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    配偶者控除の撤廃分は子供あり世帯への控除に
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      JUGEMテーマ:幸せなお金と時間の使い方

      ■配偶者控除撤廃でも、夫婦控除では既婚者と独身者の不平等は残る。

      自民党の宮沢税調会長が29日、日経新聞のインタビューで、配偶者控除を廃止する方向で検討していることを明らかにしました。

       

      記事によると、現在、年収103万円未満の配偶者控除は約1400万人に適用されており、夫の課税所得から38万円を差し引けるため、年収600万円であれば7万円程度税負担が軽くなるそうです。計画では、配偶者控除を撤廃し、夫婦共働き世帯でも一定額を控除する方向で検討しているとのこと。

       

      配偶者控除以外でも、専業主婦を念頭に置き、厚生年金加入の会社員の配偶者で年収130万円未満の場合、年金保険料を払わなくても国民年金保険に加入していることになる第3号被保険者という優遇措置もありますので、配偶者控除の撤廃は、専業主婦と働く女性間の税負担の不平等を軽減するという意味でたいへん意義があると思います。

       

      しかし一方で、共働き世帯の既婚者と独身者で控除額に差が出るのは、新たな不平等につながるのではないかという懸念が残ります。

       

      ■減少するパート社員、増える正社員

      経営者ならどなたも同じ悩みを抱えているのではないかと推察しますが、団塊世代が次々と年金生活に入った現在、どの業界でも深刻な人手不足の状況が続いています。特にここ2年ほど、私の会社でも今までに経験したことがない採用難に陥っています。

       

      中でも最も不足しているのはパート労働者です。

       

      以前は、子供がまだ小さくて休みがちだったり、若干年齢が高く仕事に慣れるまで時間がかかりそうな場合など、まず扶養控除内で少しずつ働き、子供が大きくなってから、また、仕事にある程度熟練してから正社員になるというコースがよくありました。ところが、最近は、正社員とパート社員同時に求人広告を出しても、応募してくるのはほぼ正社員希望者のみ。しかも、前職ではパート社員として働いていたけれど正社員になりたい、という人が圧倒的に多いのです。

       

      「女性が輝く社会へ」と言わずとも、夫の給与が一時代前のように右肩上がりには上がらず、消費税や子供の教育費だけが上がっていく中、既婚女性も従来のようにパート社員として扶養控除内で働くのではなく、可能な限り働いてできるだけ稼ぎたい、という切実な声を面接中によく聞くようになりました。その結果として、私の会社でもフルタイムの新規正社員が大幅に増えているのみならず、既存社員でもパート社員から正社員になる人が増加しています。

       

      しかし、このように扶養控除の範囲内で働こうという女性が減少する中、共働き世帯のみが優遇されれば、新たな税の不平等が生まれる可能性があると私は思います。

       

      ■正社員で働いても苦しい家計の母子家庭世帯

      実は、フルタイムの正社員の中でも、一番生活が苦しい様子がうかがえるのは母子家庭の社員です。

       

      平成23年度全国母子世帯等調査の概要によると、母子世帯は約124万世帯で年々増加しています。母子世帯の80%は就労していますが、平均年間就労所得はわずか181万円。また、児童手当の新設にあたり、16歳未満の子供の扶養控除が廃止されましたが、母子家庭の末子の年齢は14歳以下が70%で、平均年齢は10.7歳です。約73%が児童扶養手当を支給されているとはいえ、母子世帯の半数以上が民間の賃貸住宅や公営住宅に住んでおり、家賃負担も決して少なくありません。

       

      同じ給料で働いていても、夫婦2人の収入があり、母子家庭と同じ児童手当をもらえ、家賃や子供の学費も折半できる共働き世帯と違い、独身者、特に母子家庭の世帯には控除がないというのは、どう考えても新たな不公平税制となるのではないでしょうか?

       

      ■子供あり世帯への控除を拡充へ

      これだけ女性が本気で働く意思を示し始めた今こそ、働く女性と専業主婦間の税の不平等は解消されるべきだと思いますし、今回、時代にそぐわなくなったと政府自身が税制改革に乗り出す姿勢は高く評価されるべきでしょう。

       

      ただ、未曽有の少子高齢化が進む中、少しでも子育て中の世帯を応援する意味でも、配偶者控除の撤廃分は「夫婦」世帯というより、母子家庭も含めた、子育て真っ最中の世帯への控除に振り替えるべきではないかと思います。

       

      子供がいないか、すでに子供が独立して働くことのできる専業主婦がいる世帯ではなく、子育てをしながら夫婦または片親で、仕事も子育ても両立しながら奮闘している世帯にこそ、真っ先に税額控除をしてほしいと納税者の1人として強く思います。

      | Yuriko Goto | 女性の働き方 | 19:55 | - | - |
      お金にとらわれずに老後を自由に生きる暮らし方
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        JUGEMテーマ:幸せなお金と時間の使い方

        ■お金は自分が成し遂げたいことをするための手段

        漫画家三田紀房さんの公式サイトで、フォーブスジャパン編集長兼CEOの高野真さんの「人生を変える『お金』の話をしよう!」という記事を読みました。

         

        高野さんはずっと金融業界でキャリアを積み重ねてきた方ですが、投資会社のトップとして大きな業績を残した後、業界から引退され、現在はフォーブスジャパンを立ち上げて軌道に乗せつつ、ベンチャーキャピタルに資本参加して新しい企業育成にも取り組んでいるそうです。

         

        この記事の中で高野さんは、「『何のためにお金を稼ぐか』が大切なのであって、お金もうけはプロセスでしかない。人生をかけて稼いだお金を何に使うかに、その人の人柄が明瞭に出る。」と書いています。高野さんは、これからの未来を作っていくベンチャー企業に数千万円、数億円というお金を投資していると言っていますが、これは、つい先日英アーム社を3兆3千万円で買ったソフトバンクの孫さんと同じ考え方ではないかと思います。高野さんにしても、孫さんにしても、自分のもてる能力を十二分に使い、全力を尽くして稼いできたお金を自分の贅沢や楽しみのために使うのではなく、将来の社会のために自ら働きながら使っていくという考え方に深く共感します。

         

        ■お金がある、ない、は主観の問題。外から見てもわからない

        このような感想を人に話すとよく返されるのが、「それはお金をもっている人の言うことで、あなたのような裕福な家に生まれた人には一生懸命働いて毎月の生活費を稼ぐのに追われるサラリーマンの苦労はわからない」という反論です。

         

        確かに私は社長の娘として生まれました。ただ残念ながら、兄弟が多かったこともあり、教育にこそお金をかけてもらいましたが、好きなものを好きなだけ買ってもらえるような贅沢をさせてもらった記憶はまったくありません。私が子供の頃の母の口癖は「お金がない」で、「うちはよそより大きな家に住んでいるのに、なぜそんなにお金がないんだろう?」といつも不思議に思っていました。

         

        今考えると母の「お金がない」は当然といえば当然で、大きい家にはそれなりの維持費がかかりますし、子供が多いのに中学から私立で大学まで進学させ、習い事もいろいろとさせていればやはりかなりのお金がかかります。さらに田舎の本家でしたので、親戚やお寺、その他の交際費にもけっこうな出費があったはずです。外から見れば「お金持ち」の家でも、内実は自転車操業状態だったのでしょう。

         

