ASIAN NOMAD LIFE

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    体のパーツもハイテクに。義歯から義肢へ広がるカスタマイズ身体部品
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      ■型が不要の義歯治療
      1年ほど前から欠け始めたセラミック差し歯がとうとう完全崩壊したため、近所の歯医者に行ってきました。
       
      これまで何度も差し歯を作りましたが、まず悪い歯を削ってから型を取り、歯科技工士のいるラボで作る義歯を1〜2週間待ってから再通院。調整してもらい噛み合わせが悪いとまたクリニックに舞い戻る、というルーティンを繰り返していました。ところが今回、もとの歯の成型が終わってから待っていると、型を取るための熱いガム状物質がいつまでたっても口の中に押し込まれません。その代わり、ドクターが歯の周りにスティック状のものをあちこちに当て、音楽が鳴るという不思議な治療が始まったのです。
       
      怪訝に思ってドクターの手元を見ると、私の歯並びが3Gでスクリーンに映し出されています。聞いてみたところ、コンピュータ制御による削り出し(ミリング)の義歯を作るということ。興味があるのなら見せてくれるというので、院内のラボに行ってみました。
       
      ■わずか15分で義歯ができた!
      ラボに入ると、小さめの水槽のような透明のボックスの中央に、小さな歯の原型のセラミックが入っていました。削り出し時の熱を冷やすために四方八方から水が噴射されています。以前テレビで見た、携帯電話の部品の型を作る機械にそっくり。みるみるうちに歯の形に削り出されていきます。
       
      この機械は独ジーメンス社の子会社Sirona社の「セレック」という商品名で日本でも少しずつ普及しているようです。CG画像をもとに削り出しをする機械で、歯科技工士が恒常的に不足していたシンガポールでは急速に導入されているそう。ドクターは「グーグルからも同じような機械の売り込みがあったわ」と話していました。
       
      そして待つこと15分。完璧な歯ができあがり、ぴたっとフィットする差し歯を入れてもらいました。クリニックのドアをくぐってからわずか1時間半です。費用は約7万円で従来の差し歯とさして変わりませんでしたが、以前は最低でも2回は通院が必要でしたので、その分を入れると12万円ほど安くできたことになります。
       
      ■義歯から義肢へ
      従来だったら人間の手で作る型が必要で、しかも個人向けのカスタマイズが必須、それゆえ高価である、というものを考えたら義肢も同じ。きっと同じような機械ができてくるのだろうなと道々考えていたら、すでにありました。それも若い技術者たちが設立した最先端のユニットです。
       
      会社名はイクシー
       
      ソニーやパナソニックを経て昨年会社を設立したエンジニアたちが、オーダーメイドの義肢を3Dプリンターにより作成し、電気信号を義肢に伝えるシステムにより、従来の高機能義肢の10分の1程度の価格で提供することをめざしているそうです。技術はもちろん、クラウドファンディングでプロジェクト開発資金を捻出したり、技術だけでなく外観にもこだわるためにプロダクトデザイナーがメンバーに入っていたり、NPO法人として国立がんセンターや実際の義肢ユーザーとコラボしGoogle社主催のインパクトチャレンジ助成金を獲得したりと、たいへんユニークな活動をしています。
       
      ITによって変わる産業構造
      iPS細胞が実用化されると、さまざまな人間の体のパーツが簡単に再生されて取り換えがきくようになると言われていますが、その実用化にはまだ最低でも10〜20年はかかりそうです。しかし、3DプリンターやCAM技術を使ったミリングなど、工業レベルですでに普及が始まっているものは、義歯や義肢のように今後急速にコストダウンが進み、簡単に手に入るものになっていくのではないでしょうか。今回の体験で痛切にそれを感じました。
       
      逆に、歯科技工士や義肢装具士など、これまで職人技で高い技術を誇ってきた技術者たちにとっては仕事がなくなる日が来るかもしれません。
       
      IT産業というとインターネットなど仮想空間ビジネスのみのように考えられがちですが、20年ほど前に急激にDTP技術が発達し活版印刷が絶滅したように、IT技術により、人間が手仕事でものを作るというこれまでの産業形態が根本から変わる時代に、私たちは生きているのかもしれません。
       
      | Yuriko Goto | ビジネスのねた | 18:32 | - | - |
      AIIB参加には大局にたった国民的議論を!‐‐ 気軽にのるわけにはいかない、前途多難なアジア金融
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        JUGEMテーマ:国際社会
        ■日本のAIIB不参加にバッシングの嵐!?
        昨日から
        2日間、世界最大のイスラム人口を誇るインドネシアで、100か国以上を集めてアジア・アフリカ国会議が開催されました。

