ASIAN NOMAD LIFE

日本、香港、中国で生活・仕事をしてきてシンガポール在住8年目。
首相にも元首相にも国民が直接会って陳情できるシンガポール
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    JUGEMテーマ:シンガポール
    同じマンションに住んでいる70代後半のおばあさんの最近の自慢話は、ゴー・チョク・トン前首相から5年の滞在ビザをもらったことです。

    香港で生まれ育ち、パスポートも香港。インドネシア華僑と結婚したものの未亡人となり、一人息子の教育のためシンガポールに移住しました、息子はシンガポールに帰化したのですが、今は仕事の関係で香港に住んでおり、彼女は一人暮らしです。
     
    東南アジアではこのように各国を転々とする華人は少なくありません。不思議なのはシンガポールに20年以上住んでいるにもかかわらず永住ビザをもっていないこと。このため、彼女は3か月に1度ずつマレーシアに行っては観光ビザを更新していました。お金に不自由なく、健康で、マンションの住民など周囲も親切にしてくれるので日常生活にも困らないものの、唯一このビザの問題だけはいつも不満をもらしていました。
     
    そんな彼女がついに行動に出たのは、先月のこと。ゴー・チョク・トン元首相の「Meet-the-People」セッションに参加したのです。
     
    Meet-the-People」セッションとは、住民が直接、国会議員に会って陳情できる機会で、決められた場所に行って手続きをすれば誰でも参加できます。ゴー・チョク・トン元首相は選挙区のある公団住宅の1室で、毎週水曜日夜8時から深夜までこのセッションを開いています。
     
    おばあさんはシンガポール国籍ではなく有権者でもないのですが、直接元首相に会って「滞在ビザがほしい」とお願いし、いったんは「息子さんがいるのなら香港に戻ったほうがいいんじゃない?」と切り返されたものの、「シンガポールが好きだからここで暮らしたい」と粘って5年の滞在ビザを発行してもらったと、得意げに語りました。

              

    写真は、元首相の20141211日のFacebook投稿。セッションはこんな感じで行われ、この日は主に公団住宅に関する44件の陳情があったそうです。
     
    驚くのは、現役の首相のリー・シェンロンも他の国会議員たちと同じようにこのセッションを開いていることです。この記事によると、2012年に首相が直接、陳情されたケースは2,800件。1/3強が住宅関連で最も多く、次の14%が経済支援、それに続くのがビザ関連、交通・駐車場関連、教育関連だったそうです。また、2%に満たないものの医療費問題の陳情もあり、リー首相は「医療費については国民が気にかけており、今後も注視していきたい」と語っています。
     
    超過密スケジュールにもかかわらず、律儀に市民に直接会い続けることを、リー首相は「シンガポール独自の民主主義」として、外国人記者たちに下記のように語っています。
     

    "You must have policies which are in the interest of the people and you must also show to the people that you actually care for them," he added. "You have to work with them at the ground as well as at the policy level."
    One way is through the Meet-the-People session (MPS), where MPs meet and help residents facing problems, and through constituency activities. As a result, residents know MPs, who are able to hold the ground.
    市民に関心の高い政策を打ち出すだけでなく、市民のことを真摯に考えていることを示すこと。また、それを市民とともに実践すること。
    その一つの方法が「Meet-the-People」セッションで、国会議員が選挙区での活動の一環として住民と会い、抱えている問題の解決に協力することにより、住民は議員への理解を深め、議員も選挙区の基盤を固められるのです。

     

    今回の選挙戦でも、与党PAPPeople's Action Party)は、しきりに「我々ほど人々に耳を傾けてきた政党はない」と主張していますが、私の目から見てもシンガポール政府は国民の意見を聞き、それを政策に反映するのに実に熱心だと思います。その結果、何も知らない人が見たら独裁ともとれるような、長期政権の維持につながったのではないでしょうか。
     
    選挙では野党が市民から批判が多い政府与党の政策、移民、教育、低所得層への手当て問題などをついてきていますが、与党PAPがどこまで議席を守れるか、もしくはいったん失った議席を奪回できるかはひとえに、長年培ってきた与党と国民との信頼関係をどこまで守れきれるかにかかっていると思います。選挙結果が非常に楽しみです。
    | 後藤百合子 | シンガポール社会 | 08:00 | - | - |
    「義務投票」制度のシンガポールにみる国民の政治意識
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      JUGEMテーマ:シンガポール
      現在、選挙戦真っ只中のシンガポール 
      シンガポール建国50周年記念行事も一息ついた825日、ここぞのタイミングとばかり、リー・シェン・ロン首相がが国会を解散、国を挙げての選挙戦に入りました。前回の選挙で歴史的敗北(といっても87議席中6議席を失っただけですが)を喫した与党PAPPeople’s Action Party)がどこまで議席を守れるかが注目されています。
       
      前回の選挙時にはまだシンガポールの政治の仕組みも各政党の主張もよくわかっていなかったのですが、4年あまりが経過した現在では、私も毎日テレビやネットで選挙選のニュースや各治家の演説を毎日、非常に興味深く聞いています。
       
      投票日は911日の金曜日。当日は国民の祝日となり、約250万人のシンガポール国民が投票を行います。2011年選挙時の投票率は93.18%。投票に行けない海外在住者などを除き、21歳以上の国民のほぼ全員が投票します。それは、投票が国民の「義務」だからです。
       
      選挙に行かないと選挙人名簿から抹消
      シンガポールの「義務投票」制度では、選挙に行かないとその人の名前は選挙人名簿から抹消されます。海外在住(一部の国では在外選挙もあり)、出張、旅行、病気などでたまたま投票できなかった人は、パスポートの記録など選挙に行けなかった証拠を政府に提出し、再び選挙人名簿に登録し直してもらいます。私の夫も日本で暮らしていたときには、選挙のたびにこれを行っていました。
       
