ASIAN NOMAD LIFE

日本、香港、中国で生活・仕事をしてきてシンガポール在住7年目。
「好人物」経営者が辞めるとき〜ローソン玉塚CEO引退にみるボトムアップ経営の限界
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    きちんと刈り揃えられた短髪。

    ラグビーで鍛えあげた長身にすっきり着こなしたダークスーツ。笑顔からこぼれる真っ白な歯。

    言葉を慎重に選びながらも、率直で嫌味のない受け答え。

     

    ローソンの玉塚CEOを一目見て好印象をもたない人はいないのではないでしょうか? その証拠に、これまで玉塚氏は現在の日本を代表する経営者たちに人柄を見込まれ、経営を任され、実業界の表舞台を歩いてきました。

     

    ■数々の有名企業の経営を任されてきた玉塚氏の経営者人生

    玉塚氏の名前が一躍全国区になったのは、ユニクロブランドで知られるファーストリテイリングの社長を任せられた時。しかし、残念ながら志半ばで退任。そして今回もまた、「永遠の好青年」玉塚氏は、業界再編の渦中にあるコンビニ業界3強の一角、ローソンCEOの職を辞することになりました。

     

    引退発表に先立つ3月、玉塚氏はダイヤモンド・オンラインで4回にわたりこれまでの経営者人生を振り返られていました

     

    この連載の中で彼は、証券会社の家業を父の代で失い、捲土重来を期して自分自身が事業を興そうという思いをずっと抱いてきたと告白しています。幼稚舎からの慶応ボーイという経歴ながら、心の中では「このままでは終わらない、いつかきっと」という闘志を密かに燃やし、大学卒業後メーカーに就職するも熾烈な勉強を重ねてMBA留学。そしてユニクロの創業者柳井氏との出会い・・・。

     

    丁稚になるつもりで入社したというファーストリテイリングで柳井氏に見込まれ、2002年には社長に就任。就任時にはどん底に陥っていた売り上げを回復させたものの目標には到達せず、わずか3年で辞任することになります。しかし、当時の一般の受け取り方とは異なり、柳井氏とはまったく確執のない、互いに納得しての社長退任でした。

     

    辞任後もすぐに複数の会社の取締役に就任し、翌年にはファストリ時代からのパートナーだった澤田貴司氏と設立した会社、リヴァンプの事業の一環としてロッテリアのCEOに就任。ここでも一定の成果を上げたものの、4年後の2010年には契約解消。リヴァンプの資本も引き上げます。

     

    さらにその年の秋には三菱商事出身で、当時ローソンCEOだった新浪剛史氏に乞われてローソン顧問就任。2011年には副社長に取り立てられ、2014年には新浪氏のサントリー転任を受けて社長に。そしてまたその3年後の今年、ローソンが三菱商事の子会社となったことを機に退任を決めたといいます。

     

    さっと経歴を振り返っただけでもプロ経営者としてそうそうたる企業の経営に携わってこられたことがわかりますが、同時に、どの会社も数年で志も業績も半ばのうちに辞めざるをえない状況に追い込まれており、毀誉褒貶の激しい経営者人生と断じざるを得ません。

     

    ■下剋上時代のボトムアップ経営には限界がある。

    ダイヤモンド・オンラインの連載や、今回の引退記者会見の記事などを読んで感じる玉塚経営の真髄は、ビジネススクールで教えられているような「教科書通りの経営方針」と、社員やフランチャイザーなどのステークホルダーとのコミュニケーションを徹底的に行った上での「ボトムアップ経営」であると思います。

     

    加盟店側からも「玉ちゃん」と呼ばれ人気もあった。地方のローソンの視察に行くと「玉ちゃん」の周りには店長や従業員が自然と集まってきた。高級スーパーの成城石井も買収し成長戦略の基礎も築いたほか新浪ローソン時代の拡張路線も一部、修正して社内と加盟店をまとめてきた。 http://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ12HEJ_S7A410C1000000/

     

