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ASIAN NOMAD LIFE2019.04.17 Wednesday
MP(国会議員)に陳情メールを書いて聞いてもらえることのありがたさを知る。
先月、地元のMeet the Peopleセッションに出向いて国会議員アシスタントの方に陳情した件。
その後、アドバイス通りにいろいろと当たってみた結果、事態が再び暗礁に乗り上げてしまったので改めてセッションに行ってきました。
順番を待つこと1時間半。
前回は列の並び方すらわかっていなかったのですが、ここでの進行にもだいぶ慣れてきたので、話を聞いてくれるアシスタントの方に、前回から当日までにしたことやその過程での問題点を挙げて夫が説明。それを私が横で聞きながら捕捉する形で、文書にまとめてもらいました。
時間的制約もあるので、結論としてはやはり議員から役所に手紙を書いてもらったほうが速いだろう(もちろん議員の直筆というわけではありませんが)、ということになり、その草案も考えようということで意見がまとまります。
その際、アシスタントの方に議員に直接話したいか、と聞かれたので「もちろん!」と答え、さらに20分ほど待って我が家の選挙区のMP(Member of Parliament/国会議員)、現在は国会議長でテレビでもおなじみのタン議員と直接お話ししてきました。
私たちが話し始めると議員は身を乗り出して聞いてくれ、元軍人らしく、手短に疑問点や不明点を指摘して、こちらの回答を引き出します。15分以上親身になってこちらの話を聞いてくれたうえで、私たちがお願いした文部省以外の役所での措置も考えた方が良いのではないかと示唆してくださり、お願いした件やその背景をまとめてメールにして送るようにと言われました。
私も一度これまでの経緯をきちんとまとめなくては、と思っていたのでいい機会だと考え、昨日は一日がかりで3,165ワード、A4にして6枚ほどのレポートを作成。綴りや文法チェックはGrammarlyという無料ソフトがやってくれるのでだいぶ楽ですが、事実関係や時系列チェックなどは当然自分でします。
夫と私と微妙に訴えている点も違うため、別々に書いてお互いに推敲してからえいやっで同時にメール送付。とりあえず議員から言われたことをクリアしました。
日本語でもこういう文書を書くときはけっこう気を使いますが、ましてや外国語である英語となると非常に神経をとがらせます。しかも議員に対して陳情する文書ですので、正確には正確を期してと考えると、大変緊張しました。
しかし、いっぽうで、これを議員が読んでくれる、この問題に関して責任をもって善処してくれることを期待できる、と考えると、キーボードを叩く指にも思わず力が入ります。
まだ20代前半だった頃、あるお役所の外郭団体で、お役所に陳情される地方自治体の方々などの応対をした経験がありますが、あの時来られた皆さんもこんな気持ちでおられたのかと30年以上前のことを思い出しました。
田中角栄元首相が非常に人気があった秘密の一つも、目白の邸宅に陳情に来られる方々を決して粗末に扱わず即決で対応を約束していったという話があります。現状に困っている国民がいて、それを解決してもらえるようお願いしたら動いてくれる国会議員がいることこそ、政治が国民のためにこそあると同義語であると感じました。
今後、いま抱えている問題がどうなるかまだまだ予断を許しませんが、まずは議員にメールを送って一歩前進と信じたいです。 JUGEMテーマ:シンガポール 2019.04.05 Friday
シンガポールの成功は都市計画の勝利であること。
オフィス街のホーカーセンター、Maxwell Food Centre でランチをしたついでに、夫が「すごく面白いから」というので向かいのURAセンター1FにあるSingapore City Galleryを見学してきました。 URA(Urban Redevelopment Authority 都市再開発庁)はシンガポールの都市計画を一手に担う政府機関で、このギャラリーでは毎年の予算編成で決定した再開発計画を紹介。
併せて将来の都市ビジョンもわかるようになっています。 入ってすぐに目につくのは、現在、重点開発中のシンガポール島西部と北部エリア。こちらはPunggolという北部地域に計画されているデジタルパークの完成予定模型です。 北部エリアは住宅や工業団地だけでなく、自然を満喫できるレジャーパークなどの整備も同時進行中。
