ASIAN NOMAD LIFE

日本、香港、中国で生活・仕事をしてきてシンガポール在住8年目。
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組織のDNAを変えるには 〜 香港フィルにみる再生の軌跡
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    ■予想を裏切られた20年ぶりの香港フィルの演奏

    シンガポールでも連休となったメーデーの今月1日、香港フィルハーモニック・オーケストラのシンガポール公演に行ってきました。(その前週は29年ぶりの日本公演に続き韓国、今週はオーストラリアと遠征しているので同じ演目で聴かれた方もいらっしゃるかもしれません)

     

    香港で暮らしていた1994年夏から97年末までの3年半、「香港フィル友の会」のメンバーになり、週末にはせっせとセントラルのシティ・ホールやツィムサチョイのカルチュラル・センターで開かれるコンサートに通っていたので、20年ぶりにこの昔馴染みのオーケストラの演奏を聴けると、たいへん楽しみにこの日を待っていたのです。

     

    そして、当日。

     

    私の予想は完全に裏切られました。

     

    しかし、良い方にです。20年ぶりに聴いた香港フィルの演奏は、同じ交響楽団とは思えないほど素晴らしいものだったのです。

     

    そう感じたのは私だけでない証拠に、マーラー交響曲第一番の演奏終了後、会場の聴衆の大部分が立ち上がり、いつまでも拍手を止めませんでした。香港フィルの公演でこんなふうに熱狂する聴衆を見たのは初めてですし、地元シンガポール交響楽団の定期公演でも経験がありません。強いて言えば、五嶋みどりさんがシンガポール公演でバッハのソナタを弾いて以来ではないかと思います。

     

    それほど感動的な演奏を香港フィルが聴かせてくれたのです。

     

    ■香港フィルの歴史と迷走の12年

    香港フィルは香港経済の発展と足並みをそろえるかのように、1974年に正式にプロ楽団として発足しました。当時はまだ英国領で、音楽監督にインドネシア系華人リム・ケッジャン氏を迎えてシティ・ホールで開催された初公演には当時の香港総督も足を運んだそうです。

     

    (余談ですが、私が香港に住んでいたときの香港フィル公演では香港最後の総督クリストファー・パッテン氏を見たことがありますし、シンガポール交響楽団の公演では実業家のジム・ロジャーズ氏や故ネイザン大統領もみかけました。実業家や政治家の有名人に会ってみたい人は、その土地の交響楽団の公演に出かけるのがお薦めです)

     

    設立当時は世界から著名な演奏家を招聘する資金もなく、「世界的ヴァイオリニストのイザーク・パールマンを呼びたかったが高すぎてギャラが払えず、思案の上『ギャラは規定しか払えないが、来てくれたら世界最高の中華料理を御馳走する』というオファーをしたところ2回も来てくれた」というエピソードまであるほど。

     

    できたばかりの無名オーケストラの道は厳しく、指揮者や経営責任者が次々と辞めて安定せず、1981年には招聘された華人系アメリカ人音楽監督に反発した62名の楽団員が罷免を要求する署名を集める事件が発生。1984年には米国人のシャーマーホーン氏が就任するまで3年間音楽監督が不在という異常事態となりました。

     

    しかしその後、シャーマーホーン氏の時代に中国や北米をはじめ海外遠征を行うなど中堅オーケストラとしての地歩を固め、英国人デヴィッド・アサートン氏が11年にわたって音楽監督を務めた期間にはアジアでも有数のオーケストラとしての評判を確立します。

     

    私が香港フィルを聴いていたのもこの頃。正確でスピーディーな演奏が持ち味で、安心して演奏を聴いていられました。外国人と香港人とではまだまだ外国人割合が多く、1997年の香港の中国返還前後にはさまざまな式典やコンサートに引っ張りだこで、出ずっぱりだったのをよく覚えています。

     

    ところが、2000年に初の香港生まれの音楽監督として期待されたサミュエル・ウォン氏が着任後、香港フィルは未曽有の危機を迎えます。

     

    中国政府の政策により、楽団設立以来スポンサーとなってきた香港政庁のアーバン・カウンシルが解体されて余暇文化サービス庁となった結果、理事会メンバーが総入れ替えとなり、アジア経済危機も相まって予算は大幅カット。団員の待遇改悪に手をつけ、強制解雇にも及ばざるをえない事態となりました。

     

    その結果、楽団員は次々と辞めていき、理事長も退任。チケット売り上げも漸減していきます。そんな中、理事会メンバーが再度入れ替わり、サミュエル・ウォン氏はわずか5年で香港フィルを去ることとなりました。

     

    次の8年を担当したオランダ人音楽監督エド・デ・ワールトは、著名な「オーケストラ・ビルダー」であり、プロチームを率いてぼろぼろになった楽団再建の望みをかけられて就任したものの、彼の在任期間にも事務局長が4人交代、コンサートマスターが3人交代など異常事態が続きます。

