていますが、近隣諸国では米の流通業者が根拠のない噂をたてられ、風評被害に遭うケースも出てきているようです。
                     
                    報道によると、この偽装米は、じゃがいもやさつまいもの粉と樹脂を混ぜて固めたもので、みかけは本物の米そっくり。こちらのフェイスブックページでは、実際に工場で米様のものが製造されている様子や、炊いたときに上に浮いてくる膜を燃やすと樹脂を燃やしたときのように溶けながら燃える様子が紹介されています。見分けるポイントは炊いても固いままで粥状にならないのと、プラスティックの膜が浮き上がってきて、燃やすと溶けるということのようですが、普通の米に少量混ぜられてしまったらほとんどわからないという声も。
                     
                    中国レストラン協会によると、この米3杯を食べるとポリ袋1枚を食べたのと同程度のプラスチックを体内に取り込むことになるとのこと。シンガポールの専門家はこのような成分のものを食べると、消化器系に深刻なダメージを与えると警告しています。
                     
                    いっぽう、タイの有識者からは「樹脂入りの米を作ってもコストは通常の米より割高になるため、噂自体が間違い」という声も上がっており、本当にプラスチック・ライスが出回っているのか、それともただの都市伝説なのかはまだ明らかになっていません。
                     
                    数年前の粉ミルク騒動や廃油販売騒動など、実際に大きな社会問題になった食品偽装が後を絶ちませんので、これまで以上に食の安全に留意しなければならない時代に私たちが生きているのは確かなようです。
                     
                    | 後藤百合子 | シンガポール社会 | 18:08 | - | - |
                    故リー・クワン・ユーシンガポール初代首相にみる偉大なリーダーの条件
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                      JUGEMテーマ:シンガポール
                      シンガポール建国の祖、初代首相リー・クワン・ユー氏(91)が23日、亡くなりました。
                       
                      リー・クワン・ユー元首相は今年に入ってから体調悪化が伝えられていましたので、ほとんどの国民にとっては「想定内」であり、訃報を受けても大きな混乱はありません。しかし、昨日まで遺体が安置されていた大統領府には弔問に訪れる人々が8時間待ちの長蛇の列を作り、あちこちに設けられた弔問所にも最後のお別れをするために大勢の人々が集まるなど、改めてこの指導者に寄せるシンガポール人の思慕の情の深さを思い知らされます。
                       
                      海外ではシンガポールをアジア随一の豊かな国にした経済政策ばかりが評価されているきらいがありますが、連日この地で報道される、テレビやラジオ、新聞、ネットメディアなどの追悼特集では、彼のまた違った一面がみえてきます。特に彼を直接知るさまざまな人々の証言から、リー元首相のリーダーとしての素晴らしい資質が浮かび上がってきますので、その一部をお伝えしたいと思います。
                       
                      ■逆境の中でも新しい試みに挑戦し続け、決してあきらめない。
                      第二次世界大戦後、シンガポールは大変な貧困の中で復興のスタートを切ります。イギリス植民地支配から解放され、マレーシア連邦に加盟したものの政治家リー・クワン・ユーの台頭を恐れたマレーシア政府から分離独立を迫られ、リー元首相もシンガポール住民も望まないまま、半ば強制的にマレーシアからの独立させられたのです。
                       
                      当時のシンガポールの人口は200万人弱。土地も資源もないのに失業率は10%を超え、人々は劣悪な住環境の中でひしめき合って暮らしていました。識字率は低く、8割以上の人が高等教育を受けられず、平均寿命も60歳代でした。当時の他の多くの発展途上国と同じく、山積した課題を抱えてのスタートでした。
                       
                      しかし、これらに加えシンガポールにとって致命的な悪条件は「水がない」ことでした。マレーシアからの水の補給源であるジョホール水道だけがシンガポールの生命線で、生殺与奪の権利を事実上の敵国に握られていたのです。
                       
                      リー元首相は逆境の中、シンガポール版ニューディール政策とも呼べる公団住宅建設や、「クリーン&グリーン」を標語に緑化を促進しゴミのぽい捨てなどを徹底的に罰金で取り締まる政策、工業団地を設置して重点的に製造業やサービス業などを政府主導で育成していく政策、政府主導で厳格にコントロールする金融政策などを、他に類を見ない強烈なリーダーシップで推進していきます。
                       