海岸沿いに北部地域をつなぐ新しいパーク・コネクター(公園と公園を数珠つなぎにして各地点を結ぶ歩行者や自転車専用の遊歩道。現在たいへんなスピードで整備されていて、将来的にはこの遊歩道で島内のあらゆる場所に行けるようにする計画。現時点でも、例えば、これを使うとチャンギ空港からマリーナ・ベイ・サンズまで車道を使わずに自転車で行けます)整備計画も公開されています。 こちらは現在も拡張工事が続くチャンギ空港の拡張計画図。今月半ばの空港内巨大ショッピングセンターオープンを控え、さらに埋め立て工事も進行中です。 地区ごとに現在の土地使用状況も紹介。
我が家はぎりぎりセントラル・エリアに入っているのですが(国会議事堂まで徒歩1時間半)、このエリアでも住宅地がほとんどで、逆に上記のデジタルパークのように、オフィスは中心地より少し離れた郊外にもっていこうとしていることがわかります。
その最大の理由「職住接近」は、都市開発の重要なテーマであることが展示の随所に示されていました。 通勤・通学に関する計画の骨子や、リクリエーション(基本的にアウトドア活動ですが)をどうするかという説明パネルも。
そして圧巻だったのは、何といってもこちら。 シンガポール島の現況が再現されている模型。 正面のビデオスクリーンで各地域の現況を紹介するほかにも、 今後の計画もわかりやすく説明。紫のライトは現在の地下鉄網を示しています。
以前はバスの交通網に通勤・通学の交通インフラの大部分を依存していたシンガポールですが、将来的には全住民が地下鉄駅まで歩いてアクセスできるようになる計画だそうです。
ケント・カルダー著、長谷川和弘訳『シンガポール スマートな都市、スマートな国家』によると、シンガポールの都市計画は二段階のステップを踏み、URAによって策定されます。
最初はコンセプト・プランという40年から50年にわたる、将来的土地活用と交通開発という公共政策における全体的アプローチの特色を明確化するもの。URAが策定し、政府の他機関や国民からのフィードバックを考慮して10年毎に改編。
次が、マスター・プランという10年から15年の時間軸でより詳細な運用計画に落とし込んでいくもの。こちらは5年毎に見直し。
例えば、地下鉄網整備や郊外型工業団地の設置などはこの目的の具体化でしょう。私の知人の中にも、以前は街の中心にあったオフィスが郊外に移転になり、それに合わせて郊外のオフィスの近くに家を買った、引っ越したという人がけっこういます。
2017年のシンガポールの1人あたり名目GDPは57,713USD。米国の59,531USDに比肩する高さであり、アジアにおいては1位のマカオ(77,111USD)に次いで2番目。4位の日本(38,448USD)を大きく引き離しています。
日本と同じく資源がほぼ全くなく(水資源に限れば日本のほうがずっと恵まれています)、地理的・人的資源のみに頼ってきたシンガポールがここまでの成功を収められた秘密を考えると、やはりこの長期間にわたる都市計画の策定と実践だったのではないかと考えざるをえません。
戦後最貧国の一つだった状況から抜け出すために、現在のような理想的な都市を50年以上かけて地道に建設してきた結果として、世界中から高い技術をもつ人々を呼び寄せて多岐にわたる産業を育成し、国民の大部分が納得して与党政権を支持する政治システムを維持することができたシンガポール。
さらに、住民のみならず観光客も惹きつける「美しい」ガーデン・シティを作り上げてきたシンガポールの立役者がURAなのです。
その過去と将来を思うとき、いろいろな欠点もあったとはいえ、やはりこのグランド・デザインの最初の一歩を描いて踏み出し、そして数十年間にわたり、強力なリーダーシップをもって実行した故リー・クワンユー元首相の偉大さに改めて敬服せざるをえないと考えるのは、決して私一人ではないと思います。 最後になりましたが、エントランスにはお洒落なブック・カフェ。
ここには、シンガポールの都市計画の歴史や建築に関する本が豊富に取り揃えられてますので、興味のある方はぜひ立ち寄ってみるといいと思います。 JUGEMテーマ:シンガポール 2018.12.06 Thursday
管理か安全か? シンガポール国民が暴動の歴史から選択したもの。
JUGEMテーマ:国際社会
今週から始まったシンガポールの近代史をテーマにしたドラマシリーズの第1回目、『1965』を観ました。
1965とは言うまでもなく、シンガポールがマレーシア連邦から追い出される形で独立した年。wikiによると、シンガポールを含まない1957年当時のマラヤ連邦の民族構成日はマレー系49.8%、華僑・華人37.2%、インド系11.1%、その他2%であり、現在のマレー系67%、中国系25%、インド系7%と比べると、マレー系対中国・インド系の人口がほぼ拮抗。1963年にマレーシア連邦に加盟したシンガポールは中国系住民がさらに多く、独立前にはマレー系住民と中国系住民の民族対立が深刻化していました。