        こんな環境でしたので、お小遣いを数百円アップしてもらうときでも必ずお小遣い帳を父に見せて無駄遣いしていないかチェックされましたし、お小遣いを超えてほしいものがあれば自分で働いて買うように言われ、高校時代からアルバイトをしていました。大学時代、帰省するときには新幹線を使う友人が多かったのですが、「学生で時間はあるのだから新幹線を使う必要はない」と言われ、いつも高速バスを利用していました。

         

        そのため私は、小学校のときから「将来は絶対働いて稼ぎ、自分の好きなものを好きなだけ買えるようになりたい」と思っていました。いま振り返ると、このような親のお金に関する教育が、社会に出て職業人となったときに非常に役に立ったと思います。

         

        ■人との比較ではなく自分の物差しで価値を測って生活する

        ファイナンシャルプランナーの方がお金を貯める秘訣としてよく説くのが「徒に生活レベルを上げない」ということです。

         

        確かに一等地の高級マンションに住んで、専業主婦の妻が高級スーパーやブティックで買い物をし、子供を小学校から私立の学校に通わせたりしていたら、年収1千万円超のエリートサラリーマンの家庭でもお金は貯まらないどころか、一歩間違えばすぐに赤字転落し、私の実家のように常に「お金がない」地獄に陥ってしまうでしょう。反対に、以前勤めていた会社の同僚に、ぼろぼろの木造アパートに住んで家賃を節約し、食うものも食わずで高級ブランドバッグや服に給料を注ぎこんでいた女性がいましたが、これもバランスを欠いた生活のような気がします。一点豪華主義といえば聞こえはいいですが、あまりにも虚実の差が激しすぎると思うのです。

         

        自分の好きなことに自分が稼いだお金を使うのは当然の権利ではありますが、人との比較で、「あんな暮らしをしたい」「あんな物が欲しい」と欲望ばかりが肥大して、そのためにお金に執着するのは精神衛生上も決してよくないのではないでしょうか。常に「ワンランク上」の生活を見たらきりがないですし、物に対する欲望は満たそうと思えば思うほど満たされなくなるからです。

         

        そのようにずっと思ってきましたので、私の日常生活はいたって質素です。人と会う以外の外食はほとんどせず、コンビニ弁当も買いません。出勤するときはランチミーティング等がない限り必ず弁当を作って持っていきますし、水筒をいつも持っているのでペットボトル飲料も買いません。スーパーでは同じものがあれば必ずタイムセールの特売品を買い、洋服もセールで買ったものばかりで高級ブランド品はもっていません。家族で外出するときは、ショッピングセンターやテーマパークやレストランなどには滅多に行かず、近所の公園を散歩し、家に帰ってから料理をして食卓を囲むのがたいていの休日の過ごし方です。

         

        その理由を挙げると、外食よりも自分の体調に合わせて作った食事のほうが口に合いますし、ペットボトルの余計なごみを出さずにすみ、当日中に料理するのであれば朝定価で買っても夜割引のものを買っても同じことですし、洋服は翌年にはどうせシーズン落ちになり、高級ブランド品のコストの大半は広告宣伝費だと知っているからです。また、夫も私も、人混みの中で楽しむより自宅でゆっくりくつろぐほうがリラックスできるのです。

         

        「社長のくせにケチケチしてみっともない」と言われるかもしれませんが、自分ではそのほうが合理的で気分がよいと感じるので思った通りにします。そうすると、それほど無理をしなくても自然にお金はたまっていくのです。

         

        京セラの稲盛名誉顧問が「利益を上げるには、売り上げを最大に、コストを最小に」という意味のことをおっしゃっていますが、個人でいえば「年収を上げる」のと「生活コストを下げる」をバランスよく行うことこそ、お金を貯められる生活といえると思います。

         

        ■お金を貯める目的だけのために無理をしない

        いっぽうで、お金を貯めるという目的のためにすべてを犠牲にすると、それはそれで精神的にきつくなってしまいます。そこでどうしてもという部分は無理をせず、ストレスを溜めないようにもしています。

         

        我が家では週2回、掃除と洗濯を近所の女性に頼んでいるのですが、以前は、私が掃除を、夫が洗濯とアイロン掛けを担当していました。2人とも仕事が忙しいときには土日休めるわけでもなく、交代で休んで残りの1日を家事に充てると自分の時間がまったくなくなり、だんだんストレスが溜まっていって夫婦喧嘩のタネになります。そこでこの部分をアウトソーシングすることにしました。月数万円の出費にはなりますが、1回あたりの出費はファミレスで家族で外食するのと同じくらいの金額ですから、それで貴重な週末をのんびり過ごせ、夫婦円満に暮らせるのでしたら十分もとは取れていると思います。

         

        私は読書が好きなので本に出費は惜しみませんし、夫はIT関連の仕事のため必要なコンピュータやモバイルデバイスなどにもそれなりにお金を使っています。また、部下や若い友人と食事をするときなどは、必ずご馳走するようにしています。しかし、普段からつつましく生活していますので、多少の贅沢をするときでも、自然と分をわきまえた出費になっている気がします。

         

        ただ、これも夫婦共働きの前提があってこその話ではありますが・・・。

         

        ■お金に囚われず、無理をせず働いて老後の自由を手に入れる

        冒頭の高野さんや孫さんのように、莫大な金額を夢や理想のために使えるほどの大金を稼いできたわけではありませんが、そろそろ老後の生活が気になる年齢になり家計をチェックすると、このまま2人とも自分たちのペースで働き続けることができれば、将来を心配しなくてもいい程度の貯蓄ができていました。

         

        以前の記事にも書きましたが、子供は勉強が好きで国立大学に入れるようならば進学すればいいですし、そうでなければ職業訓練校に行ってくれればいいと思っていますので、積み立ててある学資保険金を超えて教育費がかかる心配もありません。これは、夫と2人で延べ60年近く働き続け、少しずつ投資もしてきた結果だと思い満足しています。

         

        また、万が一、戦争や世界大恐慌のような事件が起こり、こつこつ貯めた資産がすべてなくなってしまったとしても、夫と私が健康でそれなりに働いていれば、これまでと同程度の生活を維持していくのはさほど難しくないと思っています。逆にもし生きているうちに使い切れずにお金が残りそうであれば、支援を必要としている人々をサポートする団体に寄付したいと、夫と話しています。

         

        昨今、「下流老人」や「老後貧乏」など、老後の生活への不安を煽るような論調ばかりが目立ちますが、このような記事を読むたびに思うのは、皆、あまりにもお金に囚われすぎているのではないかということです。平均寿命が延びたのですから、元気なうちはできる範囲で働いてその中で生活していけばいいですし、もしも健康を害して食べるものにも窮するようになるのであれば、迷わず生活保護を申請すればいいと思います。そのために何十年も働いて税金を払ってきたのですから、当然の権利ではないでしょうか。

         

        老後の生活をどうしよう、とお金のことばかり考えていろいろと案ずるより、これから先、どのように生きがいを感じながら健康に、無理のないペースで働いて人生を全うしていこうか、と考えることのほうが、よほど精神的に健全ですし、自由を感じられるのではないかと私は思います。

         