      正当な理由なく投票しなかった人については、罰金5ドルとか50ドルとかを払って再登録してもらうというネット情報もあるようですが、政府はいっさいこのような情報を公開していませんので真偽のほどは定かでありません。友人・知人に聞いてもそもそも「投票しない」ことが前提として頭にないので、知らないという人ばかり。1回でも投票に行かないと、下手をしたら永遠に投票できない可能性さえ否定できないのです。
       
      ”compulsory voting(義務投票)の意味
      では、シンガポール国民は法律で決まっているので仕方なく、しぶしぶ選挙に行っているのでしょうか? 私にはまったくそうは見えません。それを説明する鍵が、"compulsory voting"という言葉にあるのではないかと思います。
       
      Voting is compulsory for all eligible citizens.(投票はすべての有権者にとっての義務です)
       
      この言葉は、投票を促す政府広報ですが、そもそも“compulsory”という英語は、同じく「義務」と訳される“mandatory”とは若干、ニュアンスが違います。このサイトの用例を見てもわかるとおり、“mandatory”が「逃れられない」という意味合いが強いのに比べ、"compulsory”は強制ではあるが、行う人にもメリットがある重要な事柄という印象を受けます。その最たる例が“compulsory education”(義務教育)でしょう。

      このような意味を理解した上で投票をしているので、シンガポール人には選挙を「いやなこと、面倒くさいこと」と考える人が少ないのではないかと感じるのです。

       
      ■生活と政治が不可分のシンガポール選挙
      選挙戦中、毎日数十か所で開かれる議員たちの演説には大勢の人々が集まります、支持政党のボランティアをする人や、Facebookで支持政党への投票を呼びかける人も私の友人・知人の中に多くいますし、テレビやラジオでは、連日、候補者たちの演説を何時間も放送します。
       
      自然、公約や演説の内容も外交や安全保障、産業振興のみならず、保険、年金、教育、子育て支援、税制改革など具体的に数字をあげた予算や政策に直結するものが多く、「選挙結果が自分の生活に直接影響する」と考えている人が大部分です。この政治と生活の近さこそ、シンガポール選挙の特徴ではないかと思えます。
       
      そして、ここまで候補者も国民も真剣になれるのは、やはり「国民全員で選んだ代表」という意識があるからではないかと思うのです。
       
      ■日本でも「義務投票」の検討を
      投票が国民の義務となっている国は、シンガポールだけではありません。オーストラリアをはじめ、ルクセンブルグ、タイ、ブラジル、アルゼンチンなど世界10か国以上あります(罰則がどこまで厳格かは国により違うようですが)。
       
      投票率が高ければ高いほど、民主主義の精度が上がることは間違いありませんし、それだけ国の政策決定に国民が真剣になるのは当然でしょう(給料から天引きされるより、自分で税金を申告して支払うほうが税に対する意識が上がるのと同じ理屈です)。

      日本では私が知る限り、「義務投票」制度は議論されたこともないですが、
      18歳まで選挙権を拡大した今だからこそ、今後間違いなくやってくる厳しい日本の将来を見据え、有権者全員がしっかりと自分の国政考えるという意味で、「義務投票」制度導入をぜひ検討してほしいと思います。
      | 後藤百合子 | シンガポール社会 | 15:00 | - | - |
      シンガポールにとってあの戦争とは何だったのか? − チャンギ博物館訪問記
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        JUGEMテーマ:シンガポール
        ■英豪人が訪れるシンガポールで人気の博物館
        日本の敗戦後70年目の8月14日、以前から行きたいと思っていたシンガポールのチャンギチャペル&博物館を訪れました。

        チャンギ空港に近く、中心部から地下鉄とバスを乗り継ぐと優に1時間以上かかる非常に不便な立地ですが、口コミ情報が2億件を超えた世界的旅行サイトTripadvisorでは、シンガポールの観光名所中17位、博物館の中ではトップとなっています。

        Tripadvisorの口コミが圧倒的に多いのは、オーストラリア人とイギリス人。それもそのはず、この場所は日本軍のシンガポール占領中捕虜収容所となっており、POW(Prisonar of war捕虜)の大多数がイギリス人とオーストラリア人だったのです。1フロアしかない小さいスペースの中には、当時この収容所の囚人だった捕虜たちの証言を始め、この時代を生き抜いたシンガポールの庶民たちや、さまざまな国籍の住民たちの言葉と写真、実際に当時使われていたものなどが展示されています。

        まず入館してすぐに見えるのが、イギリス人捕虜が描いた大きく引き伸ばされたイラスト。弱り果てて自分の足で歩くことができない白人捕虜を、同じ捕虜仲間が両方から抱えて運んでいる絵です。ここと隣接するバラックに収容されていた白人捕虜たちの多くは、映画「戦場にかける橋」で描かれ、「死の鉄道」と恐れられた泰緬鉄道の建設に駆り出され、過酷な労働の中で5人に1人が命を落としたといいます。このイラストに描かれているのも極端に悪い栄養状態でマラリヤやコレラなどの疫病にかかり命を落とした兵士です。

        そして、脇の壁には日本軍が太平洋戦争中に進撃をした経路。東は真珠湾から西はチベットまで、あまりにも広大すぎる範囲で、70年以上前にこんなところまで祖父母の世代の人々が故郷を離れ、派兵されていたのかと思うと、気が遠くなるような感覚を覚えました。

        ■占領開始時から無謀な作戦であることを知っていた山下司令官
        そしていよいよ証言を元にした展示が始まります。証言のトップは意外なことに、シンガポールを奇襲し「マレーの虎」と称された山下司令官の言葉。1942年2月、日本軍は連合軍の裏をかく作戦でマレー半島を南下し、油断していた背後からシンガポールに侵攻します。10日間にわたる壮絶な戦いの末、イギリス軍を中心とした連合軍は歴史に残る大敗を喫しましたが、同時に日本軍も相当の被害を受け、実際には連合軍のほうが数において優勢であり、バックアップの兵站も欠如していたことを山下司令官は知っていました。そのため、連合軍に対し迅速な降伏を求めたのです。「我々は数の上でも劣勢、そして兵站ももたないことがわかっていた」とまず、占領そのものが日本軍にとって最初から無理なものであったことを彼が認識していた、と最初に示唆しているのです。