ドラマは1964年から1965年にかけて頻発したマレー系と中国系住民の民族対立に端を発する暴動や暴力事件に焦点を当て、異なる民族に恐怖心と敵愾心を燃やす移民一世たちやそれを煽る暴力団グループ、逆に互いに助け合い平和に共存しようとする若い世代の主人公たちの葛藤を描き、そこに独立の原動力となった政党PAP(People's Action Party)のリーダー、故リー・クワンユー元首相のスピーチを交えながら展開していきます。特に物語の主題となった1964年の大規模暴動では、死者36名、負傷者556名と多大な被害をもたらしました。
終盤のクライマックスはリー・クワンユー元首相の涙をふきながらの独立スピーチ。テレビ会見を通して民族対立を乗りこえて新しい国を創っていこうという呼びかけに、新たにシンガポール国民となった人々がテレビ画面を食い入るように観るシーンが印象的でした。
この決意通り、リー・クワンユー元首相率いるPAPは民族融和政策に力を入れ、公団住宅入居に際しての民族別割り当て(観光名所となっているチャイナ・タウンやアラブ・ストリートのように特定の民族だけが固まって居住することを防止するため)や、厳しい言論統制によって民族間対立を煽るような議論を未然に防ぐ政策を打ち出します。これにより1969年の民族対立暴動を最後に、シンガポールでは1913年のリトル・インディアにおけるインド人労働者たちの暴動までの44年間、このような暴力事件と無縁の平和と繁栄を築くことができたのです。
一方で、政府による国民の言論や行動監視は徹底して行われてきました。公共施設や民間施設の監視カメラは年々増加の一方で(地下鉄駅などの公共施設はもちろん、私が住む小規模マンションでも監視カメラが7台も設置されています)、地下鉄での荷物検査実験も最近始まりました。MDA(Media Depelopment Authority)という政府機関によるヘイトスピーチや政策批判の言論取締りが日常的に行われていますし、最近ではFacebook事件に端を発するフェイクニュースへの対処が大きな話題となっています。米国トランプ大統領のツィートのように人種対立を煽るような言論はこの国ではありえません。
結果として、日本やルクセンブルグを抜きシンガポールは世界で最も犯罪率の低い国となっています。マレーシア、インドネシアというイスラム過激派や民族対立問題を抱える国々に隣接し、外国人労働者が居住者の3割を占める国家として、この犯罪率の低さは異常ともいえる快挙だと私は思います。
最近ある日本の雑誌の記事で、このような強力な管理・監視体制を唯々諾々と受け入れているようにみえるシンガポール国民の心情が理解できない、という主旨の文章を読みましたが、やはり上述のような歴史的事実をふまえ、国民が言論の自由などの不自由をある程度我慢しても(上記記事によると世界の民主主義ランキングでは75位)生活の安定と安全を優先して政府を支持している結果だと思います。
入管法改正で今後さらに外国人の流入が加速するであろう日本において、外国人を含む居住者の管理・監視体制を見直し、安全対策をどう講じるかは喫緊の課題だと思います。日常生活の安全を享受するためには相応の対価が必要なのです。 2018.04.13 Friday
シンガポールは華人最南端の国
JUGEMテーマ:シンガポール
シンガポールの華人には2タイプの人々がいます。
1つはチャイニーズ、もう1つはパラナカン。
パラナカンはマレー半島に古くから住み着いている華人で、先祖の多くはマレー系やインド系の人たちと混血。70代以上では英語とマレー語はできても中国語をまったく話せない人も少なくありません。
チャイニーズは何世代か前に中国本土からシンガポールに移住してきた人たちで一世も含みます。家庭では英語でなく中国語を話す人も多くマレー語は苦手。
移民国家だけあって数的には圧倒的にチャイニーズ華人のほうが多く、中国のいろいろな地域出身の人々がいます。最も多いのは福建語を話す人々ですが、香港や広東省から来た人たちは広東語、台湾から来た人たちは台湾語や客家語、潮州から来た人は潮州語などを話します(比較的若い世代では学校で勉強する英語か北京語だけを話す家庭の方が多くなっています)。
使う言葉が違えば家で食べる中華料理も違います。
パラナカンの料理(ニョニャ料理とも呼ばれます)はシンガポールやマレーシア(マラッカやペナン)を代表する中華料理で、他の地域ではまず食べることができません。パラナカンの家系では先祖代々この料理のレシピが受け継がれていて、故リー・クワンユー元首相の姪のシャーメイ・リーさんもリー家に伝わるレシピのソースを販売しています。
チャイニーズ系の家系では、広東料理や潮州料理、福建料理などに加え、シンガポール名物のカレー料理なども家庭料理として食べられており、ホーカーという屋台でもこのような料理を供する店が非常にたくさんあります。