        安倍政権が標榜する「一億総活躍社会」政策でもまた、ただ定年延長のみをして「国にお金がないのだから、とにかく死ぬまで働きなさい」ではなく、一人ひとりの生活や個性(健康状態や家計状況も含みます)を尊重しつつ、セーフネットもきちんと整備しながら、最期まで国が国民の生活をサポートする仕組みを作っていってほしいと、心から願っています。

        | Yuriko Goto | 家計管理 | 07:21 | - | - |
        AI時代をサバイバルするための家庭教育を考える。
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          ■20年以内に確実にやってくるAI時代

          日経ビジネスオンラインのソフトバンク、孫正義社長のインタビューを読んで興味が沸き、「日経ビジネス 8月8日・15日号」も買って読んでみました。

           

          特に興味深かったのは英半導体メーカー、アーム買収の意図について。「まだ言いたくない。どうせ信じてもらえないし」と口を濁しつつも孫さんが語るのは、世界中のありとあらゆる場所にCPUが配備され、通信網につながってデータがやり取りされて蓄積され、また個々の人間やロボットにつながり、それを統合するAI(人口知能)がシステムをコントロールし、自ら考えながら進化して世界をデザインしていく・・・。まさに映画「マトリックス」の世界です。

           

          ただ、「マトリックス」と違うのは、孫さんがその世界をダークなものではなく、人間を幸福にするシステムとして構築したいと強調していること。いみじくも孫さんは「20年後にはアームのCPUが1兆個、地球上にばらまかれる」と語っていますが、その時彼は80歳。おそらくそのくらいのタイムスパンである程度の完成を見るように、スケジュールを組んで全体を構想しているのではないかと推察しました。

           

          ■人間でなければできない仕事がどんどんなくなっていく・・・

          8月16日、米フォード自動車が、2021年までにハンドルやアクセルのない完全自動運転車の量産を開始すると発表しました。

           

          この分野ではフォードのみならず、トヨタやメルセデス他、各国の自動車メーカーが巨額の資金をつぎ込み、熾烈な開発競争を繰り広げていきますが、フォードCEOは「自動運転車のインパクトはフォードが100年前に始めたベルトコンベヤーによる自動車の大量生産に匹敵する。この変化の一部は我々がリードする」と、この技術が単なるイノベーションではなく、自動車製造のコンセプトそのものを変革するものだと強い意気込みをみせています。

           

          そして、この技術が晴れて完成したあかつきには何が起こるのでしょうか?

           

          まず、タクシー運転手が職を失うでしょう。次は長距離トラック運転手の番になります。バスや電車の運転手も不要になっていくかもしれません。しばらくの期間は法律で人間が同乗していないと運転できないよう規制できるかもしれませんが、人間が関与してもしなくても事故率が変わらないことが証明されれば、法改正して無人運転を認めざるをえなくなるでしょう。これにより、世界中で恐ろしい数の失業者が出てくるはずです。

           

          こちらは、ダイヤモンドオンラインに掲載された、今後、AIの発展によって機械が人間にとって代わり、人間から奪われていくだろう仕事の一覧です。上述のドライバーはもちろん、小売店販売員、一般事務員、軽作業や工事現場の作業者など、一般にあまり専門的なスキルがなくてもできると考えられている職業から、会計士、通関士、保険販売代理人、上級公務員など、専門知識が必須で高度な職業訓練が必要とされている職業まで、これではいったい20年後の人間は何をしたらいいのだろう? と考えこんでしまう内容です。

           

          ■羽生三冠もいつかはAIに敗れる。

          来年春、天才棋士羽生三冠が、トーナメントで勝ち残ったコンピュータソフトと対戦する可能性が高まってきました。

           

          孫さんは囲碁で7手先を読むといっていますが、羽生三冠クラスの棋士になるとふつうでも20〜30手、変化を含めるなど場合によっては200〜300手も読むといいます。昔、まだ羽生三冠が天才中学生と一部でもてはやされていた頃、日曜日にNHKでオンエアされる将棋対戦をよく見ていたのですが、当時の彼の将棋の特徴は、相手の手を読みに読んだうえで、誰にも理解できないような唐突な手を打ってくるところにありました(一度など、解説をつとめていた加藤一二三棋士がその手のあまりのわからなさに狼狽して、解説譜面をぐちゃぐちゃにしてしまうというハプニングが起こったことがありました)。

           

          しかし、当時を振り返って羽生三冠が語っているのは、「若いころはよくわからなかったのでとにかく読むしかなかった」という言葉だそうです。つまり、唐突な手は唐突でも何でもなく、すべてを読みこんだうえでの最良の手だったのです。

           

          今年、勝ち残ってきたソフトは、昨年の優勝者、山崎八段に2勝しているそうです。羽生三冠はまったく違うレベルの棋士ですので、まだソフトとの勝負に勝つ可能性は高いと思っていますが、ソフトが羽生三冠の思考パターンを学習し、孫さんのいう「ディープ・ラーニング」によって自己進化を遂げていけば、いつか羽生三冠が敗れる日が必ずやってくるでしょう。それは、人間があくまでも肉体に囚われた有限なものであるのに対し、AIは制限がない、どこまでも進化していける可能性を本質的にもっているからです。

           

          ■機械に本来備わっていない身体と感情を豊かにする体験教育

          20年後、現在7歳の我が家の娘は27歳になっているはずです。

           

          彼女が27歳になったとき、どんな職業に就いているのか(どんな職業があるのか)見当もつきませんが、現在、その年ごろの一般的な女性が就いている職業のおそらく半分くらいは、上のリストに入ってしまっています。大学受験のためにクラスメートと競争するどころか、彼女の年齢の子供たちは、これからAIとも競争していかなければならないのです。

           

          私は、その時代を生き残るために必要な技術は、決して詰め込み式の知識教育ではないと思っています。自分自身はかなりの時間とお金をかけて外国語やビジネスの知識を学んできましたが、娘の時代にはそんなことをせずとも、自動翻訳機が瞬時に働いて言葉の障壁がなくなり、同様に、専門的な技術や法律の知識も、自分であちこち調べなくとも、コンピュータが一瞬のうちに最良の解を提示してくれるでしょう。

           

          その中でAIと差別化するためにできることが何かといえば、私は、体験に基づく身体性と感情の発達を促すことではないかと思います。

           

          機械が機械である限り、有限な肉体をもつ人間とは根本的に違います。また、感情は肉体をもつことによって派生してくるものです。AIの「知」が絶対にもちえないもの、それは体を動かして何かを創造したり体験したりする喜び、他者とかかわることによって生じる喜怒哀楽の表出と他者との感情の交流ではないでしょうか。そして、それを得るためには、学校や塾で先生の話をただ聞いたり、コンピュータの前に座って知識を広げているだけではなく、外に出て、実際に自然や人間に積極的に出会っていくことこそが必要なのだと思います。

           

          PEPPER君はかなりの皮肉屋だそうですが、人間の細かい感情の機微や、身体に直結する感情の起伏などは、どんなに頑張っても2,30年といった短いスパンでロボットに学習させるのは私は無理だと思います。社会の中でAIにとって代わられるのではなく、AIを自分自身の幸福追及に利用していくだけの逞しさと知力をもつ人間に育ってもらうために、これから具体的に、娘にどんな教育を与えていったらいいのか、真剣に考えなくてはいけないと思っています。

          | Yuriko Goto | グローバルビジネスと人材 | 18:49 | - | - |
          「もうセックスは要らない」と言い始めた若者たち
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            『コンビニ人間』で今年、第155回芥川賞を受賞された村田紗耶香さん。

             

