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ASIAN NOMAD LIFE2018.12.06 Thursday
管理か安全か? シンガポール国民が暴動の歴史から選択したもの。
JUGEMテーマ:国際社会
今週から始まったシンガポールの近代史をテーマにしたドラマシリーズの第1回目、『1965』を観ました。
1965とは言うまでもなく、シンガポールがマレーシア連邦から追い出される形で独立した年。wikiによると、シンガポールを含まない1957年当時のマラヤ連邦の民族構成日はマレー系49.8%、華僑・華人37.2%、インド系11.1%、その他2%であり、現在のマレー系67%、中国系25%、インド系7%と比べると、マレー系対中国・インド系の人口がほぼ拮抗。1963年にマレーシア連邦に加盟したシンガポールは中国系住民がさらに多く、独立前にはマレー系住民と中国系住民の民族対立が深刻化していました。
ドラマは1964年から1965年にかけて頻発したマレー系と中国系住民の民族対立に端を発する暴動や暴力事件に焦点を当て、異なる民族に恐怖心と敵愾心を燃やす移民一世たちやそれを煽る暴力団グループ、逆に互いに助け合い平和に共存しようとする若い世代の主人公たちの葛藤を描き、そこに独立の原動力となった政党PAP(People's Action Party)のリーダー、故リー・クワンユー元首相のスピーチを交えながら展開していきます。特に物語の主題となった1964年の大規模暴動では、死者36名、負傷者556名と多大な被害をもたらしました。
終盤のクライマックスはリー・クワンユー元首相の涙をふきながらの独立スピーチ。テレビ会見を通して民族対立を乗りこえて新しい国を創っていこうという呼びかけに、新たにシンガポール国民となった人々がテレビ画面を食い入るように観るシーンが印象的でした。
この決意通り、リー・クワンユー元首相率いるPAPは民族融和政策に力を入れ、公団住宅入居に際しての民族別割り当て(観光名所となっているチャイナ・タウンやアラブ・ストリートのように特定の民族だけが固まって居住することを防止するため)や、厳しい言論統制によって民族間対立を煽るような議論を未然に防ぐ政策を打ち出します。これにより1969年の民族対立暴動を最後に、シンガポールでは1913年のリトル・インディアにおけるインド人労働者たちの暴動までの44年間、このような暴力事件と無縁の平和と繁栄を築くことができたのです。
一方で、政府による国民の言論や行動監視は徹底して行われてきました。公共施設や民間施設の監視カメラは年々増加の一方で(地下鉄駅などの公共施設はもちろん、私が住む小規模マンションでも監視カメラが7台も設置されています)、地下鉄での荷物検査実験も最近始まりました。MDA(Media Depelopment Authority)という政府機関によるヘイトスピーチや政策批判の言論取締りが日常的に行われていますし、最近ではFacebook事件に端を発するフェイクニュースへの対処が大きな話題となっています。米国トランプ大統領のツィートのように人種対立を煽るような言論はこの国ではありえません。
結果として、日本やルクセンブルグを抜きシンガポールは世界で最も犯罪率の低い国となっています。マレーシア、インドネシアというイスラム過激派や民族対立問題を抱える国々に隣接し、外国人労働者が居住者の3割を占める国家として、この犯罪率の低さは異常ともいえる快挙だと私は思います。
最近ある日本の雑誌の記事で、このような強力な管理・監視体制を唯々諾々と受け入れているようにみえるシンガポール国民の心情が理解できない、という主旨の文章を読みましたが、やはり上述のような歴史的事実をふまえ、国民が言論の自由などの不自由をある程度我慢しても(上記記事によると世界の民主主義ランキングでは75位)生活の安定と安全を優先して政府を支持している結果だと思います。
入管法改正で今後さらに外国人の流入が加速するであろう日本において、外国人を含む居住者の管理・監視体制を見直し、安全対策をどう講じるかは喫緊の課題だと思います。日常生活の安全を享受するためには相応の対価が必要なのです。 |
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