興味深いのは、北京料理や上海料理などのお店が非常に少ないこと(高級レストランやチャイナタウンにはないこともないですが、一般的な屋台ではほとんどみかけません)。普通のスーパーマーケットでもやはりこれらの料理に欠かせない食材が入手しにくいと感じます。
言葉でも同じで、北京以北の人が使う巻き舌の「r」発音の北方アクセントの北京語や、上海語を話すシンガポール人にはほとんど会ったことがありません。中国全土の様々な地方出身の人が多い香港と比べるとずいぶん違うなと感じる所以です。
遠すぎるからか、気候が違いすぎるからか、そもそもこれらの地域からはもともと移民する必要がなかったのか、その理由はわかりませんが、華人の言葉や料理をみていると改めてシンガポールは南の華人が行き着いた最南端の国であるのだなと思います。 2018.04.09 Monday
1970年代のシンガポールを象徴する建築Golden Mile Complex
JUGEMテーマ:シンガポール
シンガポール在住でタイ好きの方なら恐らく一度は必ず行ったことがあるはず。または、シンガポールを経由してマレーシアにバスでバックパック旅行をしたことがある方の中にも立ち寄られた方がいるかもしれません。
若者の街、ブギスから少し東に行ったカラン地区ビーチロードとニコール・ハイウェイに挟まれた場所にあるのがこのビル、Golden Mile Complex。 ビルの前にはタイ仏教の祭壇があり常にたくさんの色とりどりの花が捧げられています。
前面にずらっと軒を連ねるのは小規模な旅行社のお店。マレーシア各地へのバスチケットが格安で手に入ります(先月訪ねてくれた友人が1,000円ほどでクアラ・ルンプール行きのチケットをゲットしてここから旅立ちましたが、あちこち立ち寄って客を拾い9時間以上かかった上に途中でバスが故障したということなので、時間がない方にはもう少し高いバスをお勧めします)。
中に入ると、こんな様子。 タイ料理屋やタイスーパー、タイ薬局、タイカラオケととにかくほとんどの店がタイ関連。中にいる人も半分くらいタイ人な感じです。
そして、ニコール・ハイウェイ側から見たこのビルの景観がこれ。 ショッピングセンターの上が住居地区。テラス式のベランダをほとんどの家が勝手にリノベーションして部屋にしているためこのような景観になっており、まるで往年の香港の九龍城(カオルーン・シティ)の再現のよう。
2006年にはある国会議員をして「縦型スラム」「シンガポールの恥」とまで言わしめました。
しかし、これだけではこのビルの真価はわかりません。
これは住居部の共用通路部分の画像です。
一度エレベータに乗ったところたまたま間違って住居部分に出てしまったのですが、それがここ。あまりの美しさに思わず息を飲みました。
住居部では最上階まで(16階建て)吹き抜けになっており採光がトップにあります。ショッピングアーケードからつながった柱が構造体を支え、外観のカラフルな様相とはまったく違いすべて白と黒のモノトーンでまとめられています。この写真ではよくわかりませんが、各戸のドアにも重厚な木製の扉が使われていました。
1973年に完成したこのビル、Wikiによると戦後ヨーロッパのブルータリズムや日本のメタボリズムの影響を受けているということですが、この内部を見る限りバウハウス建築に非常に近いと感じます。
外観やショッピングセンターのある公共部分は非常に雑然としておりアジア的カオスを実現しているにもかかわらず、いったん閉じられた居住空間に入ると外からは想像もできない洗練された機能美をもつこのビル。1970年代高度経済成長時代のシンガポールを象徴する建築物だと思います。
しかし現在、オーナーの間ではすでにこの建物を売りに出す話がまとまっており、いつ消えてしまうかわからない運命に。建築に興味のある方はぜひまだこのビルが存在しているうちにご覧になってはいかがでしょうか。 2018.03.24 Saturday
TVで方言解禁! リー・クワンユーイズムから脱却の兆し
JUGEMテーマ:シンガポール
昨日はシンガポールではごくごく一般的な華人系シンガポール人&外国人カップルの我が家の言語環境をご紹介しましたが、本日はシンガポールで話されている中国語のお話です。 シンガポールは様々な人種が集まる他民族国家ですが、最も大きい割合を占めるのが華人系で約75%。続くマレー系、インド系と合わせると全体の97%近くを占めます。
そのため、地上波のテレビでは英語チャンネルの他に中国語チャンネル、マレー語チャンネル、タミル語チャンネルと複数の言語で番組を放送しており、多くのタレントさんや俳優さんが英語チャンネルの他に自分の民族の言語の番組にも出演し、芸達者なバイリンガルぶりをみせてくれます。
また英語チャンネルも含め、音声だけでは内容が理解できない人のために字幕がついている番組も少なくありません。