            一作前の作品が『消滅世界』です。私はふだんほとんど小説を読まないのですが、これだけはあちこちの書評や口コミで「すごい」と評判になっていたので買ってみました。優れた作家は時代を作品にすると言いますが、その通りの小説でした。

             

            ■「愛し合っているけどセックスがつらい」

            この小説の舞台は「さきの戦争」が終わった近未来。思春期になると男女ともに避妊手術を施され、子供はすべて人工授精によって生まれます。結婚やセックス(「交尾」と呼ばれる)は自由ですが、結婚した夫婦のセックスは「近親相姦」として法律で禁じられ、恋人としかできません。また、「キャラ」と呼ばれる仮想人物のみを恋人としてマスターベーションで性欲処理する人が多く(主人公の世代の80%がセックスをしないまま成人を迎える)、人間の恋人をもつ主人公、雨音は友人から「よくできるわね、あんな汚いこと」と驚かれたりします。

             

            雨音はそんな考え方がどこかおかしいと思いながらも恋人と付き合いますが、ある日、筋肉質で肉体労働者の恋人から「とても愛しているけれどセックスがつらい」と別れを告げられ、絶望。夫婦も結婚もなく、すべての大人が「おかあさん」であり、生物学的な親から切り離されてセンターで育てられる子供は大人全員の「子供ちゃん」とする実験都市、千葉県に移住し、新しい時代の「イヴ」になっていく・・・。

             

            徹頭徹尾、想像を絶する設定と展開が続いていくのですが、この小説を読んだ後、作家本人のインタビュー記事を読んでさらに恐ろしくなりました。

             

            この本を読んでいる間、私は作者が愛やセックスを否定する世界へのアンチテーゼとしてこの小説を書いたのではなかったかと思ったのですが、実際はまったく逆でした。

             

            「身近な友達にも夫婦として愛し合ってはいるけれど、セックスはしたくないという人はいる。それを周りから変だ、とみられて我慢してもいる。そうやって苦しむ人がもっと楽に生きられる世界を想像してみたかった」産経新聞のインタビュー記事で、村田さんはこのように答えています。彼女は1979年生まれのポスト団塊ジュニア世代に属していますが、個人的な実感では、確かに彼女と同じくらいかそれより下の世代で、セックスレスになって悩んだり、離婚したりする夫婦、そして何よりも結婚を切実に望まない単身者が大きく増えているような気がします(男女ともにセックスレスでハッピーであれば何も問題はないですが、少子化は進みます)。

             

            ■アメリカの若者の性交渉に大きな異変が

            実は、日本のみならず、アメリカでの調査をみても、若い世代がセックス離れをしている状況が出現しつつあります。

             

            米疾病管理予防センターが2年ごとにアメリカの高校生に対して行っている調査結果によると、性体験があると答えた学生は41%で、10年前の47%から6ポイントも下がりました。また、最近性交渉をもった者、13歳以前に性体験をした者、4人以上の性体験の相手がいる者などですべて割合が低下しており、彼らの意識が大きく変わっていることがわかります。

             

            この調査では実際に集計した担当者が、あまりにも以前とのギャップが激しいため「なぜこんな結果になったのかわからない。統計的問題がないかどうか次の調査時に検証したい」と表明しているほど、ショッキングな結果だったようです。

             

            1970年代後半から1980年代にかけて、アメリカの早熟な青春文化の洗礼を受けた私としては驚くばかりで、このような結果をもたらした根本的な原因は、『消滅世界』でも描かれたヴァーチャルな欲望処理に近い「42%が、学校の勉強と関係なくビデオやゲームなどにコンピュータを1日3時間以上使用している」状況と関連があるのではないかと思っています。

             

            ■オリンピック選手村で準備された45万個のコンドーム

            いっぽうで、こちらも信じられないことが起こっているのが、現在開催中のオリンピック選手村。8月6日付のビジネスサイト、フォーブスに掲載されたこの記事のレポートです。「リオ五輪、コンドーム配布数は史上最多 1選手当たり42個」。

             

            この記事によると、10,500人の選手用にIOCは男女併せて45万個のコンドームを用意。前回のロンドンオリンピック(15万個)に比べても倍以上になっており、滞在期間中に42回のセックスをする計算だそうです。

             

            競技前のセックスが与える影響については(身体的にはほとんど影響がないそうですが)、

            もちろん、肉体的な影響はなくとも、精神的な影響が出る可能性はある。セックスをするとリラックスして幸せな気分になるが、これは競技に向けたコンディション作りにつながるかもしれないし、逆に競技に必要な競争心や攻撃性を奪うかもしれない。場合によっては、泥沼の恋愛劇に発展することもあるだろう。また、睡眠不足もパフォーマンスに悪影響を与える要因となる。

             

            と記事中で釘をさしているものの、大量のコンドームを配られ、選手村自体が、「たくさんの人がセックスをしている。芝生の上や、建物の陰でも」(サッカーのホープ・ソロ)、「五輪での第2のモットーは『選手村で起きたことは絶対に口外しない』だ」(水泳のサマー・サンダース)、「イタリア人選手たちはドアを開けっぱなしにしているので、ひも状のパンツ姿で走り回る男たちをのぞき見できる」(自転車BMXのジル・キントナー)、という状況になっていれば、科学者が何を言ってもたいした抑制効果は期待できないでしょう。

             

            ■ヴァーチャル世界と現実世界の乖離がこれからの人間の進化に重要な影響を与える?

            最近、この記事のようにコンピュータゲームは学校の成績を上げる、というような研究成果が立て続けに発表されています。

             

            今後、職業生活において加速度的にITの知識や技術が重要になってくるのは確実ですし、次世代IT社会のキーファクターになると注目されているAI(人口知能)を使いこなすためにも、ゲームに限らず子供時代からコンピュータと共生していく生活は避けられないでしょう。しかし、そうすることにより、人間が本来もっているはずの生殖欲求や、恋人や家族など特定の他者と深く関わりたいというコミュニケーション欲求に陰りがでてきているように思えてなりません。逆に、個のもつ肉体の能力を極限まで引き出そうとする世界レベルのアスリートたちの間で、爆発的ともいえる性的な開放が起こっている事実は、時代の共振性が正反対の方向に働いているのではないかと感じるのです。

             

            最近、進化や突然変異というのはこれまで考えられていたよりもっと短いスパンで起こるという説があるようですが、性にかかわるこれらの現象をどう解読するのか、ぜひケン・ウィルバーあたりに聞いてみたいものです。

            | Yuriko Goto | 女性の働き方 | 12:09 | - | - |
            書評:浅羽通明著『「反戦・脱原発リベラル」はなぜ敗北するのか』
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              ちょうど昨年の今頃、国会前は連日、SEALDsをはじめとする老若男女の安保関連法案に反対する人々の群れで埋め尽くされていました。あれから1年、SEALDsは解散し、あの熱狂はいったい何だったかという疑問を残したまま、嘘のように人々から忘れ去られています。

               

              この本は、あれだけの人を動員し、盛り上がりをみせた若者たちを中心としたデモが、なぜ敗北したのかを対話形式で分析していきます。

               

              絶望から出発した者だけが、自らを上げ底にせず大地の岩盤を踏みしめて前進できるのです。

               

              浅羽さんらしいロマンティックな表現の中に、「絶望」を感じていないであろう人々への苛立ちがうかがえます。

               

