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    ハイヒールを履いて絶望する女たち
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      JUGEMテーマ:国際社会

       

      今月17日からSingapore Fringe festivalが始まりました。

       

      このイベントは、小劇場メインのパフォーミング・アートをテーマとした芸術祭。100人〜200人程度の劇場を舞台にシンガポールをはじめ海外からのパフォーマーの参加もあり、私も昨日、2ステージをはしごしてきました。

       

      14回目を迎えた今年のテーマは「Let's Walk」。これは1999年にシンガポールの女性アーティストAmanda Heng氏がシンガポールで行ったもので、一般人から参加者を募り、ハイヒールを口にくわえて鏡を持ち、街中で後ろ向きに歩くというパーフォーマンスをモチーフとしたもの。背景には、1997年に起こったアジア通貨危機の際、シンガポールで最初に解雇されたのが女性たちであったことと、そして奇妙なことに、この頃から女性たちが化粧やフェイシャルケアなどの外見に高額なお金を費やすようになった状況があったことである、とストレイト・タイムズ紙は指摘します。

       

      今回はこのテーマをモチーフとした作品をキュレーションしたということで、ほとんどが女性によるフェミニズムの視点からの作品となり、そのうち私が観たのは、シンガポールの芸術学校の生徒さんたちが出演するシンガポールの演劇と、ニュージーランドから招聘した女性のパフォーマンス作品の2つでした(老いをテーマにした母と娘の物語『HAYAT』という演劇も観たかったのですが、シンガポールでは珍しく2週間前に全公演完売しており、関心の高さがうかがえます)。

       

      ■シンガポールとニュージーランドの2つのパフォーマンスにみる「女性性」

      初めに観たのは『Step Outta Line(枠を踏み出せ)』というナンヤン芸術学院の学生さんたちをキャスティングした芝居。

       

      11人の「太った処女」たちが日本語の『可愛いベイビー』のテーマにのって赤いハイヒールを履いて登場し、相撲の土俵を表現した舞台の上で(物語の後半で太田元大阪知事が土俵に上がろうとして女性であることを理由に拒否されたエピソードが語られます)、現代のシンガポール女性が直面するさまざまな問題に関するスキットを演じます。

       

      彼女たちにとってハイヒールは近世中国で女性を家の中に閉じ込める手段であった(と同時に美の基準でもあった)「纏足」のメタファーであり、いっぽうで自分を守り、男性や社会に対抗する武器でもあります。ハイヒールを履いたり、片手にもったり、耳や股にはさんだりしながら、豊胸手術やダイエットといった問題から、DVや職場でのセクハラ、さらには生理やセックスというテーマまでを若い女優さんたちがエネルギッシュに語り続けます。

       

      そして、最後には美しい伝統衣装を脱ぎ捨てて下着姿になり、女性性の象徴であるハイヒールを、1人だけ出演している男性俳優にすべて持たせるのです。

       

      次は『If There's Not Dancing, At The revolution, I'm Not Coming(革命のときダンスがなければ、私は行かない)』というニュージーランドの舞台芸術家ジュリア・クロフトさんのモノローグ、映像、音楽などを駆使した舞台。

       

      こちらはさらに過激で、さまざまな衣装を着こんで雪だるまのようになったクロフトさんのバックでスマホの映像がスクリーンに映し出され、「欲情しているの」というメッセージとともに、唇や耳などのアップ、さらには女性器や膣内部の写真が次々と相手に送られるところからスタートします。

       

      衣装を一つずつ脱ぎながら、彼女は会場の男性に胸元から取り出したお酒や炭酸水で飲み物を作ってサーブしたり、軽快なポップソングに合わせてやはり胸元から取り出した玉ねぎを目に塗り付けてむしゃむしゃ食べて「だって私、かよわい女の子なんだもの」と佇んでみたり、下着姿で逃げまどうホラー映画の金髪の美女の映像に合わせて水着姿で客席を這って移動したり、甘いラブソングをマザコンかつマッチョな「黙って足を開け」というセリフで翻訳したりした末、最後には脱ぎ捨てた衣装をすべて顔に巻き付けて全裸で舞台に立ち、胸、下腹部、臀部にマーカーで印をつけて自分自身の「女性性」について観客に疑問をつきつけます。

       

      舞台終了後のトークの中で、クラフトさんは「映画やポップソング、SNSなどのポップカルチャーにおける女性像に女性たちが翻弄されている状況を描きたかった」と語っていました。

       