我が家の小3の娘もテレビが大好きで、英語チャンネルの他、中国語チャンネルをよく観ているのですが、先月の旧正月休みの昼間、娘が観ているシンガポール制作のドラマを横で観ていてびっくりするような事実に気がつきました。
「華語だけじゃなく、広東語と福建語が混じってる!」
ご存じの通り中国はあれだけ広い国ですので、方言が非常にバラエティに富みます。書き言葉はほぼ同じですが発音がまったく違う単語も多く、例えば、中華人民共和国の言語である北京語ベースの「普通話」を話す人と、香港で話されている広東語を話す人がコミュニケーションしても会話が成り立ちません。喩えて言えば、ばりばりの津軽弁と鹿児島弁を話すお年寄り同士が会話するようなもの。
もともとシンガポール華人は中国のあちこちの地方からの移民が集まってできた国で、話す言葉もまちまち。昔からマレー半島華人に多かった福建省出身の福建語を話す人々の他、広東省や香港からの移民の広東語、リー・クワンユーやゴー・チョクトン元首相など中国北方がルーツとされる客家の人々が話す客家語、広東省の北で距離的には広州と福州のほぼ中間に位置する潮州からやってきた潮州人の潮州語など、さまざまな方言が各家庭で話されています。
我が家でも、学校で標準の中国語教育を受けた義母と夫、現在学習中の娘は中国標準の華語を話せますが、義父は学校教育は英語で受けているので、日常会話レベルの福建語しか話せず、華語で私が話しかけても理解できません。
そもそも中国の普通話もこのような方言の混在によるミスコミュニケーションを失くすために共通語として統一された言語で、中華人民共和国が1955年に決定。
漢字を略字にし書きやすくした「簡体字」や、アルファベット表記によるフリガナ「ピンイン」が採用されて全国に広まっていきました。
(台湾は蒋介石の国民党が亡命してから徹底的な北京語の「国語」教育をしたために台湾語の弾圧が行われましたが、中国本土ではそこまで方言の撲滅運動はなかったようです。ただ、学校教育も役所の手続きもすべて普通話で行われるため、新疆地域のウィグル人など少数民族も例外なく普通話を話します)
シンガポールでは建国直後の1966年から英語と自分の民族が話す言葉のバイリンガル教育が始まりましたが、家庭で日常的にマレー語やタミル語を使っているマレー系やインド系の子どもたちと違い、華人系は家庭で使われている方言がばらばらで、学校で教える中国標準の普通語をほぼそのまま取り入れた中国語の「華語」と違うため、なかなか上達しないという問題を抱えていました。
そのため1979年、リー・クワンユー元首相が「スピーク・マンダリン(講華語 ジャン・フアユー、北京語を話そう)・キャンペーン」を開始。方言をやめ、学校はもちろん、職場や商店、さらには家庭でも華語を話すことが推奨され、テレビやラジオはすべて華語に。
広東語の香港映画やテレビ番組などもすべて北京語に吹き替えられ、韓国ドラマさえも北京語になるという徹底ぶり。1990年代にジャッキー・チェンが流暢な北京語で話している映画をシンガポールのテレビで観たときには非常に驚いた記憶があります。
このような状況が40年近く続いてきたため、冒頭に書いたように、テレビから広東語と福建語が聞こえてきたときには、ひょっとして自分の頭がおかしくなったんじゃないかと耳を疑いました。しかし、何回聴き直しても間違いありません。
狐につままれたような気持ちで、翌日義母に「こんなことがあったんですよ」と報告したところ、中国語チャンネルに詳しい義母が、その番組は去年から始まったもので、通常は平日の夜中に30分間だけ放送しているけど、お正月なので特番で1時間放送になって、昨日の昼間に再放送していたんだよ、と笑いながら教えてくれました。
「講華語運動巳経没有了嗎?(スピーク・マンダリン・キャンペーンはもうなくなったの?」と聞くと、やはり笑いながら「なくなってはないけど、リー・クワンユーが亡くなったからそれほど厳しくなくなったんだよ」との返答。
台湾では国民党一党支配脱却後、台湾語が復権されて現在では台湾語のテレビチャンネルさえあると聞きます。
中国本土のみならず世界で標準語となっている「普通話=華語」教育も悪くはありませんが、シンガポールも「Mother Tongue(母語)教育」というからには、シンガポール固有の華人文化保存のためにもこの傾向が続き、それぞれの家庭のバックボーンである方言を次の世代に残してくれればいいなと思います。 2018.03.23 Friday
英語、日本語、中国語が混在する我が家の言語環境
JUGEMテーマ:シンガポール
シンガポールは全人口が561万人。うち344万人がシンガポール国民で、残りが53万人の永住者を含む外国人。外国人割合は、全人口の約4割になります。
