ASIAN NOMAD LIFE

日本、香港、中国で生活・仕事をしてきてシンガポール在住7年目。
組織のDNAを変えるには 〜 香港フィルにみる再生の軌跡
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    ■予想を裏切られた20年ぶりの香港フィルの演奏

    シンガポールでも連休となったメーデーの今月1日、香港フィルハーモニック・オーケストラのシンガポール公演に行ってきました。(その前週は29年ぶりの日本公演に続き韓国、今週はオーストラリアと遠征しているので同じ演目で聴かれた方もいらっしゃるかもしれません)

     

    香港で暮らしていた1994年夏から97年末までの3年半、「香港フィル友の会」のメンバーになり、週末にはせっせとセントラルのシティ・ホールやツィムサチョイのカルチュラル・センターで開かれるコンサートに通っていたので、20年ぶりにこの昔馴染みのオーケストラの演奏を聴けると、たいへん楽しみにこの日を待っていたのです。

     

    そして、当日。

     

    私の予想は完全に裏切られました。

     

    しかし、良い方にです。20年ぶりに聴いた香港フィルの演奏は、同じ交響楽団とは思えないほど素晴らしいものだったのです。

     

    そう感じたのは私だけでない証拠に、マーラー交響曲第一番の演奏終了後、会場の聴衆の大部分が立ち上がり、いつまでも拍手を止めませんでした。香港フィルの公演でこんなふうに熱狂する聴衆を見たのは初めてですし、地元シンガポール交響楽団の定期公演でも経験がありません。強いて言えば、五嶋みどりさんがシンガポール公演でバッハのソナタを弾いて以来ではないかと思います。

     

    それほど感動的な演奏を香港フィルが聴かせてくれたのです。

     

    ■香港フィルの歴史と迷走の12年

    香港フィルは香港経済の発展と足並みをそろえるかのように、1974年に正式にプロ楽団として発足しました。当時はまだ英国領で、音楽監督にインドネシア系華人リム・ケッジャン氏を迎えてシティ・ホールで開催された初公演には当時の香港総督も足を運んだそうです。

     

    (余談ですが、私が香港に住んでいたときの香港フィル公演では香港最後の総督クリストファー・パッテン氏を見たことがありますし、シンガポール交響楽団の公演では実業家のジム・ロジャーズ氏や故ネイザン大統領もみかけました。実業家や政治家の有名人に会ってみたい人は、その土地の交響楽団の公演に出かけるのがお薦めです)

     

    設立当時は世界から著名な演奏家を招聘する資金もなく、「世界的ヴァイオリニストのイザーク・パールマンを呼びたかったが高すぎてギャラが払えず、思案の上『ギャラは規定しか払えないが、来てくれたら世界最高の中華料理を御馳走する』というオファーをしたところ2回も来てくれた」というエピソードまであるほど。

     

    できたばかりの無名オーケストラの道は厳しく、指揮者や経営責任者が次々と辞めて安定せず、1981年には招聘された華人系アメリカ人音楽監督に反発した62名の楽団員が罷免を要求する署名を集める事件が発生。1984年には米国人のシャーマーホーン氏が就任するまで3年間音楽監督が不在という異常事態となりました。

     

    しかしその後、シャーマーホーン氏の時代に中国や北米をはじめ海外遠征を行うなど中堅オーケストラとしての地歩を固め、英国人デヴィッド・アサートン氏が11年にわたって音楽監督を務めた期間にはアジアでも有数のオーケストラとしての評判を確立します。

     

    私が香港フィルを聴いていたのもこの頃。正確でスピーディーな演奏が持ち味で、安心して演奏を聴いていられました。外国人と香港人とではまだまだ外国人割合が多く、1997年の香港の中国返還前後にはさまざまな式典やコンサートに引っ張りだこで、出ずっぱりだったのをよく覚えています。

     

    ところが、2000年に初の香港生まれの音楽監督として期待されたサミュエル・ウォン氏が着任後、香港フィルは未曽有の危機を迎えます。

     

    中国政府の政策により、楽団設立以来スポンサーとなってきた香港政庁のアーバン・カウンシルが解体されて余暇文化サービス庁となった結果、理事会メンバーが総入れ替えとなり、アジア経済危機も相まって予算は大幅カット。団員の待遇改悪に手をつけ、強制解雇にも及ばざるをえない事態となりました。

     

    その結果、楽団員は次々と辞めていき、理事長も退任。チケット売り上げも漸減していきます。そんな中、理事会メンバーが再度入れ替わり、サミュエル・ウォン氏はわずか5年で香港フィルを去ることとなりました。

     

    次の8年を担当したオランダ人音楽監督エド・デ・ワールトは、著名な「オーケストラ・ビルダー」であり、プロチームを率いてぼろぼろになった楽団再建の望みをかけられて就任したものの、彼の在任期間にも事務局長が4人交代、コンサートマスターが3人交代など異常事態が続きます。

     

    そして2012年に現在の音楽監督であるオランダ人、ヤープ・ヴァン・ズヴェーデル氏が就任。ここにきてやっと団員やマネージメントの入れ替わりがなくなり、再び安定期を迎えるのみならず、アジア随一の交響楽団として飛躍のステップを踏み出したのです。

     

    ■「香港フィルをアジアのベルリン・フィルにする」と断言したズヴェーデルと香港フィルに残った楽団員

    香港フィルの歴史の中で、ズヴェーデル氏の期間を除き唯一の安定期ともいえるアサートン氏の音楽監督期間に私は香港フィルの演奏を聴いていたわけですが、この時も「プロ楽団」としての技術基準はクリアしていたものの、音楽にかけるパッションや理解といった一流の交響楽団に不可欠な素養をあまり感じることはありませんでした。

     

    一番印象に残っているのは、曲目が終了後、聴衆の拍手が一段落するのを待ちかねたようにさっと椅子から立ち上がり、燕尾服の裾を翻して楽屋に戻っていく団員たちの姿です。年間150回以上もの数のコンサートをこなす超がつくほど勤勉なオーケストラならではかと当時は思っていましたが、今振り返ると、音楽は彼らにとってプロとしてこなしていくべき「職業」であり、それ以上でもそれ以下でもなかったのではないかと思います。

     

    当時、唯一そのような姿勢を感じなかった楽団員が、チェロのリチャード・バンピングとクラリネットのジョン・シャートルで、彼らがソロパートを弾いたショスタコーヴィチの「チェロ協奏曲第一番」と、ドボルザークの「新世界より」の演奏は今でも思い出せるほどです。今回、20年前のメンバーをプログラムやネット探してみたところ10人もいなかったので驚きましたが、この2人は激動の時代も楽団を辞めることなく、香港フィルで音楽を続けていました。

     

    このようにもともとパッションを抱いて楽団に残り続けたほんの一握りの楽団員と、香港フィルの伝統も歴史も知らない新しい楽団員の寄せ集めの交響楽団にやってきたのがズヴェーデル氏でした。

     

    彼にも、10年以上にもわたり迷走を続けてきたこの楽団を正しい軌道に戻すのが用意な仕事でないことはわかっていたはずです。しかし、就任直後のインタビューでズヴェーデル氏は「香港フィルをアジアのベルリン・フィルにする」と宣言しました

     

    長年の内紛と相互不信、追い打ちをかけるような超過密スケジュールと「売り上げを上げろ」というマネージメントからのプレッシャー。疲弊に疲弊を重ねたメンバーの前に、ズヴェーデル氏が掲げたのは、「世界最高峰をめざす」という目標でした。正直なところ、プロとしては二軍どころの交響楽団だった香港フィルに「君たちは一流になれる」という希望をまず指し示したのです。

     

    そして、その夢を実現できるだけの具体的な方法論を彼はもっていました。

     

    19歳のときからオランダの交響楽団のコンサートマスターとして長く演奏家活動を行ってきたズヴェーデル氏は、指揮者としてだけではなく、団員の1人1人が演奏家として何をすべきかということを非常によくわかっているのではないかと思います。それは今回の交響曲の演奏を聴いていても明らかでした。それぞれのメンバーに個性的な音を奏でさせつつ、それをまとめたときに最大の音のパフォーマンスを引き出すことに大変長けていたのです。

     

    そして最後に、最も重要だったのは恐らく、「情熱のない」楽団員が去った後に彼が就任したことです。

     

    どれほど素晴らしいリーダーとやる気にあふれたメンバーがチームにいても、過半数のメンバーが無気力で後ろ向きで不平不満ばかり言っていたら、その組織が成功を掴むことは絶対にできません。それどころか、新たにやる気のある人が入ってきても「朱に染まれば赤くなる」式に、情熱は長続きせず無気力に流されていくでしょう。それほど人間は弱く、易きに流れるものなのです。

     

    香港フィル再生はこの3つが完全に揃ったときに初めて実現したのではないかと私は思います。

     

    ■最も大事なのは「情熱

    チームのリーダーになるにしても、メンバーになるにしても、最も大切なのは、パッション、つまりその仕事にかける情熱です。

     

    その情熱は結果となって表れ、ビジネスであったらクライアントや消費者を、音楽であったら聴衆を魅了し、感動させます。逆に、感動ができない、魅了されない商品やサービスをいくら作っても、相手に受け入られないばかりか、自分自身をも疲弊させて無気力の負のスパイラルに陥ってしまうだけでしょう。

     

    プロとして、職業人として、仕事とは何か、その仕事の中で自分は何をすべきなのか、を改めて考えさせてくれた香港フィルのコンサートでした。

    | 後藤百合子 | 企業経営 | 14:45 | - | - |
    ユナイテッド航空の再発防止策
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      JUGEMテーマ:ビジネス

       

      オーバーブッキング時に降機を拒否した乗客を引きずり出したユナイテッド航空のCEOから、再発防止策がメールで送られてきました。全文は下記の通り。

       

      対策内容を要約すると、

       

      ・乗客を降機させるために警察などの法執行機関の介入をやめる。

      ・一度乗機した人には降機を求めない。

      ・自主的にフライトをあきらめてくれる人への謝礼を1万ドル(約110万円)まで引き上げる。

      ・チェックイン荷物紛失の場合、煩雑な手続きを省き、「何も聞かずに」1,500ドル(約165,000円)を実行する。

      ・従業員向けのアプリを開発し、何か問題が起こった場合は、その場でマイルや旅行クレジットや粗品などの対応をする。

       

      だそうです。

       

      「クレームにはとにかくマイルを出す」とユナイテッド航空のクレーム担当者が言ってたというのを、別の航空会社のクレーム担当から聞いたことがありますので、ユナイテッド航空らしい対策といえば対策。逆に、「オーバーブッキングをなくす」(=客席消化率が下がって利益が減る)という方向にはいかないのか、というのが率直な感想です。

       

      これが企業文化というものなんですね。

       

      ただ、問題発生から1か月もたたないうちに、これだけのことをきちんと決めて全世界の顧客に提示する、という断固とした姿勢は評価できます。これもやはり企業文化と言えるでしょう。

       

      Dear Ms Goto,

      Each flight you take with us represents an important promise we make to you, our customer. It's not simply that we make sure you reach your destination safely and on time, but also that you will be treated with the highest level of service and the deepest sense of dignity and respect.