     

    そして2012年に現在の音楽監督であるオランダ人、ヤープ・ヴァン・ズヴェーデル氏が就任。ここにきてやっと団員やマネージメントの入れ替わりがなくなり、再び安定期を迎えるのみならず、アジア随一の交響楽団として飛躍のステップを踏み出したのです。

     

    ■「香港フィルをアジアのベルリン・フィルにする」と断言したズヴェーデルと香港フィルに残った楽団員

    香港フィルの歴史の中で、ズヴェーデル氏の期間を除き唯一の安定期ともいえるアサートン氏の音楽監督期間に私は香港フィルの演奏を聴いていたわけですが、この時も「プロ楽団」としての技術基準はクリアしていたものの、音楽にかけるパッションや理解といった一流の交響楽団に不可欠な素養をあまり感じることはありませんでした。

     

    一番印象に残っているのは、曲目が終了後、聴衆の拍手が一段落するのを待ちかねたようにさっと椅子から立ち上がり、燕尾服の裾を翻して楽屋に戻っていく団員たちの姿です。年間150回以上もの数のコンサートをこなす超がつくほど勤勉なオーケストラならではかと当時は思っていましたが、今振り返ると、音楽は彼らにとってプロとしてこなしていくべき「職業」であり、それ以上でもそれ以下でもなかったのではないかと思います。

     

    当時、唯一そのような姿勢を感じなかった楽団員が、チェロのリチャード・バンピングとクラリネットのジョン・シャートルで、彼らがソロパートを弾いたショスタコーヴィチの「チェロ協奏曲第一番」と、ドボルザークの「新世界より」の演奏は今でも思い出せるほどです。今回、20年前のメンバーをプログラムやネット探してみたところ10人もいなかったので驚きましたが、この2人は激動の時代も楽団を辞めることなく、香港フィルで音楽を続けていました。

     

    このようにもともとパッションを抱いて楽団に残り続けたほんの一握りの楽団員と、香港フィルの伝統も歴史も知らない新しい楽団員の寄せ集めの交響楽団にやってきたのがズヴェーデル氏でした。

     

    彼にも、10年以上にもわたり迷走を続けてきたこの楽団を正しい軌道に戻すのが用意な仕事でないことはわかっていたはずです。しかし、就任直後のインタビューでズヴェーデル氏は「香港フィルをアジアのベルリン・フィルにする」と宣言しました

     

    長年の内紛と相互不信、追い打ちをかけるような超過密スケジュールと「売り上げを上げろ」というマネージメントからのプレッシャー。疲弊に疲弊を重ねたメンバーの前に、ズヴェーデル氏が掲げたのは、「世界最高峰をめざす」という目標でした。正直なところ、プロとしては二軍どころの交響楽団だった香港フィルに「君たちは一流になれる」という希望をまず指し示したのです。

     

    そして、その夢を実現できるだけの具体的な方法論を彼はもっていました。

     

    19歳のときからオランダの交響楽団のコンサートマスターとして長く演奏家活動を行ってきたズヴェーデル氏は、指揮者としてだけではなく、団員の1人1人が演奏家として何をすべきかということを非常によくわかっているのではないかと思います。それは今回の交響曲の演奏を聴いていても明らかでした。それぞれのメンバーに個性的な音を奏でさせつつ、それをまとめたときに最大の音のパフォーマンスを引き出すことに大変長けていたのです。

     

    そして最後に、最も重要だったのは恐らく、「情熱のない」楽団員が去った後に彼が就任したことです。

     

    どれほど素晴らしいリーダーとやる気にあふれたメンバーがチームにいても、過半数のメンバーが無気力で後ろ向きで不平不満ばかり言っていたら、その組織が成功を掴むことは絶対にできません。それどころか、新たにやる気のある人が入ってきても「朱に染まれば赤くなる」式に、情熱は長続きせず無気力に流されていくでしょう。それほど人間は弱く、易きに流れるものなのです。

     

    香港フィル再生はこの3つが完全に揃ったときに初めて実現したのではないかと私は思います。

     

    ■最も大事なのは「情熱

    チームのリーダーになるにしても、メンバーになるにしても、最も大切なのは、パッション、つまりその仕事にかける情熱です。

     

    その情熱は結果となって表れ、ビジネスであったらクライアントや消費者を、音楽であったら聴衆を魅了し、感動させます。逆に、感動ができない、魅了されない商品やサービスをいくら作っても、相手に受け入られないばかりか、自分自身をも疲弊させて無気力の負のスパイラルに陥ってしまうだけでしょう。

     

    プロとして、職業人として、仕事とは何か、その仕事の中で自分は何をすべきなのか、を改めて考えさせてくれた香港フィルのコンサートでした。

    | 後藤百合子 | 企業経営 | 14:45 | - | - |
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