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毒親にならないための「#あたしおかあさんだけど」-― 詩人、伊藤比呂美の答え
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    JUGEMテーマ:幸せなお金と時間の使い方

     

    話題の「#わたしおかあさんだけど」に昨晩、詩人の伊藤比呂美さんが参戦。ツィッターにご自身が翻訳された「今日」という詩を投稿されました。

    今日、わたしはお皿を洗わなかった
    ベッドはぐちゃぐちゃ
    浸けといたおむつは 
    だんだんくさくなってきた
    きのうこぼした食べかすが
    床の上からわたしを見ている
    窓ガラスはよごれすぎてアートみたい
    雨が降るまでこのままだとおもう
    人に見られたら 
    なんていわれるか
    ひどいねえとか、だらしないとか
    今日一日、何をしてたの?とか
    わたしは、この子が眠るまで、おっぱいをやっていた
    わたしは、この子が泣きやむまで、ずっとだっこしていた
    わたしは、この子とかくれんぼした
    わたしは、この子のためにおもちゃを鳴らした、それはきゅうっと鳴った
    わたしは、ぶらんこをゆすり、歌をうたった
    わたしは、この子に、していいこととわるいことを、教えた
    ほんとにいったい一日何をしていたのかな
    たいしたことはしなかったね、たぶん、それはほんと
    でもこう考えれば、いいんじゃない?
    今日一日、わたしは
    澄んだ目をした、髪のふわふわな、この子のために 
    すごく大切なことをしていたんだって
    そしてもし、そっちのほうがほんとなら
    わたしはちゃーんとやったわけだ

    ご存じの通り、伊藤比呂美さんは現代日本を代表する詩人の一人ですが、彼女の書く詩は決して観念的な現代詩ではなく、恋愛、出産、子育て、更年期、介護、肉親や伴侶との死別といった女性が直面する現実と対峙しつつ、詩という文学に昇華されてきた方です。

     

    特にご自身の子育てと同時進行で書かれた『良いおっぱい悪いおっぱい』シリーズは子育てエッセイの草分けともいえる作品で、私もまだ独身の20代でこれを読み「子供を産むのも悪くないな」と思ったのをよく覚えています。

     

    そんな比呂美さんの子育てに対するスタンスは、著書の一つのタイトルからもわかるように『コドモより親が大事』。3人のお嬢さんの子育てに日々、奮闘しながらも、詩人という職業を放棄することなく、仕事に、ご自身の人生に真摯に向き合い続ける姿に多くの女性たちが励まされてきました。

     

    しかし、そんな比呂美さんの人生も万事順調だったわけではありません。この詩にも表現されているように、比呂美さんもまた、多くの子を育てた女性と同じく、「本当にこれでいいのか?」と自問自答する日々を送られてきたのです。

    人に見られたら 
    なんていわれるか
    ひどいねえとか、だらしないとか
    今日一日、何をしてたの?とか

    「よい母親」でいるために、母親たちはこのような圧力と日々闘わなければいけません(そしてその多くは同じ女性からの批判です)。その一番の殺し文句は「子どもがかわいそう」です。

     

    まったく思うようにならない子どもに何とかご飯を食べさせ、トイレの世話をし、洗濯をし、一緒に遊び、勉強させ、叱り、褒め、抱きしめても、母親たちには「まだまだ努力が足りない」という批判が常につきまといます。

     

    子どもにとっては絶対的な「母親」であっても、実際の多くの母親は、まだまだ自分自身も人間として成長まっ盛りの20代、30代の若さ。にもかかわらず母親として完璧さを求められ、追い詰められていくのです。

     

    『あたしおかあさんだから』の「あたし おかあさんだから/眠いまま朝5時に起きるの/あたし おかあさんだから/大好きなおかずあげるの/あたし おかあさんだから/新幹線の名前覚えるの/あたし おかあさんだから/あたしよりあなたの事ばかり」という歌詞からは、母親として自発的にしているというより、「母親としてこうあるべき」という姿に等身大の自分を超えて自分自身をアジャストしようとする、一人の女性の痛々しい姿が浮かび上がってきます。

     

    そして、「あたしよりあなたの事ばかり」と自分を抑圧し続け、「あたし おかあさんになれてよかった」と無理矢理自己肯定を重ねてきた母親の末路は、「あなたのために私は自分の人生をずっと犠牲にしてきた」という被害者意識に満ちた「毒親」に行きつく危険性が非常に高いと思います。

     

    比呂美さんは、詩の最後で、子育てに追われ家事も疎かになっている世間的に言えば「ダメ母」に対し、

    たいしたことはしなかったね、たぶん、それはほんと
    でもこう考えれば、いいんじゃない?
    今日一日、わたしは
    澄んだ目をした、髪のふわふわな、この子のために 
    すごく大切なことをしていたんだって
    そしてもし、そっちのほうがほんとなら
    わたしはちゃーんとやったわけだ

    と、語りかけます。

     

    人から何を言われてもいいんだよ。

    よい母親なんかでなくたっていい。

    でも、子どもといられる時間は人生の愛おしい瞬間。

    あなたは、その時間を一生懸命過ごしている。

    だから、自分を責めなくていいんだよ。

     

    という、弱さや欠点を含めた一人の女性の全面的な肯定であり、応援メッセージであると思います。

     

    『おかあさんだから』の作者の方は、決して頑張って子育てする母親に対する批判を意図して書かれたわけでないと思いますが、期せずして多くの女性たちの反感を招いたのは、母親に対する「こうあるべき」という社会的重圧をそのまま肯定し、逆に、遊びたい盛りの若い母親の弱さに対する肯定の欠如を、自分自身との葛藤を抱えながら子育て中(もしくは子育てしてきた)の母親たちが歌詞の中に嗅ぎ取ったからではないでしょうか。

     

    「母親だから」こうせねばならない、と理想の母親像を押しつけるのではなく、「母親だけど」だめだっていいんだよ、という温かい眼差しがあふれる社会が、子どもを産み育てていきたいという女性の意識を育てるのだと思います。

    | Yuriko Goto | ワークライフバランス | 11:32 | - | - |
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