    部下や取引先に誠心誠意耳を傾け、やるべきことを一つずつきちんと行い、決して派手ではないものの着々と順序だてて物事を進める。このような玉塚氏の経営手法は、進むべき方向があらかじめ決まっていて、足元をしっかり固める時期には非常に有効であると思います。

     

    しかし、まだ成長途上にはあるものの成熟期を迎える中、3強による業界再編が進み、業界の先駆者、セブンイレブンの鈴木氏が引退に追い込まれるなど、コンビニ業界全体が熾烈なサバイバル競争を繰り広げる中、昨年には筆頭株主の三菱商事から社長を送り込まれ、今年2月にはローソンが三菱商事の子会社に。この時点で玉塚氏は引退を決めたと言われます。

     

    ――2015年からは「1000日実行プラン」と銘打った改革を実行してきた。その成果を見届けてから、退任する選択肢もあったのでは。

     

    正直、迷った。ただ、強い組織というのは、強いトップダウンと強いボトムアップがぶつかる組織だと思う。竹増社長は強いトップダウンの素養があるし、この3年でものすごく成長された。これから先、私も意見を言って、竹増さんも意見を言ってしまうよりは、シンプル化した方が組織として健全だと思った。 http://toyokeizai.net/articles/-/167538?page=2

     

    志半ばで自ら引退表明せざるをえない状況に追い込まれた無念さが言葉尻ににじみ出ている反面、CEOの座にしつこくこだわったり、執着したりすることがない玉塚氏の素直さ、性格の良さがよくわかるコメントだと思います。

     

    ■これからの時代に求められる理想の経営者とは....?

    もし私がユニクロやローソンの社員や加盟店の店主であったなら、玉塚氏は思い描ける限り最高の、理想の経営者だと思います。

     

    決して一方的に無理な要求をつきつけてくるようなことをせず、どんな些細なことにも穏やかに耳を傾け、チームワークを大切にして地道に着実に結果を出していく。3年前の社長就任時、玉塚氏は「これからは”みんなのローソン”にしていく」と語ったそうですが、「自分が、自分が」というリーダーではなく、「ともに作っていこう」と呼びかけるリーダーに対して、「この人と一緒にやっていこう」と共感した社員や加盟店店主は決して少なくないと思います。

     

    しかし、逆に、自分が株主であったらこのような経営者をどう思うでしょうか?

     

    確かに社員もフランチャイザーも大切な経営資源です。経営状況が安定期に入っていて低成長でも当分は今走っている路線を手堅く守っていけば相応の利益が見込まれるとなれば、株主はボトムアップ型の経営者も支持するでしょう。

     

    ただ残念ながら、現在のローソンも、当時のファーストリテイリングもそのような幸運な時期にはなく(どんな会社でもたいていはそんな時期は長続きしませんが)、下剋上の生存競争の真っただ中にありました。そんな時期に会社を存続させるために求められる経営者とは、確固としたビジョンをもち、どんな障害にも負けずにトップダウンでそのビジョンを素早く実行して結果を出していく「強い」経営者であり、そのような経営者像こそ、身銭を切ってその会社に投資している株主が待望するものなのです。

     

    そして会社は、「株主のもの」であり、経営者を選ぶ最終的な決定権は株主にあります。

     

    玉塚氏はこれまでの実績を拝見しても非常に優秀な経営者であり、あるべきリーダーの姿を体現しておられる、心から尊敬できる人物だと思います。

     

    しかし、反面、玉塚氏のようなタイプの経営者がこれから産業革命以来の大変革を迎えるであろうビジネス界で果たして株主に選ばれ続け、活躍していける場があるのかどうか? ひいては、MBA経営者へのニーズ自体への変化が出てくるのではないかと、今回の玉塚氏引退の一部始終を見ていて強く感じました。

    | 後藤百合子 | 企業経営 | 01:02 | - | - |
    もう一つの”LaLaLand"〜フランス映画「アーティスト」
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      JUGEMテーマ:ビジネス

       

       

      現在、シンガポールではフレンチ・フェスティバル・シンガポール「Voilah!」が開催されています。

       