また、シンガポール国民といっても外国人が国籍を取得して国民になったケースも少なくないので、私の感覚的にはシンガポール人と外国人が半々。
さらに、もともとシンガポール自体が、華人系、マレー系、インド系、ユーロエシアン系など他民族国家で、共通語の英語以外に、中国語(普通語)、マレー語、タミル語が公用語になっています。
これだけの数の外国人がいると、シンガポール人と外国人の結婚も多く、英語や公用語以外の言語を日常的に使う家庭も少なくありません。
我が家もその典型ですので、どんな言語を使って日常生活をしているのかご紹介いたします。
私:第一言語:日本語(ネイティヴレベル) それ以外:英語(中学生レベル。ビジネス英語は問題なし) 中国語(普通語:日常会話、ビジネス中国語は問題なし。広東語:日常会話がある程度できる。 福建語:話せないが少しだけ聴きとれる)
夫:第一言語:英語(ネイティヴレベル) それ以外:中国語(普通語、福建語、広東語ともに日常会話レベル。読み書きは大学受験時まではできたが、現在はほとんど忘れている) 日本語(日常会話がある程度できる)
娘:第一言語:英語(小3ネイティブレベル) それ以外:日本語(幼稚園レベル。ある程度日常会話ができるが、わからない単語は英語になる) 中国語(普通語、幼稚園レベル。簡単な日常会話と読み書きができるが、強制されないと自分からは話さない)
義父:第一言語:英語(ネイティヴレベル) それ以外:マレー語(日常会話レベル。兄弟と話すときはマレー語) 中国語(福建語のみ日常会話レベル。読み書きはできない)
義母:第一言語:中国語(普通語、福建語ともにネイティブレベル) それ以外:英語(日常会話はだいたいわかるが、返すのは中国語。簡単な英単語が混じることはある)
こんな状況ですので、誰もが一番得意な言語を使いたがります。
例えば、こんな感じ。
私(娘に向かって): 早くご飯食べなさい! 夫: Oh, you even haven’tstarted your dinner yet!? (えー、まだ食べてないの!?) 娘:だってね ー、not hungry yet.(まだお腹空いてないし) 義母:你快一点吃吧!(ほら、早く食べなさいよ) 私(母に向かって):因為她今天吃午飯比較晩、所為現在不餓。(今日、お昼ご飯遅かったんでまだお腹すいてないんですよ) 義父(娘に向かって):Aey, eat now!(ほら、食べなきゃ) 義母(父に向って):不是。(福建語で「ンーシィー」違うのよー) 夫(父に向って):She is still quite full now. (まだお腹いっぱいなんだよ) 私(夫に向かって):もう食べないと思うよ。 Ask your Mom 打包。(パックしてもらうようにお母さんに頼んでよ)
日本語、英語、中国語(北京語と福建語混在)で、誰も全部はわからないけれど、少しずつ理解していて最終的にはみんなわかります。
家庭内に限らず、個人商店で買い物したりするとき、こちらは英語で話しているのに相手は中国語で返してくることもままあり。
個人的にはこんな環境なので、ビジネスで使わなくなってすっかりさび付いた中国語を使う機会があることに感謝しています。 2018.03.11 Sunday
植物園でコンサート・ピクニック
JUGEMテーマ:シンガポール
昨晩は、国立植物園ガーデンズ・バイ・ザ・ベイでのSSO(Singapore Symphonic Orchestra シンガポール交響楽団)屋外コンサートに行ってきました。
東京ドームと同じくらい面積がありそうな広々とした芝生の屋外コンサート場は花の香りがほのかに漂っています。
開演前のリハーサル時間からピクニックマット持参の家族連れが陣取り、子どもたちはあちこち走り回って遊んでいます。また、本番直前の休憩時間には団員の皆さんがステージから降りてきて、おもいおもいに自分の家族や友人たちと談笑したり、食べたり飲んだりとまったり。
我が家もワインと自家製サンドイッチ、果物をアイスボックスに詰めて家族で参加。
ベートーヴェンの『運命』一楽章や、ウェストサイド物語のテーマなど、クラシックファンならずともよく知られている曲目のプロの演奏を1時間ほど楽しみました。
小さな子供のいる家族連れはもちろん、隣ではコンサート終了後もオランダ人熟年カップル3組がビールやハムをつまみながら盛り上がっていたり、大盛況。 爽やかな夜風が吹き渡るアンコールの頃には、植物園のSupertree Groveのライトショーも始まって(写真右奥)、耳も目も同時に楽しませてもらえました。
SSOはこの植物園コンサートを年に1,2度、ここやユネスコ世界遺産にも登録されたシンガポール植物園で開催しています。
我が家では今年小3の娘が立ったばかりの頃からほぼ毎年参加。植物園コンサート以外にも、SSOやシンガポール国立大学付属の音楽学校が頻繁に本格的なクラシックコンサートを無料で開いているので、こちらも時間が許す限り行くようにしています。