                      その成果の一つが、悲願であった水のリサイクル施設でした。2002年、下水を浄化して作られた「NEWater」と名付けられた水道水を、カメラの前で嬉しそうに飲むリー元首相の映像が今も私の頭の中に鮮烈に焼ついていますが、このときほどリー元首相の執念を感じた瞬間はありませんでした。決して諦めなかったからこそ、達成することのできた成果だと思います。
                       
                      ■失敗を認め、素早く方針転換を行う。
                      もちろんリー元首相の政策がすべて成功したわけではありません。建国初期には増え続ける人口増加を抑制するため「2人っ子」政策を採用しましたものの、その後極端な人口減少が問題となり、結果的に多くの移民や外国人労働者を受け入れざるを得なくなりました。
                       
                      政府主導で中国での経済開発も非常に早期から行っていましたが、失敗だったと厳しい評価を下され大赤字を出した蘇州工業団地のような例もあります。また、近年は移民や外国人労働者の受け入れにより国民の職が奪われているという不満が、前回の選挙では歴史的な与党議席減につながりました(といっても第一党の地位は揺るぎませんが)。
                       
                      その中で、リー元首相と彼が率いてきた政党PAPPeople’s Action Party)はこれらの失敗を正面から受け止め、その都度修正して時代に即した政策転換を行ってきました。「シンガポール人は従順で政府の命令に何でも従う」というまことしやかな論を展開する方もいらっしゃるようですが、実際にこの国で暮らしている私の体感とは大きく異なります。
                       
                      現在、シンガポール建国50周年の一環として政府がスポンサーとなってICONS OF SGというキャンペーンが行われています。このキャンペーンで使われている「何が私たちをシンガポール人にしているか」というテーマのシールには、マーライオンやドリアンなどのシンガポール名物以外に、ERP(車の交通量をコントロールするための課金制度)やNS(徴兵制の軍隊)など政治的なテーマも入っています。思わず笑ってしまったのは「Complain King」(不平不満王)という一枚が入っていたことです。
                       
                      シンガポール人は従順どころか、しょっちゅう政府や政策への不平不満を口にします。ジョークの形で表現することも多いのですが、新聞の投書欄への投稿はもとより、役所への電話、SNSやブログへの書きこみも日常茶飯事です(ただし根も葉もないことを書くと逆に政府から訴えられて巨額の賠償金を請求されるケースもあるので要注意)。
                       
                      私がシンガポールのシステムで特に感心したのは、各選挙区の議員に住民が直接会ってComplainできる日が定められていることです。我が家でも夫がこの制度を利用したことがあり、役所の対応に非常に困っていると議員に説明したところ、翌週から手続きがすぐに改善されたのには驚きました。
                       
                      このような制度を設けていることからもわかるように、リー元首相の作ってきた政府は決して国民が唯々諾々と従うだけの強圧的で独裁的なものではなく、政策の失敗を国民が感じればフィードバックが行われ、それをまた政府が新たな政策に反映していくというシステムの元に成立しているのです。その意味では、むしろ謙虚とさえいえると思います。
                       
                      リー元首相と長く仕事をしてきた同僚によれば、彼は決して「イエスマン」を好まなかったといいます。ただ彼に忠実なだけでは別の意見を聞くことができず、有用でない、と判断されたからだそうです。例え自分の意に沿わなくても他人の批判に耳を傾け、自らの失敗を素直に認めてよりよい方向に向かって行動を起こせることも、リーダーには不可欠な条件です。
                       
                      ■現実的に、合理的に物事を考え、行動する。
                      日本でもCMなどに使用されて有名な、船の形をした建造物が載っているホテル、マリーナ・ベイ・サンズは、セントーサ島にあるリゾートワールドと並び、カジノがあることで有名です。カジノを呼び物に、中国人を筆頭に、世界各地からギャンブル目当ての観光客を呼び寄せています。
                       
                      質素倹約を美徳とし、景気が良くても次の不景気に備えて贅沢を戒め、「カジノは嫌いだ。生きているうちは(カジノ解禁は)絶対にない」と公言してきたリー元首相がカジノ誘致に踏み切ったのは、現実問題として一定層の観光客を呼び込むためにやむをえない選択だったのでしょう(観光客は無料ですが、シンガポール人からは高額の入場料を徴収するなど、国民のギャンブル依存症を防ぐための一定の対策はとられています)。
                       