      先週末のオープニングの土曜日には、我が家でも家族そろってGardens by the Bayでのファンタジックな大道芸に続き、「アーティスト」野外映画上映会に行ってきました。

       

      「アーティスト」は、2011年製作のフランス映画で、作品賞、監督賞、主演男優賞など第84回アカデミー賞で五冠に輝いた作品。舞台はハリウッド、スターをめざす駆け出し女優、ミュージカルなど、昨年大ヒットした「LaLaLand」を彷彿とさせる内容で、鑑賞後もやはりとてもポジティブで温かい気持ちになれる、というところでも共通点が多いと思いました。

       

      しかし、フランス映画ならではのひねりも登場します。

       

      ●主人公である人気スターの俳優ジョージの活躍の場が「サイレント映画」であり、新しいテクノロジーであるトーキー映画台頭の波に乗り遅れてあれよあれよという間に成功の階段から転げ落ちてしまうこと。

       

      ●大スターのジョージに憧れて田舎から出てきた女優の卵ペピーはジョージによって映画界の扉を開けられ、ジョージの人気凋落に反比例して、トーキー映画時代の寵児として大スターにのし上がっていくこと。

       

      ●そして最後は、すっかり落ちぶれて自殺未遂まで起こしたジョージの再起をかけて、ペピーとジョージが2人で協力して新しい映画の可能性を開く、という結末に終わるということ。

       

      映画「LaLaLand」では、主人公2人とも従来通り「努力して成功」パターンを手に入れますが、「アーティスト」では、産業構造の変化の流れに乗ったり、逆に落ちこぼれてしまったりする主人公たちが、2人で知恵を絞って工夫しながらイノベーションを創造する、というストーリーになっているのです。

       

      もう一つ、忘れてはならないのは、この映画がフランス人監督による、フランス人俳優(主人公2人)のための映画だということでしょう。

       

      1950年代から60年代にかけて世界の映画界を席巻したフランス映画ですが、国際マーケットの中ではここのところずっとハリウッド映画に押され、一時の輝きはありません。その最大の理由は「フランス語」という言語の壁でしょう。過去数十年間のうちに英語は間違いなく世界の共通言語となり、英語を使って製作されるハリウッド映画が映画界のスタンダードとなってしまったのです。

       

      例えば、今週金曜日に日本でも公開される予定の、チャン・イーモウ監督、マット・ダイモンを主演に中国や香港の大スターをキャストし、巨額の製作費をかけて製作された(でもさんざん酷評された)米中合作映画「グレート・ウォール」も、メインターゲットの市場は中国にもかかわらず、言語は英語です。

       

      そのような映画製作環境にあって、英語のネイティブスピーカーでない国出身の俳優たちは、世界の檜舞台に立ちたいと思ってもなかなか活躍の場が広がりません。それを逆手にとったのが「アーティスト」のサイレント映画という設定なのです。

       

      主人公2人は生粋のフランス人ですから、英語はたいしてうまくないか、たとえ話せてもアクセントがあり、通常の映画だったらアメリカ人俳優の役は絶対に演じられないはず。それがサイレント映画という設定により、言語の壁を超えて主役2人がアメリカ人を演じきったところにこの映画のもう一つの醍醐味があります。

       

      最後に、この映画の見どころをもうひとつ。「時計仕掛けのオレンジ」の怪優マルコム・マクドウェルが出演。思わずにんまりしてしまうシーンもあり、「さすがフランスのエスプリ!」と唸らせてくれること間違いありません。

      | 後藤百合子 | 映画評 | 14:45 | - | - |
      障がいがわかって改めて感じた子どもへの愛
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        JUGEMテーマ:幸せなお金と時間の使い方

        ■ADHDと診断された娘

        7歳の娘がADHDと診断されました。

         

        ADHD(Attention Deficit Hyperactivity Disorder)とは注意力を保持したり、じっと同じ姿勢のまま座っていたりすることができないという脳の欠陥が引き起こす発達障がいです。

         