      Earlier this month, we broke that trust when a passenger was forcibly removed from one of our planes. We can never say we are sorry enough for what occurred, but we also know meaningful actions will speak louder than words.

      For the past several weeks, we have been urgently working to answer two questions: How did this happen, and how can we do our best to ensure this never happens again?

      It happened because our corporate policies were placed ahead of our shared values. Our procedures got in the way of our employees doing what they know is right.

      Fixing that problem starts now with changing how we fly, serve and respect our customers. This is a turning point for all of us here at United – and as CEO, it's my responsibility to make sure that we learn from this experience and redouble our efforts to put our customers at the center of everything we do.

      That’s why we announced that we will no longer ask law enforcement to remove customers from a flight and customers will not be required to give up their seat once on board – except in matters of safety or security.

      We also know that despite our best efforts, when things don’t go the way they should, we need to be there for you to make things right. There are several new ways we’re going to do just that.

      We will increase incentives for voluntary rebooking up to $10,000 and will be eliminating the red tape on permanently lost bags with a new "no-questions-asked" $1,500 reimbursement policy. We will also be rolling out a new app for our employees that will enable them to provide on-the-spot goodwill gestures in the form of miles, travel credit and other amenities when your experience with us misses the mark. You can learn more about these commitments and many other changes at hub.united.com.

      While these actions are important, I have found myself reflecting more broadly on the role we play and the responsibilities we have to you and the communities we serve.

      I believe we must go further in redefining what United's corporate citizenship looks like in our society. You can and ought to expect more from us, and we intend to live up to those higher expectations in the way we embody social responsibility and civic leadership everywhere we operate. I hope you will see that pledge express itself in our actions going forward, of which these initial, though important, changes are merely a first step.

      Our goal should be nothing less than to make you truly proud to say, "I fly United."

      Ultimately, the measure of our success is your satisfaction and the past several weeks have moved us to go further than ever before in elevating your experience with us. I know our 87,000 employees have taken this message to heart, and they are as energized as ever to fulfill our promise to serve you better with each flight and earn the trust you’ve given us.

      We are working harder than ever for the privilege to serve you and I know we will be stronger, better and the customer-focused airline you expect and deserve.

      With Great Gratitude,

      Oscar Munoz

      Oscar Munoz

      | 後藤百合子 | 企業経営 | 12:21 | - | - |
      「好人物」経営者が辞めるとき〜ローソン玉塚CEO引退にみるボトムアップ経営の限界
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        きちんと刈り揃えられた短髪。

        ラグビーで鍛えあげた長身にすっきり着こなしたダークスーツ。笑顔からこぼれる真っ白な歯。

        言葉を慎重に選びながらも、率直で嫌味のない受け答え。

         

        ローソンの玉塚CEOを一目見て好印象をもたない人はいないのではないでしょうか? その証拠に、これまで玉塚氏は現在の日本を代表する経営者たちに人柄を見込まれ、経営を任され、実業界の表舞台を歩いてきました。

         

        ■数々の有名企業の経営を任されてきた玉塚氏の経営者人生

        玉塚氏の名前が一躍全国区になったのは、ユニクロブランドで知られるファーストリテイリングの社長を任せられた時。しかし、残念ながら志半ばで退任。そして今回もまた、「永遠の好青年」玉塚氏は、業界再編の渦中にあるコンビニ業界3強の一角、ローソンCEOの職を辞することになりました。

         

        引退発表に先立つ3月、玉塚氏はダイヤモンド・オンラインで4回にわたりこれまでの経営者人生を振り返られていました

         

        この連載の中で彼は、証券会社の家業を父の代で失い、捲土重来を期して自分自身が事業を興そうという思いをずっと抱いてきたと告白しています。幼稚舎からの慶応ボーイという経歴ながら、心の中では「このままでは終わらない、いつかきっと」という闘志を密かに燃やし、大学卒業後メーカーに就職するも熾烈な勉強を重ねてMBA留学。そしてユニクロの創業者柳井氏との出会い・・・。

         

        丁稚になるつもりで入社したというファーストリテイリングで柳井氏に見込まれ、2002年には社長に就任。就任時にはどん底に陥っていた売り上げを回復させたものの目標には到達せず、わずか3年で辞任することになります。しかし、当時の一般の受け取り方とは異なり、柳井氏とはまったく確執のない、互いに納得しての社長退任でした。

         

        辞任後もすぐに複数の会社の取締役に就任し、翌年にはファストリ時代からのパートナーだった澤田貴司氏と設立した会社、リヴァンプの事業の一環としてロッテリアのCEOに就任。ここでも一定の成果を上げたものの、4年後の2010年には契約解消。リヴァンプの資本も引き上げます。

         

        さらにその年の秋には三菱商事出身で、当時ローソンCEOだった新浪剛史氏に乞われてローソン顧問就任。2011年には副社長に取り立てられ、2014年には新浪氏のサントリー転任を受けて社長に。そしてまたその3年後の今年、ローソンが三菱商事の子会社となったことを機に退任を決めたといいます。

         

        さっと経歴を振り返っただけでもプロ経営者としてそうそうたる企業の経営に携わってこられたことがわかりますが、同時に、どの会社も数年で志も業績も半ばのうちに辞めざるをえない状況に追い込まれており、毀誉褒貶の激しい経営者人生と断じざるを得ません。

         

        ■下剋上時代のボトムアップ経営には限界がある。

        ダイヤモンド・オンラインの連載や、今回の引退記者会見の記事などを読んで感じる玉塚経営の真髄は、ビジネススクールで教えられているような「教科書通りの経営方針」と、社員やフランチャイザーなどのステークホルダーとのコミュニケーションを徹底的に行った上での「ボトムアップ経営」であると思います。

         

        加盟店側からも「玉ちゃん」と呼ばれ人気もあった。地方のローソンの視察に行くと「玉ちゃん」の周りには店長や従業員が自然と集まってきた。高級スーパーの成城石井も買収し成長戦略の基礎も築いたほか新浪ローソン時代の拡張路線も一部、修正して社内と加盟店をまとめてきた。 http://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ12HEJ_S7A410C1000000/

         

        部下や取引先に誠心誠意耳を傾け、やるべきことを一つずつきちんと行い、決して派手ではないものの着々と順序だてて物事を進める。このような玉塚氏の経営手法は、進むべき方向があらかじめ決まっていて、足元をしっかり固める時期には非常に有効であると思います。

         

        しかし、まだ成長途上にはあるものの成熟期を迎える中、3強による業界再編が進み、業界の先駆者、セブンイレブンの鈴木氏が引退に追い込まれるなど、コンビニ業界全体が熾烈なサバイバル競争を繰り広げる中、昨年には筆頭株主の三菱商事から社長を送り込まれ、今年2月にはローソンが三菱商事の子会社に。この時点で玉塚氏は引退を決めたと言われます。

         

        ――2015年からは「1000日実行プラン」と銘打った改革を実行してきた。その成果を見届けてから、退任する選択肢もあったのでは。

         

        正直、迷った。ただ、強い組織というのは、強いトップダウンと強いボトムアップがぶつかる組織だと思う。竹増社長は強いトップダウンの素養があるし、この3年でものすごく成長された。これから先、私も意見を言って、竹増さんも意見を言ってしまうよりは、シンプル化した方が組織として健全だと思った。 http://toyokeizai.net/articles/-/167538?page=2

         

        志半ばで自ら引退表明せざるをえない状況に追い込まれた無念さが言葉尻ににじみ出ている反面、CEOの座にしつこくこだわったり、執着したりすることがない玉塚氏の素直さ、性格の良さがよくわかるコメントだと思います。

         

        ■これからの時代に求められる理想の経営者とは....?

        もし私がユニクロやローソンの社員や加盟店の店主であったなら、玉塚氏は思い描ける限り最高の、理想の経営者だと思います。

         

        決して一方的に無理な要求をつきつけてくるようなことをせず、どんな些細なことにも穏やかに耳を傾け、チームワークを大切にして地道に着実に結果を出していく。3年前の社長就任時、玉塚氏は「これからは”みんなのローソン”にしていく」と語ったそうですが、「自分が、自分が」というリーダーではなく、「ともに作っていこう」と呼びかけるリーダーに対して、「この人と一緒にやっていこう」と共感した社員や加盟店店主は決して少なくないと思います。

         

        しかし、逆に、自分が株主であったらこのような経営者をどう思うでしょうか?