        主催国インドネシアのジョコ・ウィドド大統領は開会スピーチで「世銀、
        IMFADBが世界金融の問題を解決できるという考え方はすでに時代遅れだ」と現状を批判しつつAIIB(アジアインフラ投資銀行)への期待を煽り、シンガポールのリー・シェン・ロン首相も自国メディアの取材に応えてAIIBは「新たな(世界経済の)方向性への第一歩」であるとの見方を述べました。
         
        いっぽう、日本でも丹羽宇一郎元中国大使・元伊藤忠商事会長を筆頭に、各界から日本のAIIB参加を求める声が上がっています。いずれも「中国を中心とした世界の経済の枠組みの変化に日本だけが乗り遅れるのはまずい」という論調です。
         
        日本政府は3月末締切までの参加表明はすでに見送り、あくまでも慎重な姿勢を崩していません。今月9日の記者会見では麻生財務相が「現在のようにAIIB自体の運営方針が不透明な状況では、貸したお金が返ってくるかどうかわからず、そこに国民の税金を投入するわけにはいかない」と述べています。(この発言と関連していると思われますが、現在、視聴者3億人ともいわれる香港の中国語衛星放送局フェニックスが、反麻生キャンペーンを展開しています。
         
        参加賛成の方々の意見をみると一見、日本がAIIBに参加しないと将来の私たちの生活に非常に不利益をもたらすような印象をもちますが、本当なのでしょうか?
         
        AIIBに参加するのはどこの国なのか?
        中国主導のAIIBに参加表明をした国と日本主導のADB(アジア開発銀行)参加国を図解した地図が掲載されているサイトがありますので、実際の参加表明国の内訳をよく見てみました。4月になってカナダがAIIB参加を表明したので、北米で不参加はアメリカのみとなりましたが、南米でAIIB参加はブラジルのみ。アフリカでもエジプトと南アフリカのみの参加となっています。「南米やアフリカからも参加!」と煽る記事もみかけましたが、実際にはこの地域からの参加は3か国にすぎません。
         
        逆にADBには入っておらず、AIIB参加国が多いのはロシアを含む中央アジア・EU諸国と中東。いずれも昨年来の原油価格暴落と、何年も続くヨーロッパ経済の停滞に苦しめられている国々であることがわかります。
         
        ■財政危機に瀕するイスラム金融最先端のマレーシア
        インドネシアと並びASEANのイスラム大国であるマレーシアでは、今月から消費税が導入されました。原油安による財政難のためという建前で導入時から6%の高税率。たまたま導入後すぐに首都クアラルンプールを訪れる用事があり、華人系ビジネスマン数人と話しましたが、財政難の内実は現政権内部の腐敗がひどく、適切な会計処理ができていないためであり、国有企業の中には資金繰りがうまくいかず、何度も操業停止を繰り返しているところもあると口を揃えて語っていました。この現状に対し「ルックイースト政策」でマレーシア経済を発展させてきたマハティール元首相は、現ナジブ政権に退陣要求をつきつけています。
         
        また、シンガポールとの共同プロジェクトとして鳴り物入りで進められてきたジョホールのイスカンダー地域開発も、資金難のためか最近ではマレーシア側から開発スピードの抑制がもちだされてきており、暗雲がたちこめています。
         
        このように前途多難なマレーシア経済ですが、実は近年、イスラム金融の中心地としてこの分野のリーダー役を果たしてきました。南アジア、中央アジア、中東など今回20か国近くのイスラム教国がAIIBに参加を表明していますが、牽引役であるはずのマレーシアがこの体たらくでは、どの国がイスラム金融分野でのリーダーシップをとるのかが危ぶまれます。
         