        このうち、忘れものが多い、他の人の話を集中して聞けないなど集中力の欠陥は「ADD(注意力欠陥)」と、じっとしていられない、授業中でも立ってうろうろしてしまう、一方的に自分の話したいことを話すなど「多動性」「衝動性」欠陥と言われ、娘はこの両方ともがある「混合型」に分類されました。

         

        ジョンソン&ジョンソン社が発行している「ADHDの子をもつ親へのガイド」によれば、ADHDは20人に1人の割合で現れ、障がいとしてはかなりポピュラーな部類に入ります。有名なところでは女優のウーピー・ゴールドバーグさんやヴァージングループのリチャード・ブランソン会長がADHDだそうで、世界的ベストセラーになった黒柳徹子さん著『窓際のトットちゃん』のトットちゃんもADHDと思われる、と娘の学校のカウンセラーの先生が言っていました。

         

        このくらい一般的ですので、障がい者とはいえ、身体障がいや重度の知的障害の方々とは違い、一見すると健常者とほとんど変わりません。

         

        しかし、一方で、ADHDによる注意障害や多動などにより、自動車事故は障がいをもたない人と比べて約4倍、離婚や別居などは約3倍、麻薬やアルコール依存症などの危険は50%増加、学業や仕事が続かない割合は35〜46%増加するそうです。

         

        また、そこまでいかなくても、約束を忘れて守れなかったり、衝動性が「KY」な行動と見られて人間関係がうまくいかなくなったり、学業や仕事でも集中力がないため結果が出せないなど、成長につれて問題は解決しないどころか、却って深刻さを増していくようにも思えます。

         

        ■子どもに障がいがあることがわかったら

        実は、養子縁組の手続きを始めたとき、私が一番恐れたのが「もし子どもに障がいがみつかったらどうしよう?」ということでした。

         

        日本の特別養子縁組と同じで、シンガポールの養子に関する法律でも、一度子どもを養子として迎え入れて認められたら、その子どもを生みの親に返すことはできません。当たり前といえば当たり前の話であり、「障害があることがわかったから養護施設に戻す」などというのはもってのほかだとは思いますが、もしそうなった場合、「どうして養子なんてもらってしまったのだろうか?」という後悔や、さらに「この子さえいなかったら私の人生は違ったのに」という子どもへの憎しみが募っていったらどうしよう、という不安が消えなかったのです。

         

        そこで相談したのが、重度障がい者の息子をもつ社長仲間の1人でした。

         

        養子ではないものの、幼児のうちに障がいがみつかり、「1人では歯も磨けない」息子を夫婦で育てている彼に思いきって「障がい者の子どもをもつ気持ちってどんなもの?」と聞いてみました。

         

        「障がいがわかったときはショックじゃなかった、っていったらウソになるけど、障がいがあるからと言って子どもがかわいいことには変わらないし、逆に、僕たちがいなかったらこの子が生きていけない、って思ったら余計に愛おしく感じるものだよ」と彼は答えてくれました。

         

        まったく彼が言った通りで、私も今回、娘の障がいがわかって「障がいがあるこの子が、少しでも生きやすいように親としてできるだけのことをしたい」という強い気持ちを感じました。日常生活ではさして気にすることもない子どもへの愛情が、ふつふつと心の中から沸きあがってくるを、改めて認識したのです。これは夫も同じだと思います。

         

        ■子どもは成長、親も成長させられる。

        『産まなくても、育てられます』の中で著者の後藤絵里さんは、実子も養子も育てたらどちらも変わらず「自分の子」になると繰り返し語っていますが、我が家でもまったく同じで、普段は養子ということを意識することさえありません。

         

        一方で、これから数年後に迎える思春期を通じて、子どもが親離れして自立をしていく過程で、実子よりも養子である娘が余計に抱え込まなければならない心理的葛藤は多いだろうし、さらに障がいという要素が加わることにより、娘の問題が大きくなるであろうことはじゅうぶん予測できます。

         

