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ASIAN NOMAD LIFE2016.10.18 Tuesday
経営者は「目標達成」の美名のもとに、現場の状況を見て見ぬふりをしているのでは?
昨年亡くなった電通の女性社員が過労死認定され、労働監督署が電通に抜き打ちで調査に入るなど、大きな社会問題に発展しています。
私もムダな、社員の健康や生活に害を及ぼす残業の強制には断固として反対ですが、今回の事件については、現場の上司や職場環境のみというより、むしろ電通という会社の経営者たちの経営に対する考え方そのものに根本的な問題があるような気がしてなりません。今回はその点について、考えてみたいと思います。
■売上や納期ノルマに勝てない時短・残業削減目標 東芝の粉飾決算の直接的原因になった「チャレンジ」という名前の売上目標。うわべだけを取り繕い、実態のない数字による目標達成と、それをわかっていながら毎年、現場の社員にチャレンジを課してきた歴代の経営者や管理職たちの理不尽すぎる無能さや、不正とわかっていながら堂々と異を唱えることができなかった臆病さには目を覆いたくなるものがあります。
問題の種類は若干違うものの、経営手法の誤りという点において本質的にはまったく同じことが今回の電通社員のケースにも当てはまるのではないかと思います。
具体的に彼女が働いていた現場で何が起こっていたのか、労働監督局の調査が公表されない限りは部外者に知る由もありませんが、報道やネットの情報で私が知りえた範囲では、この社員は顧客からもサービスの内容や請求金額についてクレームが出ていたネット広告事業部に配属され、少ない人数の中、通常では考えられないような勤務時間の仕事をこなしていたようです。
残業と労働生産性の関係について、週50時間以上働いても仕事の生産性は上がらないどころか、週63時間以上働くとむしろ下がると言われています。そこで、多くの企業ではノー残業デーを実施したり、会議時間短縮や残業申告制など、あの手この手の工夫をこらして残業を減らし、勤務時間内で最大の生産効率を上げるように挑戦していますが、マスコミに取り上げられるような残業削減対策に熱心な企業でも、実際にそこで働いている社員たちに聞くと、こと売上や納期などの「目標達成」が入ってくると、いきなり経営者たちが見て見ぬふりをしている現場も少なくないようなのです。
■複数の「目標」が相反するとき 残業の削減について、伊藤忠商事社長の岡藤正弘氏がダイヤモンド・オンラインでこんなことをおっしゃっています。
岡藤社長は繊維カンパニー出身で、社長になられる前から旧態依然とした業界に現れた革新的な商社リーダーとして、業界紙などでの発言に注目していましたが、決して今風のドライでイノベーティブな経営者というより、昔ながらの「商人」という性格が際立った方だという印象を強くもっています。そのため、このように「三方良し」の精神に通じるような経営哲学が出てくるのだと思いますが、問題は、この3つの方策が相反したときです。
例えば、「稼ぐ」ために、長時間の残業をこなさなければならないときにはどうするのか? そのときに岡藤社長が考え出したのがいかに社員に残業させずに短時間で効率的に仕事を終わらせるかという方策です。
このインタビューの中で岡藤社長は、深夜までの残業は当たり前の「不夜城」と化していた現場を朝型勤務にするために、管理職の8時出勤からまず手をつけ、その後、5時からの勉強会参加者には深夜残業と同じ5割増手当をつけたり、軽食を用意するなど、インセンティブを与えて自主的に参加する社員を増やすといった試みを紹介されています。
このような環境では、「目標達成のためにはこのくらいの残業はして当たり前」とか「みんなが残業しているのに1人だけ先に帰れない」というような圧力は生まれてきません。逆に、それを経営側が何もせず、売上や納期ノルマと、残業削減して生産性向上という、放置しておけば相反する目標を現場に丸投げしているために、さまざまな問題が起こってくるのではないでしょうか?