        ■クレジットカードが普及していない中国とインドネシア、金融インフラ未整備のインド
        難しいのはイスラム金融だけではありません。2013年、楽天がインドネシアでの合弁事業解消で話題になりましたが、インドネシアでのeコマース最大のネックはクレジットカードがほとんど普及していないことです。1997年の金融危機を脱して以来、着実な経済成長を続けてきたインドネシアですが、1人あたりの購買力平価GDPは1万USドルを少し超えたくらいで、バイクや自動車など一部の産業を除き、人口ボーナスによるメリットを広く企業が享受できるような経済状態にはまだ至っていません。
         
        いっぽう、AIIB宗主国の中国も一般消費者と「信用」取引ができないという点ではインドネシアとたいして変わりません。中国人観光客の爆買が世界中で話題になっていますが、彼らの爆買を支える「銀聯カード」は、実はクレジットカードではなく、デビッドカードです。クレジット(信用)に対しデビット(即時決済)ですから、先進国では当たり前に行われている信用経済が個人レベルではまったく普及していないことはもちろん、信用取引を行っている企業レベルでも銀行の不良債権が危険水域にあるのは報道されている通りです。
         
        さらに、中国に続く超大国の期待が高まるインドでも、モディ首相が金融改革を政策の目玉にもってくらい金融インフラ整備ができていない状況です。我が社でもインドから直接輸入をしていますが、電信送金が届かないと連絡がくるのは日常茶飯事。ひどいときには入金確認までに2週間以上かかることもあります。このような状況から脱するのが一朝一夕でいかないことはモディ首相でなくともわかります。
         
        ■ヨーロッパはお付き合い、日本はお付き合いですむのか?
        経済問題を抱えているのはEU諸国も同じです。今回も多数のEU加盟国がAIIB参加を表明していますが、あくまでも彼らはアジア諸国ではなく、部外者であることを忘れてはいけません。ギリシャが破産すれば火の粉は自分たちにかかってきますが、アジアの小国が経済危機に陥っても遠いヨーロッパでは対岸の火事でしかありません。ですから、AIIBにもお付き合い程度の多少のお金を払って参加しておけば、将来、漁夫の利を得ることもできるかもしれない、という損得勘定が働くのは当然のことです。
         
        しかし、日本がもし参加するのであれば、そのような軽い気持ちでは他国が許さないでしょう。GDPでは中国の後塵を拝したとはいえ、世界第3位の経済大国、腐っても鯛、アジアの中心メンバーである日本ですから、お付き合い程度の出資金でお茶を濁すのは不可能です。いっぽう、ただでさえ、アベノミクスの金融緩和で国債発行高が天文学的数字に達している中、麻生財務大臣がおっしゃる通り、他人に貸す金があれば、まず自分の借金を返すのが当然なはず。現在の日本の最悪の赤字財政下で、将来返ってくるかもわからない大金を拠出するのは、まさに自分で自分の首を絞めることに他なりません。
         
        ■日本人が総裁を務めるアジア開発銀行(ADB)は格付けトリプルA
        では日本が何も国際経済に貢献していないかといえば、それは違います。AIIBより参加国が多く、アジア地域の発展を長年にわたり支えてきたADBがあるのです。
         
        ADBは1966年設立。アメリカと日本が各15%強を出資し、67加盟国・地域が参加(AIIBは台湾参加を拒否)。「貧困のないアジア・太平洋地域」をめざし、対政府融資を柱にしています。加盟国には中国、インドなどの他、イギリス、ドイツ、フランスなども含まれ、本部はマニラです。ADBの融資残高は昨年6月末で約800億円。
         
        日本がAIIBに参加した場合、設立時の融資規模は一説には1,000億円と言われているそうですが、応分の負担をしなければならず、人も出さなければならない、また融資基準など原資が保証されることが明確にわかるルール作りもこれからというときに、とてもそんな巨額の税金を拠出する余裕は今の日本政府にはありません。しかし、トリプルAの格付けをもつADBで現在、実際に同規模の融資が行われているのです(うち約25%は中国向け)。また、もし、融資枠が不足しているというのであれば、ADBの調達資金を増やせばいいだけの話ではないでしょうか。

         
        ■日本の将来のグランドデザインとの関連で議論を
        『日経ビジネスオンライン』で、チャイナ・ウォッチャーでジャーナリストの福島香織さんが「中国主導のアジアインフラ投資銀行の行方 米国とも中国とも対等であるらめの方策を」という記事を書いていらっしゃいます。

