ASIAN NOMAD LIFE

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    『森瑤子の帽子』島今日子著 〜 決して満たされない女の飢餓が時代を作った。
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      島今日子さんのノンフィクションを読むのはこれで2冊目。『安井かずみがいた時代』も大変な力作でしたが、この本は森瑤子という主人公が小説家で、しかも創作活動期間15年というわずかな年月の間に100冊以上という膨大な作品を残していること。そのため、本書の至る所に彼女を直接知る人たちの言葉のみならず、彼女自身の言葉が散りばめられていて、前作よりさらに読み応えがありました。

       

      いつもながら著者の取材力には完全に脱帽。前述のように作家自身の手による膨大な資料を読み込んだうえで、一つの出来事についてさまざまな取材対象者からそれぞれ違う視点からみた話を引き出し、何層ものレイヤーを作るように多面的な人物像を再構築する手腕にはただただ驚嘆するばかりでした。

       

      6歳から練習を続け芸大のヴァイオリン科まで卒業しながらきっぱりと音楽の道を断念。広告代理店で時代の最先端をいくテレビ広告制作の仕事をし、後に各分野で活躍することになる綺羅星のような友人たちに囲まれて刺激的な日々を過ごした青春時代と婚約までしながら悲恋に終わった恋。

       

      まだまだ経済発展途上だった時代の日本で、ヨーロッパ式の優雅なライフスタイル(週末を過ごす海辺の家、夏を過ごす軽井沢の別荘、手作りの英国式の料理等々)。完璧なマナーと本場仕込みの皮肉の効いたユーモアをもつイギリス人の夫と3人の美しい娘たちに囲まれ、傍目には誰もが羨む人生を送りつつも、妻であり母であることがすべての毎日に満たされない鬱屈を抱えていた主婦時代。

       

      そして38歳で『情事』で主婦作家としてデビューしながらも、芥川賞や直木賞といった文壇の賞と名声には縁がないまま漂流。今をときめく流行作家としてカナダに島を買い、与論島に1億円の別荘を建て、ミンクのコート、ダイヤモンド、ローレックスの時計をまとい、大きな帽子を被ってゴージャスに暮らす自分自身のイメージを切り売りしつつ、加速度的に悪化する家族との葛藤を抱えながらガンに体を蝕まれるまで書きまくった小説家時代。

       

      どこまでも真の自分自身を探しながら、認めてもらいたいのにありのままの自分を曝け出せず、また、受け入れてもらえずに自分を追い詰めていった結果、あまりにも若すぎる52歳という年齢でこの世を去った作家の儚さと、どこまでも夢を追いかけても満たされない1人の女性の飢餓感を書ききった秀作がこの一冊だと思います。

       

      いっぽうで同じ筆者の手による、森瑤子と同時代に生きた安井かずみの世界を描いた『安井かずみがいた時代』でここまで重層的な人物像が表出してこなかった理由は、ひとえに家族との葛藤の欠如であると思います。

       

      安井かずみには加藤和彦という一筋縄ではいかない関係性を抱えた伴侶こそいましたが、そこに子供という家族はいなかった。ただの男と女というだけではなく、子どもを挟んだ父と母という側面があったことが、森瑤子の夫との関係をより複雑にし、さらに子供たちとの関係性が自身の両親との関係性や引揚者としての生い立ちにまで遡って語られます。

       

      二人とも超売れっ子時代に、森瑤子がシャネルが好きだ、と言った際、安井かずみが、シャネルの店でラック買いして初めてそういうことを言っていいんだ、と異議を唱えたというエピソードにも、現実世界から乖離したフィクションの世界だけで一生を終えた彼女と、自分が創作したファンタジーに生きながら最後まで家族を捨てきれずフィクションに徹することのできなかった森瑤子の違いがよく表れているように私には思えます。

       

       

      冒頭の山田詠美から、最終章の主婦時代からの親しい女友だちの証言まで。森瑤子の人生はたった52年という短さにもかかわらず、さまざまな場面に彩られ、さまざまな人々が登場します。そして誰もが口々に彼女の人柄の良さを述懐。

       

      山田詠美、当時角川書店社員だった現幻冬舎社長の見城氏と編集者石原氏とともに、最期まで森瑤子とのプライベートな交流を続けた作家の五木寛之はこう述懐します。

       

      僕はね、森さんを見てると、シベリアの農婦を思い出すんですよ。本当はもんぺが似合いそうな人だった。手首が太いし、身体もごてっとしていて、しかも生活力があって逞しくって。実際には非常に生真面目で質朴で、誠実で、どちらかというと泥臭い。野暮な人でした。決して悪口ではなくて、僕はそこが好きだったんですよ。 

       

      作品に描かれた都会的で洗練された登場人物や、彼らと同一視された作家本人とはまったく違うこのイメージこそ、同じ作家という職業の五木氏が鋭敏に嗅ぎ取った森瑤子の本質だったのではないでしょうか。

       

      そして、そんな自分自身から逃れよう、脱皮しようとしてもがき続けた結果があの夥しい量の作品群だったのかもしません。

       

      そんな彼女の遺した仕事について、五木はこうも語ります。

       

      文学も音楽も芸術というのは一回性のものだというのが僕の考え方で、記憶に残らなくても、その時代の人々の記憶に残ればいい。その記憶も読者が年老いて亡くなってしまうと消えてしまう。森さんが同じ時代に生きた人に与えた一回性の感動というのは、古典のそれの百倍くらいはあったと思う。インスパイアされた読者に焼き付けられた森さんの存在ってすごいものでした。森瑤子という名前が醸し出すものは、ひとつの時代の象徴だったから。

       

      往時には街の本屋の棚の一段を埋め尽くしてしまうほどの人気を誇った森瑤子の著書も、現在では古本屋でたまにみかける以外には滅多に見ることがなくなりました。ちょうどあれほどの人気歌謡曲だった安井かずみ作「わたしの城下町」を耳にすることがなくなったように。

       

      時代が変わり、人が変わり、作品の価値も変わっていく。でも、決して変わらないのは、その時代に、そのときに、その人が体験した人や作品との出会いであり、その小さな積み重ねが時代という大きい潮流を作っていくのだと思います。

       

      あの時代を追体験するために、また森瑤子の作品を読み返してみたいな、と思いました。

       

      JUGEMテーマ:自分探し

      | Yuriko Goto | 女性の働き方 | 11:24 | - | - |
      夫婦別姓実現はマイナンバー普及とセットと考える理由
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        我が家は3人家族。夫と娘は私と違う姓ですが、それで子供がいじめられたことは一度もありません。親が離婚しても子どもの姓が変わることはありません。

        シンガポールでは役所関係の諸々の手続きでも職探しでも銀行で金融商品を買うのでも、とにかく日々のすべての局面で必要になるのが「IC(Identity Card)ナンバー」というマイナンバー。

         

        この番号は日常暮らしていくうえであらゆる事柄に関わってきますので、すべての人にとって大変重要です。正直、この番号がないと一瞬たりともシンガポールでは生活できません。

         

        逆に言うと、個人がすべてこの番号で管理されているため、日本のような戸籍や住民票は不要。シンガポールではよほどのことがない限り夫婦別姓ですが、IC番号を入力すればその人が誰と結婚していて子どもは誰で(15歳未満の子どもは出生証明書番号で管理・紐づけされています)、どこに住んでいて、どこの会社に勤めていて、預金残高はいくらで、いつ何の病気でどこの病院に行って、etc、etcの情報が調べようと思えばすべてわかってしまうのです。

         

        ですから、日本では必須の家族単位の戸籍も住民票も必要ありません。

         

        いっぽう、数年前に導入されたものの、日本ではマイナンバーがまったくといっていいほど普及していません。個人番号はあっても実際に使われていないため、いまだに個人の基本情報を戸籍や住民票に頼るしかないのです。

         