         

        確かに社員もフランチャイザーも大切な経営資源です。経営状況が安定期に入っていて低成長でも当分は今走っている路線を手堅く守っていけば相応の利益が見込まれるとなれば、株主はボトムアップ型の経営者も支持するでしょう。

         

        ただ残念ながら、現在のローソンも、当時のファーストリテイリングもそのような幸運な時期にはなく(どんな会社でもたいていはそんな時期は長続きしませんが)、下剋上の生存競争の真っただ中にありました。そんな時期に会社を存続させるために求められる経営者とは、確固としたビジョンをもち、どんな障害にも負けずにトップダウンでそのビジョンを素早く実行して結果を出していく「強い」経営者であり、そのような経営者像こそ、身銭を切ってその会社に投資している株主が待望するものなのです。

         

        そして会社は、「株主のもの」であり、経営者を選ぶ最終的な決定権は株主にあります。

         

        玉塚氏はこれまでの実績を拝見しても非常に優秀な経営者であり、あるべきリーダーの姿を体現しておられる、心から尊敬できる人物だと思います。

         

        しかし、反面、玉塚氏のようなタイプの経営者がこれから産業革命以来の大変革を迎えるであろうビジネス界で果たして株主に選ばれ続け、活躍していける場があるのかどうか? ひいては、MBA経営者へのニーズ自体への変化が出てくるのではないかと、今回の玉塚氏引退の一部始終を見ていて強く感じました。

        | 後藤百合子 | 企業経営 | 01:02 | - | - |
        「労働生産性の向上=時間あたりの生産効率の向上」という議論の誤謬と「付加価値額」増加から考える新しい労働生産性の考え方
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          JUGEMテーマ:ビジネス

           

          ■「労働生産性」に関する考え方の根本的な誤り

          (財)日本生産性本部の「2016年度版労働生産性の国際比較によると、2015年の日本の時間あたり労働生産性は、42.1ドル(4,439円/購買力平価(PPP)換算)で、OECD加盟35か国中20位、ニュージーランド(41.0ドル)をやや上回るものの、米国(68.3ドル)の6割強程度しかないそうです。ちなみに、第1位はルクセンブルクの95.0ドル(10,006)で、日本の2.3倍もあります。

           

          また、就業者1人当たりでみた日本の労働生産性(就業者1人当たり名目付加価値)は、74,315ドル(783万円/購買力平価(PPP)換算)で、順位はOECD加盟35カ国中22位。やはりニュージーランド(72,109ドル/760万円)をやや上回るものの、カナダ(88,518ドル/932万円)や英国(86,490ドル/911万円)といった国を大きく下回っています。

           

          この数字はいったい何を意味するのでしょうか?

           

          「労働生産性の向上」というと、すぐに「無駄な残業時間の削減」や「時間あたりの生産高の向上」が議論されますが、時間あたり労働生産性だけでなく、1人あたり労働生産性もこれだけ低いとなると作業効率はほぼ関係ありません。いくらルクセンブルグ人が優秀だといっても、まさか時間あたり日本人の2.3倍の仕事量をこなせるとは誰も信じないでしょう。

           

          また、このレポートで「統計で遡れる1970年以来、主要先進7カ国の中では最下位の状況が続いている」「2010年代に入り、日本の労働生産性水準は米国の6割強で推移。1990年には米国の34近い水準だったが、2000年代に7割前後に低下し、近年まで緩やかに差が拡大する状況が続いている」と分析しているのも非常に問題の根が深い指摘だと思います。

           

          ■労働生産性向上の手法は時代の変遷によって変化する。

          では、なぜ日本人の労働生産性はこれほど低いのでしょうか?

           

          私は、労働生産性向上の議論に見られるように、日本人の多くがまだ、一時代前の「時間あたり生産効率を上げて生産コストを下げ、安く販売する」という成功モデルに囚われていることに最大の原因があると考えています。

          1人あたり労働生産性=付加価値額/労働者数

          付加価値額=売上高−人件費を除いたコスト(生産、仕入れ、減価償却、租税公課等)

           

          付加価値額や労働生産性の計算式はどれを採択するかによって少しずつ違いますが、だいたいこのようなものです。そして従来の議論では、「生産効率を高める=コストの削減」は議論されても、「売上高を上げる」という方法についてはほとんど議論されてこなかったのが実情です。

           

          20世紀にフォード型のライン方式やトヨタ型のカンバン方式でコストを下げる議論をしていたときならまだしも、21世紀の現在、「モノ」ではなく「情報」が主役に躍り出た時代にいかにも時代遅れの議論をしているように私には思えます。

           

          ■ある100年企業の変遷に見る付加価値額の確保方法

          それをはっきりと物語るのが、私が昨年10月まで社長をしていたある小企業の付加価値額確保方法の変遷です。

           

          この会社は私の曾祖父が大正5年に創業。当時は第一次世界大戦の最中でヨーロッパで日用品の生産ができなかったことから、ヨーロッパ向けに靴紐を作って輸出することからスタートしました。

           

          こちらは昭和9年の新聞に掲載された曾祖父のインタビュー記事

           

          曾祖父が語っているように、当初は東京の会社の下請けとして安い田舎の労働力を使って靴紐を作っていましたが(ヨーロッパに比べて安い製造コスト)、最初は長い紐の状態で販売していたところ、靴紐の長さに切ったり、その先に金属のチップをつけたりするとより高く売れることがわかり、別の商社に営業して販売先を変え、付加価値額を上げます。

           

          その後、祖父の代になると、今度は商社を介さず、横浜と神戸に支店を構えて直接輸出を始めるようになります。すると今度は商社が販売していたのと同じ値段(または若干安く競争できる値段)で売れるようになりますが、製造コストは変わりませんので、付加価値額は当然上がります。

           

          太平洋戦争をはさんで戦後の高度経済成長時代に経営にあたった父の代になると、今度は本格的なコスト削減=生産効率の向上が始まります。これまで住宅地にあった工場を人がいない畑の中に移し、24時間無人で工場を稼働させ、また生産効率のよい機械設備もどんどん導入して、これまでの数倍の生産高にしたのです。

           

          しかし、従業員数はそこまで増えませんので当然、1人あたりの労働生産性は上がり、従業員がいない夜間も稼働するわけですから時間あたりの生産性も上がります。一度に大量に作って販売すれば、それにかかる間接費も削減できますので、競合他社と比較して安い価格で売ることもできました。それでもなお、高い付加価値額と労働生産性を確保し、設備投資に余剰金を回すことができました。

           

          しかし1998年、私が経営に着手したときには、「作れば作っただけ売れる」という時代は終焉を迎えていました。当時の中国の工員さんの月給は約4,000円。対してこちらの社員の月給平均は20万円近くでした。父の代に相当な設備投資をし、製造コストに占める人経費割合が5割を切っていたとはいえ、いかんせん人件費が違いすぎます。また、日本製原料と中国製原料、及び外注加工費の差もあり、どんなに頑張っても価格差が縮まらず、あれよあれよという間に注文は中国に流れていき、倒産の危機に直面しました。

           

          そこで私がとった戦略は主として2つです。

           

          1つは徹底的なコストダウン。これまでの設備をさらに拡充して生産高を最大にし、もう一方で原料を中国より安いアジア諸国から直接買いつけて原料コストでも優位性を確保しました。この結果、一部の商品で中国製品と競争できるくらいまで販売価格を下げることができ、間接輸出額が大幅に増加しました。販売価格こそ低いものの販売数量が飛躍的に伸び、減価償却などの固定費や間接費は変わりませんので、その分付加価値額がプラスになりました。

           

          もう1つは「オンリーワン商品」の開発です。オンリーワン商品は競合他社が販売していない(販売できない)商品ですので、顧客に価格選択権はありません。そこで、高い粗利が取れる価格で商品を販売し、付加価値を高めました。もちろん開発した商品が全部売れるわけではないので大変でしたが、コストに比べ販売単価が大幅に高いので付加価値額が飛躍的に増えたのです。

           

          そして現在。次の世代に経営を譲りましたが、これからの付加価値額及び労働生産性向上の鍵になるのは、単なるモノではなくそのモノを所有することによって得られる消費者の満足感を徹底的に追及すること、および情報技術を使って販売機会を最大限拡大することにかかっていると思います。

           

          つまり、労働生産性の問題とは、人事・総務の問題ではなく、企画・営業・販売、ひいては経営戦略の問題なのです。

           

          ■労働生産性の王者はアップル

          このことを端的に表わしているのが、アップル社です。

           

          i-phoneをはじめとするアップル社の製品は、どれも競合他社とすることは同じです。電話をしたりネットにつながったりビデオを観たりすることは安いアンドロイド端末でも十分できます。しかし、多くの人は安物のアンドロイド端末(i-phoneと同じ中国製です)ではなく、その10数倍ものお金を払って最新のi-phoneを買うのです。

           

          安いアンドロイド端末を作るのもi-phoneを作るのも、(多少はいい材料を使っているかもしれませんが)たいして製造コストは変わりません。十数倍ものコストの違いは絶対に出ません。また、従業員数が十数倍になることもあり得ません。つまり、アップル社の社員の1人あたり労働生産性は、安価なアンドロイド端末のメーカーに比べ数倍も労働生産性が高くなる可能性があるということになるのです。

           

          これこそ、冒頭に紹介したアメリカと日本の労働生産性の差が開きつつある最大の原因ではないでしょうか?