              このデモに先立ち福島原発事故の際にもやはり、同様のデモが行われました。2012年7月末のデモでは主催者発表によれば20万人が参加とされています。これに対し、SEALDsが中心となったデモの動員数は12万人。学生たちにしてみればこれまで見たこともない人数だったかもしれませんが、有権者全体の数からすればほんの一握りで、原発反対でもよりだいぶ人数を減らしています。

               

              「安保関連法案は違法」と断言し、政党「国民怒りの党」を結成して法案通過後の参院選で比例代表区に立候補した小林節氏も、政党全体の得票数が12万6千票あまりと、デモ参加者の得票数とほぼ同じで、「1人のデモ参加者の後ろには100人の賛同者がいる」という期待は見事に裏切られました。

               

              浅羽氏が強調するのは、彼らの失敗はデモ実行自体が目的化されてしまい、デモで実現したい目標をデモ以外も含めたあらゆる手法を使い「いかに達成するか」に目を向けないことにあるということです。

               

              批判してくる同業者であるインテリへの反論とかは考えても、主敵である安倍政権について、こういう攻撃は効いているみたいだとか、ここが安倍晋三の弱点ではないかといった戦略論とか戦術論とかはまったくない。自分たちと仲間や同類、後進へ向けて、戦うときの自前の心構え、すなわち精神論を説いてばかりいますね。

               

              昨年「デモに参加すると就職が不利になる」という言説が飛び交い、”「デモに参加すると就職に不利になる」と言われて参加をとりやめる学生は採用されない”という記事を書きました。この中で私は、「 「現状を打開したい」という気持ちがなければ、「カイゼン」も「イノベーション」も生まれない。 」ということを言っています。まさに当時最後まで反対デモに参加していた人々の中にはこの強い気持ちがあったと思いますが、逆にいえば、それだけで終わってしまった。

               

              そこからデモの主催者たちは、参院選への選挙協力という方向に流れていくのですが、浅羽さんが指摘するように、2012年の反原発デモ後に行われた東京都知事選で、反原発を訴えて立候補した細川元首相が敗れた事実を真に受け止め、その「絶望」から、彼らの倒すべき敵である安倍政権の弱点をつく「戦略」や「戦術」、平たく言えばPDCAサイクルをきちんと回していなかったということが最大の敗因であるのではないかと思います。

               

              ビジネスの世界では、いくら一生懸命仕事をしても、結果が出なければそれはただの無駄なコストにしかなりません。「ここまで頑張ったから自分で自分を褒めてあげる」では永遠に業績を上げられません。もしも期待した結果が出なければ、どこが悪かったのかをきちんと検証し、次は結果が出せる方針を再度練り直して実行しなければなりません。そうではなく、デモ自体(会社でいえば仕事)、仲間同士(会社でいえば同じ会社の社員)の連携にだけ目が行ってしまっている現状では、デモの外側にある現実の問題を解決できないのです。

               

              その意味で、浅羽さんは「サラリーマンおよび実務家社会人を巻きこまなければ、リベラルは勝てない」「これまで忌避しがちだった実務人たちの思考方法を身につけてゆけば、浮かぶ瀬もある」と論を進めます。

               

              イケてなかろうがダサかろうが、自分にとって生き死にに関わる問題だから闘うしかない。そういうものでない限り、私は眉に唾をつけざるをえないのです。

               

              というエピローグの結論に向かう中、問題をどこまで自分の人生と重ね合わせられるか、どこまで戦略を具現化できるのかに収束されます。

               

              私自身はいわゆる「リベラル」ではありませんし、憲法9条改正も必要だと考えていますが(安倍政権の改正案とはだいぶ違うものです)、現在のように、そのたびにその場しのぎの戦略と候補者で勢力を徐々に弱め、リベラル側が自公政権と拮抗して緊張した政治関係を作ることができないのは、日本の将来にとってマイナスであると思います。

               

              「リベラル」の方々にこそ、読んでほしい本です。

              | Yuriko Goto | 書評 | 16:27 | - | - |
              移民100万人受け入れ後のドイツで教えられた中小企業の果たすべき役割
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                JUGEMテーマ:国際社会

                ■隔離された移民収容施設と移民2世の女性

                7月下旬、ヨーロッパ出張をしてきました。今回の出張の一番の目的は、ドイツの機械メーカーに発注している機械を出荷前に確認し、初めての取引となるメーカーの工場をチェックすること。5泊8日、10回飛行機乗換えというかなり過酷な旅でしたが、仕事の成果はもちろん、ドイツの移民問題に肌で触れるよい機会となりました。

                 

                最初の訪問先はブレーメン郊外の街にある創業150年超、この分野ではヨーロッパ最大の同族経営中堅メーカー。従業員数120名程度と規模はさほど大きくありませんが、長い歴史を誇るだけあって街では誰もが知る有名企業です。従業員も地元出身で引退まで働き続ける人が大部分。訪問は15年ぶりでしたが、展示会で会ったことのあるデリバリー担当の女性や技術者など、いろいろな人からきさくに声をかけてもらいました。

                 

                北ドイツの長身、金髪碧眼(もしくはブラウン)の社員がほとんどの中、案内してくれた営業アシスタントの女性は、いわゆる「移民2世」でトルコ系女性。アジア人らしく控えめながら、忙しい営業マンに代わって仕事を的確に迅速にこなしてくれる彼女をいつも頼りにしており、今回、個人的な話も若干することができました。それによると、30代後半の彼女は10数年間この会社で働いており、独身。苗字から推測して「イスラム教徒ですよね?」と聞いたら「No」という返事が返ってきました。

                 

                実は、昨年、彼女のボスでわが社担当の営業マン(勤続25年超のオランダ人)にミラノの展示会で会ったとき「100万人も移民を受け入れるなんてメルケルはクレージーだ!」とさんざん不満を聞かされました。「でも、アシスタントのxxさんってトルコ系だよね?」と聞いたら「彼女は別。もうちゃんとドイツ人になっているから」と返答をされたのを覚えています。

                 

                このような環境の中、彼女がどれだけの努力をしてドイツ社会に溶け込もうとしてきたのか。それは改宗もしくは棄教(おそらく)という事実をみても明らかではないでしょうか。

                 

                訪問の後、彼女が手配してくれたタクシーでブレーメンに戻りました。途中、街のはずれに広大な敷地が広がる施設あったので何か聞いたところ、元ドイツ空軍の訓練施設で冷戦後不要になって放置されていたもので、移民受け入れ施設に指定され相当数の移民が暮らしているということでした。元軍事施設が難民受け入れ施設になるのも皮肉なものですが、高い塀に囲まれた施設の中には人影がまったくなく、現時点では美しく平和なドイツの街から完全に隔離されている印象を受けました。

                 

                現在、その中にいる彼らが、街に出てきたときに何が起こるのかを、その晩宿泊したブレーメンと翌日のデュッセルドルフ空港で見た気がします。

                 

                ■ブレーメンでひったくりに遭遇し、デュッセルドルフ空港では警察を呼ばれる

                ブレーメン市内のホテルに着くと日没が遅いのをいいことに、さっそく観光に出かけました。たまたまブレーメン美術館が21時まで開いている日だったこともあり、こじんまりしたショップが並ぶ路地を通りながら美術館に向って歩いていたときのこと。夏休みの観光客でごった返す狭い道を、中東系か北アフリカ系と思われる2人の若者がものすごい勢いで駆け抜けていきました。「何かあったのかな?」と怪訝に思っていたところ、「どろぼう!」と英語で叫びながら中国系女性が2人走ってきたのです。ひったくりです。近くのレストランの男性も加わって追いかけていましたが、残念ながら見失ったようでした。