        こういう背景があるので、私は日本がAIIBに参加しなかったのはよかったと思っている。もちろん将来の中国の大国化シナリオを考えれば、擦り寄っておいた方がよかったではないかと言う人もいるだろう。私は現役の北京駐在記者時代から中国が今の体制を維持できない確率は3割位のイメージで取材するのがよい、と思っていた。同時に今は米中G2時代のシナリオも2割くらい頭の片隅においている。だが崩壊するにしろ、大国に化けるにしろ、日本が中国の“冊封体制”に入る選択肢はないと思っている。かつて大陸には巨大な帝国が何度も出現しているが、日本は小国ながらその冊封下に入ってこなかった。歴史の中で日本を支配したのは米国だけである

         
        福島さんのご意見にまったく賛同しますが、ただ、中国だけとの関係性だけではなく、アジア全体の経済の中で日本がどのような位置を追求していくのかも含め、さらに具体的に、国民全体を巻きこんだ議論がなされるべきでしょう。
         
        もっと具体的にいえば、日本という国が、これから何で食べていくのか、他国との関係も含め、どのような国にしていくべきなのかを網羅する国家のグランドデザインと共に、AIIB参加への是非を議論すべきであると思うのです。その意味で、ただバスに乗り遅れないためだけにAIIB参加を煽るのには反対です。
         
        | Yuriko Goto | 日本経済 | 15:05 | - | - |
        「『脱』気配り」のススメ
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          ■ルールで決めるシンガポール社会、気配りを求める日本社会
          シンガポールで車を運転していると、バツ印のついた黄色い枠線が至るところにあるのに気がつきます。これは運転中に黄色の枠線の中で止まってはいけない、という意味で、大きい交差点や消防署の前はもちろん、少し大き目のマンションに面した道路や、脇道と大通りがぶつかる場所などにもあります。ラッシュアワーなど道路が渋滞していても、信号待ちの度にこの枠の分だけ隙間ができますので、自分の住むマンションや脇道からなかなか大通りに出られないという不便がないのです。
           
          これを見て最初に思い出したのが、数十年前に日本で運転免許を取ったときのことです。教習中、渋滞する道路で必死に前の車についていこうとしていたら、隣に座っていた教官に「入れてやれよ!」と怒鳴られました。ちょうど脇道から出ようとしていた車があり、教官の一言はこの車に道を譲ってやるようにという意味でした。次からはこういうことがないようにと、脇道があるといつ車が来ても道を譲れるよう、できるだけ車間を空けるようにしました、しかし、今度は後続の車から早く前に行けとクラクションを鳴らされたりします。運転技術が未熟だった私は途方にくれてしまいました。
           
          教官は待っている車に道を譲るように気配りを求め、後ろについている車は早く行けと急かす。こういう場合は道を譲らなくてはいけないとか、譲ってはいけない、というルールがないのですから、判断は運転者の気配りに委ねられます。しかし、シンガポールでは、こんなことを考えなくてもいいので、まったく悩む必要がありません。「黄色い枠線の中に車を止めない」というルールさえあれば、全員が納得してルールに従えるのです。
           
          ■全員が納得できる「気配り」はないから法律ができる。
          上述の例でもわかるように、人の考え方はさまざまです。教官は道を譲らなくてはいけないと考えていますし、後続の車は後ろが詰まっているのだからさっさと前に進むのが当然だと考えています。逆にいえば、脇道から出てくる人に気配りをして車間を空ければ後続の車からは「気配りのない車だ」と思われるでしょうし、反対だったら脇道から出てきた車には「気配りがない」と思われるでしょう。
           
          このように、全ての人が納得できる考え方など、この世の中には存在しません。みな考えることは違います。ただ、それでは社会が回っていきませんので、近代では民主主義というものが発達します。国民の多数が票を入れた政治家がいろいろな法律を作るのです(具体的な法律は実際には役人が作りますが、承認するのは政治家です)。こうして、黄色い枠線はシンガポールの法律で決められましたが、日本の場合は、その基準をまだ個人の「気配り」の領域にとどめているので、私のように混乱する人も出てくるわけです。
           