        続いて、シンガポールの庶民や居留していた西洋人たちの証言が始まります。中国やマレー半島北部に日本軍が侵攻していることは彼らも知っていましたが、ほとんどの人々はまさか日本軍がここまでやってくるとは思っていなかったようです。そこをついた奇襲作戦で、いきなり出現した日本軍に対し、市民たちには抵抗する術もありませんでした。そして主として華僑系の市民を対象とした弾圧が始まり(インド人コミニュティーは除外)、「抵抗した」として初日に8人が殺され、斬首されて、その首が市中に晒されました。実際に晒し首の写真があり、その脇には白人捕虜を日本刀で切ろうとしている日本軍人の写真もありました。決して数は多くありませんが、思わず目をそむけたくなるような写真が何枚かありました(シンガポール博物館などにはこの類の写真は展示されていません)。この時日本軍に殺害された華僑系住民の数は5千人とも3万人ともいわれます。

        この他にも「レストランで仕事があるからと連れてこられた」という従軍慰安婦の韓国人の証言や、「日本軍が来るまで空腹なんて感じたことはなかったけれど、食料が配給制になってとにかくいつも空腹だった」という当時子供だった人の証言など、日本軍占領時代がいかにひどかったかを語る証言が延々と続きます。

        ■占領によって変わった西洋人と地元民のパワーバランス
        いろいろな証言の中で特に異彩を放っていたのが、シンガポール建国の父リー・クワン・ユー元首相の発言です。「それまで西洋人は常に『ご主人様』だった。日本人がやってきて、それは変わった」という意味の言葉から、若きリー・クワン・ユーが、日本人による支配をただ恐ろしいものとだけ認識するのではなく(彼自身も日本軍に捕まりましたが、逃げ出して九死に一生を得ました)、西欧列強の植民地経営による白人を頂点としたヒエラルキーが、決して永遠に続くものではないことを悟ったことが紹介されています。

        これは西洋人の側からみても同じだったようで、「毎朝、空腹を抱えて作業に行く私たちに少しばかりの食べ物を与えてくれる老婆がいた。彼女は何度も日本人に叩かれ、止めるように言われたが決して止めなかった。あの老婆には本当に感謝している」という証言や、「それまで現地人は私たちより劣ったものだと考えていたが、それは間違いだった。心から反省している」という証言もありました。


        ■シンガポール建国の父、リー・クワン・ユー元首相が見たもの

        The dark ages had descended on us. It was brutal, cruel. In looking back, I think it was the biggest single political education of my life because, for three and a half years, I saw the meaning of power and how power and politics and government went together, and I also understood how people trapped in a power situation responded because they had to live. One day the British were there, immovable, complete masters; next day, the Japanese, whom we derided, mocked as short, stunted people with short-sighted squint eyes.

        ... the old mechanisms had gone and the old habits of obedience and respect (for the British) had also gone because people had seen them run away (from the Japanese) ... they packed up.

        We were supposed, the local population was supposed to panic when the bombs fell, but we found they panicked more than we did. So it was no longer the old relationship.

        暗黒時代が我々にやってきた。粗暴で残虐だった。振り返ると、私の人生の中でこの時代は最大の政治的レッスンだった。3年半の間、力というものの意味、力と政治、政府がいかに一体化するかを学び、生きのびるために、人々が力によって作られた状況の中にどのように囚われていくのを理解した。ある日、イギリス人がそこにいた。揺るがぬ、完璧なご主人様だった。翌日、日本人がやってきた。我々が軽蔑し、チビと嘲笑っていた日本人が、腫れぼったい近視の目で我々を震え上がらせた。

        以前のメカニズムは失われ、(イギリス人に対する)従順と尊敬という古くからの習慣も失われた。人々は彼らが荷物をまとめて(日本人から)逃げていくのを目撃した。

        爆弾が落されたとき、我々地元民がパニックに陥るのは当然だった。しかし、彼らは我々よりもっとひどくパニックに陥っているのがわかった。もはや古い関係は消滅したのだ。 (「The Telegraph」より)

        これを読む限り、「日本がシンガポールを植民地支配から解放した」という一面があることは間違いありません。しかし、リー元首相は決して日本の「八紘一宇」の精神に共感したわけでなく、イギリス人より「粗暴で残虐な」日本人がやって来たことにより、それまでご主人様と尊敬してきたイギリス人が慌てふためいて逃げ出す様子を目撃し、その姿に深く失望したところから始まったのでした。

        ■チャペルに飾られた千羽鶴とシンガポール人の日本人観
        チャンギ博物館には屋内と屋外に小さな黙祷所(チャペル)が併設されています。ここに収容されていた捕虜の親族たちが祈りを捧げるために設けられいるのですが、十字架の隣の一角にシンガポールやタイなどの日本人小学校や長野県の小学校などの生徒たちが折った千羽鶴が捧げられており、広島で被爆し12歳で短い生涯を閉じた佐々木禎子さんが折り始めたことが紹介されています。

        私の夫の父方の祖父も占領中、日本軍に連れ去られて行方がわからなくなった(おそらく殺された)華僑の一人でした。古くからマレー半島に住みついた華僑、パラナカンの一族で、占領前はジョホールでプランテーションを経営し裕福な一族でしたが、農園は没収され、大黒柱を失って、当時中学生だった義父は母の作るお菓子を売り歩きながら一家の糧を稼いだそうです。私が夫と結婚したとき、伯母の一人は「日本人と結婚するなんて言語道断」と結婚式への出席を拒みました。日本とシンガポールは建国直後の1967年に戦後補償協定を結び、伯母も数年前に亡くなりましたが、いくら賠償金を受け取っても、愛する人を失ったシンガポール人や、ここを訪れる白人の多くが、「過去のことはすべて水に流し日本人がしたことを許そう」と考えていないことは想像に難くありません、私もまた、シンガポール人である娘をいつかここに連れてきて、私の生まれた国の人々が70数年前に娘の曽祖父や娘の国の人々にしたことを教えたいと思います。