                      しかし、彼はただカジノを作っただけではありませんでした。マリーナ・ベイ・サンズの真向いには、シンガポールが誇る世界最大規模の植物園、ガーデンズ・バイ・ザ・ベイを建設し、ほぼ同時期にオープンさせています。この施設はシンガポール国民に対する緑化教育の目的が強い一面もありますが、現在売り出し中の観光スポットの一つであり、マリーナ・ベイ・サンズからブリッジを渡って直接歩いて行ける距離であり、カジノを訪れた人々の多くがこの植物園を訪れています。そしてさらにここから足を伸ばすと、リー元首相ご自慢の浄水場まで歩いて行くことができるのです。
                       
                      不本意ながらも観光振興のためにカジノを建設する、という現実的な選択の裏には、お気に入りの政策である緑化事業や水事業を外国人にアピールするという合理的な目的も隠れていました。このように、理想主義やイデオロギーに固執するだけでなく、臨機応変に現実的な対応ができるところも、彼のリーダーとしての優れた特質であったと思います。
                       
                      ■伝える努力を惜しまない。
                      リー元首相は演説の人です。
                       
                      若いときはどちらかというと高めの声で、ある程度の年齢になってからは声が低くなり少し抑制された非常に美しい英語で、はっきりとわかりやすく、平易な言葉で演説をしてきました。彼自身は英語を話す華人の家庭に育ち、イギリスのケンブリッジ大学を卒業した生粋のイングリッシュ・スピーカーでしたが、マレー語はもともと話せたようです。しかしそれに満足することなく、マレー語の学習もたいへん熱心にしていたそうで、マラヤ連邦の頃のマレー語演説も立派なものです。
                       
                      追悼特集で初めて知って驚いたのは、彼が中国語(標準北京語)を30歳を過ぎてから努力して習得したという事実です。当時すでに多忙な政治家としてのスタートを切っていたのにもかかわらず、シンガポール住民の多数を占め、英語もマレー語も話さない華人の人々に訴えたいという一念のため、彼にとってはまったく縁のない言葉である中国語(標準北京語ですので広東省出身の彼の家系では話す人はいなかったはずです)を学び、演説をするまでになったのです(中国語は90歳を過ぎたつい最近まで、家庭教師について継続的に学んでいたそうです)。
                       
                      リー元首相の演説を聞いていると、それを聞く人の立場に立ち、一言一言を理解してもらえるよう、細心の注意を払って話しているのがよくわかります。欧米や中国の高名な政治家にありがちな、難しい語彙や格言を使うこともなく、ダイレクトに聴衆の琴線に触れるような語りかたもまた、優れたリーダーに不可欠の資質だと思います。
                       
                      ■原理原則に忠実に、細部を疎かにしない。
                      「クリーン&グリーン」政策でのエピソードにはリー元首相の人柄を表す、くすっと笑ってしまうようなエピソードが多くあります。
                       
                      まだ政策が始まったばかりの頃、「トイレをきれいに使おう」というキャンペーン中のこと(20年ほど前には「トイレを使って水を流さなかったら罰金」という法律が実際にありました)、役所のトイレを使ったリー元首相が真青になって戻ってきたというエピソードがあります。あまりにもトイレが汚かったのでショックを受けたというのです。妻のクア・ゲオ・チュー女史に「まだキャンペーンは始まったばかりなのだからもう少し長い目でみたら」となだめられて平静を取り戻したそうです。
                       
                      また、シンガポールには一定の高さ以上の木を切るときには、例え自分の家の敷地内でも政府の許可を取らなければならないという法律がありますが、これも緑化政策に一生をかけて取り組んできたリー元首相の執念の成果です。あるとき、大統領府の敷地内に植えられた樹木の一部を防犯上の理由から伐採することが検討されていたそうです。これを聞きつけたリー元首相は激怒し、他の可能性をいろいろと指摘して最終的には伐採計画は流れました。
                       
                      「本質は細部に宿る」と言われますが、このように、単に法律を作るだけで満足するのではなく、それがどのように実行されているのか、問題はないかを常にチェックし、細部にわたってこだわりぬいたのも指導者リー元首相の真骨頂でしょう。
                       
                      ■自分の利益のためにではなく、他者のために働く
                      リー元首相の多くの演説は「Friends and fellow Singaporeans(友人たちと仲間のシンガポール人たち)」で始まります。
                       
                      常に彼の言葉から発せられていたメッセージはシンガポールに暮らす人々と同じ目線に立ち、共に国を作っていくことでした。彼にとってはシンガポールは「国家」ではなく、そこに暮らす人々のための場所であり、その環境を良くしていくことこそが使命であると考えていたのです。
                       