        また、日本とは違い、ここは小学校入学以前から過酷な勉強が始まるシンガポールであり、息つく暇もない勉強漬けの毎日に必死でついていかなければなりません。普通の子どもでも大変なのに、障がいをもつ娘にとってはさらに大きなチャレンジであるとは思いますが、小学校の先生やカウンセラーの方々の協力も得て、何とか娘が大好きな学校に通い続けることができればいいなと思います。

         

        こうしていろいろな困難を乗りこえていくことにより、子は成長していき、親もまた、人間として成長させられていくのではないでしょうか。この年齢になってこんな経験ができるのも、養子を迎えることができたからだと感謝しています。

         

        ※よろしければ、こちらもお読みください。

        書評:『産まなくても、育てられます 〜 不妊治療を超えて、特別養子縁組へ』後藤絵里(著)

         

        | 後藤百合子 | シンガポール子育て | 16:36 | - | - |
        日本のフィリピン人家政婦受け入れでシンガポールに余波?
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          JUGEMテーマ:経営のヒントとなるニュースを読み解く

           

          ■いよいよ始まった「家事支援外国人受け入れ事業」

          アベノミクスの目玉政策の一つ、「国家戦略特区」に指定された神奈川、東京、大阪などで「家事支援外国人受け入れ事業」、主としてフィリピン人による家政婦派遣事業がいよいよ本格的に始まりました。

           

          最大手のパソナは、1回2時間、月2回の4時間で1万円でこのサービスを売り出すそうです。この価格は、パソナの日本人による家事代行サービス「家ゴトコンセルジュ」の1回2時間1万円と比べると約半額で(税別、税込みの違いはありますが)、今後、事業化に成功すればスタンダードになっていく可能性が高いと思われます。


           

          ■シンガポールのメイド賃金が高騰中

          現在、シンガポールで働く外国人メイド(多くが住み込み家政婦)の数は、237,100人で、うち約7万人の30%がフィリピン人です。

           

          フィリピン人以外には、インドネシア人(数は最も多い)、インド人、ミャンマー人などがいますが、華人系や欧米人の家庭では、英語が通じる、キリスト教徒である、性格が明るい、家事のスタンダードが自分たちと近いなどの理由からフィリピン人メイドは人気で、これまでも引く手あまたでした。(ある日本人主婦に聞いた話ですが、フィリピン人以外のメイドを雇ったところ、料理の味付けが何度教えても口に合わないため自分で作るしかなく、掃除をしてもらってももともとのスタンダードが低いためまったくきれいにならないのでやはり自分でやっていた。何のために雇ったのかわからず、雇っている間非常にストレスがたまったとのことです)

           

          そのため、最低賃金がないシンガポールにおいても、フィリピン人メイドの給料は他国出身メイドよりも比較的高く、フィリピン政府が定めたUSD400以上という政府間取り決めもあって、SGD500ドル(約4万円)以上になっていました。

           

          ところがインドネシアが2015年に自国出身メイドの最低賃金をSGD550ドル(約44,000円)に引き上げたのを契機に、昨年にはフィリピン政府が同じSGD550ドルを要求。また、同時に、雇い主に対しメイドの一時帰国費用に1,100ドルを限度に貸し付けを行わなければならない義務を課しました(帰ってこなければ当然返済されません)。

           

          そして昨日、シンガポールのフィリピン海外労働局がフィリピン人メイドの最低月給を来月1日からSGD570(約45,600円)に引き上げると報道されました。理由は米ドルとシンガポールドルとの為替レートが変わったためと説明されていますが、ニュース番組中では「香港等でフィリピン人メイドへの根強い需要があるため」等とされており、「今後、フィリピン政府はシンガポールへのメイド人材輸出を控えていくのでは」という見方もあるようです。

           

          その背景には日本をはじめとする先進諸国の急激な高齢化により、世界的に家事/介護労働を提供できる人材への需要が高まっており、供給側が強気の交渉に出られる状況になっていることがあるのではないかと思います。例えば、日本ではフィリピン人家政婦の賃金は日本人と同等ですので、外貨をより多く稼ぎたいのであれば、シンガポールより日本で働くほうが有利です。