      ■フェミニズムに逆行する社会に強制された価値観と女性の絶望

      このトークでは、観客の70代とおぼしき白人女性が「フェミニズムが一般に浸透して40年、いえ45年以上になるわね。あなたの国には女性の首相までいる。そんな中でこのようなパフォーマンスをしなくてはいけないという状況こそ問題なんじゃないか」と発言したのがとても印象に残りました。

       

      欧米や日本、シンガポールなど世界の先進国では女性が働いて経済力をもち、社会の中で男性と同等の役割を果たすのは若い世代ではすでに当たり前のことになっています。しかし、そのような時代にあって、30代のクラフトさんや『Step Outta Line』の脚本家Ovidia Yuさんらが感じる、社会や同時代の文化から強制されるあるべき「女性性」の本質は何ら変化していないどころか、さらに女性たちを追い詰めるものになっているのです。

       

      その中で女性たちは無意識のうちに刷り込まれた理想の「女性性」と、自分自身が抱える現実とのギャップの違いに惑い、行き詰っているのではないでしょうか?

       

      『Step Outta Line』で20代の若い女優さんたちが下着姿で苦しみもがき、『If There's Not Dancing, At The revolution, I'm Not Coming』でクラフトさんがずっと頭につけていた長い羽根(自由の象徴だと私は解釈しました)を大きなボールのようになった衣装で覆い隠し、顔がない「若い女性の体」という物体に変化してしまったとき、私は現代の女性たちが自分の内に抱える絶望を感じました。

       

      ■韓国の世界最低の出生率にみる女性による出産拒絶

      折しも先週、整形大国、韓国の家族相のインタビュー記事がAFP通信により世界に配信されました。

       

      内閣府の調査によると、2015年の合計特殊出生率は、日本1.45、シンガポール1.24、韓国1.24ですが、記事によると2016年の韓国の出生率は1.17まで低下し、2017年には1.07と世界最低となることが確実視されています。

       

      自らも子どもがいない歴史学者であるチョン・ヒョンベク大臣は、出生率の回復は「不可能ではないが極めて困難である」とし、数十億ドルをかけた出生率回復キャンペーンが失敗した原因を、「女性に家事や子育てを期待する社会的圧力と長時間労働にある」と説明します。

       

      しかし、原因はそれだけではないように私には思えます。

       

      もちろん、働きながら子育を産み、世界でも有数の受験戦争を勝ち抜くために子育てにも注力しなくてはいけない、というのは同じく少子化に悩む日本やシンガポールとさほど変わりません。しかし、60代のチョン大臣の時代とは違い、現代韓国の女性たちがいつまでも美しく、常に男性に求められるような「女性性」を体現しなければならないと無意識のうちに考えているとしたらどうでしょうか?

       

      私には、イヴァンカ・トランプさんが、そんな若い女性たちの一つのロールモデルに見えます。有名大学を出て裕福な男性と結婚し、自らビジネスを興してキャリアを築きながらも、3人の子どもを産んで育て、さらにバービー人形のように完璧なメイクアップをしてほっそりしたスタイルをキープし、(『Fire&Fury』によると)将来はアメリカ初の女性大統領になることを志している。

       

      ここには明らかにヒラリー・クリントン氏のようなフェミニスト世代の価値観とは違うものがあります。

       

      アメリカで共和党大統領になるには「3人の子どもを産んで育て」はマストかもしれませんが、チョン首相が子どもがいないのを見てもわかるように、アジア諸国では必ずしもそうではありません。髪を振り乱して身なりにかまわず、子育てと仕事に人生を捧げる女性より、仕事ができて(=オフィスなど身近にいて)外見が美しく、子育てをしなくていい分時間的にゆとりがあれば、30代、40代になっても男性の理想とされる女性でいられる、という無意識の選択が韓国女性の中で起こっているのではないでしょうか?

       

                                −−−−−

       

      「美しく可憐で男性や子どもを甘えさせてくれる女性」と「意志が強くて仕事ができ、男性と対等に話ができる女性」は従来のフェミニズムの中では相反する女性像だったはずです。女性はどちらかのタイプに分かれて、その一つを実現できれば一人前でした。

       

      しかし、現在の若い女性にはこの条件のすべてを満たさなくてはいけない、という非常に高いレベルの自己規制がかかっているような気がしてなりません。そのために、女性の「子供を産み育てる」が、選択肢の最低順位に押しやられているような気がするのです。

       

      ハイヒールを履かずに子供を産み育てる女性が、低出生率に悩む先進国の女性たちの憧れの存在としてロール・モデルの役割を果たすようになるまで、この少子化の傾向は続くのかもしれません。

      | Yuriko Goto | 女性の働き方 | 18:25 | - | - |
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