          ■「人と自分が考えていることが同じ」という慢心に「気配り」が生まれる。
          4月は入社シーズンですので、あちこちで新社会人向けセミナーが行われます。社会人として「当然できなければならない気配り」の項目もセミナーの中に入っていることが多いのですが、その内容たるや、私にはもはや禅問答としか思えません。
           
          ・相手の立場に立って相手が考えていることを推察し
          ・その立場から相手が自分にしてほしいことを暗黙のうちに汲み取り
          ・相手が気持ちよくなるような言葉や行動を選び
          ・なおかつ自分の利益にもなるように物事を運び
          ・そのために日頃から身なり、言葉遣い、動作などに細心の注意を払うことができる
           
          こんなことが1,2日の研修でできるようになるのだったら、その人は間違いなく天才です。私は50年以上生きていますがまったくできませんので、そんな方がいたらすぐに社長を代わってほしいくらいです。
           
          特に私が一番難しいと思うのは、「相手が何を考えているか推察する」ということです。日頃の商売は三方よし(お客様、自社、世間)の精神でしていますが、お客様にしろ、社員にしろ、もちろん消費者にしろ、みなさん、それぞれ考えていることは違いますから苦労するのです。逆に「この商品だったら絶対に当たるはずだ」などと自信を持ちすぎて無謀な投資でもしたら、倒産の危機を招きません。「気配り」を得々と説く人々には逆に、このような慢心があるのでは、と疑いたくなってしまうのです。
           
          ■日本人だったら「気配り」を求めると考えるのはおかしい。
          数年前に、日本の大手航空会社でチーフパーサーを勤めていた女性と話をしたことがあります。彼女は競合する航空会社の機内サービスについて「あんなサービスはサービスといえない」と批判しました。それに対して「私はサービスが好きではないので、どちらの航空会社も滅多に利用しません」と答えたところ、たいへん驚かれました。
           
          私は20年近くほぼ毎月、飛行機を利用しています。友人には「地下鉄に乗っている時間より飛行機に乗っている時間のほうが多い」と冗談を言われるくらい飛行機での移動は日常生活の一部になっているのです。そんな私が航空会社を選ぶ基準は、まず速さと価格です。次に座席の快適さ(広さ)です。最後に機内サービスが来ますが、機内では新聞や本を読んだり映画を観たり、仕事をしたりしたいので、できるだけ声をかけないでもらえるサービスが好きです。機内食は対象外。多少の味の差はあれ、概して機内食をおいしいとは思えませんし、おいしいものを食べたいのなら飛行機を降りてから食べます。日本語も不要です。
           
          こうして考えると、客室乗務員のきめ細かな気配りや、美味しい機内食サービスはなくても、少しでも座席を広くして価格を下げ、必要最低限のサービスしかしないアメリカ系航空会社のほうが私の好みには合っています。そう彼女に伝えたところ「いろいろな考え方の人がいるのねー」と感心されました。しかし、ビジネスのグローバル化が進むにつれ、私のような行動パターンや考え方の人々は確実に増えています。日本人だったら必ず、昔から考えられてきた「気配りのある」サービスで満足する、という思いこみがそもそも間違っているのではないでしょうか?
           
          ■「気配り」と「気遣い」は違う。
          「気配り」が必要ないと書きましたが、では、他人のことは気にする必要がないから、自分の好き勝手にすればいいというのはまた違います。
           
          下ネタで恐縮ですが、私は、トイレットペーパーを使い切ってしまった後、補充せずにそのままトイレを出てしまう人が嫌いです。自分が次にそのトイレを使う人であれば、トイレットペーパーがなくて困るのは火の目を見るより明らかだからです。「気配り」のように推察する必要はまったくありません。これを「気遣い」と呼んで「気配り」と区別することにします。
           
          「気遣い」は当然、仕事にも必要です。例えば、次の作業をする人に申し送りをするシチュエーションを考えてみましょう。当たり前のことですが、相手にどのように伝えたら明確に、効率よく、漏れがないように伝わるかを考えるのは「気遣い」です。
           