        特に日本では婚姻関係や親子関係などの情報はすべて戸籍に紐づけられていて、戸籍内の人員は姓が一致することが前提であり、役所は戸籍と住民票の世帯単位で仕事を行っているため、この前提が狂うとシステム全体が崩壊してしまいます。

         

        その実例が、私が20代で前の結婚をしていた頃の話。それまで勤めていた会社を辞めてフリーランスになったため、国民年金と国民保険の手続きをしに役所に行きました。

         

        国民年金は個人単位なのですぐ手続きできたのですが、国民保険が問題。私が自分の分の国民保険料を支払うのに請求先は前夫の名前なのです。前夫はサラリーマンですので社会保険に入っていて、もちろんこの保険は使えません。

         

        「これはおかしい」と抗議したところ「国民保険料は世帯単位で加入するもので、世帯主に請求される法律なので変えられません」と言われました。「では(保険料を)払いません」とつっぱねたところ、市役所の保険課の担当の人が何度も自宅アパートまで来て払ってくださいと懇願。結局は気の毒になって払うことにしましたが、最後まで納得できませんでした。

         

        夫婦別姓という制度は、国民を家族単位ではなく個人単位で識別する制度だと思います。となると、上記のようなシステムが存続している限り夫婦別姓に移行するのは難しいでしょうし、旧システムから新システムの切り替えには個人識別のマイナンバー普及が必須です。

         

        マイナンバーを積極的に利用して生活の中に取り込んでいくか、それとも現在の戸籍・住民票制度に依存したまま夫婦&家族同姓を続けるか、私には二者択一の問題のように思えます。

        JUGEMテーマ:政治

        | Yuriko Goto | 女性の働き方 | 12:45 | - | - |
        ハイヒールを履いて絶望する女たち
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          JUGEMテーマ:国際社会

           

          今月17日からSingapore Fringe festivalが始まりました。

           

          このイベントは、小劇場メインのパフォーミング・アートをテーマとした芸術祭。100人〜200人程度の劇場を舞台にシンガポールをはじめ海外からのパフォーマーの参加もあり、私も昨日、2ステージをはしごしてきました。

           

          14回目を迎えた今年のテーマは「Let's Walk」。これは1999年にシンガポールの女性アーティストAmanda Heng氏がシンガポールで行ったもので、一般人から参加者を募り、ハイヒールを口にくわえて鏡を持ち、街中で後ろ向きに歩くというパーフォーマンスをモチーフとしたもの。背景には、1997年に起こったアジア通貨危機の際、シンガポールで最初に解雇されたのが女性たちであったことと、そして奇妙なことに、この頃から女性たちが化粧やフェイシャルケアなどの外見に高額なお金を費やすようになった状況があったことである、とストレイト・タイムズ紙は指摘します。

           

          今回はこのテーマをモチーフとした作品をキュレーションしたということで、ほとんどが女性によるフェミニズムの視点からの作品となり、そのうち私が観たのは、シンガポールの芸術学校の生徒さんたちが出演するシンガポールの演劇と、ニュージーランドから招聘した女性のパフォーマンス作品の2つでした(老いをテーマにした母と娘の物語『HAYAT』という演劇も観たかったのですが、シンガポールでは珍しく2週間前に全公演完売しており、関心の高さがうかがえます)。

           

          ■シンガポールとニュージーランドの2つのパフォーマンスにみる「女性性」

          初めに観たのは『Step Outta Line(枠を踏み出せ)』というナンヤン芸術学院の学生さんたちをキャスティングした芝居。

           

          11人の「太った処女」たちが日本語の『可愛いベイビー』のテーマにのって赤いハイヒールを履いて登場し、相撲の土俵を表現した舞台の上で(物語の後半で太田元大阪知事が土俵に上がろうとして女性であることを理由に拒否されたエピソードが語られます)、現代のシンガポール女性が直面するさまざまな問題に関するスキットを演じます。

           

          彼女たちにとってハイヒールは近世中国で女性を家の中に閉じ込める手段であった(と同時に美の基準でもあった)「纏足」のメタファーであり、いっぽうで自分を守り、男性や社会に対抗する武器でもあります。ハイヒールを履いたり、片手にもったり、耳や股にはさんだりしながら、豊胸手術やダイエットといった問題から、DVや職場でのセクハラ、さらには生理やセックスというテーマまでを若い女優さんたちがエネルギッシュに語り続けます。

           

          そして、最後には美しい伝統衣装を脱ぎ捨てて下着姿になり、女性性の象徴であるハイヒールを、1人だけ出演している男性俳優にすべて持たせるのです。

           

          次は『If There's Not Dancing, At The revolution, I'm Not Coming(革命のときダンスがなければ、私は行かない)』というニュージーランドの舞台芸術家ジュリア・クロフトさんのモノローグ、映像、音楽などを駆使した舞台。

           

          こちらはさらに過激で、さまざまな衣装を着こんで雪だるまのようになったクロフトさんのバックでスマホの映像がスクリーンに映し出され、「欲情しているの」というメッセージとともに、唇や耳などのアップ、さらには女性器や膣内部の写真が次々と相手に送られるところからスタートします。

           

          衣装を一つずつ脱ぎながら、彼女は会場の男性に胸元から取り出したお酒や炭酸水で飲み物を作ってサーブしたり、軽快なポップソングに合わせてやはり胸元から取り出した玉ねぎを目に塗り付けてむしゃむしゃ食べて「だって私、かよわい女の子なんだもの」と佇んでみたり、下着姿で逃げまどうホラー映画の金髪の美女の映像に合わせて水着姿で客席を這って移動したり、甘いラブソングをマザコンかつマッチョな「黙って足を開け」というセリフで翻訳したりした末、最後には脱ぎ捨てた衣装をすべて顔に巻き付けて全裸で舞台に立ち、胸、下腹部、臀部にマーカーで印をつけて自分自身の「女性性」について観客に疑問をつきつけます。

           

          舞台終了後のトークの中で、クラフトさんは「映画やポップソング、SNSなどのポップカルチャーにおける女性像に女性たちが翻弄されている状況を描きたかった」と語っていました。

           

          ■フェミニズムに逆行する社会に強制された価値観と女性の絶望

          このトークでは、観客の70代とおぼしき白人女性が「フェミニズムが一般に浸透して40年、いえ45年以上になるわね。あなたの国には女性の首相までいる。そんな中でこのようなパフォーマンスをしなくてはいけないという状況こそ問題なんじゃないか」と発言したのがとても印象に残りました。

           

          欧米や日本、シンガポールなど世界の先進国では女性が働いて経済力をもち、社会の中で男性と同等の役割を果たすのは若い世代ではすでに当たり前のことになっています。しかし、そのような時代にあって、30代のクラフトさんや『Step Outta Line』の脚本家Ovidia Yuさんらが感じる、社会や同時代の文化から強制されるあるべき「女性性」の本質は何ら変化していないどころか、さらに女性たちを追い詰めるものになっているのです。

           

          その中で女性たちは無意識のうちに刷り込まれた理想の「女性性」と、自分自身が抱える現実とのギャップの違いに惑い、行き詰っているのではないでしょうか?