           

          ■どうやって付加価値額を上げるかをもっと真剣に考えるべき。

          ホワイトカラーの労働生産性を上げる、という場合、ムダな残業を削減して効率よく仕事するという議論にはもちろん全面的に賛成します。

           

          しかし、これまでと同じ仕事をしてただ早く帰ればいい、というのでは時間あたりの労働生産性は上がるかもしれませんが、1人あたり労働生産性は上がりません。そこが上がらなければもちろん給料も上がりませんし、デフレからも脱却できないでしょう。

           

          もちろん、日本にもキーエンス、ファナック、浜松ホトニクスなど、それぞれの分野で他社の追随を許さない独自の技術をもち、非常に高い世界的シェアを誇る会社はいくつもあります。しかし、残念ながら、総労働者数や総企業数に対してこのように高付加価値額を稼ぎだすことができる企業の数が少なすぎるのが現状なのです。

           

          シャープの鴻海への身売り、東芝の経営危機をはじめ、これまで日本を代表してきた名門日本企業が次々と経営難を迎える中、これからの日本経済をどうやって持続させていくかを考えるとき、もう一度原点に立ち返って、付加価値額を上げ、労働生産性を高める方策を国民レベルで議論していくことが重要なのではないでしょうか。

          | 後藤百合子 | 企業経営 | 17:09 | - | - |
          なぜ社長は辞められないのか?
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            JUGEMテーマ:ビジネス

            ■自分から辞められない経営者たち

            今年はセブン&アイ・ホールディングスの鈴木敏文会長の解任、ソフトバンクグループの孫正義社長の引退撤回と、経営者の進退問題が話題になりました。また、それ以前であれば、大塚家具の父娘の社長の椅子争い、ファストリテイリングの柳井社長の社長復帰など、辞められない経営者たちの例は枚挙にいとまがありません。

             

            名経営者たちが事業承継を考えながらも、なぜ「辞められない社長」になってしまうのか? 彼らには遠く及ばないものの、私もつい2日前に後継者に社長のバトンを渡して退任し、彼らの気持ちが痛いほどよくわかりましたので、少しまとめてみたいと思います。

             

            1.社長には辞める自由がない

            「こんな会社もう辞めてやる!」と思ったことのないサラリーマンは恐らくいないのではないでしょうか? 

             

            私も会社員を何度か経験しましたが、就業中、辞めたいと思ったことは何度もあり、実際に辞めました。経営者になっても同じで、専務時代には何度もそう社長に言ったこともあります(その結果、「そこまで言うなら自分で社長をやれ」と言われて社長になったのですが・・・)。

             

            しかし、自分自身が代表取締役になって初めて気がついたのは、「社長には辞める自由がない」ということです。 数年単位で社長が交代するのが当たり前のサラリーマン社長や、強制的に事業を停止せざるをえない倒産を別にして、定年がない社長業を辞めるには、廃業にしても、事業承継にしても、自分が辞める前に長い時間をかけて準備をしなければなりません。当然その間は辞められないわけですから、衝動的に辞めたいと思っても辞めるまでの期間はやはり事業を続けるための気力と努力が求められます。

             

            まして銀行の借り入れがあれば、(上場企業を除き)ほとんどの社長が個人保証をしています。返済のめどがたたないまま社長を辞めてしまったら、会社の借金を一生かかって返す人生が待っている可能性は低くありません。

             

            このように「辞められない」状況で長年働いていると、社長の辞書からはいつの間にか「辞める」という文字が消えてしまいます。「とにかく自分が責任をもって事業を続けるしかない」という使命感のようなものが長年の社長生活の間に体にしみついてしまうのです。

             

            2.後継者との力量の差に我慢できない

            どれだけ権限を委譲していても、どれだけ優秀な後継者候補がいても、社長とナンバー2以下の取締役及び社員が決定的に違うのは、最後に決断をし、その責任をとるのは社長以外にいない、ということです。

             

            私は16年間社長を務めましたが、その間、文字通り一時も気が休まることはありませんでした。営業、生産、人事、財務など、すべての分野でごくごく細かいことまで「あれはどうなってるんだろう?」と夜中に気づいてメモをし、翌朝一番にチェックするのは日常茶飯事。休暇をとって旅行に行っても、会社のことが頭から離れたことは一度もありません。

             

            こういう生活を長年続けていると、社長の力量は当然、上がっていきます。逆に、ナンバー2以下がどれほど優秀だとしても、この立場からくる差は決して埋めることができないのです。その結果、長い目で後継者を自分が育てているつもりでも「自分だったらこうするのに」という気持ちがむくむくと社長の心の中に湧き上がってきます。そして「やっぱり自分でなければこの会社を続けていけない」という結論に往々にして至ってしまうのです。

             

            3.会社に対する思いが断ち切れない

            社長にとって、苦労しながら育ててきた社員たち、自社製品やサービス、オフィスや生産設備、そして敷地内の植木の1本1本に至るまで、会社に関わる全てのことは自分自身の人生と重なります。

             

            大切な社員が一人前になるまでにぶつかりつつ、励ましつつ共に働いた日や、ヒット商品を生み出すまでに重ねた苦労と失敗、不安を感じながらも背伸びをして借り入れで購入してきた社屋や機械など、会社には社長の脳裏にその時々の記憶を鮮やかに蘇らせてくれる人や物があふれています。

             

            自分が社長の座を降りるということは、それらすべてが後継者のものになること。大塚家具の例でもわかるように、自分の遺伝子をもつ息子や娘でもなかなかできないのに、ましてや血がつながらない後継者(私の場合も後継者は他人です)をいくら信頼し、期待していても、会社を渡すことは自分の人生を失ってしまうような感覚につながるのです。

             

            ■辞めるためには退路を断つしかない

            冒頭に挙げたような名経営者たちは、自分が永遠に社長を続けられないこと、いつかは大事な会社を託す後継者に事業を承継しなければならないことは100%わかっているはずです。それがどうしても実行に移せないのは、やはり上に述べたような社長の心の在り方自体に問題があると思います。

             

            しかし、そのような社長が承継準備ができていないまま突然亡くなったり、病気や事故など社長を辞めざるをえない状況に陥ったときに最も大きなダメージを受けるのは、その会社の社員です。私自身も後継者不在のまま50歳を超えたとき、さまざまな可能性を考えつつも「このままではもし私に万一のことがあったら廃業以外に道はなく、社員の生活を守れない」と思い至り、事業承継の準備を始めました。 その際真っ先に考えたことは、絶対に「やっぱり社長辞めるのをやめた」と自分が言えないよう、すべての退路を意識的に断つことでした。

             

            「社長を辞める」、16年の社長人生の中で一番困難な仕事だった事業承継を終えて、現在、心の底から安堵しています。

            | 後藤百合子 | 企業経営 | 11:31 | - | - |
            移民100万人受け入れ後のドイツで教えられた中小企業の果たすべき役割
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              JUGEMテーマ:国際社会

              ■隔離された移民収容施設と移民2世の女性

              7月下旬、ヨーロッパ出張をしてきました。今回の出張の一番の目的は、ドイツの機械メーカーに発注している機械を出荷前に確認し、初めての取引となるメーカーの工場をチェックすること。5泊8日、10回飛行機乗換えというかなり過酷な旅でしたが、仕事の成果はもちろん、ドイツの移民問題に肌で触れるよい機会となりました。

               

              最初の訪問先はブレーメン郊外の街にある創業150年超、この分野ではヨーロッパ最大の同族経営中堅メーカー。従業員数120名程度と規模はさほど大きくありませんが、長い歴史を誇るだけあって街では誰もが知る有名企業です。従業員も地元出身で引退まで働き続ける人が大部分。訪問は15年ぶりでしたが、展示会で会ったことのあるデリバリー担当の女性や技術者など、いろいろな人からきさくに声をかけてもらいました。

               

              北ドイツの長身、金髪碧眼(もしくはブラウン)の社員がほとんどの中、案内してくれた営業アシスタントの女性は、いわゆる「移民2世」でトルコ系女性。アジア人らしく控えめながら、忙しい営業マンに代わって仕事を的確に迅速にこなしてくれる彼女をいつも頼りにしており、今回、個人的な話も若干することができました。それによると、30代後半の彼女は10数年間この会社で働いており、独身。苗字から推測して「イスラム教徒ですよね?」と聞いたら「No」という返事が返ってきました。

               

              実は、昨年、彼女のボスでわが社担当の営業マン(勤続25年超のオランダ人)にミラノの展示会で会ったとき「100万人も移民を受け入れるなんてメルケルはクレージーだ!」とさんざん不満を聞かされました。「でも、アシスタントのxxさんってトルコ系だよね?」と聞いたら「彼女は別。もうちゃんとドイツ人になっているから」と返答をされたのを覚えています。

               

              このような環境の中、彼女がどれだけの努力をしてドイツ社会に溶け込もうとしてきたのか。それは改宗もしくは棄教(おそらく)という事実をみても明らかではないでしょうか。

               

              訪問の後、彼女が手配してくれたタクシーでブレーメンに戻りました。途中、街のはずれに広大な敷地が広がる施設あったので何か聞いたところ、元ドイツ空軍の訓練施設で冷戦後不要になって放置されていたもので、移民受け入れ施設に指定され相当数の移民が暮らしているということでした。元軍事施設が難民受け入れ施設になるのも皮肉なものですが、高い塀に囲まれた施設の中には人影がまったくなく、現時点では美しく平和なドイツの街から完全に隔離されている印象を受けました。

               

              現在、その中にいる彼らが、街に出てきたときに何が起こるのかを、その晩宿泊したブレーメンと翌日のデュッセルドルフ空港で見た気がします。

               

              ■ブレーメンでひったくりに遭遇し、デュッセルドルフ空港では警察を呼ばれる

              ブレーメン市内のホテルに着くと日没が遅いのをいいことに、さっそく観光に出かけました。たまたまブレーメン美術館が21時まで開いている日だったこともあり、こじんまりしたショップが並ぶ路地を通りながら美術館に向って歩いていたときのこと。夏休みの観光客でごった返す狭い道を、中東系か北アフリカ系と思われる2人の若者がものすごい勢いで駆け抜けていきました。「何かあったのかな?」と怪訝に思っていたところ、「どろぼう!」と英語で叫びながら中国系女性が2人走ってきたのです。ひったくりです。近くのレストランの男性も加わって追いかけていましたが、残念ながら見失ったようでした。

               

              ブレーメンは近郊の町まで含めれば人口230万人ですが、市内はこじんまりしていて、駅前や観光名所のすぐ近くにも閑静な住宅街が広がる美しい地方の小都市です。人々もとても親切。これまで何度もヨーロッパに行っていますが、正直、ドイツでひったくりに会うとは想像したことがありませんでした。パリやミラノの観光地でこそバッグに気をつけていたものの、ドイツではまったく無警戒でしたし、特にブレーメンのような小さな街でひったくりに遭遇したことでかなりショックを受けました。

               