          しかし「気配り」の人は「こういう言い方をしたら相手がどう思うか、自分がどう思われるか」をまず考えます。その結果、余計なことに時間や神経をとられ、肝心の内容のほうが疎かになり、結局、伝えなければならないことがきちんと伝わらない、ということが往々にして起こります。また、そういう人に限って、誰かを非難するときに「言い方がよくない」などと些末なことにこだわる傾向があるように見受けられます。
           
          ■「空気を読む」は「気配り」の強要。
          近年、問題になっている職場でのメンタルヘルス問題にも「気配り」は大きく関わっているのではないかと思います。
           
          誰からも強要されていないのに勝手に「自分はこう期待されているはずだ」と思いこんでしまい、その期待に沿うように行動したり発言したりする。これが「空気を読む」ということでしょう。しかし、職場で空気を読んで、自分自身にどれだけのメリットがあるでしょうか? 確かにお昼に一緒に行ってくれたり、合コンに誘ってくれたりする同僚は増えるかもしれませんが、その結果、自分が本当に言わなくてはならないことも言えず、したいこともできず、ただただ周囲の顔色ばかりうかがって毎日を送ることにならないでしょうか? その結果、本当に必要な仕事上の「気遣い」に当てる時間が少なくなっていないでしょうか?
           
          まっとうな上司が評価するのはいつも、「ベストの言い方」をする人ではなく、「ベストの内容の仕事」をしてくれる人です。
           
          ■「気配り」をやめ、誰からも好かれちと思うことをやめよう。
          このように見てくると、「気配り」は相手に合わせる(と思う)ことによって、「人から好かれたい、嫌われたくない」という自分自身の欲求を満たすためのものだということがわかります。人間である以上、人から好かれたいという気持ちがあることは否めませんが、それが行き過ぎると、必要以上の「気配り」を自分自身にも他人にも求めるようになってしまうのではないかと思うのです。
           
          金子みすずの「みんなちがって、みんないい」はけだし名言だと思いますが、人それぞれ、みんな意見や考え方が違うのが当たり前です。人にはみな個性というものがあるのですから、万人に好かれたい、嫌われたくない、といくら思っても、自分でも「苦手だな」と感じる人がいるように、一部の人から同じように感じられてしまうのは仕方のないことなのです。
           
          もちろん、わざわざ相手の嫌がることをする必要はありません。しかし、自分が正しいと思うならば、他の人からどう思われるかを気にせず、勇気をもってしてみる、言ってみることが大切です。それを一つずつ繰り返していくことにより、本当に自立した社会人としての基礎ができていくからです。
           
          空気なんか読めなくたっていい、気配りなんかできなくたっていい、あなたがあなたとして正しいと信じることを行っていけば、きっと後から結果はついてくるでしょう。
           
          | Yuriko Goto | 女性の働き方 | 09:30 | - | - |
          同族経営は「悪」なのか?
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            大塚家具の経営権を巡る騒動についていくつか記事を書きましたが、いただいたコメントの中に「同族経営はよくない」という趣旨のご意見が散見されました。日本では税制も含めて「同族経営は悪である」という意識が一般に根強いようですが、本当にそうなのでしょうか?
             
            ■日本だけではない、上場している同族企業
            日本の税法では株式の50%以上を家族などがもつと同族企業とみなされ、中小企業の大半は同族企業です。また、上場企業では創業者一族が過半数の株をもっていなくとも、創業者一族が経営の根幹にかかわっている場合は同族企業とみなされます。日本では上場企業の約3割が同族経営といわれ、トヨタ自動車、キャノン、キッコーマン、エーザイなどがこれにあたります。ソフトバンクやファーストリテイリングなど、現在も創業社長が現役で経営の実権を握る企業は別格としても、日本を代表する企業に同族経営が決して少なくないことがわかります。
             
            いっぽう、アメリカの上場企業にも、数はそれほど多くありませんが同族企業は存在しており、M&Mチョコレートのマース、自動車のフォード、小売のウォルマートなどが有名です。また、非上場ですが穀物メジャーのカーギル社も同族企業です。
             
            全世界で4,000以上のマリオットホテルチェーンを展開し、リッツ・カールトンを傘下に収めるマリオットホテルグループも2代目であるビル・マリオットが40年間にわたりCEOを務めまてきました。彼は2012年に社員の中からアーン・ソアソンを指名して引退しましたが、取締役には一族出身者が残り、経営に関わっています。
             