           

          『Step Outta Line』で20代の若い女優さんたちが下着姿で苦しみもがき、『If There's Not Dancing, At The revolution, I'm Not Coming』でクラフトさんがずっと頭につけていた長い羽根(自由の象徴だと私は解釈しました)を大きなボールのようになった衣装で覆い隠し、顔がない「若い女性の体」という物体に変化してしまったとき、私は現代の女性たちが自分の内に抱える絶望を感じました。

           

          ■韓国の世界最低の出生率にみる女性による出産拒絶

          折しも先週、整形大国、韓国の家族相のインタビュー記事がAFP通信により世界に配信されました。

           

          内閣府の調査によると、2015年の合計特殊出生率は、日本1.45、シンガポール1.24、韓国1.24ですが、記事によると2016年の韓国の出生率は1.17まで低下し、2017年には1.07と世界最低となることが確実視されています。

           

          自らも子どもがいない歴史学者であるチョン・ヒョンベク大臣は、出生率の回復は「不可能ではないが極めて困難である」とし、数十億ドルをかけた出生率回復キャンペーンが失敗した原因を、「女性に家事や子育てを期待する社会的圧力と長時間労働にある」と説明します。

           

          しかし、原因はそれだけではないように私には思えます。

           

          もちろん、働きながら子育を産み、世界でも有数の受験戦争を勝ち抜くために子育てにも注力しなくてはいけない、というのは同じく少子化に悩む日本やシンガポールとさほど変わりません。しかし、60代のチョン大臣の時代とは違い、現代韓国の女性たちがいつまでも美しく、常に男性に求められるような「女性性」を体現しなければならないと無意識のうちに考えているとしたらどうでしょうか?

           

          私には、イヴァンカ・トランプさんが、そんな若い女性たちの一つのロールモデルに見えます。有名大学を出て裕福な男性と結婚し、自らビジネスを興してキャリアを築きながらも、3人の子どもを産んで育て、さらにバービー人形のように完璧なメイクアップをしてほっそりしたスタイルをキープし、(『Fire&Fury』によると)将来はアメリカ初の女性大統領になることを志している。

           

          ここには明らかにヒラリー・クリントン氏のようなフェミニスト世代の価値観とは違うものがあります。

           

          アメリカで共和党大統領になるには「3人の子どもを産んで育て」はマストかもしれませんが、チョン首相が子どもがいないのを見てもわかるように、アジア諸国では必ずしもそうではありません。髪を振り乱して身なりにかまわず、子育てと仕事に人生を捧げる女性より、仕事ができて(=オフィスなど身近にいて)外見が美しく、子育てをしなくていい分時間的にゆとりがあれば、30代、40代になっても男性の理想とされる女性でいられる、という無意識の選択が韓国女性の中で起こっているのではないでしょうか?

           

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          「美しく可憐で男性や子どもを甘えさせてくれる女性」と「意志が強くて仕事ができ、男性と対等に話ができる女性」は従来のフェミニズムの中では相反する女性像だったはずです。女性はどちらかのタイプに分かれて、その一つを実現できれば一人前でした。

           

          しかし、現在の若い女性にはこの条件のすべてを満たさなくてはいけない、という非常に高いレベルの自己規制がかかっているような気がしてなりません。そのために、女性の「子供を産み育てる」が、選択肢の最低順位に押しやられているような気がするのです。

           

          ハイヒールを履かずに子供を産み育てる女性が、低出生率に悩む先進国の女性たちの憧れの存在としてロール・モデルの役割を果たすようになるまで、この少子化の傾向は続くのかもしれません。

          | Yuriko Goto | 女性の働き方 | 18:25 | - | - |
          小池百合子都知事が放つ言葉の力とその限界
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            JUGEMテーマ:政治

             

            昨晩、シンガポールのニュースチャネルChannel News AsiaのMaverick Politicians(一匹狼の政治家たち)シリーズで小池百合子氏が取り上げられました

             

            番組はナンヤン工科大学のNaoko Kumada氏、ジャパンタイムズ紙のReiji Yoshida氏、テンプル大学のJeffery Kingston教授のコメントと共に、小池百合子氏のインタビューを軸に構成。制作時期が昨年前半と古いことから衆議院選挙の件には触れられていませんでしたが、改めて小池百合子というこれまでにないタイプの政治家を知る意味で、得るものが多い内容でした。

             

            番組前半では、小池氏の日本人2人目というカイロ大学卒業までの経緯や、ニュースキャスター時代にリビアのカダフィ大統領やパレスチナのアラファト議長インタビューに成功したこと、1992年に政治家に転身してから順調なキャリアを歩み、小泉内閣時に環境大臣としてクールビズを成功させ、女性初の防衛大臣となったこと、そして2016年7月に女性初の都知事として圧倒的な勝利を収めたことを紹介していきます。

             

            コメンテーターたちは小池氏の政治手腕を「非常に辛抱強い」「空気を読むのがうまい」「劇場型の政治」などと評しますが、一番私の印象に残ったのは、小池氏本人が「大義ある政策を(国民/都民の)共感をもって進める」そのためには「政治・行政の言葉と一般の人の言葉が違う」という壁を乗り越え、わかりやすい言葉で国民/都民に語りかける必要があるという主張でした。

             

            確かに、番組の中で紹介される選挙運動中の小池氏の演説には聴衆を引き込む力強さがあるのみならず、主張を伝えた後に「皆さんいかがでしょうか?」と観衆に語りかけるテクニックにも、老練な政治家としての技量だけでなく「この人についていけば何とかなるかもしれない」という強いリーダーシップを感じます。

             

            そのいっぽうで非常に残念に感じたのは、ソフトな口調を保って力強く人の心を引き込む話術をもちながら、インタビュー中も政治活動中の映像からも、その表情から小池氏が繰り返し訴える「共感」性が伝わってこなかったことです。

             

            こちらは小池氏が昨年、希望の党を立ち上げたときの記者会見のビデオですが、私は日本にいたため、リアルタイムでラジオで聴いていました。演説に非常に感銘を受け「ぜひ小池さんの党に投票したい」と思ったのをよく覚えています。しかし、このビデオを改めて観てみると、小池氏の言葉と表情のアンバランスさが際立ちます。言葉にこめられている熱意が表情にまったく反映されず、とてもちぐはぐな印象を与えるのです。

             

            小池氏を重用した小泉純一郎元首相の演説ビデオと比べてみるとその差は一目瞭然です。小泉氏は目尻を下げて冗談を言った後には、細い目をいっぱいに見開いて「敵」を攻撃する強い口調になり、手振り身振りを交えて聴衆の心を鷲掴みにします。そして「うなずいてくれましたね」と聴衆の一人に語りかけて共感をさらに強めるのです。

             

            希望の党はこの会見後いったんは大きな支持を得たものの、その後一気に失速して衆議院選挙では惨敗。失速の契機となった「排除」という言葉に象徴されるように、「共感」とはほど遠い何かの匂いを国民が嗅ぎ取ったからではないかと思います。

             

            同じことは、一昨年の米大統領選でトランプ氏に僅差で敗れたヒラリー・クリントン氏にも言えます。

             

            クリントン氏のファーストレディーや国務長官時代からの政治手腕や実績はトランプ氏とは比較にならないほど立派であり、また、貧困層や子どもなど社会的弱者を支援するための活動にも若い頃から真剣に取り組んできた政治家として知られています。しかし「民主党は支持するけど彼女だけは絶対に嫌」という人たちがいるのも事実。その大きな理由の一つに、彼女の表情があるのではないかと思うのです。

             

            小池氏はクリントン氏と同じく、これまでの政治家としての実績をとっても過去の選挙の得票率をとっても、現在も初の女性首相に最も近いポジションにいる方です。

             

            しかし「(政治家として)女性であることが支障になったことはない」語るのとは裏腹に、小池氏にしてもクリントン氏にしても、政治という権謀術策が横行する男性社会の中で「一匹狼」の政治家として生き残るために、自分の心を決してさらけ出さず、言葉を選びながら慎重に自分を律することが必要だったのだと思います。その長年の積み重ねが、現在のような「共感性を感じられない表情」につながってしまったのではないでしょうか。

             

            番組の最後に登場する「リボンの騎士」扮装姿では、小池氏はいつになく満面の笑顔で「子どもの頃『なかよし』で読んでいた」とインタビューに答えます。この笑顔が国民に向けられるときこそ、初の女性総理が誕生する瞬間になるのではないかと思います。

            | Yuriko Goto | 女性の働き方 | 11:53 | - | - |
            選択的夫婦別姓を嫌う女性は「自分と同じ苦労を味合わせたい」無痛分娩反対論者と同じでは?
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              JUGEMテーマ:政治