           

          ■子育ては保育園で、介護人材は外国人労働者へシフト

          シンガポールでは、メイド雇用者には、賃金以外にも外国人労働者雇用税(月額約21,000円)や保険料、契約満了時の帰国飛行機代、年2回の健康診断料料等の支払いが義務付けられており、メイド・エージェンシーに支払う初期費用を別にしてもかなりの額のお金がかかります。

           

          コストや他人と暮らす精神的負担を考えれば、住み込みメイドを雇うより保育園に入れたほうが安くつきますし、ストレスも少ないという理由で、共働きの我が家では子どもが小さいうちは保育園、現在はスチューデント・ケアという私立の学童預かり所に日中子供を預け、週1、2回、家事を手伝ってくれるシンガポール人家政婦さんをお願いしてきました。

           

          シンガポールでもこのように考える家庭は確実に増えており、日本を上回る少子化にも関わらず政府は保育園の数を増やしていますし、私の周囲でもメイド雇用を止める子育て世帯は少なくありません。

           

          逆に、やはり増えているのは高齢者の世帯での介護要員としてメイド雇用をするケースです。街を歩いていても、お年寄りの車いすを押す外国人メイドの姿がここ数年で随分目立つようになってきました。

           

          事情は日本でも同じです。

           

          厚労省が15年に公表した介護人材の需給推計によると、団塊の世代が75歳を超える25年には全国で約38万人の人材不足が生じる。」という報道からもわかるように、今回の事業の核心は、少子高齢化社会で確実に不足する介護要員を外国人家政婦という形で雇用し、うまく機能させられるかどうかにあると思います。

           

          ■世界的な高齢者介護人材の奪い合いに

          他方、この事業にさかのぼること9年前に実施された、インドネシア、フィリピン、ベトナムなどから人材を受け入れ、看護師や介護福祉士などを育成する事業は見事に失敗しています。

           

          時間をかけて育成しても、日本の基準に合わせようとすれば合格者が少ないばかりか、せっかく合格しても定着せず自国に帰ってしまうという結果をふまえ、「今度は国家資格の不要な家政婦で」という思惑が見て取れます。

           

          問題は、先進国ではどこも似たような問題を抱えており、フィリピン人など優位性がある人材は市場ニーズが高く、獲得コストも上昇してきているということです。現在はまだまだ日本の経済力が優位にたっていますが、例えば、今後、中国で高齢化が進み介護人材の奪い合いになっていったとしたら、と考えると恐ろしくなります。

           

          日本における外国人労働者数は、根強い外国人「移民」アレルギーにも関わらず着実に増えており、「厚生労働省の「外国人雇用届け出状況」によると、15年10月末現在の外国人労働者数は約90万8000人に上る。08年に比べほぼ倍増したが、その多くが製造業で働く。」という状況だそうですが、今後は、日本経済を支えるのみならず、日本の社会福祉を支えるためにも外国人労働者の輸入は不可欠になってくるでしょう。

           

          今後激化するであろう、シンガポールをはじめとする同じ問題を抱える国との外国人人材獲得競争に備え、今から対策を講じておく必要もあると思います。

          | 後藤百合子 | グローバルビジネスと人材 | 14:00 | - | - |
          「天命」を信じる首相夫妻をもった日本がすべきこと
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            大阪学校用地売却に関するスキャンダルで渦中の人となった安倍首相。

             

            政界のサラブレットでありながら、明らかにこれまでの日本の政治とは違う手法で政治を動かしており、そのバックグラウンドを知りたいと一心で話題の『安倍三代』(青木理著)を読みました。

             

            ■「凡庸なお坊ちゃま」が最強の政治家に変容した理由

            本書の中で、著者の青木氏は安倍首相の祖父寛氏、父晋太郎氏と晋三首相が決定的に違う点の一つに、選挙基盤である山口の選挙区で育っていない、ということを挙げています。祖父は村長を務め人望を一身に集めた地元の名士、父は二代目でありながらも若くして両親を失い、天涯孤独で地盤を再構築した苦労人、それに比べて三代目の晋三首相は東京で育ち、母方の祖父岸元首相の寵愛を受けてぬくぬくと育った「凡庸なお坊ちゃま」と切り捨てているのです。