コンサートに限らず、夫も私もこんな無料イベントが大好きでネットやメールで調べてはよく出かけます。美術館や博物館、図書館などでもイベントは毎週必ずどこかで開催されていて、興味のあるイベントがあるときは1日に2,3個も掛け持ちすることも。
家族でアート&カルチャーを楽しめてお財布にも優しい(美術館や博物館はシンガポール人は基本入場無料。また、日本と違い屋台などが出展していてついついお金を使ってしまうイベントは少ないです)、こんなイベントが一年中開かれているシンガポールは本当に素敵だなと思います。 2018.03.02 Friday
シンガポール次期首相候補たちの国会演説を楽しむ。
JUGEMテーマ:シンガポール
昨年暮れ、シンガポール前首相ゴー・チョクトン氏が、半年程度をめどに若い政治家たちの間で次の首相候補を選ぶべきと問題提起。リー・シェンロン首相はこれを受け、2018年新年メッセージで次世代リーダー選出について言及しました。
シンガポールの次期首相の必須条件は50代以下であること。前回選挙で与党圧勝の立役者となったターマン副首相は、ラガルド氏の前にIMF専務理事を打診されたという内外共に認められた非常に優秀な方ですが、1957年生まれの61歳。夫に言わせると歳を取りすぎていて候補には入ってないということで、最近は確かにマスコミへの露出度も減ってきています。
そこで、年齢と露出度で絞っていくと、候補者はだいたいこんなところかと思います。
ヴィヴィアン外務大臣。57歳になりたて。もともと眼科のお医者さんで、人柄の良さがにじみ出ています。
シャンムガン法務大臣。今年59歳。シンガポール国立大学法学部を首席卒業。やり手弁護士から政治家に転向。弁護士だっただけに論理の明晰さに定評。 ヘン財務大臣。今年57歳。このところ2018年予算説明でマスコミに出ずっぱり。政界入り前はシンガポール金融管理局局長として国際的に高い評価を得る。公務員として警察省や通商省でも重責を担っていた。温厚な役人タイプ。 チャン内閣省大臣。今年49歳。貧しい母子家庭で育った苦労人ですが、奨学金を得てケンブリッジとMITで学ぶ。NTUC(National Trade Union Congress)専務理事も兼任するため露出度が高い。 ウォン国家開発大臣。今年46歳。2015年に現ポジションに抜擢された出世頭。Wikiによると次期首相大本命だそう。 リー社会家族大臣。今年42歳。政治家2世(リー・クワンユー一族とは関係なし)。
これまでの経歴や露出度、また年齢を見ていると、Wikiが書いている通りウォン国家開発大臣が最有力というのは正しい見方でしょうが、ただ一つネックなのが離婚歴があり現在も独身なこと。家族の価値に重きを置くシンガポーリアンにどう映るかが不安定材料です。
個人的にはヘン財務大臣あたりがワンクッション置いてくれるといいんじゃないかなと思ったり、そもそも50代はムリなんだろうか(夫はNGと言いますが、いきなり40代首相になった場合50代の現役大臣たちはみな退任なのか? という疑問もあります)という問題もあり。
今年後半には決定し2,3年後をめどにリー・シェンロン首相と交代するという計画のようですので、現在協議真っ最中。どんな様子になっているのか、国会中継をニュースで観ながら行方を楽しんでいます。 2018.02.15 Thursday
観光客は絶対行かない、シンガポールお薦めレストラン&カフェ5選(森の中編)
JUGEMテーマ:シンガポール
昨日に引き続き「観光客は絶対行かない」レストラン&カフェ・シリーズ。本日は「森の中編」。
「大都会のシンガポールに森なんて?」と驚かれる方もいらっしゃるかもしれませんが、樹木好きだったリー・クワンユー元首相のおかげで、意外と街の真ん中にジャングルが残ってたり(残してたり)、軍事施設の周囲が森になっていたりと緑が多いです。
(余談ですが、チャンギ空港からシティ・センターまで海沿いのハイウェイECPを通ると中央分離帯にブーゲンビリアなどさまざまな植物を植えた大きなコンテナがたくさん置いてありますが、これは移動可能。有事の際は全部どけてハイウェイが戦闘機の滑走路になるよう設計されているそうです)
選択の基準は昨日の「ビーチ編」と同じく下記の通りです。
1.人が少なくて静か。〜 私はとにかく人混みが嫌いです。満員電車に乗るのが嫌で会社を辞めてフリーで仕事を始めたくらいなので、外出時もできるだけ人が少なく静かな場所で過ごしたい。席数も少なめがベターです。
2.価格がリーゾナブル。〜 シンガポールのレストランは驚くほど高いのが当たり前。不動産が高いので半分は家賃なので仕方ないといえばそれまでですが、商品やサービスのクオリティに比べてこの値段はさすがに…という店はできるだけ避けています。