               

              先月、サイボウズの青野社長が、選択的夫婦別姓を求めて東京地裁に提訴する方針を発表しました。

               

              また、来年最高裁判所の判事に就任予定の宮崎裕子弁護士が旧姓使用を表明。「旧姓を使うことは当然だと思っています」とコメントしたとされ、選択的夫婦別姓制度議論が再燃の兆しを見せています。

               

              結婚によって苗字を変えた経験がない男性が「妻に旧姓使用を認めたら離婚が簡単になって将来捨てられてしまうかもしれない」という不安を抱えて反対するというのならはまだわかりますが、一部の女性までこの制度の導入に反対する理由が私にはずっとわかりませんでした。(「選択」できるわけですから、変えたい人は同姓でいいのです)

               

              これについて、友人のFacebookである方(男性)が「みんな我慢しているのにお前は何だ」という感覚ではないか、とコメントをしたのを読み、ああ、そういうことかと、妙に納得しました。

               

              そこで思い出したのが、日本における無痛分娩の普及率の低さです。

               

              この記事によると、日本における無痛分娩の割合は諸外国と比べて圧倒的に低く、フランス80%、アメリカ61%に対し、2.6%しかありません。アジアですとシンガポール16%、香港9%と欧米に比べて低くなっていますが、シンガポールでも香港でも、産科のベッド数が少なく空きがない、長期入院すると高額になる、風水で縁起のいい日を選びたいなどの理由で計画的帝王切開が多く、香港の私の知人は全員帝王切開で子供を産んでいました。それを考慮すれば、日本の2.6%という数字がいかに低いものかわかると思います。

               

              上記の記事では、なぜこれほど無痛分娩の出産率が低いのか、の疑問に対して「産科麻酔医が不足していることと、日本人特有の「痛みに耐えてこそ美徳」という考え方があると言われています」と回答しています。需要があれば麻酔医の数も増えるでしょうから、「痛みに耐えてこそ美徳」が先であるのは自明でしょう。

               

              どれだけお産が大変だったか、どれだけ痛かったか、という話を延々と語られた経験が私にも何度かありますが、彼女たちの多くは「これだけ大変な思いをして産んだ私」にとても満足しているようにみえました(もちろん「もうこんな痛い思いをするお産はこりごり」という人もいました)。

               

              そして「やっぱり痛い思いをしなくっちゃ本当に子供を産んだことにならない」という一部の出産経験のある女性たちの無言の圧力が、多くの未出産女性に積極的に無痛分娩を選ばせない選択をさせているような気がします(ひいては少子化の原因の一つになっていると思っています)。

               

              青野社長のインタビューによると、結婚による改姓でメリットは何もなく、デメリットばかりだったと言います。私も最初の結婚で改姓して(夫が前の結婚で婿養子として改姓して離婚したため「もう二度とあんな思いはしたくない」と譲らなかったので私が改姓)やはりデメリットしか感じませんでした。

               

              現在の夫は外国人のため改姓の必要がなく、結婚を決めた際に姓の問題でまったくストレスがありませんでしたし、子どもと私は苗字が違いますが、それで子供が不幸な思いをしたことは一度もありませんので、夫婦別姓のメリットしか感じません。

               

              逆に、もしも選択的夫婦別姓より夫婦同姓制度のほうが合理的でメリットが多いと考える人のほうが多ければ、他の国でもそうなっているはずです。これは自然分娩にも共通して言えると思います。

               

              「私がこれだけ大変な苦労をしたんだから、あなたもするべきだ」という毒母かひと昔前の姑いじめのような意識から抜け出し、「若い世代の女性たちにはこんな苦労をさせたくない」と考える女性が増えれば増えるほど、選択的夫婦別姓制度の実現性も、無痛分娩の出産率も高まるのではないでしょうか。

              | Yuriko Goto | 女性の働き方 | 18:55 | - | - |
              「食育」にみる日本とシンガポールの決定的違い
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                JUGEMテーマ:幸せなお金と時間の使い方

                 

                ■糖尿病が蔓延するシンガポールで始まった食育

                シンガポールでは2017年度予算の目玉の一つとして、国民の9人に1人、60歳以上の10人に3人が糖尿病を患う国民病撲滅のためのキャンペーンを実施中です。

                 

                40歳以上では通常100ドル(約8,300円)以上する健康診断を400円程度で提供するなどの補助、ウォーキングなど運動習慣を身につけるためのキャンペーンや、公園に大人向けの運動器具を設置するなどの施策もありますが、最も力を入れているのが食生活改善キャンペーン。

                 

                糖尿病防止の食生活改善の最大の目標は、いかに糖分の摂取を減らすかということで、テレビ番組をはじめとするメディアで炭酸飲料や菓子に含まれる糖分量の啓蒙活動をするほか、玄米や野菜、赤身肉などの摂取を増やすための工夫など、何を食べて糖尿病を予防するか盛んに宣伝しています。いわばシンガポール版「食育」というところです。

                 

                ■日本とシンガポールの食育の違い

                日本でも「食育」という言葉は以前から聞いていましたが、実際にどんなことが行われているのか今一つよくわかりませんでした。ところが、最近この本を読んで、日本の食育の実態がシンガポールとあまりにもかけ離れていることがわかりました。

                 

                 

                著者の佐光さんは、日本の食育推進の一環として国をあげて始まったのが朝ご飯キャンペーンだと言います。

                 

                「早寝早起き朝ご飯」全国協議会のウェブサイトには、当然のことながら、コーンフレークに牛乳をかけたり、トースト1枚にコーヒーといった写真は1枚も登場しない。「骨太納豆和え」「アスパラガスの味噌汁」(もちろん煮干しで出汁をとる)といったレシピが提案されている。「麺つゆ親子丼」に「ビビンバ」といった、ある程度の調理時間をとって作ることが求められる食品を朝から作って食べることが、健康によく、子どもの健全な発育に重要だといった論旨なのだ。文部科学省に至っては、朝ご飯を食べている子供は成績がよいといったデータまで提示している。

                 

                実際に同協議会の「小学生のための早寝早起き朝ごはんガイド(保護者・指導者向け)」という冊子をダウンロードして読んでみましたが、和食、洋食とも「ホップ」がご飯にふりかけをかけたりパンにジャムやチーズを載せたりしたもの、「ステップ」が味噌汁やサラダをつける、「ジャンプ」がヨーグルトや果物、目玉焼きやソテーなどさらに一品を足すといった具合で、ステップアップしていく(=さらに手間をかける)ように指導されています。

                 

                また、農林水産省の「おうちで和食」というサイトでは、著者が指摘している通り、出汁を昆布と鰹節から取ると子どもの偏食克服になるとか、エビちゃんが登場する子どもと一緒に作る和食メニューなどが登場しますが、作っているのはすべて女性と女児で、「母親が家族の健康を考えて家で丁寧な食事を作るのが当然」という価値観が前面に押し出されています。

                 

                いっぽうシンガポールのサイトでは、どのような食品をどのくらい食べたらよいか、という解説の他、ホーカーと呼ばれるシンガポール市民が頻繁に食事をする屋台で、どのようなメニューを選べばいいかという項目もありますが、「母親が食事作りによって家族の健康管理をする」というテーマはどこを探してもみつかりません。

                 

                ■「子供に手をかける」の違い

                この夏、久しぶりにある友人とゆっくり過ごしていろいろな話をしたのですが、子育ての話になったときに彼女から「もうちょっと子どもに手をかけたら?」と言われて非常にショックを受けました。

                 