             

            しかし、一面、晋太郎氏がそうであったという証言が語るように、晋三首相もお坊ちゃま育ちであるとはいえ、苦労人の父の薫陶を受け、非常にバランスのとれた、誰からも「憎まれない」政治感覚に優れて政界をわたってきた結果、今日の地位を得たのではないかと示唆されます。

             

            反面、「凡庸なお坊ちゃま」と評される人物がなぜ、無謀とも思えるアベノミクスのいくつかの経済政策実施に踏み切ったり、長く憲法違反とされてきた集団的自衛権を認める安保法案、特定秘密保護法案等を半ば強引に次々と可決していったりと、非常に強権的な政治家になっていったのかが描き切れていない、という意味で、少なからぬ人が物足りなさを感じているようであり、私も判然としない気持ちをもちました。

             

            ■「宗教」と「純粋さ」がキーワードの安倍夫妻

            いっぽう、今回のスキャンダル以前から、昭恵夫人の言動や行動は「奔放な」とか「型破りな」といった形容詞つきでよく取り上げられていましたが、安倍首相の「妻は私人」閣議決定や、国会での答弁を見ている限り、保身のためというより(むしろそれが野党の攻撃材料になったりしているので逆効果になっていますが)たいへんに妻を思いやり、どこまでも庇う姿が印象的です。また、2人が並ぶ映像や写真をみても、いつもとても仲睦まじく、傍からみていても微笑ましいほど良い夫婦関係を築かれていることがわかります。

             

            昭恵夫人には「来世でもまた夫(安倍首相)と結婚したいと思った」という発言もあるそうですが、それよりも気になるのは、本書でも触れられている彼女のスピリチュアルなものへの傾倒です。

             

            「天命だということは、本人も自覚していると思います。(中略)周りに努力している政治家はごまんといて、自分より頭のいい政治家がたくさんいるのも主人はわかっています。でも、主人がいま総理大臣になっているということは、やはりなにか、主人が成し遂げなければいけないものがあり、そのための使命を与えられていると、感じていると思います」

            失礼ながらスピリチュアルというかオカルトというか、政治の3代世襲というものを昭恵なりに表現すればそういうことになるのだろうが、もともと深遠で強固な政治思想があるわけでもない晋三とは、そういう意味では波長が合うのかもしれないと私は思った。

            『安倍三代』より

             

            今回のスキャンダルでは幼稚園園長夫人とのメールのやり取りで「神様」や「祈ります」という言葉がたびたび出てきて驚かれた方も多いと思いますが、Blogosの社会学者西田亮介氏との対談では

             

            新しいイノベーションが生まれているし、可能性として、日本はとてもポテンシャルが高いと私は思っています。その日本の精神性が世界をリードしていかないと「地球が終わる」って、本当に信じているんです。

             

            とまで言い切っています。この中で、安倍首相自身も毎晩、大きな声で祈りを唱えているという話をされており、夫婦ともにどちらかといえば「宗教的な」「純粋な」「善意の」人であるのではないかとうかがわれるのです。

             

            ■安倍首相の「美しい国」とは?

            このような安倍首相の傾向は、「美しい国」という概念にもつながります。

             

            ただ、本書の中でも繰り返し安倍首相の恩師たちが述べているように、それを支えるべき論理があまりにも貧弱で空虚です(昭恵さんは説明を求められると「直観です」という答えを繰り返しますが、さすがに首相はそういうわけにもいきませんので一応の理屈はつけようとします)。

             