        私がチャンギ博物館を訪れた日の夜、戦後70年の安倍首相談話が発表されました。シンガポールの夜9時のニュースでは、コメントなしで、以下の言葉が紹介されました。

        Future generations should not be predestined to apologise.
        | 後藤百合子 | シンガポール社会 | 12:00 | - | - |
        東南アジアを襲う偽装米パニック! 中国産プラスチック・ライスって本当?
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          JUGEMテーマ:国際社会
          「偽装米」といえば、日本では産地を偽ってブランド米に偽装するのが一般的ですが、先週からSNSを中心に中国産偽装米、プラスティック・ライスが東南アジア地域に流入しているという噂がかけめぐり、一大騒動となっています。
           
          19日のシンガポール紙The Straits Timesでは、シンガポールに密輸された形跡は今のところないとしていますが、近隣諸国では米の流通業者が根拠のない噂をたてられ、風評被害に遭うケースも出てきているようです。
           
          報道によると、この偽装米は、じゃがいもやさつまいもの粉と樹脂を混ぜて固めたもので、みかけは本物の米そっくり。こちらのフェイスブックページでは、実際に工場で米様のものが製造されている様子や、炊いたときに上に浮いてくる膜を燃やすと樹脂を燃やしたときのように溶けながら燃える様子が紹介されています。見分けるポイントは炊いても固いままで粥状にならないのと、プラスティックの膜が浮き上がってきて、燃やすと溶けるということのようですが、普通の米に少量混ぜられてしまったらほとんどわからないという声も。
           
          中国レストラン協会によると、この米3杯を食べるとポリ袋1枚を食べたのと同程度のプラスチックを体内に取り込むことになるとのこと。シンガポールの専門家はこのような成分のものを食べると、消化器系に深刻なダメージを与えると警告しています。
           
          いっぽう、タイの有識者からは「樹脂入りの米を作ってもコストは通常の米より割高になるため、噂自体が間違い」という声も上がっており、本当にプラスチック・ライスが出回っているのか、それともただの都市伝説なのかはまだ明らかになっていません。
           
          数年前の粉ミルク騒動や廃油販売騒動など、実際に大きな社会問題になった食品偽装が後を絶ちませんので、これまで以上に食の安全に留意しなければならない時代に私たちが生きているのは確かなようです。
           
          | 後藤百合子 | シンガポール社会 | 18:08 | - | - |
          故リー・クワン・ユーシンガポール初代首相にみる偉大なリーダーの条件
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            JUGEMテーマ:シンガポール
            シンガポール建国の祖、初代首相リー・クワン・ユー氏(91)が23日、亡くなりました。
             
            リー・クワン・ユー元首相は今年に入ってから体調悪化が伝えられていましたので、ほとんどの国民にとっては「想定内」であり、訃報を受けても大きな混乱はありません。しかし、昨日まで遺体が安置されていた大統領府には弔問に訪れる人々が8時間待ちの長蛇の列を作り、あちこちに設けられた弔問所にも最後のお別れをするために大勢の人々が集まるなど、改めてこの指導者に寄せるシンガポール人の思慕の情の深さを思い知らされます。
             
            海外ではシンガポールをアジア随一の豊かな国にした経済政策ばかりが評価されているきらいがありますが、連日この地で報道される、テレビやラジオ、新聞、ネットメディアなどの追悼特集では、彼のまた違った一面がみえてきます。特に彼を直接知るさまざまな人々の証言から、リー元首相のリーダーとしての素晴らしい資質が浮かび上がってきますので、その一部をお伝えしたいと思います。
             
            ■逆境の中でも新しい試みに挑戦し続け、決してあきらめない。
            第二次世界大戦後、シンガポールは大変な貧困の中で復興のスタートを切ります。イギリス植民地支配から解放され、マレーシア連邦に加盟したものの政治家リー・クワン・ユーの台頭を恐れたマレーシア政府から分離独立を迫られ、リー元首相もシンガポール住民も望まないまま、半ば強制的にマレーシアからの独立させられたのです。
             
            当時のシンガポールの人口は200万人弱。土地も資源もないのに失業率は10%を超え、人々は劣悪な住環境の中でひしめき合って暮らしていました。識字率は低く、8割以上の人が高等教育を受けられず、平均寿命も60歳代でした。当時の他の多くの発展途上国と同じく、山積した課題を抱えてのスタートでした。
             
            しかし、これらに加えシンガポールにとって致命的な悪条件は「水がない」ことでした。マレーシアからの水の補給源であるジョホール水道だけがシンガポールの生命線で、生殺与奪の権利を事実上の敵国に握られていたのです。
             
            リー元首相は逆境の中、シンガポール版ニューディール政策とも呼べる公団住宅建設や、「クリーン&グリーン」を標語に緑化を促進しゴミのぽい捨てなどを徹底的に罰金で取り締まる政策、工業団地を設置して重点的に製造業やサービス業などを政府主導で育成していく政策、政府主導で厳格にコントロールする金融政策などを、他に類を見ない強烈なリーダーシップで推進していきます。
             
            その成果の一つが、悲願であった水のリサイクル施設でした。2002年、下水を浄化して作られた「NEWater」と名付けられた水道水を、カメラの前で嬉しそうに飲むリー元首相の映像が今も私の頭の中に鮮烈に焼ついていますが、このときほどリー元首相の執念を感じた瞬間はありませんでした。決して諦めなかったからこそ、達成することのできた成果だと思います。
             
            ■失敗を認め、素早く方針転換を行う。
            もちろんリー元首相の政策がすべて成功したわけではありません。建国初期には増え続ける人口増加を抑制するため「2人っ子」政策を採用しましたものの、その後極端な人口減少が問題となり、結果的に多くの移民や外国人労働者を受け入れざるを得なくなりました。
             