3.できれば散歩ができる。〜 外食はほとんど家族と一緒ですが、ただそこに行って食事をしたりお茶をするだけではつまらないので、その前後に気持ちよく散歩したり、人が少なくテナントに特徴のあるショッピングモールがあったりするとさらに楽しみが増えます。
#1 Riders Cafe (ライダース・カフェ) 元競馬場の隣、乗馬クラブの中にあるカフェ。
ここが素晴らしいのは、何といってもコロニアル建築の建物。個人的にシンガポールの二大ベスト・コロニアル建築は、こことDempsy Hillにある植民地時代のイギリス軍人向け教会だったSt.George’s Churchです。
とにかく街中から遠いので(といっても車で30分くらいですが)人が少ない。乗馬中の人が窓の外をたまに通りかかったりするのもご愛敬。
乗馬場の周囲は、以前住宅として使われていたコロニアル風の廃屋タウン。もちろんここも鬱蒼とした樹木に覆われていて、たまに車が通る他は人気がゼロ。シンガポールでは滅多にない我が家のお気に入りお散歩スポットです。娘は厩舎の馬を見るのも愉しみにしています。
#2 Sunset Bay (サンセット・ベイ) 以前はイースト・コースト・パークにあったのですが、2年ほど前に空港近くのChangiに移転。ビーチから森の中にシフトしました。
Changi Villageという地元民に人気のホーカーセンターから徒歩5分ほど。ゴルフ場の隣にあって人も車もほとんど通らず、お隣は最近注目株の野菜工場。
経営者兼シェフはユーロエシアン(欧米人とアジア人の混血民族)姉弟2人。ローカルとウェスタンが混じった独特のメニューが人気で、お客さんは長年通い続ける固定客がほとんど、みんな顔見知りでリラックスした雰囲気です。
週末にはライブ演奏も楽しめます。
#3 Poison Ivy Bistro (ポイズン・アイヴィー・ビストロ) シンガポール農業の中心地でマレーシア国境に近いKranjiエリアにある農園、Vollywood Veggiesに併設するレストラン。
オーナーのIvyさんはもともとインド系実業家ファミリーに産まれ、家業を継いでキャリアウーマンとして大成功をおさめた後、リタイアして華人の夫と農園経営を開始。こちらも大盛況で、週末には家族連れで賑わいます。
この農園+ビストロは別の意味でも有名です。もともと政治活動をしていたIvyさんがリー・クワンユー元首相と犬猿の仲だったらしく、政府批判を繰り返していたたため脱税容疑で起訴されますが、長期間にわたる法廷闘争の結果無罪を勝ち取ります。最近はあまり言わないようになったようですが、一時は「Warrior Ivy」と自称して独自路線を貫いていました(今でもメニューにはやたらとWarriorがついています)。
農園を散歩できるのはもちろん、料理教室や園芸教室も盛んに開催していますのでアクティビティもあり。ただし閉店は週末でも18:30なので注意が必要です。
#4 Vava Bistro (ババ・ビストロ) 街中からほど近いMacRitche貯水池公園内にあるビストロ。
料理には特筆するものがありませんが、ウッドデッキが広くて貯水池を見下ろしながらゆったり食事ができるのと、セットメニューやビールセットがお手頃価格で家族連れに良いと思います。
この公園は猿が多く生息しているので有名で、よく整備されたトレイルコースをお散歩しながら(ジョギングしている人もたくさんいます)猿の生態観察をするのも楽しいです。
#5 Picotin Express Bukit Timah@ Champions Golf (ピコティン・エクスプレス・ブケティマ) #1のRiders Cafeから車で1,2分、徒歩10分〜15分ほど森を登っていったところにあるビストロ。
ここがすごいのは、壁がいっさいないことで、解放感あふれる屋内(というか屋根の下)から、隣接するゴルフ場が見渡せます。
シンガポール在住中年欧米人に人気があり、週末の夜は、ビール瓶片手にスポーツ中継を観ながら遅くまで喋っています。ゴルフ場隣接だけあってお値段は街中並みですが、ちょっと飲む分にはたいした金額にはなりません。
しっかり食事を、という場合は、ゴルフ練習場をはさんで向かい側のタイ料理レストランがお薦めです。
#番外 Pollen (ポレン) 世界有数の規模を誇る植物園Gardens by the Bayの巨大冷蔵庫の一つ、フラワー・ドーム内にある高級レストラン。
ずっと行きたいと思いつつなかなか機会がなく、次の結婚記念日ディナーに夫にプレゼントしてもらおうかなと考え中。
お花畑の中で愉しむ食事というコンセプトはなかなかユニークだと思います。 |
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