            例えば、アベノミクスの巨額国際発行(+日銀買い取り)政策について「1万円札を刷ると20円がコストで9,980円が政府の利益になる」というような理屈を本気で信じているかのような発言を聞くに及び、本当に安倍首相が実現したいのは、現在日本に起こっている待ったなしの危機を克服するための現実的な諸政策の実現ではなく、昭恵夫人と同様に「日本の精神性が世界をリードする」曖昧でぼんやりした「美しい日本」なのではないかと思わざるを得ません。

             

            本書では地元で安倍三代を代々支援してきた方々の取材を広範囲にされていますが、安倍首相の祖父や父が「地元民の代表」として期待を一身に集めたのに比べ、三代目の安倍首相については、首相という最高権力に登りつめた地元の誉であってもおかしくないはずなのに、冷めた目で見ており批判的です。

             

            その理由の一つに、首相も首相夫人も東京育ちで選挙地盤の山口に実体験に基づいた愛着をもてず、それを地元の支援者たちも感じているという、動かしがたい事実があると思います。

             

            それを象徴するのが、安倍首相が「美しい日本」の原風景と賞賛する、山口の山間にも広がる棚田です。

             

            棚田は観光客が見る分には美しいかもしれませんが、実際には他に耕作地がないため仕方なく開墾された土地であり、首相自身も認めているように農業生産性向上、ひいては農業を生業とする人々の生活の向上に資するものではありません。にもかかわらず安倍政権下では、「美しい農村再生事業」として多額の税金が投入されています。このような政治感覚について地元選挙区の方々は「しょせん東京の人が考えること」と見ているような気がしてなりません。

             

            また、もう一つ恐らく夫妻にとってインパクトが大きかったのではと思われるのが、子供ができなかったことです。

             

            安倍 そうですね。もう、ずいぶん前のことですので遠い記憶ではあるのですが……。やはり言われることはありましたね。自分の親や主人の母といった近しい人からは何も言われませんでしたが、後援者の方々からは年がら年中、言われていました。

            酒井 かなり直接的な感じでおっしゃるのでしょうか?

            安倍 普段の生活の中では、「まだですか?」くらいの感じなんですが、酔っぱらったりすると「安倍家の嫁として失格だ」とか、「非国民!」などと言われることもあって……。「それはちょっと、どうなのだろう」と思うこともありましたね。

            https://www.bookbang.jp/review/article/509688

             

            天真爛漫でお嬢様育ちの昭恵夫人も、気を張る選挙で地元に帰る度にこのようなプレッシャーに晒されていたことにより、夫婦の絆は深まったかもしれませんが、一方で何かに救いを求める気持ちも働いたでしょう。

             

            このような支援者たちとの微妙な感情のすれ違いの積み重ねによって、祖父や父とは別の何かに政治的レーゾンデトールを求め、その結果として現在のような安倍夫妻の思想的バックボーンが形成されていったのではないかと思うのです。

             

            ■国のグランドデザインを国会と国民全体がもう一度シビアに議論すべき

            繰り返しになりますが、私は安倍首相も昭恵夫人も、純粋に善意の方々であり、日本の将来を明るいものにしたい、国民が幸せな良い国にしたいという気持ちは市井の人々以上に強いと思っています(もちろん、そういう方々だから首相夫妻になったわけだと思いますが)。

             

            しかし、いっぽうで、私たちには精神主義だけを信じて愚かな戦争に突き進んでしまったという忘れてはならない過去もあります。

             

            愚かな戦争に一貫して反対し、その過ちを繰り返さないようにと、敗戦後70年間の日本の平和を築いてきたのが、安倍一代、安倍二代であり、現在も、与野党を問わず、そのような政治家が消えてしまったわけではないはずです。

             

            長期政権になる可能性が高い安倍政権が「純粋に」「天命を」果たすために祈る首相が率いる内閣であるのならば、その内閣が真にこれからの日本に資する政策を実現していけるよう、徒に政争に明け暮れるのではなく、政策を一つひとつきっちり国会で論議して決議していくことこそ、現在の日本が改めて真剣に取り組まなければならないことであり、国民もまた議論しつつ立法府に要求していかなくてはならないこととだと思います。

            | 後藤百合子 | 書評 | 09:17 | - | - |
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