            政府主導で中国での経済開発も非常に早期から行っていましたが、失敗だったと厳しい評価を下され大赤字を出した蘇州工業団地のような例もあります。また、近年は移民や外国人労働者の受け入れにより国民の職が奪われているという不満が、前回の選挙では歴史的な与党議席減につながりました(といっても第一党の地位は揺るぎませんが)。
             
            その中で、リー元首相と彼が率いてきた政党PAPPeople’s Action Party)はこれらの失敗を正面から受け止め、その都度修正して時代に即した政策転換を行ってきました。「シンガポール人は従順で政府の命令に何でも従う」というまことしやかな論を展開する方もいらっしゃるようですが、実際にこの国で暮らしている私の体感とは大きく異なります。
             
            現在、シンガポール建国50周年の一環として政府がスポンサーとなってICONS OF SGというキャンペーンが行われています。このキャンペーンで使われている「何が私たちをシンガポール人にしているか」というテーマのシールには、マーライオンやドリアンなどのシンガポール名物以外に、ERP(車の交通量をコントロールするための課金制度)やNS(徴兵制の軍隊)など政治的なテーマも入っています。思わず笑ってしまったのは「Complain King」(不平不満王)という一枚が入っていたことです。
             
            シンガポール人は従順どころか、しょっちゅう政府や政策への不平不満を口にします。ジョークの形で表現することも多いのですが、新聞の投書欄への投稿はもとより、役所への電話、SNSやブログへの書きこみも日常茶飯事です(ただし根も葉もないことを書くと逆に政府から訴えられて巨額の賠償金を請求されるケースもあるので要注意)。
             
            私がシンガポールのシステムで特に感心したのは、各選挙区の議員に住民が直接会ってComplainできる日が定められていることです。我が家でも夫がこの制度を利用したことがあり、役所の対応に非常に困っていると議員に説明したところ、翌週から手続きがすぐに改善されたのには驚きました。
             
            このような制度を設けていることからもわかるように、リー元首相の作ってきた政府は決して国民が唯々諾々と従うだけの強圧的で独裁的なものではなく、政策の失敗を国民が感じればフィードバックが行われ、それをまた政府が新たな政策に反映していくというシステムの元に成立しているのです。その意味では、むしろ謙虚とさえいえると思います。
             
            リー元首相と長く仕事をしてきた同僚によれば、彼は決して「イエスマン」を好まなかったといいます。ただ彼に忠実なだけでは別の意見を聞くことができず、有用でない、と判断されたからだそうです。例え自分の意に沿わなくても他人の批判に耳を傾け、自らの失敗を素直に認めてよりよい方向に向かって行動を起こせることも、リーダーには不可欠な条件です。
             
            ■現実的に、合理的に物事を考え、行動する。
            日本でもCMなどに使用されて有名な、船の形をした建造物が載っているホテル、マリーナ・ベイ・サンズは、セントーサ島にあるリゾートワールドと並び、カジノがあることで有名です。カジノを呼び物に、中国人を筆頭に、世界各地からギャンブル目当ての観光客を呼び寄せています。
             
            質素倹約を美徳とし、景気が良くても次の不景気に備えて贅沢を戒め、「カジノは嫌いだ。生きているうちは(カジノ解禁は)絶対にない」と公言してきたリー元首相がカジノ誘致に踏み切ったのは、現実問題として一定層の観光客を呼び込むためにやむをえない選択だったのでしょう(観光客は無料ですが、シンガポール人からは高額の入場料を徴収するなど、国民のギャンブル依存症を防ぐための一定の対策はとられています)。
             
            しかし、彼はただカジノを作っただけではありませんでした。マリーナ・ベイ・サンズの真向いには、シンガポールが誇る世界最大規模の植物園、ガーデンズ・バイ・ザ・ベイを建設し、ほぼ同時期にオープンさせています。この施設はシンガポール国民に対する緑化教育の目的が強い一面もありますが、現在売り出し中の観光スポットの一つであり、マリーナ・ベイ・サンズからブリッジを渡って直接歩いて行ける距離であり、カジノを訪れた人々の多くがこの植物園を訪れています。そしてさらにここから足を伸ばすと、リー元首相ご自慢の浄水場まで歩いて行くことができるのです。
             
            不本意ながらも観光振興のためにカジノを建設する、という現実的な選択の裏には、お気に入りの政策である緑化事業や水事業を外国人にアピールするという合理的な目的も隠れていました。このように、理想主義やイデオロギーに固執するだけでなく、臨機応変に現実的な対応ができるところも、彼のリーダーとしての優れた特質であったと思います。
             
            ■伝える努力を惜しまない。
            リー元首相は演説の人です。
             
            若いときはどちらかというと高めの声で、ある程度の年齢になってからは声が低くなり少し抑制された非常に美しい英語で、はっきりとわかりやすく、平易な言葉で演説をしてきました。彼自身は英語を話す華人の家庭に育ち、イギリスのケンブリッジ大学を卒業した生粋のイングリッシュ・スピーカーでしたが、マレー語はもともと話せたようです。しかしそれに満足することなく、マレー語の学習もたいへん熱心にしていたそうで、マラヤ連邦の頃のマレー語演説も立派なものです。
             
            追悼特集で初めて知って驚いたのは、彼が中国語(標準北京語)を30歳を過ぎてから努力して習得したという事実です。当時すでに多忙な政治家としてのスタートを切っていたのにもかかわらず、シンガポール住民の多数を占め、英語もマレー語も話さない華人の人々に訴えたいという一念のため、彼にとってはまったく縁のない言葉である中国語(標準北京語ですので広東省出身の彼の家系では話す人はいなかったはずです)を学び、演説をするまでになったのです(中国語は90歳を過ぎたつい最近まで、家庭教師について継続的に学んでいたそうです)。
             