              美術館を出た後、街全体を歩いてみたところ、駅近くの比較的ごみごみした地域を中心に、若者たちが路上に椅子を出してぼんやりしながら話したりスマホをいじったりしているのをかなりみかけました。ゲルマン系ドイツ人の若者はいっさいみかけず、路上にいるのは明らかに移民系ばかりでした。

               

              そして翌日。フランクフルト乗り継ぎでデュッセルドルフに向かったところ、スーツケースが最後まで出てきません。「これは積み忘れだな」と了解し、同じく荷物がなくなったらしき若い男性2人とLost and Foundセクションに向かいました。最初のLost and Foundセクションでは、肌の色の濃いアフリカ系の女性が1人で電話でもめている様子で、指指しで「別のセクションへ行け」と意思表示されました。次のセクションには、中東系もしくは北アフリカ系の女性が3人。2人はカウンターに座っていましたが、1人はカウンターの後ろでうろうろしています。

               

              私の前に並んだ男性2人が状況を説明しても、コンベアーが何番だったのかわからないのならもう一度行って見てこいとか、調べてもわからないから2時間後にもう一度来いなど、サービス精神のかけらもないような暴言の数々。すぐ前の米国人らしい男性は「今日の夕方にはアブダビ行きの飛行機に乗らなきゃいけないけど、それに間に合うのか?」と聞いて、「そんなことは私の知ったこっちゃない」ときり返され半べそをかいていました。この時点で私の点火装置にはすでに火がついていたのですが、まだ我慢しておとなしく待ちました。

               

              乗り継ぎ時間が短かったので、こういうこともあろうかと当日の仕事に必要なものはハンドキャリーしていたものの、なにせ外では取引先の機械メーカーの社長が待っているので気が気ではありません。自分の番になるとそれを説明してすぐに調べるように頼み、この社長に状況を説明する電話をかけ始めました。するとカウンターの女性から「私と話をしたいのか電話相手の話したいのかどっちなのよ?」と傲慢な言葉。「いま状況を説明しているだけだから」とこちらもだんだん堪忍袋の緒が切れかかっています。

               

              幸いなことに、私のスーツケースは次のルフトハンザ便に乗っていることがわかったのですが、今度は、3時間後にこれを取りに来いと居丈高に言われます。仕事があるのでもちろんそんなことはできません。その日の晩は空港内のホテルを予約してもらっていたので届けてほしい、と頼んだところ「そんなことはできない」の一点張り。なぜできないのか説明を求めても「私が悪いわけじゃない」と逆切れされる始末。ことここに至ってついに私も爆発しました。「届ける」と言うまでここから一歩も動かない! と宣言。「では警察を呼ぶ」と脅され、売り言葉に買い言葉で「では呼んでみろ」と応酬したら5分ほどたって、若い男女2人のペアの警官が本当にやってきました。

               

              警官がとりなすような形で「本人が荷物確認しなくてはいけないから3時間後に来いと言ってるんだ」と言い「確認などタグがあるのだから不要。ここで3時間待っていたら今日予定している仕事ができない。その損失をルフトハンザは補てんしてくれるのか?」と押し問答をしていたところ、バックオフィスから金髪の30代と思われるスーパーバイザーがふらっと出てきて「じゃあ着いたらホテルに届けるからここにホテルの住所書いて」と一瞬のうちに一件落着。警官たちもあまりのバカバカしさに二の句が継げない様子で帰っていきました。

               

              彼女たちの様子から見てとれたのは、基本的な接客の訓練をおそらくほとんど受けていないこと、そのため毎日、乗客とのいざこざでストレスをため込み、それをまた乗客にぶつけるという悪循環が起こっているのではないかということです。教育レベルが高く訓練もきちんと受けていればもっと違う窓口にも行けるのかもしれませんが、そうでない人材ばかりを集めているセクションのような感じがしました。

               

              余談ですが、最終日、フランクフルトからシンガポールのフライトでも、搭乗までにかなりの時間があったにもかかわらずまたスーツケースが積み残されました。今度はシンガポールのLost and Foundに行ったのですが、1人でカウンターに座っていたマレー系の若いお兄さんがさっとコンピュータで調べて「いま次の便で向かってるから2時間後には着くよ。ここに住所書いて。自宅まで届けるから」とものの5分もかからず笑顔で対応してくれました。その日の晩には私のスーツケースが無事戻ってきたのは言うまでもありません。

               

              ■イラク系難民の若者に期待する工場経営者の採用戦略

              こうしてやっと空港の外に出た私は、辛抱強く待っていてくれた取引先の機械メーカー社長と出会うことができました。

               

              数か月にわたりメールで何度もやり取りしていましたが、彼と会うのは今回が初めて。私と同年配の50代の社長です。普段のメールのやり取りから土日、早朝深夜関係なく仕事をしている様子がわかっていましたのでそれを聞いたところ「うちみたいな小規模の工場では専任の営業マンを置くわけにもいかないし、社長が全てやらなければいけないんだよ。今年は忙しくて夏休みも取れないので、今日は半日だけ夏休みをとったつもりでアテンドするから、どこでも行きたいところを行ってね」と笑顔で言ってくれました。そしてその言葉通り、工場見学から機械の仕様詳細を詰めた後、ヴッパータールというドイツ有数の繊維工業都市の街や、デュッセルドルフの街を数時間にわたりアテンドしてくれました。

               

              この工場は前述の工場と違い、家族を含めて従業員が10人。30坪程度の工場の中にぎっしりと工作機械が詰め込まれ、2F以上は社長家族の自宅兼事務所と、いわゆる「町の鉄工場」です。現社長は3代目で、73歳になる前社長は今でも朝から夜遅くまで工場で働き、この会社の目玉である機械の心臓部を作る根っからの職人。社長の弟は設計がメインで製図から材料選定までの技術面を担当し、社長の妻が別の仕事をしながら経理を担当しています。

               

              今回会った社長はきさくな人柄と英語・フランス語の語学力を活かし、ヨーロッパのみならずアジア、アフリカ、アメリカ、南米と世界各地の顧客を相手に営業し、日本と同じく製造業の空洞化で同業他社が次々と倒産していく中、ドイツで生き残ってきました。この会社だけにしかできないオンリーワン技術ももっており、取引先の台湾材料メーカーから「この工場の機械だったら信用できる」と紹介してもらったお墨付きです。

               

              国は違えど小企業の社長の悩みはどこでも同じ。予算をかけないで宣伝しようとYou Tubeに画像をアップしてもすぐに中国の競合相手にマネされるとか、せっかく受注しても人でが足りなくて納期がかかってしまう、新人を採用したが今日で3日も休んでいる、来週になってもこれが続くようだったら何とかしなくては・・・等々。商談後、こんなよもやま話で盛り上がっていたところ、またもや移民の話になりました。

               

              彼はメルケル首相の移民政策の支持者で、「先進国は中東や北アフリカの戦乱に責任がある。だから僕は移民政策を支持する。日本とは正反対だけどね」と少し皮肉をこめて語ってくれました。その中で彼が話してくれたのが、入社して1年ほどになるイラクからの難民の若者のことです。「彼は真面目で非常に頑張ってやってくれている。将来にとても期待している」と。

               

              同時に私たち日本の小工場と同じく、採用がなかなか難しい現状も教えてくれました。「僕は職業訓練校の担当者にいつも、とにかく成績が一番悪い子を紹介してくれ、と頼んでいるんだ。この工業地帯でうちみたいな小さい工場に就職したいと考える若者はいない。だからどこにも行けない、という若者を採用して時間をかけてゆっくり育てる。それがうちの会社の採用戦略なんだ」と。

               

              ■中小企業での安定した仕事こそが国の未来を創る。

              私たちが仕事の話をしている最中、会議室の隣にあるシャワー室に勤務を終えた工員たちが一人、また一人と入っていってはコロンの匂いをぷんぷんさせながら「お先に」と社長に声をかけて工場を出ていきました。これからデートの約束でもあるのでしょう。ブレーメンの通りでぼんやりと座っていた若者たちとは目の輝きが違い、どの若者も仕事にも生活にも十分に満足している様子がうかがわれました。

               

              そうして彼らはこの町で恋人を作り、結婚して所帯を構え、子供を産み育てていくのでしょう。社長の営業手腕を信頼し、社長の父や弟から技術を学びながら少しずつ職人としての腕を磨き、前社長のように年老いても「この技術だけは絶対にどこにも負けない」という職人になり、引退する年になってもずっと仕事を続けたいと思うかもしれません。冒頭に紹介したブレーメン近郊の中堅メーカーもそうですが、この会社もまた終身雇用を守っています。「どうしても辞めたいというなら別だけれど、不況だからリストラするなんてことは考えたこともないよ。そんなことをしたら誰も働いてくれる人がいなくなってしまう」と、社長は笑いました。

               

              大企業に比べたら確かに給料は低いかもしれませんが、毎日社員が誇りをもち、安心して働ける仕事の場を提供することこそ、100万人移民のこれからに怯えるドイツに必要であり、この会社のような中小企業にこそそれが可能ではないのかと思いました。

               

              そして、貧困問題や少子高齢化に悩み、これから本格的に外国人移民の検討に入る日本においても、中小企業の経営者への啓蒙活動も含めて考えていくべき問題なのではないかと思います。

              | 後藤百合子 | 企業経営 | 13:20 | - | - |
              セブン&アイホールディングス鈴木会長辞任にみる事業承継の難しさ
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                セブン&アイホールディングスの鈴木敏文会長(83)が4/7、セブン-イレブン・ジャパンの井阪隆一社長(58)解任をめぐって取締役会と対立。自らの辞任を表明しました。

                多くの方と同じく、鈴木さんという素晴らしい経営者がこんな形で辞められることになるなんて、と第一報を聞いたとき私も信じられない思いでした。その後、鈴木会長の辞任会見の模様や、すでにこの問題で頭を悩ませていたであろう前月のインタビュー記事を読み、事業承継の難しさを改めて認識しました。