            ■同族企業へのリスペクトが強い欧米社会
            2010年、トヨタ自動車はリコール問題を発端に激しいバッシングの嵐にさらされ、ついに豊田章夫社長がアメリカ議会で喚問されるという事態にまで発展しました。このとき豊田社長はあえて通訳を使わず、うっすらと涙さえ浮かべながら消費者に対して真摯に語りかけ、「TOYOTAのプリンスが議会で謝罪!」とマスコミで大々的に取り上げられました。対応の遅さを指摘する声こそあったものの大半は同情的な論調で、この後、潮が引くようにバッシングが収まり、トヨタ自動車が北米で急激に売り上げを回復したのは記憶に新しいと思います。
             
            これはひとえに、豊田社長が直接謝罪したことによる効果でしょう。アメリカ人にとって、トヨタ自動車は豊田家の会社であり、ファミリー企業のトップである豊田社長が謝罪したことに大きな意味があっのだと思います。
             
            ヨーロッパでも長く続く同族企業への尊敬の念が大きいのは同じです。BMWやミシュランなど老舗企業の多くが同族企業なのはよく知られていますが、我が社が20年以上取引しているドイツの機械メーカーも同族企業です。非常に特殊な機械を作っていますが、メルセデスベンツとも協業するなど、この分野では世界的なシェアを誇る中堅企業で、創業は1861年。現在は5代目の娘婿が社長を務めており、HPでは「オーナー経営で独立した同族企業です」とまず高らかに謳ってから、創業者から現社長までの歴代の同族経営者の軌跡を紹介しています。
             
            このようにヨーロッパでは同族経営のイメージはマイナスどころか、会社が誇る歴史の一部なのです。
             
            ■同族企業が長命な理由
            2014年4月14日の日経ビジネスオンラインの記事で、ボストン・コンサルティング・グループ日本代表の御立尚資氏が「ファミリービジネスで気づいた日本の“偏見”」という記事を書かれています。
             
            この中で、御立氏は同族企業とそうでない企業を比べると、同族企業(ファミリービジネス)では、景気に左右されにくいボラティリティー(変動性)が低い経営が特徴であると述べ、その理由として、以下の点を挙げられています。
             
            (1)倹約メンタリティーの徹底
            (2)設備投資に対する厳しいチェック
            (3)低い負債依存度、そして中庸な配当政策
            (4)M&A(合併・買収)は、比較的低頻度・小ぶりなもので、中核事業に近いもの中心
            (5)収益源の多角化への執念の強さ
            (6)グローバル化への積極性
            (7)人材の長期リテンション(保持)
             
            この分析は、自分自身の会社や、繊維業界という歴史が長い業界で長く事業を行ってきた取引先の同族企業をみても、非常に当てはまると思います。
             
            質素倹約については生まれたときから厳しく教えられてきましたし、物を大切に長く使う、ということは長期的視野にたった設備投資にもつながります。また、借入については、「借金してはいけない、欲しいものがあったら貯金を貯めてから買いなさい」と繰り返し刷り込まれましたので、設備投資も手持ち資金でやり繰りできる範囲で継続しています。また、毎年利益を出していても内部留保し、配当そのものをしない会社も他業界と比べて多いと思います。
             
            多くの会社では、景気が悪いときには経営者自身の報酬を削っても利益を出しますし、そうならないために日頃から販路開拓に余念なく、子弟を積極的に留学させたり、海外で研修や就職をさせて国外でのパイプを広げようとします。
             
            また、人材の長期保持についても、多くの会社が真剣に取り組んでいます。長く事業を継続していくためには人材の育成と定着が不可欠だからです。
             
            『フォーチュン』誌3/15日号の「働きたい会社ベスト100」特集では、上記のマリオットホテルグループが取り上げられていますが、同社では10,600人の社員が20年以上同社で働き、ホテル支配人の平均勤続年数は25年だそうです。また、このランキングの85位にはM&Mチョコレートのマースがランクインしています。
             
            私の会社でも親子2代にわたって勤めてくれる社員や、親戚が以前勤めていたという社員は珍しくありません。もし社員を使い捨てにするような経営を続けていたら、それこそ働いてくれる人がいなくなってしまい、人手不足で会社を閉鎖せざるをえなくなってしまうでしょう。