実際に、ある上場企業の小売店舗の店長からは「残業が多くなりすぎると自分だけでなくスーパバイザーなど上司も減給や降格処分になる。でも売上目標は達成しなければならない。だから、自分もスタッフも上司にみつからないように非常に気をつかいながらこっそり残業している」という話を聞いたことがあります。
これでは、結局、残業が減るどころかむしろサービス残業が増えるだけ。特に、今回の問題が起こった電通や、粉飾決算の東芝、岡藤社長がさんざん批判を受けながら働き方改革をした伊藤忠、上記の某上場企業など、「一流」と呼ばれて賃金も高く、社員が簡単に退職できない(したくない)企業こそ、経営者に「多少長時間労働したってそれに見合うだけの給料を払っている」という慢心が生まれやすいのではないかと思います。
■現場レベルでは解決できない過剰残業問題 ただでさえ日本には、昔から「粉骨砕身して仕事に身を捧げる」のが正しい働き方であり、会社員としての美徳である、という文化がありました。また、その伝統にのっとって(?)、「100時間残業など当たり前」と、家庭やプライベートをも顧みない「企業戦士」にならなければならない、という妄執が未だ一部では幅をきかせているようです。
しかし、そんな働き方を社会全体が強要してきた結果として、「過労死」という最悪の事態が繰り返し起き、また、健康を害したり家庭が崩壊してしまうサラリーマンも後を絶ちません。
このような悪しき働き方をまっとうなものに変革し、「成せば為る」というような無謀な精神論を排除し、時宜に応じて変えるべき目標値や経営手法をきちんと変えることができる経営者の意識変革こそ、今後の働き方改革に求められているのではないでしょうか。
| Yuriko Goto | - | 16:20 | - | - |
2016.10.06 Thursday
日本の将来を救うには女性が「稼ぐ」しかない。
JUGEMテーマ:国際社会 2016年は日本とシンガポール国交樹立50周年の年。
日本はシンガポール建国のわずか1年後に正式に国交を結び、さまざまなサポートを行ってきた国としてシンガポールでの日本人気は高く(特に最近は旅行先としても非常に人気で、リー・シェンロン首相を筆頭に、シンガポール人観光客の訪日ラッシュが続いています)、今年はシンガポールでも文化交流を中心に記念行事が目白押しです。
そんな中、先月末にリー・シェンロン首相をはじめシンガポール政財界の要人たちが日本を公式訪問し、安倍首相らと会談。私も訪問行事の一環として東京で開催された「日本・シンガポールの経済連携が拓く、ASEANの持続可能な成長と社会イノベーション」というシンポジウムを聴講してきました。
出典:世界経済のネタ帳
よく知られていることですが、シンガポールの1人あたりGDPは2007年に日本を抜き、アジアトップとなっています。
1980年半ばくらいまでは日本の経済成長の少し後をシンガポールが追いかけていましたが、86年にバブル経済が始まると急速にその差が広がり、バブル崩壊後の90年代半ばまで日本がリード。しかしその後、徐々に差が縮まっていき2007年にはついに逆転。(1ドル80円台の円高期を除き)日本がUSドルベースで90年代後半からほぼ横ばいの状態を続けているのに対し、シンガポール経済は順調に右肩上がりで成長し、2015年時では日本のバブル期以上の差が開いています。
どうしてここまで日本はシンガポールに水をあけられてしまったのでしょうか?
■「資源は人しかない」は日本もシンガポールも同じ 日銀の黒田総裁は、金融の異次元緩和やマイナス金利の導入などの前代未聞の経済対策を行いながら、たった2%のインフレターゲットさえ3年以上たっても達成できない原因を「原油安」と「消費増税後の消費マインド冷え込み」としています。しかし、原油安はシンガポールも同じ、消費税は日本よりずっと早くに7%になっていました。ところが逆に、シンガポールではGDP拡大と同じくインフレも着実に進んでいます。(特に私がシンガポールに移住した2010年以降のインフレ率は非常に高くなっており、日本円で給料をもらってきた身としては生活がどんどん厳しくなったと実感しています)
東京23区程度の面積しかないシンガポールですから、当然、天然資源はほとんどありません。「資源は人のみ」の条件は日本と同じである上に、極端に狭い国土という条件を加味しれば産業育成は日本よりもっと厳しいはずです。それなのにシンガポール経済が順調に成長している理由は何か? 私は「人」という資源の有効利用の仕方に違いがあるのではないかと思うのです。
■「女性活用」するしかなかったシンガポール アベノミクスでは「女性が活躍する社会」を喧伝していますが、少子高齢化で日本の労働人口が減少する中、「働けるのに働いていなかった」女性を労働市場に投入して経済の活性化を図るのは至極もっともな話で、むしろ遅すぎるくらいの政策です。
いっぽう、シンガポール政府は51年前の建国以来、経済成長を求めるには「女性の活用」しかないことを完璧に理解していました。