                 

                ブレーメンは近郊の町まで含めれば人口230万人ですが、市内はこじんまりしていて、駅前や観光名所のすぐ近くにも閑静な住宅街が広がる美しい地方の小都市です。人々もとても親切。これまで何度もヨーロッパに行っていますが、正直、ドイツでひったくりに会うとは想像したことがありませんでした。パリやミラノの観光地でこそバッグに気をつけていたものの、ドイツではまったく無警戒でしたし、特にブレーメンのような小さな街でひったくりに遭遇したことでかなりショックを受けました。

                 

                美術館を出た後、街全体を歩いてみたところ、駅近くの比較的ごみごみした地域を中心に、若者たちが路上に椅子を出してぼんやりしながら話したりスマホをいじったりしているのをかなりみかけました。ゲルマン系ドイツ人の若者はいっさいみかけず、路上にいるのは明らかに移民系ばかりでした。

                 

                そして翌日。フランクフルト乗り継ぎでデュッセルドルフに向かったところ、スーツケースが最後まで出てきません。「これは積み忘れだな」と了解し、同じく荷物がなくなったらしき若い男性2人とLost and Foundセクションに向かいました。最初のLost and Foundセクションでは、肌の色の濃いアフリカ系の女性が1人で電話でもめている様子で、指指しで「別のセクションへ行け」と意思表示されました。次のセクションには、中東系もしくは北アフリカ系の女性が3人。2人はカウンターに座っていましたが、1人はカウンターの後ろでうろうろしています。

                 

                私の前に並んだ男性2人が状況を説明しても、コンベアーが何番だったのかわからないのならもう一度行って見てこいとか、調べてもわからないから2時間後にもう一度来いなど、サービス精神のかけらもないような暴言の数々。すぐ前の米国人らしい男性は「今日の夕方にはアブダビ行きの飛行機に乗らなきゃいけないけど、それに間に合うのか?」と聞いて、「そんなことは私の知ったこっちゃない」ときり返され半べそをかいていました。この時点で私の点火装置にはすでに火がついていたのですが、まだ我慢しておとなしく待ちました。

                 

                乗り継ぎ時間が短かったので、こういうこともあろうかと当日の仕事に必要なものはハンドキャリーしていたものの、なにせ外では取引先の機械メーカーの社長が待っているので気が気ではありません。自分の番になるとそれを説明してすぐに調べるように頼み、この社長に状況を説明する電話をかけ始めました。するとカウンターの女性から「私と話をしたいのか電話相手の話したいのかどっちなのよ?」と傲慢な言葉。「いま状況を説明しているだけだから」とこちらもだんだん堪忍袋の緒が切れかかっています。

                 

                幸いなことに、私のスーツケースは次のルフトハンザ便に乗っていることがわかったのですが、今度は、3時間後にこれを取りに来いと居丈高に言われます。仕事があるのでもちろんそんなことはできません。その日の晩は空港内のホテルを予約してもらっていたので届けてほしい、と頼んだところ「そんなことはできない」の一点張り。なぜできないのか説明を求めても「私が悪いわけじゃない」と逆切れされる始末。ことここに至ってついに私も爆発しました。「届ける」と言うまでここから一歩も動かない! と宣言。「では警察を呼ぶ」と脅され、売り言葉に買い言葉で「では呼んでみろ」と応酬したら5分ほどたって、若い男女2人のペアの警官が本当にやってきました。

                 

                警官がとりなすような形で「本人が荷物確認しなくてはいけないから3時間後に来いと言ってるんだ」と言い「確認などタグがあるのだから不要。ここで3時間待っていたら今日予定している仕事ができない。その損失をルフトハンザは補てんしてくれるのか?」と押し問答をしていたところ、バックオフィスから金髪の30代と思われるスーパーバイザーがふらっと出てきて「じゃあ着いたらホテルに届けるからここにホテルの住所書いて」と一瞬のうちに一件落着。警官たちもあまりのバカバカしさに二の句が継げない様子で帰っていきました。

                 

                彼女たちの様子から見てとれたのは、基本的な接客の訓練をおそらくほとんど受けていないこと、そのため毎日、乗客とのいざこざでストレスをため込み、それをまた乗客にぶつけるという悪循環が起こっているのではないかということです。教育レベルが高く訓練もきちんと受けていればもっと違う窓口にも行けるのかもしれませんが、そうでない人材ばかりを集めているセクションのような感じがしました。

                 

                余談ですが、最終日、フランクフルトからシンガポールのフライトでも、搭乗までにかなりの時間があったにもかかわらずまたスーツケースが積み残されました。今度はシンガポールのLost and Foundに行ったのですが、1人でカウンターに座っていたマレー系の若いお兄さんがさっとコンピュータで調べて「いま次の便で向かってるから2時間後には着くよ。ここに住所書いて。自宅まで届けるから」とものの5分もかからず笑顔で対応してくれました。その日の晩には私のスーツケースが無事戻ってきたのは言うまでもありません。

                 

                ■イラク系難民の若者に期待する工場経営者の採用戦略

                こうしてやっと空港の外に出た私は、辛抱強く待っていてくれた取引先の機械メーカー社長と出会うことができました。

                 

                数か月にわたりメールで何度もやり取りしていましたが、彼と会うのは今回が初めて。私と同年配の50代の社長です。普段のメールのやり取りから土日、早朝深夜関係なく仕事をしている様子がわかっていましたのでそれを聞いたところ「うちみたいな小規模の工場では専任の営業マンを置くわけにもいかないし、社長が全てやらなければいけないんだよ。今年は忙しくて夏休みも取れないので、今日は半日だけ夏休みをとったつもりでアテンドするから、どこでも行きたいところを行ってね」と笑顔で言ってくれました。そしてその言葉通り、工場見学から機械の仕様詳細を詰めた後、ヴッパータールというドイツ有数の繊維工業都市の街や、デュッセルドルフの街を数時間にわたりアテンドしてくれました。

                 

                この工場は前述の工場と違い、家族を含めて従業員が10人。30坪程度の工場の中にぎっしりと工作機械が詰め込まれ、2F以上は社長家族の自宅兼事務所と、いわゆる「町の鉄工場」です。現社長は3代目で、73歳になる前社長は今でも朝から夜遅くまで工場で働き、この会社の目玉である機械の心臓部を作る根っからの職人。社長の弟は設計がメインで製図から材料選定までの技術面を担当し、社長の妻が別の仕事をしながら経理を担当しています。

                 

                今回会った社長はきさくな人柄と英語・フランス語の語学力を活かし、ヨーロッパのみならずアジア、アフリカ、アメリカ、南米と世界各地の顧客を相手に営業し、日本と同じく製造業の空洞化で同業他社が次々と倒産していく中、ドイツで生き残ってきました。この会社だけにしかできないオンリーワン技術ももっており、取引先の台湾材料メーカーから「この工場の機械だったら信用できる」と紹介してもらったお墨付きです。

                 