                      人々に質素倹約を常に説いていたリー元首相の生活もまた質素なものでした。着ているものはたいてい同じよれよれのシャツ。自宅も大多数の国民が住んでいるHDBの一室とほとんど変わらない、飾り気のない質素な住居でした。執務中の昼食や夕食は、毎日決まった簡単なものを食べていたそうですし、中国の東北地方に公務ででかけたときには、もったいないからとオーバーコートとブーツを買わずに借りてすませたそうです。
                       
                      シンガポールの政治家や政府高官に対する高額の報酬は、じゅうぶんな報酬を与えて汚職をさせない目的で設定されたものです。発展途上国にはつきものの汚職を徹底的に取り締まった結果、シンガポールは世界でも類をみないクリーンな国家となり、汚職による政治不信もほぼなくなりました。これを建国のごく早期から行えたのはやはり、リー元首相が私利私欲に決して走らず、それを同じ政治家たちや国民に美徳として繰り返し訴え続けたからだと思います。
                       
                      ■よき理解者である伴侶をもつ。
                      リー元首相の妻、クワ・ゲック・チュー女史はリー元首相より3歳年上。シンガポールのラッフルズ・カレッジではリー元首相とトップを競い合う才媛で、2人そろってのイギリス留学中に結婚。結婚後はファーストレディーとしての公務以外は子育てに専念し、滅多に表舞台には出てきませんでしたが、リー元首相の政治判断に対し、非常に重要な助言を与えていたと言われています。側近がみていても「よくこれだけ話すことがあるな」と感心するほど2人は常に会話を欠かしませんでした。
                       
                      「翌日にリーおじさんの発言が変わっているときは、だいたい家で奥さんに直すように言われたからだよ」と友人のシンガポール人が冗談まじりに話していましたが、国民からも思慮深く、聡明な首相の妻として尊敬されていました。
                       
                      リー元首相が50年以上の長期間にわたって第一線の政治家でいられたのも、また、長男であるリー・シェンロン首相が、リー・クワン・ユー元首相と同じく、国民からの絶大な支持を得ているのも、彼女の存在あっての結果なのではないでしょうか。
                       
                      彼女が病に倒れてから亡くなるまでの数年間、献身的に介護にあたる彼の姿は多くの人を感動させました。2010年に彼女が亡くなってから、リー元首相の姿が以前にもまして老けこんだのは、傍目でみていても痛ましいものでした。心の隙間を埋めるためか、家中の壁を彼女の写真で飾ったそうです。
                       

                      Without her, I would be a different man, with a different life.  She devoted herself to me and our children.  She was always there when I needed her.”
                      「彼女がいなかったら、私は違った人間になり、違った人生を生きていただろう。彼女は私と子供たちにすべてを捧げてくれた。私が必要なとき、彼女はいつもそこにいてくれた」

                       
                      フルスピードの人生をシンガポールの人々のために捧げた2人が、安らかに眠られますよう、お祈りしています。
                       
                      | 後藤百合子 | シンガポール社会 | 01:04 | - | - |
                      「民族混在」公団住宅政策で老後の不安がなくなったシンガポール
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                        JUGEMテーマ:シンガポール
                        今年独立50周年を迎えるシンガポールでは、現在、国立博物館で「シンガポール700年」記念展示を行っています。先週末、日本から友人が訪問してくれたのを好機に見に行ってきました。
                         
                        ■独立までの道程
                        14世紀までのシンガポールはマレー半島の先端、ジョホールに隣接する「テマセック」というひなびた漁村で、マレー系の小さな部族の王たちが統治してきました。いっぽうで地理的要因からさまざまな国の船が寄港する土地だったようです。
                         
                        ラッフルズ卿が上陸してイギリスの植民地支配が始まるのが1819年。「シンガポール」となり人口が急増。東南アジア地域におけるイギリス植民地経営の要所となります。コロニアル風の建造物が次々と建設され、近隣諸国のみならず中国からも多くの移民が押し寄せ、貿易港として大きく発展していきました。
                         
                        しかし、太平洋戦争が始まり、1942年に日本軍により陥落。「昭南島」と改名され、日本による植民地経営が始まります。イギリス植民地時代と違い日本統治時代には貧困、飢餓、衛生環境の悪化、失業などに苦しめられ、いまだにシンガポール人にとってこの時代は「暗黒時代」と認識されています。
                         
                        1945年に日本が降伏すると再びイギリス植民地となりましたが、東南アジア全体に独立気運が高まります。1959年にイギリスから独立。1963年にマレーシア連邦の一員となりますが、シンガポール住民の多数派である華人系の自治を求めるPAPPeoples Action Party)リーダーで、シンガポール初代首相であるリー・クアン・ユーの政治方針がマレーシア政府の逆鱗に触れ、1965年にマレーシア連邦から追放され、やむなく独立に至ったという、一風変わった建国の経緯をもつのです。
                         