            リー元首相の演説を聞いていると、それを聞く人の立場に立ち、一言一言を理解してもらえるよう、細心の注意を払って話しているのがよくわかります。欧米や中国の高名な政治家にありがちな、難しい語彙や格言を使うこともなく、ダイレクトに聴衆の琴線に触れるような語りかたもまた、優れたリーダーに不可欠の資質だと思います。
             
            ■原理原則に忠実に、細部を疎かにしない。
            「クリーン&グリーン」政策でのエピソードにはリー元首相の人柄を表す、くすっと笑ってしまうようなエピソードが多くあります。
             
            まだ政策が始まったばかりの頃、「トイレをきれいに使おう」というキャンペーン中のこと(20年ほど前には「トイレを使って水を流さなかったら罰金」という法律が実際にありました)、役所のトイレを使ったリー元首相が真青になって戻ってきたというエピソードがあります。あまりにもトイレが汚かったのでショックを受けたというのです。妻のクア・ゲオ・チュー女史に「まだキャンペーンは始まったばかりなのだからもう少し長い目でみたら」となだめられて平静を取り戻したそうです。
             
            また、シンガポールには一定の高さ以上の木を切るときには、例え自分の家の敷地内でも政府の許可を取らなければならないという法律がありますが、これも緑化政策に一生をかけて取り組んできたリー元首相の執念の成果です。あるとき、大統領府の敷地内に植えられた樹木の一部を防犯上の理由から伐採することが検討されていたそうです。これを聞きつけたリー元首相は激怒し、他の可能性をいろいろと指摘して最終的には伐採計画は流れました。
             
            「本質は細部に宿る」と言われますが、このように、単に法律を作るだけで満足するのではなく、それがどのように実行されているのか、問題はないかを常にチェックし、細部にわたってこだわりぬいたのも指導者リー元首相の真骨頂でしょう。
             
            ■自分の利益のためにではなく、他者のために働く
            リー元首相の多くの演説は「Friends and fellow Singaporeans(友人たちと仲間のシンガポール人たち)」で始まります。
             
            常に彼の言葉から発せられていたメッセージはシンガポールに暮らす人々と同じ目線に立ち、共に国を作っていくことでした。彼にとってはシンガポールは「国家」ではなく、そこに暮らす人々のための場所であり、その環境を良くしていくことこそが使命であると考えていたのです。
             
            人々に質素倹約を常に説いていたリー元首相の生活もまた質素なものでした。着ているものはたいてい同じよれよれのシャツ。自宅も大多数の国民が住んでいるHDBの一室とほとんど変わらない、飾り気のない質素な住居でした。執務中の昼食や夕食は、毎日決まった簡単なものを食べていたそうですし、中国の東北地方に公務ででかけたときには、もったいないからとオーバーコートとブーツを買わずに借りてすませたそうです。
             
            シンガポールの政治家や政府高官に対する高額の報酬は、じゅうぶんな報酬を与えて汚職をさせない目的で設定されたものです。発展途上国にはつきものの汚職を徹底的に取り締まった結果、シンガポールは世界でも類をみないクリーンな国家となり、汚職による政治不信もほぼなくなりました。これを建国のごく早期から行えたのはやはり、リー元首相が私利私欲に決して走らず、それを同じ政治家たちや国民に美徳として繰り返し訴え続けたからだと思います。
             
            ■よき理解者である伴侶をもつ。
            リー元首相の妻、クワ・ゲック・チュー女史はリー元首相より3歳年上。シンガポールのラッフルズ・カレッジではリー元首相とトップを競い合う才媛で、2人そろってのイギリス留学中に結婚。結婚後はファーストレディーとしての公務以外は子育てに専念し、滅多に表舞台には出てきませんでしたが、リー元首相の政治判断に対し、非常に重要な助言を与えていたと言われています。側近がみていても「よくこれだけ話すことがあるな」と感心するほど2人は常に会話を欠かしませんでした。
             
            「翌日にリーおじさんの発言が変わっているときは、だいたい家で奥さんに直すように言われたからだよ」と友人のシンガポール人が冗談まじりに話していましたが、国民からも思慮深く、聡明な首相の妻として尊敬されていました。
             
            リー元首相が50年以上の長期間にわたって第一線の政治家でいられたのも、また、長男であるリー・シェンロン首相が、リー・クワン・ユー元首相と同じく、国民からの絶大な支持を得ているのも、彼女の存在あっての結果なのではないでしょうか。
             
            彼女が病に倒れてから亡くなるまでの数年間、献身的に介護にあたる彼の姿は多くの人を感動させました。2010年に彼女が亡くなってから、リー元首相の姿が以前にもまして老けこんだのは、傍目でみていても痛ましいものでした。心の隙間を埋めるためか、家中の壁を彼女の写真で飾ったそうです。
             

            Without her, I would be a different man, with a different life.  She devoted herself to me and our children.  She was always there when I needed her.”
            「彼女がいなかったら、私は違った人間になり、違った人生を生きていただろう。彼女は私と子供たちにすべてを捧げてくれた。私が必要なとき、彼女はいつもそこにいてくれた」

             
            フルスピードの人生をシンガポールの人々のために捧げた2人が、安らかに眠られますよう、お祈りしています。
             
            | 後藤百合子 | シンガポール社会 | 01:04 | - | - |
            「民族混在」公団住宅政策で老後の不安がなくなったシンガポール
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              JUGEMテーマ:シンガポール
              今年独立50周年を迎えるシンガポールでは、現在、国立博物館で「シンガポール700年」記念展示を行っています。先週末、日本から友人が訪問してくれたのを好機に見に行ってきました。
               
              ■独立までの道程
              14世紀までのシンガポールはマレー半島の先端、ジョホールに隣接する「テマセック」というひなびた漁村で、マレー系の小さな部族の王たちが統治してきました。いっぽうで地理的要因からさまざまな国の船が寄港する土地だったようです。
               