                昨年までは日本とシンガポールを毎月往復する仕事をしていましたので、子供と一緒に過ごす時間こそ少なかったものの、シンガポールにいるときは毎晩夕食を作って家族で食卓を囲み、週末は家族3人でほとんどの時間を過ごします。特に今年になって学校で落ちこぼれていることが決定的になってからは、休み中は毎日数時間、ふだんの週は2〜3回、学童に早めに迎えに行って子供と一緒に勉強をしています。

                 

                私と同じく彼女もずっと働いていますが、子供は小学校からお受験をして私立の学校に通わせ、塾や家庭教師などをつけています。彼女と私の違いは、子どもの教育にどれだけお金を使っているかという点と、毎朝5時起きして作るというお弁当作りしか見当たりません。

                 

                教育に関してはシンガポールでは国民は公立学校にしか入れませんし、うちの子供はADHDのため塾や家庭教師をつけても成果が期待できないどころか、「うちでは教えられない」と断られることも多々あったため、やむなく私や夫が勉強をみています。ですので、教育に手をかけることはこれ以上できませんが、お弁当作りでいえば、確かに5時起きでお弁当作りなど考えたこともありませんし、他のシンガポール人の子どもと同じく、朝食や昼食は学校の食堂や学童の給食を食べさせています。ここに大きな違いがあるのではないかと思いました。

                 

                ■圧倒的な人気を誇る亜希さんのお弁当

                それで思い出したのが、元野球選手清原さんの元妻でモデルの亜希さんのインスタグラムです。

                 

                亜希さんは離婚後、2人の子供を引き取ってモデルの仕事をされていますが、インスタグラムのフォロワーは12万7千人と非常に高い人気を誇ります。

                 

                人気の秘密は、もちろん亜希さんのモデルとしてのセンスや自然体のライフスタイルにもありますが、投稿の約半分を占めるのが料理。その中でも一番多いのが、幼稚舎から慶応に通う2人の息子のために作っているお弁当の写真です。どちらがフォロワーの興味をより引いているかは一目瞭然で、ファッション関係の「いいね」はほとんどが4,000件〜5,000件代なのに対し、お弁当の投稿は6,000件〜7,000件代、日によっては8,000件、9,000件代の日もあります。

                 

                亜希さんに憧れているフォロワーは、明らかに「大変な境遇にもかかわらず有名私立に子供を通わせ、教育費を捻出するために自分で仕事をして稼ぎ、なおかつ、毎朝、栄養バランスを考え、心をこめたお弁当を毎日手作りして持たせている」彼女に憧れているのです(お弁当の中身は間違っても前の晩の残りものなどではありません)。

                 

                日本の食育の成果、ここに極まれり、という結果ではないでしょうか?

                 

                ■働け、産め、食育も完璧に、では女性がもたない

                このレポートによると、近年、私立小学校へ通わせる家庭がたいへんな勢いで増えており、その背景には母親の高学歴化があるといいます。また、今後共働き家庭の増加によって、さらに私立小学校への進学率が増加していくとも指摘されています。

                 

                私立学校は多くが給食がなくお弁当ですので、小学校から私立に入れれば最低でも12年間、中学からでも6年間、さらに2人以上の子どもがいればそれ以上の年月、毎朝朝食を作るのに加えてお弁当まで作らなくてはいけません。「栄養バランスを考え心をこめたお弁当」が理想とされるなら、手抜きも許されないでしょう。

                 

                結婚しても働き続け、出産後の夜泣きに耐え、保育園やベビーシッター探しに奔走して、育児時短期の周囲の冷たい眼差しにも耐え、やっと少し子どもの手が離れたと思ったら、今度は完璧な朝食やお弁当を作り続けることが求められる。ここまで期待されたら、正直、女性の身がもちません。「苦労して仕事と家庭の両立なんてせずに専業主婦になりたい」と多くの女性が願うのは、ある意味、仕方がないことともいえるでしょう。

                 

                女性が真に活躍できる社会にするためには、「食育」にみられる、このような無言の圧力と思い込みを、まず丁寧に拾い出して解消していくところから始めなくてはいけないのではないでしょうか。

                | Yuriko Goto | 女性の働き方 | 16:34 | - | - |
                「クッキーを焼く女」に嫌われた元大統領の「妻」ヒラリー・クリントン氏と 「一人前の政治家」になって叩かれる元大統領の「娘」パク・クネ大統領
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                  JUGEMテーマ:国際社会

                   

                  世界中の人々が固唾をのんで見守っていた米大統領選が終わりました。

                   

                  大方の予想に反して共和党ドナルド・トランプ氏の勝利。私的メールアカウント使用問題をFBIが訴追しないと投票直前に発表し、ヒラリー氏がトランプ氏を大きく引き離したかと思われましたが、実際には多くの選挙区で接戦が繰り広げられた末、トランプ氏が逃げ切りました。

                   

                  ■注目されなかったトランプ氏の「女性」侮蔑発言

                  トランプ氏が選挙運動中に発した冒険は枚挙にいとまがありません。アルジャジーラがまとめているこの動画では、「イスラム教徒を入国させない」とか「(メキシコ国境に壁を作って)彼らに壁の費用を支払わせる」とか「(メキシコ人は)レイピストだ」というような、まさに目が点になるような発言を重ねてきました。

                   

                  中でも私が最も驚いたのは、ヒラリー氏との第三回目、最後となったディベートの中での「なんて嫌な女だ(such a nasty woman)」の一言でした。お互いの政策について討論の最中、ヒラリー氏がトランプ氏の富裕層の減税政策について批判をした際にまだ彼女が話している最中にこの一言をトランプ氏がマイクに向かってつぶやいたのです。トランプ氏は昨年にも、共和党女性候補だったキャリー・フィオリナ氏について「あの顔を見ろよ。あんな顔に投票するか?」とコメントしています。

                   

                  さらに驚くことに、このような「女性」を対象とした個人攻撃に大きく反応したのは一部メディア(多くは女性のコメンテーター)のみで、イスラム教徒やメキシコの移民に対する暴言や、女性を口説き落とせるというビデオ流出のときのような大きな批判の嵐に発展はしませんでした。多くの面で世界トップに君臨するアメリカ大統領を選ぶにあたり、アメリカ国民はトランプ氏の女性侮蔑的発言にさほど注意を払わなかったと言ってもよいと思います。

                   

                  ■「クッキーを焼く女」に負けてクリントンになったヒラリー

                  ニューヨーク在住のジャーナリスト北丸雄二さんが、11/1のブログ記事の中でこう書かれています。

                  これは一体どういうことなのでしょう? よく言われるようにヒラリーが既成社会・政界の代表だから? 違います。だって女なんですよ。代表でなんかあるはずがない。

                  嫌う理由はむしろ彼女が女にもかかわらず、代表になろうとしているからです。ヒラリーを嫌うのは彼女が強く賢く「家でクッキーを焼くような人間ではない」からです。嫌いな「女」のすべてだからです。「女は引っ込んでろ!」と言われても引っ込まない女たちの象徴だからです。違いますか?