                        ■「住」を基礎にしたシンガポール独立後の発展
                        印象的だったのは、それぞれの時代、一般の人々がどんな家に住んで何を食べていたのか、という展示が非常に多かったこと。例えば、「カンポン・ハウス」と呼ばれる昔ながらの農村の家が大きな写真で紹介されていたり、独立当時の人々の食事が具体的にいくらしたかがメニュー入りで紹介されています(野菜とご飯、野菜と肉とご飯、野菜と卵とご飯の順に高くなっていくので、卵が当時いかに高級品だったかわかりました)。シンガポール人がどれだけ住と食にこだわっているかの表れだと思います。
                         
                        人間の生活に欠かせない条件として「衣食住」が挙げられますが、熱帯気候のシンガポールにおいて「衣」はほとんど問題になりません。逆に、「住」の問題は非常に深刻でした。1949年のイギリスの報告によるとシンガポールは「世界最悪のスラムの一つ」と指摘され、1947年の統計では1軒の家に住む人数は平均18.2人だったそうです。太平洋戦争末期の日本軍の植民地経営ではインフラ整備の余裕はとてもなく、住宅の確保はもとより衛生的な環境を保つための上下水道の整備も喫緊の課題でした。
                         
                        そこでシンガポール政府が設立したのがHDBHousing and Development Board)です。日本の公団住宅供給公社によく似ていますが、違うのはその規模。政府主導で低コストの高層団地を作り、全ての国民に近代的で快適な住宅を提供するというプロジェクトが大々的に始まったのです。このプログラムの強力な推進により住宅問題はほぼ解消され、一時は90%以上の国民がHDB住宅に住むようになりました(最近では富裕層が普通のマンションに住むケースも増加し比率が下がっています)。
                         
                        ■全国民が所有するHDB住宅
                        シンガポールはアジアでは香港に次いで不動産価格が高騰していることで知られています。日本人駐在人家庭が多く住んでいるオーチャード付近のマンションなら通常、数億円はしますし、少し離れた郊外でも億ションは珍しくありません。
                         
                        しかし、HDB住宅となると価格は半分以下。さらに若年層や低所得者のための政府補助が非常に厚いため、シンガポール国民であればほぼ全員がHDB住宅を買うことができます。また、CPFCentral Provident Fund)という強制加入の個人年金制度があり、HDB住宅購入時にはここから頭金が使えるためローン期間が短くて済み、比較的余裕をもって返済できます。ですので、シンガポール国民はごく一部の例外を除き、全世帯がHDB住宅を所有しています。何ともうらやましい限りですが、実際、私もシンガポール人から住に対する悩みを聞いたことがありません。彼らにとって若いうちにマイホームを持つことは当たり前で、プロポーズが「HDBを申込みに行こう」という言葉だったという話も聞くほど、「結婚したら夫婦でHDB住宅を買って住む」ことはシンガポール人にとって常識なのです。
                         
                        HDB団地に伴って整備された「食」と「行」
                        HDB団地は日本の団地と同じく、複数の棟が集まってブロックを作っていますが、その中に必ず「ウェットマーケット」と呼ばれる市場があり、「ホーカーセンター」と呼ばれる公営フードコートが併設されてます。家賃が低く抑えられているため、生鮮食品や乾物が安価に求められ、ホーカーセンターでも低価格の料理を楽しめますので、3食ここで済ませる家庭も珍しくありません。また、主食である米は、政府が販売価格を統制していて低く抑えられており、国際的に米価が上がっても高騰することはありません。
                         
                        「衣食住」に加え、華人がもう一つ重要とするのが「行」=交通手段です。
                         
                        シンガポールでは地下鉄路線が徐々に増えてきていますが、これもHDB政策に密接に関係しています。主要なHDB団地を作るときには必ずHDBハブと呼ばれるセンターを中心に配置され、ここに地下鉄の駅を作るのです。HDBハブにはショッピングセンターや図書館、公民館などの公的施設が併設されていることが多く、通勤帰りに買い物や用事をすませてから帰宅するというライフスタイルも定着しています。自分の住む棟にはさらにここからバスに乗らなくてはいけないことも多いのですが、バスは頻繁に来ますし、バス停が多いので雨が降っても傘をささずに家まで帰れる人がほとんどです。比較的小規模のHDB団地には地下鉄駅がないケースもありますが、この場合でも必ずバスルートは確保されています。さらにバスや地下鉄などの交通公共機関は政府がコントロールしており、片道50円から100円程度でどこにでも行くことができます。
                         