            日本では、創業100年を超える会社が5万社以上あると言われますが、その大半が同族企業です。長命の理由はずばり、このような同族企業に特徴的な経営の結果ではないでしょうか。
             
            ■会社は誰のためのもの?
            「会社は誰のものか?」といえば、答えは簡単、間違いなく株主のものです。上場している、していないにかかわらず会社の所有権は株主にありますし、同族が過半数の株式をもっていれば、理論的には、その同族の思うままに会社経営ができます。
             
            しかし、「会社は誰のためのものか?」という質問に、即答できる方は少ないでしょう。
             
            会社が登記されて法人という人格をもっているならば、会社=株主ではありません。同族、非同族に限らず、株主はもちろんのこと、顧客や仕入れ先、従業員、さらに地域社会など、さまざまなステークホルダーすべてのために存在するのが会社です。その意味では、同族会社であっても社会的な存在であり、株主の勝手にはできないのです。
             
            もちろん私は、プロフェッショナルの経営者を株主が選任し、株主の意向に沿った経営を行うことを否定するものではありません。が、現在のアメリカ経済界で実際に起きているように、プロフェッショナルの経営者たちが従業員の給与とはかけ離れた高額報酬を享受し、短期的な利益を追求するあまり極端なコストカットに走ったり、自社株買いでストックオプションの価値を上げたりする行為が行き過ぎると、長期的にはその会社の利益を損ない、ひいては社会的利益の損失を招く事態も起きかねません。その意味では、あまりに株主の利益偏重となり、非同族経営の会社では「公器」としての会社の役割がないがしろにされる危険性も少なくないと思うのです。
             
            ■「社業」を継続していくということ
            私自身は、経営学部を卒業したわけでもなく、経営に不可欠な簿記も経営者になってから勉強したくらいで、まったくの素人の状態で経営者になりました。しかし経営者として必要な基礎的教育は、子供の頃からずいぶん、父や祖母から受けてきたように思います。
             
            前述の日常生活での質素倹約や、物を大切に扱うことはもとより、家業というのは、次の世代に伝えていくものであり、自分自身は駅伝のランナーに過ぎないということ、世の中は常に変わっていくものだから景気がいいといっても安心せず、堅実に経営すること(実際、私自身も含め我が社の99年の歴史の中では何度も倒産の危機に直面しています)、社員と苦楽を共にし共に社業に励むこと、などはすべて日常の生活の中で繰り返し言われ続けてきました。

            また、親族もほとんど事業をしていましたので、あの時あの人は(自社や取引先、同業者など)こうしたから失敗・成功したというケーススタディの話を盆や正月など、親戚が集まる度に聞かされてきました。このように、家庭の中で経営者教育が行われるということも、同族企業ならではの特徴であると思います。
             
            かといって、経営者の家に生まれればみな経営者に適性があるかというとまた違いますが、少なくとも経営者としての適性を身に着けて成長する人の割合が一般の平均より高いことは間違いないと思います。会社でもしかるべきポジションに人材を配置するとそこで才能を開花させる人がいるように、経営者の家庭という環境が次世代の経営者を育てる可能性も当然高くなるからです。
             
            ■社業にかける同族企業の「思い」
            そして何より、同族企業の一番の強みは、社業に対する「思い」ではないでしょうか。
             
            エルメスでは、「われわれは過去の遺産を引き継いだからここにいるのではない。未来のものを預かっているのだ。未来からの預かり物に対して、ここで我々がいい加減なことはできない」というといいます。
             
            経営者も社員も、目先の利益に振り回されず、長期的な視野にたって仕事をし、堅実に、誠意をもって社業に励むことこそが、現代の同族企業に期待されていることだと思います。
             
            確かに一世代前の時代には、公私混同する経営者も少なくありませんでしたから、同族企業=悪というイメージが定着してしまったのもいたしかたないことだったかもしれませんが、現代の多くの同族企業の経営者はそうではなく、逆に、同族経営だからこそ社会に貢献できる側面があるということを、ぜひ多くの方々に理解していただきたいと思います。
            | Yuriko Goto | 企業経営 | 18:41 | - | - |
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