                国は違えど小企業の社長の悩みはどこでも同じ。予算をかけないで宣伝しようとYou Tubeに画像をアップしてもすぐに中国の競合相手にマネされるとか、せっかく受注しても人でが足りなくて納期がかかってしまう、新人を採用したが今日で3日も休んでいる、来週になってもこれが続くようだったら何とかしなくては・・・等々。商談後、こんなよもやま話で盛り上がっていたところ、またもや移民の話になりました。

                 

                彼はメルケル首相の移民政策の支持者で、「先進国は中東や北アフリカの戦乱に責任がある。だから僕は移民政策を支持する。日本とは正反対だけどね」と少し皮肉をこめて語ってくれました。その中で彼が話してくれたのが、入社して1年ほどになるイラクからの難民の若者のことです。「彼は真面目で非常に頑張ってやってくれている。将来にとても期待している」と。

                 

                同時に私たち日本の小工場と同じく、採用がなかなか難しい現状も教えてくれました。「僕は職業訓練校の担当者にいつも、とにかく成績が一番悪い子を紹介してくれ、と頼んでいるんだ。この工業地帯でうちみたいな小さい工場に就職したいと考える若者はいない。だからどこにも行けない、という若者を採用して時間をかけてゆっくり育てる。それがうちの会社の採用戦略なんだ」と。

                 

                ■中小企業での安定した仕事こそが国の未来を創る。

                私たちが仕事の話をしている最中、会議室の隣にあるシャワー室に勤務を終えた工員たちが一人、また一人と入っていってはコロンの匂いをぷんぷんさせながら「お先に」と社長に声をかけて工場を出ていきました。これからデートの約束でもあるのでしょう。ブレーメンの通りでぼんやりと座っていた若者たちとは目の輝きが違い、どの若者も仕事にも生活にも十分に満足している様子がうかがわれました。

                 

                そうして彼らはこの町で恋人を作り、結婚して所帯を構え、子供を産み育てていくのでしょう。社長の営業手腕を信頼し、社長の父や弟から技術を学びながら少しずつ職人としての腕を磨き、前社長のように年老いても「この技術だけは絶対にどこにも負けない」という職人になり、引退する年になってもずっと仕事を続けたいと思うかもしれません。冒頭に紹介したブレーメン近郊の中堅メーカーもそうですが、この会社もまた終身雇用を守っています。「どうしても辞めたいというなら別だけれど、不況だからリストラするなんてことは考えたこともないよ。そんなことをしたら誰も働いてくれる人がいなくなってしまう」と、社長は笑いました。

                 

                大企業に比べたら確かに給料は低いかもしれませんが、毎日社員が誇りをもち、安心して働ける仕事の場を提供することこそ、100万人移民のこれからに怯えるドイツに必要であり、この会社のような中小企業にこそそれが可能ではないのかと思いました。

                 

                そして、貧困問題や少子高齢化に悩み、これから本格的に外国人移民の検討に入る日本においても、中小企業の経営者への啓蒙活動も含めて考えていくべき問題なのではないかと思います。

                | Yuriko Goto | 企業経営 | 13:20 | - | - |
                高額商品になってしまった「大学」をもう一度考え直したい。
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                  ■上がる大学学費と膨らむ奨学金の返済

                  40代後半から50代にかけての私と同世代の親たちが今一番悩んでいるのは、子供の大学進学問題です。 といっても、ひと世代前の私たちが受験した当時の親とは違い、子供たちをどう偏差値の高い大学へ入れるかというより、進学費用をどう工面するかのほうがよほど大きい問題です。

                   

                  この文科省の資料によると、私が大学に入学した昭和57年(1982年)の国立大学の授業料は216,000円で、入学料は100,000円、私立大学は授業料406,261円、入学料212,650円でした。これが平成26年(2014年)になると国立授業料535,800円、入学料282,000円、私立授業料864,384円、入学料261,089円と、国立私立ともに授業料は2倍以上、私立の入学料はそれほど変わっていませんが、国立は3倍近くになっています。

                   

                  その間、所得はどうなったかというと、1982年の大卒男子の初任給は127,000円、2014年は205,000円と、約6割上がったにすぎません。

                   

                  仮に上記の授業料のまま4年間奨学金で学費を払い(利子計算はせずに)、初任給の給料(社会保険料や税金や生活費を勘案せず)で返済するとして計算すると、1982年国立の場合、合計964,000円で7.6ケ月で完済、私立でも1,837,694円で1年2ケ月程度で返済可能。しかし、2014年の場合ですと、国立2,425,200円でほぼ1年になり、私立となると3,718,625円で1年半以上かかる計算になるのです。

                   

                  借りた分だけでなく利子も含めて返さなければならないとなると、さらに返済は困難になってきます。もちろん、ぶじ大学を卒業して就職できたとしても、給与を全額返済に充てられるわけがありませんので、返済は最低でも数年、借りる額によっては10年以上と長期にわたる人も少なくないようです。社会人になったばかりで給料も低くかつかつの生活をしている中、奨学金返済の負担は相当に大きいといえるでしょう。

                   

                  この資料によると、1998年度の有利子奨学金受給者は11万人、それがピークの2013年度には102万人まで膨れ上がり、現在では、大学生の2人に1人が奨学金受給者だといいます。バブル崩壊以降の日本全体の所得の伸び悩みもあるでしょうが、それ以上に、授業料の高騰と、以前なら大学へ進学しなかった学力の学生も進学するようになったことが大きいでしょう。そして実際に奨学金を借りている大学生や利用予定の高校生の約8割が返済に不安を抱いていると言われます。少しでも多く子供の学費を工面したい親だけでなく、奨学金を借りざるをえなかった子供も、借金の返済に追われることになるのです。

                   

                  ■大学が少子化を乗り切るためには進学率と授業料を上げるしかない

                  そもそも、これほど親に大学の学費負担が広がり、奨学金利用者が増えてきたのは、ひとえに大学進学者割合が増えたことにあるといえるでしょう。

                   

                  1982年を例に挙げれば、四年生大学進学率は男子こそ37.9%と4割近かったものの、女子ではたった12.2%。平均すると4人に1人しか大学に行きませんでした(女子は短大進学率が20.5%)。しかし2015年の文科省発表によると、大学・短大進学率は過去最高の54.6%(現役のみ)で、半数以上が四年生大学または短大に進学しています。

                   

                  いっぽうで、進学希望者の需要を満たすため増えすぎた大学も問題を抱えています。2018年をスタートに2031年までに18歳人口は33万人減少すると予測されており、そうなると現状の大学・短大が学生数を維持して生き残るためには、さらに進学率を高めるしかありません。通常のビジネスでいえば、マーケット自体が縮小するわけですから、シェア(大学進学率)を上げるか、1人あたりの単価(授業料)を上げるしかないという発想になるのです。

                   

                  そしてもう一つの手段が、海外からの留学生を増加させること。(独)日本学生支援機構の調査によると、平成27年度に大学に在籍している留学生は69,405人でピークの平成22年度に比べると4,000人ほど減らしていますが、いっぽうで日本語学校など大学準備段階の学生数はベトナム学生の増加などで右肩上がりに伸びており、今後も伸び続けるのではないかと予想されます。もちろん彼らの多くも、働きながら必死で学費を稼いで勉強する学生である点では日本人学生と変わりありません。

                   

                  ■クリントン夫妻をめぐる「政治と大学」の関係

                  7月22日の英Financial Times紙に、「The for-profit partnership(利益を求めるパートナーシップ)」という記事が掲載されていました。