                ■業績好調のときには冬の寒さがわからない。
                セブン-イレブン・ジャパンの売上高推移は、絵に描いたような右肩上がりで、特に井阪社長が社長に就任してからはそのスピードがさらに加速しています。

                決算発表によると、店舗数は1,081店舗増の18,572店舗。おにぎりやサンドイッチなど基幹商品の品質向上に努め、セブンカフェ ドーナツの提供を全国展開。短期間のうちに商品を改変するなどの対策が消費者に受けいらられ、既存店売上伸び率は43か月連続でプラス。直営店及び加盟店売上を合計したチェーン店売上は4兆2,910億67百万円、前年同期比7.1%増とあります。

                まさに驚異的な業績であり、井阪社長が「自分が社長としてこれだけのことをしてきたのに交代を求められるのは納得いかない」と考えるのももっともといえばもっともです。

                しかし、別の見方をすれば、ここまで伸びてこられたのはコンビニエンスストアという業態自体にまだ伸びる余地があったからともいえます。実際、スーパーストア事業や百貨店事業は大きく業績を落としてからの微増であり、業態としての衰退期を迎えています。以前、スーパーマーケットの勃興期に個人商店の八百屋や魚屋から客足がとだえて廃業を余儀なくされたように、現在はイトーヨーカ堂からセブンイレブンに客足が移っています。その結果の高い伸びであり、決してその状態がいつまでも続くわけではありません。

                例え話をしよう。「冬になったら寒いよ。寒いから、きちんと下着を着なさいよ」と。相手は「はい、わかりました」と言うけどね、実際に寒くなってみないとそうしない。本当に寒くなってきた頃は「寒すぎる」感じで、もう風邪を引いている。「はい、わかりました」と言っている時点では実はまだ暖かいんだよね。仕事にはそういうときがある。


                今年1月のイトーヨーカ堂の戸井氏の辞任について、鈴木会長は「彼はわかったつもりだったけど、わかっていなかった」と言い、こう語ります。

                現在、絶好調のコンビニ事業(実際は業界全体が絶好調)においても、少子高齢化による国内マーケット縮小、競合他社の合併や大手資本注入による財務体制強化や商品・サービス力増強、ネット販売業者の台頭による消費者の購買行動の変化など、これから脅威になりそうな要素は門外漢の私が見てもいくらでも数え上げられます。

                まだ業界全体が興隆期の暖かい時期だからこそ、潜在する問題を直視し、早い段階から種まきをして対策を打っておかなければならないのは必至ですが、往々にして人は「見たいもの」しか見ず、現実から目をそらしがちです。それが「残念ながら、(井阪社長から)COOとしての改革案はほとんど出てきませんでした。」という鈴木会長の言葉につながったのではないかと思うのです。

                ■伊藤名誉会長から鈴木会長に引き継がれた「商売の原点」
                今回の鈴木人事案否決の最大の要因は、創業者一族の一人で大株主でもある伊藤名誉会長の信任が得られなかったことと言われています。

                (伊藤名誉会長とは)これまで良好な関係にありました。けれどここに来て、急きょ変わりました。今まで私が提案したことを(伊藤名誉会長が)拒否したことは1回もなく、ずっと了承してきていました。しかし世代が変わったのです。抽象的な言い方ですが、それで判断してもらいたい。


                このような鈴木会長の言葉を受けて、「コーポレスガバナンスがなっていない」とか「密室での決定」と批判する声もあるようですが、取締役会開催の前に創業から現在までの社史の表も裏もをすべて知り尽くし、しかも株主としても一定のポジションを占める創業者一族に意見を聞いてそれを取締役会で発表する行為自体は、私からすると上場会社としてもまったく問題ないことだと思います。

                そのうえで、これまで人事に関する鈴木案をすべて信任してきた伊藤名誉会長が今回はそれを拒否。鈴木会長は「世代が変わった」と繰り返しました。

                創業者の伊藤名誉会長は、1924年生まれの今年92歳。大正9年に叔父が始めた洋品店、羊華堂を戦後すぐに母・兄とともに再開し、ヨーカ堂グループを率いてきた人物です。1984年、伊藤名誉会長がまだ60歳だったときの記事が日経ビジネスオンラインに掲載されていたので読んでみましたが、小さな商店を身を粉にして切り盛りしてきた原点をもち、何をおいてもお客様と仕入れ先を大切にする昔ながらの厳しい経営者の姿が浮かび上がってきます。

                セブン‐イレブンの合理的なシステムを自賛しはするが、伊藤がこの店に魅かれるのは実はシステムの完成度の見事さではなく、フランチャイズ方式に集まる「自営業者の心意気」なのである。「ご夫婦が一生懸命に助け合って店を磨いてるのを見ると、気持ちいいね」。


                記事の最後は「後継者についての質問に対して、伊藤はポツリと一言『これからが大変ですね』と言った。」という言葉で締めくくられています。サラリーマン社長とはいえ、伊藤会長の薫陶を直接受け、伊藤会長が商人の原点をみた「セブン-イレブン」を創り上げた鈴木会長こそ、羊華堂の遺伝子を引き継ぐ後継者となったのはごくごく自然なことでした。鈴木会長はもちろん、伊藤名誉会長もまた、その遺伝子を次の世代に引き継ぐべく、高齢にもかかわらずこれまで経営に関わってきたのではないかと思うのです。

                しかし、それがままならないまま、タイムリミットを迎えてしまった。うがった見方をすれば、今回の伊藤名誉会長の「心変わり」と形容されている人事不信任は、鈴木会長に対する「ここまでよく頑張ってきてくれた。もうこれ以上、頑張らなくてもいいから」という最後の思い遣りだったのかもしれません。

                ■フランチャイジーを最後まで気にかけた鈴木会長

                私自身も今日辞任を発表しましたから、明日から会社に出てこないというような無責任なことはできないと考えております。1万8000店の加盟店のオーナーさんもいらっしゃるし


                鈴木会長が会見の後半、気にかけていると口にしたのは、社員のことでもなく、会社の将来のことでもなくフランチャイジーのことでした。24時間営業の中、学生アルバイトや外国人アルバイトをまとめながら自分自身も現場の第一線で日々働く彼らこそ、鈴木会長が絶対に守らなければならないと考えていることがよくわかりました。

                また、鈴木会長が業績不振のヨーカ堂を切り離せという外資ファンドの圧力に抵抗してきた背景には、尊敬する伊藤名誉会長がビジネス人生を賭して創り上げてきたスーパーマーケット業態を、自分が創り上げたコンビニ業態が壊してしまったという悔恨の念もあったような気がします。

                会社を経営するということは、毎日、多くの矛盾や不測の事態に直面しつつ、会社にとって何が大切なのかを自問自答しつつも前に進むことだと私は思っています。時代は変わり、人も変わります。しかしその中で、自分自身の確たる信念をもち、自らの進退も含めて一瞬一瞬を不退転の決意で進んでいくことにしか経営の道はありません。

                常人にはとてもまねできない強靭な精神力でここまで経営をされてきた鈴木会長には、セブン-イレブンやイトーヨーカ堂で買い物をする顧客の一人として「本当にお疲れさまでした」の一言をお贈りしたいと思います。
                | 後藤百合子 | 企業経営 | 15:21 | - | - |
                インフィニット・ループ1番地から始まる果てしない戦い
                0
                  米TIME誌の特集、アップル社CEOティム・クック氏のインタビューを読みました。

                  すでに報道されているように、昨年カリフォルニア州で起きたテロ事件の容疑者(死亡)のi-phoneロック解除をめぐり、米司法省が暗号を解除するソフトの開発をアップル社に命令。アップル社CEOクック氏はこれを拒否し、今月、両者による法廷闘争が始まる予定でしたが、先週22日には司法省側が独自に暗号解除ソフトを開発できる可能性があるとして審理を延期。本日になって、FBIが情報抽出に成功。アップルい対する提訴を取り下げたとのニュースが入りました。

                  カリフォルニア州クパティーノ、インフィニット・ループ1番地にあるアップル本社の自室で、i−padにかがみこむようにして頬ずえをつくクック氏のモノクロのカバー写真が与える印象は、彼がこの問題を単なるビジネス上のマターとしてではなく、人類そのものの将来を決定するような問題であると考えているかのようでした。

                  ■すでにプライバシーはどこにもない。
                  ちょうど今月、5年近く使ってきたモバイルパソコンの調子が悪くなり、私は買ってあった新しいHPのパソコンにデータを移行する作業をしました。

                  新しいといっても型落ちで安くなっていたモデルを買ったため、まずWindows10にバージョンアップするところから。HPのパソコンは初めてだったのですが、指紋認証やら秘密の質問やらにさんざん答えさせられたあげく、バージョンアップにはこれらのセキュリティソフトをすべて解除しなければならないことがわかり、ほぼ丸1日かけて作業を行いました。

                  やっとデフォルトのセキュリティソフトのアンインストールが終わり、ソフトやアプリをインストールし始めた途端、今度は衝撃的な事態に直面しました。ソフトやアプリがほぼほぼすべて、個人データへのアクセスを求めてくるのです。

                  ウィルス駆除ソフトマカフィーはもちろん、インターネットやメールなど、私がアクセスしたり保存している情報すべてにアクセスする許可を求めます。Facebookは知らない人からの検索をシャットアウトすることはできますが、ログインした途端、数百人に上る「この人と知り合いではありませんか?」というリストを送ってきます。スカイプにいたっては、仕事で数回会ったきりもう何年も会っていない、これから会うこともないだろうという人の写真つきのアドレスを送ってきました。

                  私はもともと会社の代表という立場ですので、一般の方のようなプライバシーはないものと覚悟していましたが、それにしても怒涛の洪水のような個人情報にいきなりさらされ、文字通り、息が詰まるような思いをしました。

                  ■個人情報はどこまで守られるのか?
                  さらに驚いたのは、クラウド上の蓄積データの状態です。

                  しばらく前から写真の保存用にi-phoneでGoogle Photoを使用していたのですが、パソコン上のGoogleと同期し、何かの操作をした途端、顔認証ですべての写真が人物別にソートされたのです。場所と時間の情報入り。たまたまパソコンの写真フォルダに父の写真を保存していたら、一度もあったことがない父の友人たちも一瞬のうちに並べ替えられました。6歳になる娘や姪の赤ちゃん時代から現在に至るまでの写真もほぼミスなくソート。分類された写真を見れば、誰がいつ、どこで、誰と、何をしていたのか、一目瞭然です。

                  Ten years ago, if I went for a jog, any and all information relationg to that jog would evaporate as soon as it happened. It woud go uncaptured. Now that information is not only preserved -- where I went, how far I went, how fast I went, what I listened to, what my heart rate was -- it gets uploaded to the cloud and propagatted across my social networks.
                  10年前、私がジョギングに行っても、ジョギングに関する情報はしたそばから消えていった。情報をつかむことさえできなかっただろう。現在、行ったことが記録に残るだけではない。どこへ行ったか、どのくらい遠くまで行ったか、どのくらいの速度だったのか、何を聞いていたのか、心拍数はどれだけだったのか・・・すべてクラウド上にアップロードされて、SNSを通じて共有されるのだ。


                  現在のインターネット社会には、もはやプライバシーは存在しえないといっても過言ではないのではないでしょうか?