というのも、シンガポールでは皆兵性を採用しており、男性が17歳から2年間フルタイムで、その後も予備役で10年以上にわたりパートタイムで兵役を務める社会の中で、経済成長に必要な労働力を確保するには女性を「活用する」他に方法はなかったのです。特に10代後半から20代にかけては、兵役のない女性が先に社会に出ますので、若いうちには同じ年齢でも女性のほうが先に出世するケースが多く、その現象が更に女性の労働戦力化に拍車をかけていったとも言えます。当然、政府の子育て支援や両立支援は手厚く、保育園の整備や外国人ヘルパーの導入など、女性がキャリアを中断せずに働くための環境作りを着々と整備してきました。
つまり、男女の不平等是正や、女性の働く権利の保証などというフェミニズム的お題目とはまったく関係なく、ごくごく実務的に労働力を確保するために、女性が働きやすい、働きたいと思える環境整備をしてきたのがシンガポールなのです(逆に専業主婦世帯をサポートするような優遇政策はごく少数の低所得者層を除きほぼありません)。
■男性と同等に「稼ぐ」女性の存在でGDP拡大 その結果、建国50年後のシンガポール経済がどうなったのかは、上の表に見る通りです。
大企業のトップからスタートアップに至るまでどんな職場にも必ず女性がいますし、性別による昇進差別という話は寡聞にして聞いたことがありません。勢い、優秀な女性の給与はどんどん上がっていきます。
例えば、私が住むマンションの最上階、メゾネットタイプで専有面積が最も広い部屋に、私の夫の女性上司の夫婦が住んでいます。彼女は40代半ばですが、マンションの価格は日本円にして2億円近く。乗っている車はBMWのオープンカーで、COEという車の所有権価格も含め恐らく2千万円は下らないはずです(ご主人の車はベンツ)。
どうしてこんな贅沢ができるかといえば、やはりダブルインカムで夫婦が働いているからとしか言いようがありません。この夫婦の世帯年収は恐らく4,5千万円前後と推察しますが、個人所得の最高税率が22%で2人分の年収があれば高額マンションや車など多少高い買い物もできますし、どちらかが失業したり働けなくなったときのリスクヘッジにもなりますので、貯蓄よりも消費に所得を回しやすい状況ができます。結果、「欲しいものを買う」という行動につながり、GDP拡大の好循環が回っていると思われるのです。
実際に、うちのマンションの駐車場にはベンツやポルシェなどがひしめいていますが、それらの高級車の所有世帯はすべて共働きで、夫と同じくITや金融、不動産業界などで働く妻たちがばりばり稼いでいます。
■超エリート女性大臣のスピーチと日本の若手政治家の落差 前述のシンポジウムでは冒頭に、来賓として出席されたシンガポールのシム・アン上級大臣(文化・コミュニティ・若者省)のスピーチがありました。若干41歳の女性大臣は高校時代に留学して学んだという流暢な日本語を交えながら、具体的な数字や企業名を一つずつ挙げ、今後のシンガポールの経済戦略や日本との提携関係について簡潔かつ詳細に語りました(ちなみに彼女の学歴はラッフルズ女子高から政府奨学金でオックスフォード大学卒業、スタンフォード大学で政治修士号を取得と、絵に描いたような英才教育を受けてきたエリート政治家です)。
あえて名前を挙げませんが、日本側ホスト役として同じくスピーチをされた自民党の若手世襲議員の話にはまったく内容がなく、数字も具体例もない、聞いていて思わず暗澹とするような内容でした。彼のような政治家ばかりになってしまえば、日本の将来はさらに悪くなるとしか考えられません。
「稼げる」能力をもった女性を有効活用して労働生産性を底上げし、その結果、その夫婦世帯で稼いだお金を消費や投資に回して経済を循環させていく。このように政府はそろそろ、「女性活用」がどういう意味をもつのか、ということを「女性が輝く」というような曖昧な美辞麗句ではなく、もっと明確に「しっかりと稼いで消費してほしい」と表明し、そのために女性管理職のクォーター制や子育て支援など具体的な政策を実践していくことを周知するべきではないでしょうか。
本日、専業主婦の扶養控除枠撤廃の動きが廃案になったそうですが、控除枠を103万円を150万円にするというような小手先の改革ではなく、本気で女性に頑張って働いてもらわなければ日本の未来はない、という事実を見据え、この問題について安倍首相をトップとする現政権に本気で取り組んでほしいと思います。 2016.10.02 Sunday
なぜ社長は辞められないのか?
JUGEMテーマ:ビジネス ■自分から辞められない経営者たち 今年はセブン&アイ・ホールディングスの鈴木敏文会長の解任、ソフトバンクグループの孫正義社長の引退撤回と、経営者の進退問題が話題になりました。また、それ以前であれば、大塚家具の父娘の社長の椅子争い、ファストリテイリングの柳井社長の社長復帰など、辞められない経営者たちの例は枚挙にいとまがありません。
名経営者たちが事業承継を考えながらも、なぜ「辞められない社長」になってしまうのか? 彼らには遠く及ばないものの、私もつい2日前に後継者に社長のバトンを渡して退任し、彼らの気持ちが痛いほどよくわかりましたので、少しまとめてみたいと思います。
1.社長には辞める自由がない 「こんな会社もう辞めてやる!」と思ったことのないサラリーマンは恐らくいないのではないでしょうか?