                   

                  この記事によると、クリントン夫妻は2010年以降、2,200万ドル(日本円で約22億5千万円)を教育産業から受け取っているそうです。ビル・クリントン氏は5年にわたりLaureate国際大学の名誉総長を務め、その報酬は165万ドル以上(約17,000万円)だったといいます(この額はハーヴァード大学学長年収を超えるそうです)。この大学はこれ以外にも、クリントン夫妻の政治団体に複数回にわたり多額の献金をしており、Gems Educationという別の教育企業も献金をしていま。また、2014年にはヒラリー・クリントン氏は、テキサスのAcademic Partnerships of Dallas とニューヨークのKnewtonという教育企業で講演し、2回で45万1千ドル(約4,600万円)という多額の報酬を得ています。

                   

                  ちなみに、Laureate国際大学はアメリカ、ヨーロッパ、アジア、アフリカなど25か国以上で合計85教育機関を運営しており、100万人以上の学生が学ぶ巨大教育機関で、営利企業が運営しています。この会社の前身は1988年に設立された専門学校でしたが、1991年に米実業家のベッカー氏が経営に携わるようになってから飛躍的に発展します。ベッカー氏は他にも様々な会社の取締役を務め、辣腕を奮ってきた経営者であり、彼の教育機関もまた、利益を生みだす「商品」として考えられているのです。

                   

                  クリントン氏の名誉総長就任はその「商品」に付加価値を高めることにより、より多くの「消費者」(学生)を集めることが目的だったことは疑う余地がありません。そして、クリントン夫妻に支払われた巨額の報酬や献金の源泉は、もちろん、これらの企業が経営する大学で学ぶ学生たちの授業料です。

                   

                  アメリカと違い、日本では営利企業が大学を運営することは認められていませんが、経営という視点から現状を見たとき、やはり教育を「商品」としる姿勢の大学が増えつつあるのではないかという疑いは払しょくできません。

                   

                  ■「大卒でないと生涯賃金が低くなる」は半分ウソ

                  以前、私の会社にいた社員に製品の生産日数を計算する方法を教えていたときのことです。説明しながら「ここは7x4だから、いくつになる?」と聞いたら、勢いよく「27!」という答えが返ってきて、二の句が継げないという経験をしたことがあります。彼女は地元ではそこそこ名門の短期大学出身でした。

                   

                  彼女に限らず、これまでに採用した大学新卒者たちの中にも、掛け算や簡単な分数など基本的な計算ができなかったり、一般的な日本語の語彙がわからない人は少なくありませんでした。「学費を一生懸命稼いで払ってくれた親に申し訳がたたないと思わないのか!?」といつも思ってしまいますが、これが厳しい現実です。

                   

                  もともと勉強が好きで研究者になりたかったり、専門分野を究めて、将来その分野で働く技術を身につけたいというなら別ですが、多くの学生は専攻した学問とはあまり、もしくはまったく関係ない企業に就職することがほとんどではないかと思います。であれば果たして、奨学金という大きな借金をしてまで大学進学する必要はあるのでしょうか?

                   

                  この資料は、学歴別の生涯賃金をまとめた調査結果です。単純に高卒と大卒を比較した場合、60歳まで働き続けた生涯賃金は高卒が2億円、大卒が2億6千万円(男性の場合)となっており、6千万円もの差があります。「大卒と高卒では給料が違うから、何とか大学まで出してあげたい」と願う親の気持の根拠がここにあります。しかし、それ以上に大きいのは実は事業規模の差で、1,000人以上の規模の企業で大卒の場合は3億1千万円となりますが、10人〜99人規模の企業では2億2千万円でその差はなんと9千万円、また、1,000以上企業の高卒の2億7千万円より5千万円も下がります。学歴よりも企業規模の差による生涯賃金格差のほうがずっと大きいというのが現実なのです。

                   

                  従業員1,000人以上の大企業に入社したいのであれば大学卒の学歴は必要かもしれませんが、私や仲間の社長たちの多くが経営している10人〜99人規模の社長たちの本音は、「大学なんか卒業していなくていいから、少なくとも基本的な読み書き・計算ができる人材を送り出してほしい」の一言に尽きます。

                   

                  ■シンガポールで始まった生涯教育の内容

                  昨年からシンガポール政府が非常に力を入れている政策の一つに、「Learning for Life」という生涯教育政策があります。「生涯教育」というと日本ではついついカルチャースクール的な教室を想像しがちですが、ちょっと違い、その職業に必要な最新知識や技術を政府の補助を受けて会社員が学ぶ、という趣旨の政策です(社内でトレーニングを行う場合には政府が認証した上で雇用主に補助金が支払われます)。

                   

                  会計やIT技術などのコースはもちろんのこと、例えば「飲食業」というカテゴリーでは、まだ経験の浅い職人のためにパンや菓子のベーキングを勉強するコースがあったり、ホールスタッフ向けに接客の基礎を教えるコースがあったりする一方、スーパーバイザーやマネージャークラス向けに、購買と納品時のノウハウを教えたり、HACCP(食品の安全性を守るための国際規格)認証取得のためのコースまであり、多種多様です。

                   

                  この生涯学習の特徴は、熟練労働者を増やしたい層に特に手厚い補助をしていること。収入が少ない(月収14万円程度以下)35歳以下の若年層には最高95%の補助、また、収入に関係なく40歳以上では90%が補助され、多少のお小遣いが支給されるケースもあるようです。インセンティブを大きくし、若い非熟練労働者に基礎的技術を学ばせ、中高年層では時代に対応した新しい知識や技術を習得させてできるだけ長く働き続けられるようにしたい、という政府の意図がありありと読み取れます。

                   

                  大学だけにこだわらず、継続的に教育が受けられるシステムを

                  シンガポールでは、国立大学への進学は狭き門で、需要の高まりに対応して最近新設された大学を含めても、3〜4人に1人程度しか大学に進学することができません(上記のLaurentを初め営利企業が運営する大学はありますが、そこでdegreeを取得して大卒の肩書はできても、社会的に国立大学と同等とはみなされませんし、オーストラリアなどへ留学する人もいますが非常に高額な費用がかかります)。

                   

                  いっぽう、ポリテクニックという国立の技術専門学校には、上記に紹介した飲食業のコースなど多彩なコースが用意されており、ここを卒業して就職していく人は多く、また、学力的にそこにも入学できない学生が行く、私立の職業専門学校でも政府の補助が非常に手厚く、年間10〜20万円程度の学費でそれぞれの分野の資格を取るコースに進学することができます。

                   

                  大学4年間(シンガポールでは3年が多いですが)にまとめて一生分の教育投資をするより、まず1〜2年で基礎を勉強してから実際に社会に出て働きはじめ、生涯を通じて継続的に教育機会を得ながら、自分のレベルに合わせて着実にスキルアップしていく、という教育に対する考え方がここにはあります。

                   

                  翻って日本では、40代後半から50代の親の世代でも、子供の塾などの教育費や大学進学の学費のために身を粉にして働きつつ、リストラや健康不安、ひいては老後の生活不安まで抱える状況が普通になってしまっています。このような閉塞感を打ち破るには、まず、大卒信仰を見直し、職業教育や生涯教育も含めた抜本的な教育システムの変更が迫られているのではないでしょうか。

                  | Yuriko Goto | 家計管理 | 20:15 | - | - |
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