              ラッフルズ卿が上陸してイギリスの植民地支配が始まるのが1819年。「シンガポール」となり人口が急増。東南アジア地域におけるイギリス植民地経営の要所となります。コロニアル風の建造物が次々と建設され、近隣諸国のみならず中国からも多くの移民が押し寄せ、貿易港として大きく発展していきました。
               
              しかし、太平洋戦争が始まり、1942年に日本軍により陥落。「昭南島」と改名され、日本による植民地経営が始まります。イギリス植民地時代と違い日本統治時代には貧困、飢餓、衛生環境の悪化、失業などに苦しめられ、いまだにシンガポール人にとってこの時代は「暗黒時代」と認識されています。
               
              1945年に日本が降伏すると再びイギリス植民地となりましたが、東南アジア全体に独立気運が高まります。1959年にイギリスから独立。1963年にマレーシア連邦の一員となりますが、シンガポール住民の多数派である華人系の自治を求めるPAPPeoples Action Party)リーダーで、シンガポール初代首相であるリー・クアン・ユーの政治方針がマレーシア政府の逆鱗に触れ、1965年にマレーシア連邦から追放され、やむなく独立に至ったという、一風変わった建国の経緯をもつのです。
               
              ■「住」を基礎にしたシンガポール独立後の発展
              印象的だったのは、それぞれの時代、一般の人々がどんな家に住んで何を食べていたのか、という展示が非常に多かったこと。例えば、「カンポン・ハウス」と呼ばれる昔ながらの農村の家が大きな写真で紹介されていたり、独立当時の人々の食事が具体的にいくらしたかがメニュー入りで紹介されています(野菜とご飯、野菜と肉とご飯、野菜と卵とご飯の順に高くなっていくので、卵が当時いかに高級品だったかわかりました)。シンガポール人がどれだけ住と食にこだわっているかの表れだと思います。
               
              人間の生活に欠かせない条件として「衣食住」が挙げられますが、熱帯気候のシンガポールにおいて「衣」はほとんど問題になりません。逆に、「住」の問題は非常に深刻でした。1949年のイギリスの報告によるとシンガポールは「世界最悪のスラムの一つ」と指摘され、1947年の統計では1軒の家に住む人数は平均18.2人だったそうです。太平洋戦争末期の日本軍の植民地経営ではインフラ整備の余裕はとてもなく、住宅の確保はもとより衛生的な環境を保つための上下水道の整備も喫緊の課題でした。
               
              そこでシンガポール政府が設立したのがHDBHousing and Development Board)です。日本の公団住宅供給公社によく似ていますが、違うのはその規模。政府主導で低コストの高層団地を作り、全ての国民に近代的で快適な住宅を提供するというプロジェクトが大々的に始まったのです。このプログラムの強力な推進により住宅問題はほぼ解消され、一時は90%以上の国民がHDB住宅に住むようになりました(最近では富裕層が普通のマンションに住むケースも増加し比率が下がっています)。
               
              ■全国民が所有するHDB住宅
              シンガポールはアジアでは香港に次いで不動産価格が高騰していることで知られています。日本人駐在人家庭が多く住んでいるオーチャード付近のマンションなら通常、数億円はしますし、少し離れた郊外でも億ションは珍しくありません。
               
              しかし、HDB住宅となると価格は半分以下。さらに若年層や低所得者のための政府補助が非常に厚いため、シンガポール国民であればほぼ全員がHDB住宅を買うことができます。また、CPFCentral Provident Fund)という強制加入の個人年金制度があり、HDB住宅購入時にはここから頭金が使えるためローン期間が短くて済み、比較的余裕をもって返済できます。ですので、シンガポール国民はごく一部の例外を除き、全世帯がHDB住宅を所有しています。何ともうらやましい限りですが、実際、私もシンガポール人から住に対する悩みを聞いたことがありません。彼らにとって若いうちにマイホームを持つことは当たり前で、プロポーズが「HDBを申込みに行こう」という言葉だったという話も聞くほど、「結婚したら夫婦でHDB住宅を買って住む」ことはシンガポール人にとって常識なのです。
               
              HDB団地に伴って整備された「食」と「行」
              HDB団地は日本の団地と同じく、複数の棟が集まってブロックを作っていますが、その中に必ず「ウェットマーケット」と呼ばれる市場があり、「ホーカーセンター」と呼ばれる公営フードコートが併設されてます。家賃が低く抑えられているため、生鮮食品や乾物が安価に求められ、ホーカーセンターでも低価格の料理を楽しめますので、3食ここで済ませる家庭も珍しくありません。また、主食である米は、政府が販売価格を統制していて低く抑えられており、国際的に米価が上がっても高騰することはありません。
               
              「衣食住」に加え、華人がもう一つ重要とするのが「行」=交通手段です。
               
              シンガポールでは地下鉄路線が徐々に増えてきていますが、これもHDB政策に密接に関係しています。主要なHDB団地を作るときには必ずHDBハブと呼ばれるセンターを中心に配置され、ここに地下鉄の駅を作るのです。HDBハブにはショッピングセンターや図書館、公民館などの公的施設が併設されていることが多く、通勤帰りに買い物や用事をすませてから帰宅するというライフスタイルも定着しています。自分の住む棟にはさらにここからバスに乗らなくてはいけないことも多いのですが、バスは頻繁に来ますし、バス停が多いので雨が降っても傘をささずに家まで帰れる人がほとんどです。比較的小規模のHDB団地には地下鉄駅がないケースもありますが、この場合でも必ずバスルートは確保されています。さらにバスや地下鉄などの交通公共機関は政府がコントロールしており、片道50円から100円程度でどこにでも行くことができます。
               
              HDB政策により民族対立と無縁になったシンガポール
              もう一つ、シンガポールが進めてきたHDB政策で見逃してはならないのが、HDB入居者の民族混合政策です。HDB住宅に入居しようとするカップルは、複数の希望を書いて申し込みます。この中には建設中の物件や、中古で空きとなっているものも含まれます。基本的には抽選で選ばれるのですが、その際、民族別の割り当てがあるのです。
               