                  ■ビッグ・ブラザーとハッカーの登用
                  とはいえ、クック氏をはじめとするアップル社の重役たちも決して最初から捜査に非協力的だったわけでなかったようです。FBIはたった一度きり、この容疑者の電話をアンロックするためにのみソフトウェアを作ってほしいと要請し、実際にアップルでは検討もしました。しかし、これがもしも前例となり、「解読してほしい電話が175台ある」と言われたケースに直面した場合、もはやそれがたった一台の例外ではなくなってしまうというのです。

                  これに対し、大統領選共和党候補のドナルド・トランプ氏は「あいつら何様だと思っているんだ?」と攻撃し、アップル製品のボイコットを呼びかけ。シリコンバレーとは長年、良好な関係を築いてきたオバマ大統領でさえ、「たかが電話のために多くの人の命を犠牲にするのは正しい答えではない」とアップルを非難したといいます。

                  コンピュータによる情報管理を語るとき、欧米メディアが必ず引き合いに出すのがジョージ・オーウェルの『1984』に登場する独裁者「ビッグ・ブラザー」です。ビッグ・ブラザーが統治する世界では、人々の生活のすべてが監視・管理され、個人のプライバシーや自由は徹底的に排除されます。この近未来小説に描かれた状況が、今すでに始まりつつあるのではと感じるのは、決して私だけではないのではないはずです。

                  例えば、ここ数年、私はほぼすべての本や雑誌をアマゾンに頼っています。生鮮食品以外は、やはりほとんどの買い物をネット上でしています。私が読んだ本、食べた物、着ている服などの情報はすべてどこかのコンピュータに蓄積され、写真やSNSを調べれば、いつ、誰と、どこに行って、何をしたのかも一目瞭然。この情報に囲碁チャンピオンを破ったAIを加えれば、次に私が何を考えてどんな行動をするかは簡単に予測可能でしょう。

                  いっぽう、米国政府や米企業は、サイバー攻撃に立ち向かうため、すでにハッカーたちをも積極的に活用し始めました

                  動機はよしとしても、使い方を一歩間違えば、個人の思考や行動を知らず知らずのうちに監視し、操作し、権力維持のために使う、という実際に『1984』の世界で描かれていることがいつでも現実になりうる時代に、すで突入しているのです。

                  ■インフィニット・ループ1番地から始まる永遠の戦い
                  ちょうど10年前の3月、私はアップル本社を訪れました。サンフランシスコからクパティーノに向かう路上には色とりどりの春の花が咲き乱れ、まるで大学のキャンパスのような緑あふれる広大な敷地の中のオフィスでは、社員たちが生き生きと働いていました。社員の方に勧められ、敷地内のショップで「私はクパティーノに来た!」と書かれたTシャツを買い、一緒に軽い食事をした後、彼女は「来週のトライアスロン大会のために走るから」と、仕事を早めに切り上げ、明るいうちに自宅に帰っていきました。

                  当時、まだバリバリの現役だったスティーブ・ジョブスはオフィスを歩き回っては社員たちに激を飛ばしていましたが、実際にクパティーノに行って初めて、私は彼が目指していたものが何だったか少しわかったような気がしました。

                  FBIが今回成功したように、ロックをはずすソフトはアップル以外の誰かにも開発可能です。人間の作るるものに絶対はありませんから、どれだけ頑丈にロックしても、いつか必ず、そのロックは解除されるでしょう。そしてジョブスが遺したDNAが働いている限り、アップルはまた、より強固でプライバシーを守るためのシステムを開発していくことでしょう。

                  「無限のループ」という名前が示す通り、この堂々巡りは永遠に続くのかもしれません。しかし、その円環に綻びが生じたとき、人類は次のステージに向かって後戻りのできない一歩を踏み出すことになるのではないかと思います。
                  | 後藤百合子 | 企業経営 | 12:00 | - | - |
                  Rakutenの躓きとReebonzの快進撃にみるマーケティング戦略の違い
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                    ■東南アジア全域でのショッピングモール事業撤退を決めた楽天
                    2月いっぱいで楽天が運営する「Rakuten」がシンガポール、マレーシア、インドネシアのサイトを閉鎖、電子ショッピングモール事業からの撤退を決めました。楽天はインドネシアで2010年に地元財閥企業と合弁で事業をスタートしましたが、思うように事業が成長できず13年には合弁を解消。今回はそのインドネシアも含め、東南アジアでのプレゼンスを一挙に縮小するといわれています。

                    撤退の理由は明らかにされていませんが、おそらく売り上げ不振が最大の原因でしょう。

                    シンガポール地元紙『The Straits Times』によると、昨年末の時点でRakutenへの出店社は約500社だったといいます。そのうち1社への取材では、年間出店料はSGD4,000以上(約33万円)で、他に売り上げコミッションが10〜20%。小規模事業者には出店料他のコストが高すぎて思うように出店社を集められなかったからという分析も紹介されていましたが、不動産価格や家賃が東京の2〜3倍が当たり前、人件費が高いため、自前でまともなサイトを作るにはかなりの投資が必要なシンガポールでは、私はむしろ安いと感じます。

                    例えば、売り上げが50万円あって粗利率を40%とすれば粗利益が20万円。そこから出店料の3万円とコミッション10%を引いても利益12万円が残ります。これがもし実店舗であれば、どんなに小さな店であっても家賃が10万円以上、ショップスタッフの人件費が10万円以上ですでに赤字。逆に小規模事業者にこそRakutenのメリットはあったはずなのです。

                    しかしそうならなかったのはやはり、それだけの売り上げを上げられない事業者がほとんどだったということではないでしょうか。

                    ■ブランディングが残念な楽天のウェブサイト
                    まだ見られるうちにと思い、楽天のシンガポールサイトを覗いてみました。

                    トップ画面のイチオシはSEIKOの腕時計、ハローキティーの雑貨、ASICSのスポーツシューズ、スナイデルのドレス。どれも知名度が高い日本ブランドですが、いま旬真っ盛りで、行列を作っても買いたい商品かというと・・・・微妙です。

                    下にスクロールするとピックアップ商品。KATANAのゴルフクラブと並ぶのはインバウンド需要を狙ったのか、アツギのタイツとムートンブーツ。さらにその下にはコラーゲンやスムージーといった健康食品から、補正下着、キャラクターグッズまで。日本の楽天市場と同様、脈絡なくさまざまなカテゴリーの商品が所狭しと並びます。

                    しかし、日本と同じくこのような商品を求めて検索し、このサイトにたどり着く消費者がどれだけいるのでしょうか?

                    日本のテレビ番組で「コラーゲンが流行っている」という情報が流れれば、数千人から場合によっては数十万人の人々がネット検索をかけて楽天市場に流入するでしょう。雑誌の商品紹介記事や有名人ブロガー記事でも同じです。しかしここは人口500万人強の小国。日本のような商品紹介の情報番組はほとんどありませんし、情報誌やブロガーの数も極めて限られています。また、シンガポールでは新製品をPRするとき、メディア媒体に強いPR代理店に頼んでマーケティングをしてもらうのが普通ですが、よほど露出を多くしない限り、たまに広告や記事広告を出すのではまず大ブレークは期待できません。

                    Rakutenの場合、知名度の高い日本ブランドを目玉商品に据えれば集客できると踏んでいたのかもしれませんが、”Rakuten”そのもののブランディングとマーケティングを怠ったため思うように集客=売り上げ増につながらなかったと思われるのです。

                    ■有名ブランドに絞って自らのブランディングを確立したReebonz
                    いっぽう、シンガポールのeコマースで大成功をおさめている地元企業があります。その名は"Reebonz”。

                    CEOのサミュエル・リム氏を中心に3人の若手企業家が立ち上げた会社で、ブランド品(主に女性用バッグ)のフラッシュセールを軸にオンライン販売を行ってきました。このサイトでは、コーチ、マイケルコース、ケイトスペード等々、正規の店で買うとそこそこの金額がするブランドのシーズン落ち商品を買い付けてきて、10〜60%程度の割引率でブランド品が大好きな女性たちに販売しています。

                    扱うものがブランド品ですから商品説明は最低限でかまいません。消費者は自分で調べていろいろな情報をもっています。宣伝も不要です。ブランドホルダーがこれでもかと金に糸目をつけず宣伝してくれるからです。後は旬のブランド、人気があるブランドの情報を集めて仕入れてくるだけ。そのブランド名で検索で流入してくる人々が自動的に顧客になっていくのです。

                    こうしてReebonzは2009年の設立以来急成長を続け、現在はシンガポールのみならず、マレーシア、インドネシア、台湾、香港、タイ、オーストラリア、韓国で事業展開をしています。

                    ■ブランド力がない商品を売ろうとして失敗したReebonz
                    そんなReebonzにもRakutenと同じく撤退の過去があります。