                   

                  ヒラリー氏がビル・クリントン氏の妻として初めて政治の表舞台に現れたとき、彼女は夫と別姓の「ヒラリー・ロドハム」と名乗っていました。そして「私はクッキーを家で焼くような女ではない」と宣言し、夫とともに積極的に政策について発言しました。当時そんなことをいう大統領候補者夫人はいませんでしたので、私も鮮明に覚えています。

                   

                  しかしその結果、夫のビル・クリントンは選挙に負け、彼女はヒラリー・ロドハム・クリントンに改名。さらには旧姓を捨ててヒラリー・クリントンになりました。「クッキーを焼く女」たちとその夫たちの反感を抑えて票を獲得するためには、「クッキーを焼く女」と同じく夫の名字を名乗る以外に選択肢はなかったのです。

                   

                  そして今回の大統領選の敗北。

                   

                  アメリカ合衆国の多くの男性のみならず多くの女性たちもまた、大統領の「妻」であったにもかかわらず、「家でクッキーを焼かない女」を自分たちの国のリーダーにすることに賛成しませんでした。

                   

                  ■トップの「娘」がトップになったときに

                  いっぽうお隣の韓国で2013年、パク・クネ氏が女性初の大統領になったとき、私はかなりの違和感を抱きました。有能な政治家らしからぬぼそぼそした物言いに加え、社会的な女性活躍度でいえば日本に負けずとも劣らない国際的低評価の韓国国民が、日本より先に初の女性国家代表を選んだからです。

                   

                  しかし最近になって、パク・クネ大統領のこの自伝を読んで「ああ、そういうことだったんだ」とたいへん納得しました。

                   

                   

                   

                  パク・クネ氏は有名なパク・チョンヒ元大統領の長女。まだ20代の若さで大統領夫人だった母を暗殺され、学者になるという夢を捨てて、急きょ母の代役で「ファーストレディー」を務めることになります。

                   

                  この間、ファーストレディーとして内政・外交の顔となるのみならず、大統領の父が提唱するセマウル(新しい村)運動や、現在問題となっているチェ・スンシル氏との関係の始まりであるセマウム(新しい心)運動の中心となって働きます。

                   

                  数年後に父も暗殺された後、クネ氏は政治の舞台からは遠ざかり、失意のうちに30〜40代を過ごしますが、40代半ばに請われて政界入り。抜群の知名度を活かしてハンナラ党代表となり、暴漢に襲われて60針も顔を縫うという試練も乗り越えて、韓国初の女性大統領となるのです。

                   

                  ところが、ここにきて俄かに勃発したチェ・スンシル氏への国家機密漏えい問題を契機に支持率が急落。一部報道では5%まで下がったといわれていますが、大統領個人や親族の汚職問題でもなく、また中国、ロシア、アメリカ、日本、そして何より北朝鮮との複雑な利害関係の中で翻弄される韓国の政治・経済をここまで何とか無難にやりくりしてきた実績をもまったく顧みられない状況で、国民のクネ大統領へのこれだけの冷酷な仕打ちにはやはり驚かされます。

                   

                  その原因もまた、ヒラリー氏と同じく、クネ氏が元大統領の「娘」から、一人の「女性」の大統領になったことによる、人々の拒絶反応ではないかと思うのです。

                   

                  ■ミソジニー(女嫌い)は男だけではなく、女にもある

                  このブログ記事には大邱の女子高生がパク・クネ氏の退陣要求集会で演説する様子が動画入りで紹介されています。

                   

                  訳文を読む限り、内容に関しては、チェ・スンシル氏事件に対する直接的非難というより、国内外問題のすべてをパク政権の失政に帰している嫌いがあります。日本でいえば、安保法案に反対するあまり、安倍政権のすべての政策にノーといっている若者のようなもので、現在の韓国国民のヒステリックな状態を象徴するようです。また、その拒絶反応の源流をたどると、女性のパク・クネ氏を自分たちが大統領に選んでしまったことへの怒りがあるのではないかと思うのです。

                   

                  両親を暗殺されても健気に生きてきた可哀想な「娘」であったパク・クネ氏が一人の自立したリーダーとなったときに受ける攻撃と、クリントン元大統領を聡明な「妻」として支えてきたヒラリー氏が「分を超えて」国家の長になろうとしたことへの米国民の明確な「ノー」には、根底に同じ種類のミソジニー(女嫌い)があるのではないかと思えてなりません。

                   

                  また、そんな否定的感情をもつのは、決して女が自分の上にたつのが面白くない男だけでなく、自分と同じ「妻」や「娘」である女が自分の上にたつことに耐えられない女ではないのでしょうか。

                   

                  「女性の敵は女性」という言葉がありますが、女性が初めて参政権を得てからまだ100年あまり。ただのポピュリズムではなく、真に国家の政治を任せられる実力と人気をあわせもつ女性トップを男性も女性も公平に判断し選べるようになるまで、まだしばらく時間が必要なのかもしれません。

                  | Yuriko Goto | 女性の働き方 | 08:58 | - | - |
                  日本の将来を救うには女性が「稼ぐ」しかない。
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                    JUGEMテーマ:国際社会

                    2016年は日本とシンガポール国交樹立50周年の年。

                     

                    日本はシンガポール建国のわずか1年後に正式に国交を結び、さまざまなサポートを行ってきた国としてシンガポールでの日本人気は高く(特に最近は旅行先としても非常に人気で、リー・シェンロン首相を筆頭に、シンガポール人観光客の訪日ラッシュが続いています)、今年はシンガポールでも文化交流を中心に記念行事が目白押しです。

                     

                    そんな中、先月末にリー・シェンロン首相をはじめシンガポール政財界の要人たちが日本を公式訪問し、安倍首相らと会談。私も訪問行事の一環として東京で開催された「日本・シンガポールの経済連携が拓く、ASEANの持続可能な成長と社会イノベーション」というシンポジウムを聴講してきました。


                    ■「失われた20年」の間に大きく水をあけられた日本

                    出典:世界経済のネタ帳

                     

                    よく知られていることですが、シンガポールの1人あたりGDPは2007年に日本を抜き、アジアトップとなっています。

                     

                    1980年半ばくらいまでは日本の経済成長の少し後をシンガポールが追いかけていましたが、86年にバブル経済が始まると急速にその差が広がり、バブル崩壊後の90年代半ばまで日本がリード。しかしその後、徐々に差が縮まっていき2007年にはついに逆転。(1ドル80円台の円高期を除き)日本がUSドルベースで90年代後半からほぼ横ばいの状態を続けているのに対し、シンガポール経済は順調に右肩上がりで成長し、2015年時では日本のバブル期以上の差が開いています。

                     

                    どうしてここまで日本はシンガポールに水をあけられてしまったのでしょうか?

                     

                    ■「資源は人しかない」は日本もシンガポールも同じ

                    日銀の黒田総裁は、金融の異次元緩和やマイナス金利の導入などの前代未聞の経済対策を行いながら、たった2%のインフレターゲットさえ3年以上たっても達成できない原因を「原油安」と「消費増税後の消費マインド冷え込み」としています。しかし、原油安はシンガポールも同じ、消費税は日本よりずっと早くに7%になっていました。ところが逆に、シンガポールではGDP拡大と同じくインフレも着実に進んでいます。(特に私がシンガポールに移住した2010年以降のインフレ率は非常に高くなっており、日本円で給料をもらってきた身としては生活がどんどん厳しくなったと実感しています)

                     

                    東京23区程度の面積しかないシンガポールですから、当然、天然資源はほとんどありません。「資源は人のみ」の条件は日本と同じである上に、極端に狭い国土という条件を加味しれば産業育成は日本よりもっと厳しいはずです。それなのにシンガポール経済が順調に成長している理由は何か? 私は「人」という資源の有効利用の仕方に違いがあるのではないかと思うのです。

                     

                    ■「女性活用」するしかなかったシンガポール

                    アベノミクスでは「女性が活躍する社会」を喧伝していますが、少子高齢化で日本の労働人口が減少する中、「働けるのに働いていなかった」女性を労働市場に投入して経済の活性化を図るのは至極もっともな話で、むしろ遅すぎるくらいの政策です。

                     

                    いっぽう、シンガポール政府は51年前の建国以来、経済成長を求めるには「女性の活用」しかないことを完璧に理解していました。

                     

                    というのも、シンガポールでは皆兵性を採用しており、男性が17歳から2年間フルタイムで、その後も予備役で10年以上にわたりパートタイムで兵役を務める社会の中で、経済成長に必要な労働力を確保するには女性を「活用する」他に方法はなかったのです。特に10代後半から20代にかけては、兵役のない女性が先に社会に出ますので、若いうちには同じ年齢でも女性のほうが先に出世するケースが多く、その現象が更に女性の労働戦力化に拍車をかけていったとも言えます。当然、政府の子育て支援や両立支援は手厚く、保育園の整備や外国人ヘルパーの導入など、女性がキャリアを中断せずに働くための環境作りを着々と整備してきました。