                        HDB政策により民族対立と無縁になったシンガポール
                        もう一つ、シンガポールが進めてきたHDB政策で見逃してはならないのが、HDB入居者の民族混合政策です。HDB住宅に入居しようとするカップルは、複数の希望を書いて申し込みます。この中には建設中の物件や、中古で空きとなっているものも含まれます。基本的には抽選で選ばれるのですが、その際、民族別の割り当てがあるのです。
                         
                        もちろん民族によって住みたい場所の好みも違うので、すべてのHDB団地で人口比率と同じ民族別入居者数が守られているとはいえないのですが、華人系、マレー系、インド系などの住民が必ずミックスされて住んでいます。住人がこうですから、前述のホーカーセンターでも必ず中華系、マレー系、インド系のテナントが入っており、HDB団地で生まれた子供たちは子供の頃からいろいろな民族が混じった環境で育ち、他民族の料理も食べながら成長するのです。チャイナタウンやリトルインディアなどの観光名所はいまだに残っていても、現在もそこに暮らしている人々はごく少数で、大多数の人々はHDBで民族が入り混じったコミュニティーに暮らしています。
                         
                        このため、隣国のマレーシアやインドネシアで時折発生する民族同士の対立がまったくなく、この方面に余計なエネルギーを使わずに経済発展のために邁進できてきたといえると思います。
                         
                        ■老後に不安がないシンガポール人
                        最近の調査では、シンガポール高齢者の90%が自分の老後に不安がないと答えています。アジア社会独特の親を子供が扶助する慣習が残っていることや、高齢者へのベーシックインカム政策が今年度から採用される予定であることも影響しているとは思いますが、日本をしのぐ少子高齢化社会のシンガポールでこのような結果が出た最大の要因は「住むところに不安がない」ということに尽きるのではないでしょうか。私の義父母も1970年代に建設されたHDB住宅に今も住んでおり、本人たちは「この場所で一生を終える」覚悟で暮らしているようにみえます。また、よしんば老朽化で取り壊しが決まったとしても、住民には新しいHDB住宅への無償住み替えが保証されています。メンテナンスはすべてHDBがしてくれますので、補修の心配もありません。後は月々5〜6万円程度の光熱費や食費さえ確保できれば、老後を憂う必要はないのです(医療費も政府の補助が大きく、内容も非常に充実しています)。

                        ■格差社会でも不満は聞かない。
                        よく知られている通りシンガポールはアジアのタックスヘイブンの1つで、貧富の格差は先進国としては非常に高く、ジニ係数は0.4を超えて香港よりも高く、アメリカに近い数字となっています。シンガポール人である夫の親戚をみていても、田園調布のような高級住宅街に豪邸を2軒も所有するアッパー富裕層に属する世帯から、築40年のHDB住宅に住み、30年以上子供たちの仕送りだけを頼りにつつましやかに暮らしている義父母のような世帯までさまざまです。

                        しかし、日常生活をみる限り、富裕層も一般庶民も購買行動はほとんど変わりませんし、日本であれば「貧困層」に分類されるであろう義父母から将来の不安や生活の不満を聞いたことがありません。これはやはり「住」が政策によってしっかりと保証されており、贅沢をしなければ「食・行」を憂う必要のない社会制度に守られているからだと思います。

                        ■コンパクトシティは公団住宅を核に。
                        高齢化社会に突入した日本社会ではコンパクトシティ構想が注目を集めていますが、高齢者にとってワンストップで日常生活が送れる駅を中心にしたコンパクトシティはたいへん便利で暮らしやすい環境であると思います。しかし、地元の駅隣接マンションなどをみると非常に高価格で、いわゆる「富裕層」や「アッパーミドル」以外は手が届く価格でないことが現状です。

                        日本でも高度経済成長期の住宅事情改善のため、公団住宅供給公社などがこれまでに開発してきた公営住宅や準公営住宅という資産が全国に散在しています。急速に増加する高齢者世帯の住宅ニーズに応え、若い世代の老後に対する不安を多少なりとも軽減するためには、シンガポールに見習い、これらの過去の資産を見直し再開発を行っていくなど、国としての住宅政策を検討し直すことが求められるのではないでしょうか。







                         
                        | 後藤百合子 | シンガポール社会 | 07:07 | - | - |
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