                    それは2年ほど展開していた”Kwerkee”というブランド品ほど高額ではなくアートな雑貨類を扱っていたサイト。若手デザイナーや新興ブランドのインキュベーターになるという志もあったのだと思いますが、結局、よく売れたのはキャス・キッドソンなど、お手頃価格でもやはりブランド力のある商品のみで、ほとんどのブランドが不発に終わってしまいました(実はこの中に私が扱っているブランドも含まれていました)。

                    そこでReebonzはこの事業に見切りをつけて他社に売却。同時に始めたのが、ルイ・ヴィトンやエルメスなど、ディスカウント販売できない超高級ブランドの中古品を仲介するサイトです(Reebonzの中にセクションを設置)。これがヒットし、現在は個人からの委託出品のみならず、日本の中古販売店と組んでさまざまな超高級ブランドの商品を販売しています。

                    つまり、Reebonzはブランド商品のブランド力を自社ブランドとするマーケティングに特化したといえるのです。

                    ■日本のマーケットより断然厳しい海外マーケット
                    日本とシンガポールの両方で営業活動をしていて思うのは、日本はつくづく恵まれている国だということ。その最大の要因は人口です。

                    例えば、20代女性の100人に1人が「この服好き」と買ってくれる商品があったとします。20代女性が1,000万人いる国であれば、ターゲットは10万人です。しかし、30万人しかいない国ではわずか3,000人しかいないのです。まずマーケット規模が違うのと、そのターゲットにアプローチする手段が日本では非常にいろいろと用意されている一方、シンガポールのような小国では上記のように限られているため、ターゲットを捕捉することさえ難しいのが実情です(インドネシアは国の人口は多いですが、クレジットカードを持っている人が極端に少ないうえに、物流にも非常に高いハードルがあるためeコマース人口はシンガポールより少ないといっても過言ではありません)。

                    その中でどのようなマーケット戦略を練って実践していくのか、そしてどのように消費者を集客していくのは、eコマースにとって最大の課題であり、生命線ともいえるでしょう。Rakutenを含む多くのeコマースサイトは、そこで躓いてしまっているのではないかと思うのです。

                    シンガポールでは旧正月の今月、社員の解雇を行ったRakutenに対し、若干感情的な批判もないことはありませんが、そこは現実主義者たちの国。好きな商品、魅力的な商品があれば「日本のお店では今後いっさい買い物はしない!」などと断言する人もいないでしょう。

                    シンガポール在住者としては、Rakutenに限らず、日本のeコマース事業者のみなさんがが捲土重来を期して再びしっかりとマーケティングを行い、近い将来、シンガポールでは絶対に買えないアイディアや機能あふれる素晴らしい日本製品を販売してくれることを切に望みます。
                    | 後藤百合子 | 企業経営 | 21:17 | - | - |
                    老舗企業の倒産増加とネスレ社に見る「変われる力」。
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                      ■増える老舗企業の倒産割合
                      ネスレ日本の高岡浩三社長が、日経新聞の広告企画インタビューで、環境適応=マーケティングであるとおっしゃっています。その意味とは、顧客が現状で感じている問題を解決し、満足させる(イノベーション)ことを突き詰めていき、商品やサービスを変化させることにより、企業がマーケティング(販売促進)を行っていくというものです。
                      「環境の変化に適応する」と多くの方が当たり前のように言いますが、ほとんどの場合、それはできていないのではないでしょうか。環境の変化が激しい時代であれば、自社の中も激しく変化していなければならないのですが、本当にそれができているのでしょうか。 
                      と、高岡社長はかなり厳しい発言をされていますが、それを裏付けるのが、2/5東京商工リサーチが発表した倒産件数に占める老舗企業の割合の増加です。
                      2015年に倒産した業歴30年以上の『老舗』企業は2,531件だった。前年(2,647件)より116件減少したが、倒産に占める構成比は32.3%と前年比1.7ポイント上昇した。これは過去20年間で最高を記録した。全産業の倒産がバブル末期の25年ぶりの低水準で推移するなか、老舗企業の倒産は構成比を高めている。

                      このデータによると、業歴30年以上の老舗企業の倒産に占める割合は増加基調にあり、企業の平均寿命も2003年についで、24年強となりました。

                      老舗企業は長年の業歴から一定の事業基盤を築いている。だが、老舗企業の強みである資産、経験、ブランド力が信用を高める時代は終焉を迎えているようだ。過去の成功体験から業績回復への対応は鈍く、グローバルな時代の変化に合わせたスピード感や柔軟な発想に課題を抱えている。今後、将来性を判断する事業性評価が重視される中で、どのように老舗企業の強みを前面に出せるか、経営者の力量が問われている。


                      高岡社長がおっしゃっているように、過去の資産や経験にしがみついて老舗のブランドを守るのではなく、現状を変革していくマーケティングこそが、企業経営者にとって必要とされているのだと思います。

                      ■老舗企業の代表格、ネスレの「ネスカフェ」
                      かくいうネスレ社も創業は1866年。今年創業150年の堂々たる老舗企業です。

                      スイスに本社を置き、食品・飲料としては世界最大手、日用品メーカーとしてもP&Gに次ぐ世界第二の巨大企業。もともとはベビー食品メーカーとしての創業でしたが、チョコレートに進出。戦後はインスタントコーヒーが主軸の一つに加わり、その後もアイスクリーム、スープ、ペットフードなどM&Aを繰り返しながら巨大企業に成長してきました。

                      中でも、第二次世界大戦中アメリカ軍に採用されて飛躍的に広まったといわれる「ネスカフェ」は「キットカット」や「ミロ」と並び、ネスレ社の顔ともいえる商品。日本では「違いがわかる男」シリーズのCMが有名で、1970年代には池坊専永さんなど文化人や北杜夫さんなどの作家、今世紀に入ってからは演出家の蜷川実花さんなども登場し、「ネスカフェ愛飲者=インテリ」のイメージ戦略で、もともとコーヒーを飲む習慣がほとんどなかった日本市場にもしっかりと浸透しました。

                      しかし、この20年ほど、日本のコーヒー業界には大きな変革の波が押し寄せます。最大の要因は1971年にシアトルで創業し、今から20年前、1995年にお洒落雑貨販売大手のサザビーリーグが展開してきたスターバックスコーヒー(2014年スターバックス本社が買収)。

                      2006年の映画『プラダを着た悪魔』でも世界最先端のファッション業界人がひっきりなしに飲むコーヒーはスタバのラテやカプチーノで、決してネスカフェではありません。いわゆる「グルメコーヒー」の流れはとどまるところを知らず、この数年は近所のコンビニでも本格的な挽きたてコーヒーやラテが飲めるようになってきていました。

                      スタバの戦略はまさに往年のネスカフェの戦略そのままといっても過言ではないと思います。ネスカフェがコーヒーと一緒に「文化の香り」を売ったのに対し、スタバは「お洒落なライフスタイル」を売ったのです。発売からほぼ半世紀。「ネスカフェ」は末期的な商品寿命を迎えていました。

                      ■「ネスカフェパリスタ」で蘇ったネスカフェ
                      ここで救世主となったのが、ラテやカプチーノをお洒落カフェまで行かずに自宅で簡単に作れるマシーン、ネスカフェパリスタ。それまで本格的なカプチーノを作ろうと思ったら最低でも数万円はする専用マシーンを買う必要があったのが、5千円前後から1万円以下というお手軽価格で、しかも慣れ親しんだ粉末のネスカフェを使って作れるようになったのです。

                       

                      コーヒーマシン「ネスカフェバリスタ」も発売から1年半はまったく売れなかった。そこで1万5000円で売っていたものを、(試験的に)4980円、7980円、9980円の3段階に値下げした。すると4980円と7980円で売った店では販売量が10倍にハネ上がった。

                      ただ、4980円で買ったお客さんは「安すぎてちょっと心配」と言う。つまり、お客さんの値頃感が7980円にあった。この値段だと儲けはゼロだが、赤字ではない。コーヒーマシンさえ買ってもらえば、ネスカフェから”浮気”されずに済む。(コーヒーパックを扱っていない)電機メーカーはこんなに安く機械を販売できないから、競争が激化せず、値崩れもしない。


                      東洋経済オンラインのインタビューで高岡社長はこう語ります。以前、『ドリルを売るなら穴を売れ』というマーケティング本が大ヒットしましたが、この本さながら、ネスカフェを売るためにネスレ日本はネスカフェパリスタを販売したのです。この結果、ネスカフェ販売は復調し、営業部員を2/3に削減しても目標達成という成果につながったといいます。

                      ■商品寿命をクリアして企業寿命を伸ばす
                      企業というのは変化対応業と言われますが、特に老舗企業の最大の課題は商品寿命にどう対応していくかです。

                      創業数十年の会社であれば、必ずといっていいほど看板商品をもっています。そして収益の大半をその看板商品に依存していることが多いのです。この看板商品の商品寿命をどうやって伸ばし、もしくは新たな看板商品となるような商品を開発できるかが企業寿命を延ばしていく鍵となります。

                      例えばあのアップル社も、もともとはコンピュータが看板商品の会社でしたが、商品寿命がきて業績が悪化。創業者のジョブズを追放したものの好転せずに彼を呼び戻します。そこからはご存じの通り、i-pod、i-phone、i-padと矢継ぎ早に看板商品を開発してきました。ジョブズ亡き後再び将来が危ぶまれているのは、これらの商品に新たなヒットの息吹を吹き込むリノベーションや、新しい看板商品となるイノベーションが起こっていないからに他なりません。

                      ネスレ日本の場合はネスプレッソで旧商品のネスカフェの商品寿命を延長し、これ以外にもオフィス需要を喚起するなど新サービスの開発にも余念がありません。老舗企業だからこその遺伝子に深く刻みこまれてきた商品寿命の壁を取り払い、企業寿命を延ばしていくチャレンジ精神を日本の老舗企業もまた、獲得していくべきだと思います。

                      | 後藤百合子 | 企業経営 | 08:39 | - | - |
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