ASIAN NOMAD LIFE

日本、香港、中国で生活・仕事をしてきてシンガポール在住8年目。
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お金にとらわれずに老後を自由に生きる暮らし方
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    JUGEMテーマ:幸せなお金と時間の使い方

    ■お金は自分が成し遂げたいことをするための手段

    漫画家三田紀房さんの公式サイトで、フォーブスジャパン編集長兼CEOの高野真さんの「人生を変える『お金』の話をしよう!」という記事を読みました。

     

    高野さんはずっと金融業界でキャリアを積み重ねてきた方ですが、投資会社のトップとして大きな業績を残した後、業界から引退され、現在はフォーブスジャパンを立ち上げて軌道に乗せつつ、ベンチャーキャピタルに資本参加して新しい企業育成にも取り組んでいるそうです。

     

    この記事の中で高野さんは、「『何のためにお金を稼ぐか』が大切なのであって、お金もうけはプロセスでしかない。人生をかけて稼いだお金を何に使うかに、その人の人柄が明瞭に出る。」と書いています。高野さんは、これからの未来を作っていくベンチャー企業に数千万円、数億円というお金を投資していると言っていますが、これは、つい先日英アーム社を3兆3千万円で買ったソフトバンクの孫さんと同じ考え方ではないかと思います。高野さんにしても、孫さんにしても、自分のもてる能力を十二分に使い、全力を尽くして稼いできたお金を自分の贅沢や楽しみのために使うのではなく、将来の社会のために自ら働きながら使っていくという考え方に深く共感します。

     

    ■お金がある、ない、は主観の問題。外から見てもわからない

    このような感想を人に話すとよく返されるのが、「それはお金をもっている人の言うことで、あなたのような裕福な家に生まれた人には一生懸命働いて毎月の生活費を稼ぐのに追われるサラリーマンの苦労はわからない」という反論です。

     

    確かに私は社長の娘として生まれました。ただ残念ながら、兄弟が多かったこともあり、教育にこそお金をかけてもらいましたが、好きなものを好きなだけ買ってもらえるような贅沢をさせてもらった記憶はまったくありません。私が子供の頃の母の口癖は「お金がない」で、「うちはよそより大きな家に住んでいるのに、なぜそんなにお金がないんだろう?」といつも不思議に思っていました。

     

    今考えると母の「お金がない」は当然といえば当然で、大きい家にはそれなりの維持費がかかりますし、子供が多いのに中学から私立で大学まで進学させ、習い事もいろいろとさせていればやはりかなりのお金がかかります。さらに田舎の本家でしたので、親戚やお寺、その他の交際費にもけっこうな出費があったはずです。外から見れば「お金持ち」の家でも、内実は自転車操業状態だったのでしょう。

     

    こんな環境でしたので、お小遣いを数百円アップしてもらうときでも必ずお小遣い帳を父に見せて無駄遣いしていないかチェックされましたし、お小遣いを超えてほしいものがあれば自分で働いて買うように言われ、高校時代からアルバイトをしていました。大学時代、帰省するときには新幹線を使う友人が多かったのですが、「学生で時間はあるのだから新幹線を使う必要はない」と言われ、いつも高速バスを利用していました。

     

    そのため私は、小学校のときから「将来は絶対働いて稼ぎ、自分の好きなものを好きなだけ買えるようになりたい」と思っていました。いま振り返ると、このような親のお金に関する教育が、社会に出て職業人となったときに非常に役に立ったと思います。

     

    ■人との比較ではなく自分の物差しで価値を測って生活する

    ファイナンシャルプランナーの方がお金を貯める秘訣としてよく説くのが「徒に生活レベルを上げない」ということです。

     

    確かに一等地の高級マンションに住んで、専業主婦の妻が高級スーパーやブティックで買い物をし、子供を小学校から私立の学校に通わせたりしていたら、年収1千万円超のエリートサラリーマンの家庭でもお金は貯まらないどころか、一歩間違えばすぐに赤字転落し、私の実家のように常に「お金がない」地獄に陥ってしまうでしょう。反対に、以前勤めていた会社の同僚に、ぼろぼろの木造アパートに住んで家賃を節約し、食うものも食わずで高級ブランドバッグや服に給料を注ぎこんでいた女性がいましたが、これもバランスを欠いた生活のような気がします。一点豪華主義といえば聞こえはいいですが、あまりにも虚実の差が激しすぎると思うのです。

     

    自分の好きなことに自分が稼いだお金を使うのは当然の権利ではありますが、人との比較で、「あんな暮らしをしたい」「あんな物が欲しい」と欲望ばかりが肥大して、そのためにお金に執着するのは精神衛生上も決してよくないのではないでしょうか。常に「ワンランク上」の生活を見たらきりがないですし、物に対する欲望は満たそうと思えば思うほど満たされなくなるからです。

     

    そのようにずっと思ってきましたので、私の日常生活はいたって質素です。人と会う以外の外食はほとんどせず、コンビニ弁当も買いません。出勤するときはランチミーティング等がない限り必ず弁当を作って持っていきますし、水筒をいつも持っているのでペットボトル飲料も買いません。スーパーでは同じものがあれば必ずタイムセールの特売品を買い、洋服もセールで買ったものばかりで高級ブランド品はもっていません。家族で外出するときは、ショッピングセンターやテーマパークやレストランなどには滅多に行かず、近所の公園を散歩し、家に帰ってから料理をして食卓を囲むのがたいていの休日の過ごし方です。