                     

                    つまり、男女の不平等是正や、女性の働く権利の保証などというフェミニズム的お題目とはまったく関係なく、ごくごく実務的に労働力を確保するために、女性が働きやすい、働きたいと思える環境整備をしてきたのがシンガポールなのです(逆に専業主婦世帯をサポートするような優遇政策はごく少数の低所得者層を除きほぼありません)。

                     

                    ■男性と同等に「稼ぐ」女性の存在でGDP拡大

                    その結果、建国50年後のシンガポール経済がどうなったのかは、上の表に見る通りです。

                     

                    大企業のトップからスタートアップに至るまでどんな職場にも必ず女性がいますし、性別による昇進差別という話は寡聞にして聞いたことがありません。勢い、優秀な女性の給与はどんどん上がっていきます。

                     

                    例えば、私が住むマンションの最上階、メゾネットタイプで専有面積が最も広い部屋に、私の夫の女性上司の夫婦が住んでいます。彼女は40代半ばですが、マンションの価格は日本円にして2億円近く。乗っている車はBMWのオープンカーで、COEという車の所有権価格も含め恐らく2千万円は下らないはずです(ご主人の車はベンツ)。

                     

                    どうしてこんな贅沢ができるかといえば、やはりダブルインカムで夫婦が働いているからとしか言いようがありません。この夫婦の世帯年収は恐らく4,5千万円前後と推察しますが、個人所得の最高税率が22%で2人分の年収があれば高額マンションや車など多少高い買い物もできますし、どちらかが失業したり働けなくなったときのリスクヘッジにもなりますので、貯蓄よりも消費に所得を回しやすい状況ができます。結果、「欲しいものを買う」という行動につながり、GDP拡大の好循環が回っていると思われるのです。

                     

                    実際に、うちのマンションの駐車場にはベンツやポルシェなどがひしめいていますが、それらの高級車の所有世帯はすべて共働きで、夫と同じくITや金融、不動産業界などで働く妻たちがばりばり稼いでいます。

                     

                    ■超エリート女性大臣のスピーチと日本の若手政治家の落差

                    前述のシンポジウムでは冒頭に、来賓として出席されたシンガポールのシム・アン上級大臣(文化・コミュニティ・若者省)のスピーチがありました。若干41歳の女性大臣は高校時代に留学して学んだという流暢な日本語を交えながら、具体的な数字や企業名を一つずつ挙げ、今後のシンガポールの経済戦略や日本との提携関係について簡潔かつ詳細に語りました(ちなみに彼女の学歴はラッフルズ女子高から政府奨学金でオックスフォード大学卒業、スタンフォード大学で政治修士号を取得と、絵に描いたような英才教育を受けてきたエリート政治家です)。

                     

                    あえて名前を挙げませんが、日本側ホスト役として同じくスピーチをされた自民党の若手世襲議員の話にはまったく内容がなく、数字も具体例もない、聞いていて思わず暗澹とするような内容でした。彼のような政治家ばかりになってしまえば、日本の将来はさらに悪くなるとしか考えられません。

                     

                    「稼げる」能力をもった女性を有効活用して労働生産性を底上げし、その結果、その夫婦世帯で稼いだお金を消費や投資に回して経済を循環させていく。このように政府はそろそろ、「女性活用」がどういう意味をもつのか、ということを「女性が輝く」というような曖昧な美辞麗句ではなく、もっと明確に「しっかりと稼いで消費してほしい」と表明し、そのために女性管理職のクォーター制や子育て支援など具体的な政策を実践していくことを周知するべきではないでしょうか。

                     

                    本日、専業主婦の扶養控除枠撤廃の動きが廃案になったそうですが、控除枠を103万円を150万円にするというような小手先の改革ではなく、本気で女性に頑張って働いてもらわなければ日本の未来はない、という事実を見据え、この問題について安倍首相をトップとする現政権に本気で取り組んでほしいと思います。

                    | Yuriko Goto | 女性の働き方 | 19:25 | - | - |
                    配偶者控除の撤廃分は子供あり世帯への控除に
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                      JUGEMテーマ:幸せなお金と時間の使い方

                      ■配偶者控除撤廃でも、夫婦控除では既婚者と独身者の不平等は残る。

                      自民党の宮沢税調会長が29日、日経新聞のインタビューで、配偶者控除を廃止する方向で検討していることを明らかにしました。

                       

                      記事によると、現在、年収103万円未満の配偶者控除は約1400万人に適用されており、夫の課税所得から38万円を差し引けるため、年収600万円であれば7万円程度税負担が軽くなるそうです。計画では、配偶者控除を撤廃し、夫婦共働き世帯でも一定額を控除する方向で検討しているとのこと。

                       

                      配偶者控除以外でも、専業主婦を念頭に置き、厚生年金加入の会社員の配偶者で年収130万円未満の場合、年金保険料を払わなくても国民年金保険に加入していることになる第3号被保険者という優遇措置もありますので、配偶者控除の撤廃は、専業主婦と働く女性間の税負担の不平等を軽減するという意味でたいへん意義があると思います。

                       

                      しかし一方で、共働き世帯の既婚者と独身者で控除額に差が出るのは、新たな不平等につながるのではないかという懸念が残ります。

                       

                      ■減少するパート社員、増える正社員

                      経営者ならどなたも同じ悩みを抱えているのではないかと推察しますが、団塊世代が次々と年金生活に入った現在、どの業界でも深刻な人手不足の状況が続いています。特にここ2年ほど、私の会社でも今までに経験したことがない採用難に陥っています。

                       

                      中でも最も不足しているのはパート労働者です。

                       

                      以前は、子供がまだ小さくて休みがちだったり、若干年齢が高く仕事に慣れるまで時間がかかりそうな場合など、まず扶養控除内で少しずつ働き、子供が大きくなってから、また、仕事にある程度熟練してから正社員になるというコースがよくありました。ところが、最近は、正社員とパート社員同時に求人広告を出しても、応募してくるのはほぼ正社員希望者のみ。しかも、前職ではパート社員として働いていたけれど正社員になりたい、という人が圧倒的に多いのです。

                       

                      「女性が輝く社会へ」と言わずとも、夫の給与が一時代前のように右肩上がりには上がらず、消費税や子供の教育費だけが上がっていく中、既婚女性も従来のようにパート社員として扶養控除内で働くのではなく、可能な限り働いてできるだけ稼ぎたい、という切実な声を面接中によく聞くようになりました。その結果として、私の会社でもフルタイムの新規正社員が大幅に増えているのみならず、既存社員でもパート社員から正社員になる人が増加しています。

                       

                      しかし、このように扶養控除の範囲内で働こうという女性が減少する中、共働き世帯のみが優遇されれば、新たな税の不平等が生まれる可能性があると私は思います。

                       

                      ■正社員で働いても苦しい家計の母子家庭世帯

                      実は、フルタイムの正社員の中でも、一番生活が苦しい様子がうかがえるのは母子家庭の社員です。

                       

                      平成23年度全国母子世帯等調査の概要によると、母子世帯は約124万世帯で年々増加しています。母子世帯の80%は就労していますが、平均年間就労所得はわずか181万円。また、児童手当の新設にあたり、16歳未満の子供の扶養控除が廃止されましたが、母子家庭の末子の年齢は14歳以下が70%で、平均年齢は10.7歳です。約73%が児童扶養手当を支給されているとはいえ、母子世帯の半数以上が民間の賃貸住宅や公営住宅に住んでおり、家賃負担も決して少なくありません。

                       

                      同じ給料で働いていても、夫婦2人の収入があり、母子家庭と同じ児童手当をもらえ、家賃や子供の学費も折半できる共働き世帯と違い、独身者、特に母子家庭の世帯には控除がないというのは、どう考えても新たな不公平税制となるのではないでしょうか?