私も会社員を何度か経験しましたが、就業中、辞めたいと思ったことは何度もあり、実際に辞めました。経営者になっても同じで、専務時代には何度もそう社長に言ったこともあります(その結果、「そこまで言うなら自分で社長をやれ」と言われて社長になったのですが・・・)。
しかし、自分自身が代表取締役になって初めて気がついたのは、「社長には辞める自由がない」ということです。 数年単位で社長が交代するのが当たり前のサラリーマン社長や、強制的に事業を停止せざるをえない倒産を別にして、定年がない社長業を辞めるには、廃業にしても、事業承継にしても、自分が辞める前に長い時間をかけて準備をしなければなりません。当然その間は辞められないわけですから、衝動的に辞めたいと思っても辞めるまでの期間はやはり事業を続けるための気力と努力が求められます。
まして銀行の借り入れがあれば、(上場企業を除き)ほとんどの社長が個人保証をしています。返済のめどがたたないまま社長を辞めてしまったら、会社の借金を一生かかって返す人生が待っている可能性は低くありません。
このように「辞められない」状況で長年働いていると、社長の辞書からはいつの間にか「辞める」という文字が消えてしまいます。「とにかく自分が責任をもって事業を続けるしかない」という使命感のようなものが長年の社長生活の間に体にしみついてしまうのです。
2.後継者との力量の差に我慢できない どれだけ権限を委譲していても、どれだけ優秀な後継者候補がいても、社長とナンバー2以下の取締役及び社員が決定的に違うのは、最後に決断をし、その責任をとるのは社長以外にいない、ということです。
私は16年間社長を務めましたが、その間、文字通り一時も気が休まることはありませんでした。営業、生産、人事、財務など、すべての分野でごくごく細かいことまで「あれはどうなってるんだろう?」と夜中に気づいてメモをし、翌朝一番にチェックするのは日常茶飯事。休暇をとって旅行に行っても、会社のことが頭から離れたことは一度もありません。
こういう生活を長年続けていると、社長の力量は当然、上がっていきます。逆に、ナンバー2以下がどれほど優秀だとしても、この立場からくる差は決して埋めることができないのです。その結果、長い目で後継者を自分が育てているつもりでも「自分だったらこうするのに」という気持ちがむくむくと社長の心の中に湧き上がってきます。そして「やっぱり自分でなければこの会社を続けていけない」という結論に往々にして至ってしまうのです。
3.会社に対する思いが断ち切れない 社長にとって、苦労しながら育ててきた社員たち、自社製品やサービス、オフィスや生産設備、そして敷地内の植木の1本1本に至るまで、会社に関わる全てのことは自分自身の人生と重なります。
大切な社員が一人前になるまでにぶつかりつつ、励ましつつ共に働いた日や、ヒット商品を生み出すまでに重ねた苦労と失敗、不安を感じながらも背伸びをして借り入れで購入してきた社屋や機械など、会社には社長の脳裏にその時々の記憶を鮮やかに蘇らせてくれる人や物があふれています。
自分が社長の座を降りるということは、それらすべてが後継者のものになること。大塚家具の例でもわかるように、自分の遺伝子をもつ息子や娘でもなかなかできないのに、ましてや血がつながらない後継者(私の場合も後継者は他人です)をいくら信頼し、期待していても、会社を渡すことは自分の人生を失ってしまうような感覚につながるのです。
■辞めるためには退路を断つしかない 冒頭に挙げたような名経営者たちは、自分が永遠に社長を続けられないこと、いつかは大事な会社を託す後継者に事業を承継しなければならないことは100%わかっているはずです。それがどうしても実行に移せないのは、やはり上に述べたような社長の心の在り方自体に問題があると思います。
しかし、そのような社長が承継準備ができていないまま突然亡くなったり、病気や事故など社長を辞めざるをえない状況に陥ったときに最も大きなダメージを受けるのは、その会社の社員です。私自身も後継者不在のまま50歳を超えたとき、さまざまな可能性を考えつつも「このままではもし私に万一のことがあったら廃業以外に道はなく、社員の生活を守れない」と思い至り、事業承継の準備を始めました。 その際真っ先に考えたことは、絶対に「やっぱり社長辞めるのをやめた」と自分が言えないよう、すべての退路を意識的に断つことでした。
「社長を辞める」、16年の社長人生の中で一番困難な仕事だった事業承継を終えて、現在、心の底から安堵しています。 |
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