     

    その理由を挙げると、外食よりも自分の体調に合わせて作った食事のほうが口に合いますし、ペットボトルの余計なごみを出さずにすみ、当日中に料理するのであれば朝定価で買っても夜割引のものを買っても同じことですし、洋服は翌年にはどうせシーズン落ちになり、高級ブランド品のコストの大半は広告宣伝費だと知っているからです。また、夫も私も、人混みの中で楽しむより自宅でゆっくりくつろぐほうがリラックスできるのです。

     

    「社長のくせにケチケチしてみっともない」と言われるかもしれませんが、自分ではそのほうが合理的で気分がよいと感じるので思った通りにします。そうすると、それほど無理をしなくても自然にお金はたまっていくのです。

     

    京セラの稲盛名誉顧問が「利益を上げるには、売り上げを最大に、コストを最小に」という意味のことをおっしゃっていますが、個人でいえば「年収を上げる」のと「生活コストを下げる」をバランスよく行うことこそ、お金を貯められる生活といえると思います。

     

    ■お金を貯める目的だけのために無理をしない

    いっぽうで、お金を貯めるという目的のためにすべてを犠牲にすると、それはそれで精神的にきつくなってしまいます。そこでどうしてもという部分は無理をせず、ストレスを溜めないようにもしています。

     

    我が家では週2回、掃除と洗濯を近所の女性に頼んでいるのですが、以前は、私が掃除を、夫が洗濯とアイロン掛けを担当していました。2人とも仕事が忙しいときには土日休めるわけでもなく、交代で休んで残りの1日を家事に充てると自分の時間がまったくなくなり、だんだんストレスが溜まっていって夫婦喧嘩のタネになります。そこでこの部分をアウトソーシングすることにしました。月数万円の出費にはなりますが、1回あたりの出費はファミレスで家族で外食するのと同じくらいの金額ですから、それで貴重な週末をのんびり過ごせ、夫婦円満に暮らせるのでしたら十分もとは取れていると思います。

     

    私は読書が好きなので本に出費は惜しみませんし、夫はIT関連の仕事のため必要なコンピュータやモバイルデバイスなどにもそれなりにお金を使っています。また、部下や若い友人と食事をするときなどは、必ずご馳走するようにしています。しかし、普段からつつましく生活していますので、多少の贅沢をするときでも、自然と分をわきまえた出費になっている気がします。

     

    ただ、これも夫婦共働きの前提があってこその話ではありますが・・・。

     

    ■お金に囚われず、無理をせず働いて老後の自由を手に入れる

    冒頭の高野さんや孫さんのように、莫大な金額を夢や理想のために使えるほどの大金を稼いできたわけではありませんが、そろそろ老後の生活が気になる年齢になり家計をチェックすると、このまま2人とも自分たちのペースで働き続けることができれば、将来を心配しなくてもいい程度の貯蓄ができていました。

     

    以前の記事にも書きましたが、子供は勉強が好きで国立大学に入れるようならば進学すればいいですし、そうでなければ職業訓練校に行ってくれればいいと思っていますので、積み立ててある学資保険金を超えて教育費がかかる心配もありません。これは、夫と2人で延べ60年近く働き続け、少しずつ投資もしてきた結果だと思い満足しています。

     

    また、万が一、戦争や世界大恐慌のような事件が起こり、こつこつ貯めた資産がすべてなくなってしまったとしても、夫と私が健康でそれなりに働いていれば、これまでと同程度の生活を維持していくのはさほど難しくないと思っています。逆にもし生きているうちに使い切れずにお金が残りそうであれば、支援を必要としている人々をサポートする団体に寄付したいと、夫と話しています。

     

    昨今、「下流老人」や「老後貧乏」など、老後の生活への不安を煽るような論調ばかりが目立ちますが、このような記事を読むたびに思うのは、皆、あまりにもお金に囚われすぎているのではないかということです。平均寿命が延びたのですから、元気なうちはできる範囲で働いてその中で生活していけばいいですし、もしも健康を害して食べるものにも窮するようになるのであれば、迷わず生活保護を申請すればいいと思います。そのために何十年も働いて税金を払ってきたのですから、当然の権利ではないでしょうか。

     

    老後の生活をどうしよう、とお金のことばかり考えていろいろと案ずるより、これから先、どのように生きがいを感じながら健康に、無理のないペースで働いて人生を全うしていこうか、と考えることのほうが、よほど精神的に健全ですし、自由を感じられるのではないかと私は思います。

     

    安倍政権が標榜する「一億総活躍社会」政策でもまた、ただ定年延長のみをして「国にお金がないのだから、とにかく死ぬまで働きなさい」ではなく、一人ひとりの生活や個性(健康状態や家計状況も含みます)を尊重しつつ、セーフネットもきちんと整備しながら、最期まで国が国民の生活をサポートする仕組みを作っていってほしいと、心から願っています。

    | 後藤百合子 | 家計管理 | 07:21 | - | - |
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