                       

                      ■子供あり世帯への控除を拡充へ

                      これだけ女性が本気で働く意思を示し始めた今こそ、働く女性と専業主婦間の税の不平等は解消されるべきだと思いますし、今回、時代にそぐわなくなったと政府自身が税制改革に乗り出す姿勢は高く評価されるべきでしょう。

                       

                      ただ、未曽有の少子高齢化が進む中、少しでも子育て中の世帯を応援する意味でも、配偶者控除の撤廃分は「夫婦」世帯というより、母子家庭も含めた、子育て真っ最中の世帯への控除に振り替えるべきではないかと思います。

                       

                      子供がいないか、すでに子供が独立して働くことのできる専業主婦がいる世帯ではなく、子育てをしながら夫婦または片親で、仕事も子育ても両立しながら奮闘している世帯にこそ、真っ先に税額控除をしてほしいと納税者の1人として強く思います。

                      | Yuriko Goto | 女性の働き方 | 19:55 | - | - |
                      「もうセックスは要らない」と言い始めた若者たち
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                        『コンビニ人間』で今年、第155回芥川賞を受賞された村田紗耶香さん。

                         

                        一作前の作品が『消滅世界』です。私はふだんほとんど小説を読まないのですが、これだけはあちこちの書評や口コミで「すごい」と評判になっていたので買ってみました。優れた作家は時代を作品にすると言いますが、その通りの小説でした。

                         

                        ■「愛し合っているけどセックスがつらい」

                        この小説の舞台は「さきの戦争」が終わった近未来。思春期になると男女ともに避妊手術を施され、子供はすべて人工授精によって生まれます。結婚やセックス(「交尾」と呼ばれる)は自由ですが、結婚した夫婦のセックスは「近親相姦」として法律で禁じられ、恋人としかできません。また、「キャラ」と呼ばれる仮想人物のみを恋人としてマスターベーションで性欲処理する人が多く(主人公の世代の80%がセックスをしないまま成人を迎える)、人間の恋人をもつ主人公、雨音は友人から「よくできるわね、あんな汚いこと」と驚かれたりします。

                         

                        雨音はそんな考え方がどこかおかしいと思いながらも恋人と付き合いますが、ある日、筋肉質で肉体労働者の恋人から「とても愛しているけれどセックスがつらい」と別れを告げられ、絶望。夫婦も結婚もなく、すべての大人が「おかあさん」であり、生物学的な親から切り離されてセンターで育てられる子供は大人全員の「子供ちゃん」とする実験都市、千葉県に移住し、新しい時代の「イヴ」になっていく・・・。

                         

                        徹頭徹尾、想像を絶する設定と展開が続いていくのですが、この小説を読んだ後、作家本人のインタビュー記事を読んでさらに恐ろしくなりました。

                         

                        この本を読んでいる間、私は作者が愛やセックスを否定する世界へのアンチテーゼとしてこの小説を書いたのではなかったかと思ったのですが、実際はまったく逆でした。

                         

                        「身近な友達にも夫婦として愛し合ってはいるけれど、セックスはしたくないという人はいる。それを周りから変だ、とみられて我慢してもいる。そうやって苦しむ人がもっと楽に生きられる世界を想像してみたかった」産経新聞のインタビュー記事で、村田さんはこのように答えています。彼女は1979年生まれのポスト団塊ジュニア世代に属していますが、個人的な実感では、確かに彼女と同じくらいかそれより下の世代で、セックスレスになって悩んだり、離婚したりする夫婦、そして何よりも結婚を切実に望まない単身者が大きく増えているような気がします(男女ともにセックスレスでハッピーであれば何も問題はないですが、少子化は進みます)。

                         

                        ■アメリカの若者の性交渉に大きな異変が

                        実は、日本のみならず、アメリカでの調査をみても、若い世代がセックス離れをしている状況が出現しつつあります。

                         

                        米疾病管理予防センターが2年ごとにアメリカの高校生に対して行っている調査結果によると、性体験があると答えた学生は41%で、10年前の47%から6ポイントも下がりました。また、最近性交渉をもった者、13歳以前に性体験をした者、4人以上の性体験の相手がいる者などですべて割合が低下しており、彼らの意識が大きく変わっていることがわかります。

                         

                        この調査では実際に集計した担当者が、あまりにも以前とのギャップが激しいため「なぜこんな結果になったのかわからない。統計的問題がないかどうか次の調査時に検証したい」と表明しているほど、ショッキングな結果だったようです。

                         

                        1970年代後半から1980年代にかけて、アメリカの早熟な青春文化の洗礼を受けた私としては驚くばかりで、このような結果をもたらした根本的な原因は、『消滅世界』でも描かれたヴァーチャルな欲望処理に近い「42%が、学校の勉強と関係なくビデオやゲームなどにコンピュータを1日3時間以上使用している」状況と関連があるのではないかと思っています。

                         

                        ■オリンピック選手村で準備された45万個のコンドーム

                        いっぽうで、こちらも信じられないことが起こっているのが、現在開催中のオリンピック選手村。8月6日付のビジネスサイト、フォーブスに掲載されたこの記事のレポートです。「リオ五輪、コンドーム配布数は史上最多 1選手当たり42個」。

                         

                        この記事によると、10,500人の選手用にIOCは男女併せて45万個のコンドームを用意。前回のロンドンオリンピック(15万個)に比べても倍以上になっており、滞在期間中に42回のセックスをする計算だそうです。

                         

                        競技前のセックスが与える影響については(身体的にはほとんど影響がないそうですが)、

                        もちろん、肉体的な影響はなくとも、精神的な影響が出る可能性はある。セックスをするとリラックスして幸せな気分になるが、これは競技に向けたコンディション作りにつながるかもしれないし、逆に競技に必要な競争心や攻撃性を奪うかもしれない。場合によっては、泥沼の恋愛劇に発展することもあるだろう。また、睡眠不足もパフォーマンスに悪影響を与える要因となる。

                         

                        と記事中で釘をさしているものの、大量のコンドームを配られ、選手村自体が、「たくさんの人がセックスをしている。芝生の上や、建物の陰でも」(サッカーのホープ・ソロ)、「五輪での第2のモットーは『選手村で起きたことは絶対に口外しない』だ」(水泳のサマー・サンダース)、「イタリア人選手たちはドアを開けっぱなしにしているので、ひも状のパンツ姿で走り回る男たちをのぞき見できる」(自転車BMXのジル・キントナー)、という状況になっていれば、科学者が何を言ってもたいした抑制効果は期待できないでしょう。

                         

                        ■ヴァーチャル世界と現実世界の乖離がこれからの人間の進化に重要な影響を与える?

                        最近、この記事のようにコンピュータゲームは学校の成績を上げる、というような研究成果が立て続けに発表されています。

                         

                        今後、職業生活において加速度的にITの知識や技術が重要になってくるのは確実ですし、次世代IT社会のキーファクターになると注目されているAI(人口知能)を使いこなすためにも、ゲームに限らず子供時代からコンピュータと共生していく生活は避けられないでしょう。しかし、そうすることにより、人間が本来もっているはずの生殖欲求や、恋人や家族など特定の他者と深く関わりたいというコミュニケーション欲求に陰りがでてきているように思えてなりません。逆に、個のもつ肉体の能力を極限まで引き出そうとする世界レベルのアスリートたちの間で、爆発的ともいえる性的な開放が起こっている事実は、時代の共振性が正反対の方向に働いているのではないかと感じるのです。

                         

                        最近、進化や突然変異というのはこれまで考えられていたよりもっと短いスパンで起こるという説があるようですが、性にかかわるこれらの現象をどう解読するのか、ぜひケン・ウィルバーあたりに聞いてみたいものです。

                        | Yuriko Goto | 女性の働き方 | 12:09 | - | - |
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