              もちろん民族によって住みたい場所の好みも違うので、すべてのHDB団地で人口比率と同じ民族別入居者数が守られているとはいえないのですが、華人系、マレー系、インド系などの住民が必ずミックスされて住んでいます。住人がこうですから、前述のホーカーセンターでも必ず中華系、マレー系、インド系のテナントが入っており、HDB団地で生まれた子供たちは子供の頃からいろいろな民族が混じった環境で育ち、他民族の料理も食べながら成長するのです。チャイナタウンやリトルインディアなどの観光名所はいまだに残っていても、現在もそこに暮らしている人々はごく少数で、大多数の人々はHDBで民族が入り混じったコミュニティーに暮らしています。
               
              このため、隣国のマレーシアやインドネシアで時折発生する民族同士の対立がまったくなく、この方面に余計なエネルギーを使わずに経済発展のために邁進できてきたといえると思います。
               
              ■老後に不安がないシンガポール人
              最近の調査では、シンガポール高齢者の90%が自分の老後に不安がないと答えています。アジア社会独特の親を子供が扶助する慣習が残っていることや、高齢者へのベーシックインカム政策が今年度から採用される予定であることも影響しているとは思いますが、日本をしのぐ少子高齢化社会のシンガポールでこのような結果が出た最大の要因は「住むところに不安がない」ということに尽きるのではないでしょうか。私の義父母も1970年代に建設されたHDB住宅に今も住んでおり、本人たちは「この場所で一生を終える」覚悟で暮らしているようにみえます。また、よしんば老朽化で取り壊しが決まったとしても、住民には新しいHDB住宅への無償住み替えが保証されています。メンテナンスはすべてHDBがしてくれますので、補修の心配もありません。後は月々5〜6万円程度の光熱費や食費さえ確保できれば、老後を憂う必要はないのです(医療費も政府の補助が大きく、内容も非常に充実しています)。

              ■格差社会でも不満は聞かない。
              よく知られている通りシンガポールはアジアのタックスヘイブンの1つで、貧富の格差は先進国としては非常に高く、ジニ係数は0.4を超えて香港よりも高く、アメリカに近い数字となっています。シンガポール人である夫の親戚をみていても、田園調布のような高級住宅街に豪邸を2軒も所有するアッパー富裕層に属する世帯から、築40年のHDB住宅に住み、30年以上子供たちの仕送りだけを頼りにつつましやかに暮らしている義父母のような世帯までさまざまです。

              しかし、日常生活をみる限り、富裕層も一般庶民も購買行動はほとんど変わりませんし、日本であれば「貧困層」に分類されるであろう義父母から将来の不安や生活の不満を聞いたことがありません。これはやはり「住」が政策によってしっかりと保証されており、贅沢をしなければ「食・行」を憂う必要のない社会制度に守られているからだと思います。

              ■コンパクトシティは公団住宅を核に。
              高齢化社会に突入した日本社会ではコンパクトシティ構想が注目を集めていますが、高齢者にとってワンストップで日常生活が送れる駅を中心にしたコンパクトシティはたいへん便利で暮らしやすい環境であると思います。しかし、地元の駅隣接マンションなどをみると非常に高価格で、いわゆる「富裕層」や「アッパーミドル」以外は手が届く価格でないことが現状です。

              日本でも高度経済成長期の住宅事情改善のため、公団住宅供給公社などがこれまでに開発してきた公営住宅や準公営住宅という資産が全国に散在しています。急速に増加する高齢者世帯の住宅ニーズに応え、若い世代の老後に対する不安を多少なりとも軽減するためには、シンガポールに見習い、これらの過去の資産を見直し再開発を行っていくなど、国としての住宅政策を検討し直すことが求められるのではないでしょうか。







               
              | 後藤百合子 | シンガポール社会 | 07:07 | - | - |
              シンガポールの言論の自由とは?
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                JUGEMテーマ:シンガポール
                2015年、東南アジアの小国、シンガポールは建国50周年を迎えます。
                 
                カウントダウンまでの2時間半、シンガポール国内のコメディアンや人気歌手をはじめ、マレーシアの国民的歌手シティ・ヌハリザや、リー・シェン・ロン首相や文化相まで参加してのショーはトニー・タン大統領のカウントダウンで建国50周年の記念すべき年のスタートを祝いました。
                 
                ■シンガポールは「明るい北朝鮮」か?
                シンガポールは「明るい北朝鮮」と揶揄されることもあるほど、建国の父リー・クアン・ユー元首相を中心に50年の歴史を刻んできた国です。現首相リー・シェン・ロン首相は息子。その他の息子や嫁も政府系企業の要職を務めてきました。いわゆる「同族国家経営」です。
                 
                また、mdaMedia Development Authority)という政府の検閲機関があり、国民に有害な影響を与える出版物などの検閲・規制を行っています。一昨年からは新たにオンラインのニュースサイトもmdaへの登録を義務付けられ、話題になりました。
                 
                実際、20年ほど前になりますが、アメリカのヘッジファンドのシンガポール店に勤務していたオーストラリア人で金融関係の博士号をもつ知人が、シンガポールの金融政策を批判する論文を専門誌に書いたところmdaのチェックにひっかかり、就労ビザを更新できない事態になったため香港に移住したというエピソードも、本人から直接聞いたことがあります。ヘイトスピーチも含め言論の自由が完全に保証されている日本人の私からみたら信じられない思いでした。
                 
                実はシンガポールの憲法では「言論と表現の自由」が保証されていますが、あくまでも限定つきです。
                 

                Article 14 of the Constitution of the Republic of Singapore, specifically Article 14(1), guarantees to Singapore citizens the rights to freedom of speech and expressionpeaceful assembly without arms, and association. However, the enjoyment of these rights may be restricted by laws imposed by the Parliament of Singapore on the grounds stated in Article 14(2) of the Constitution.
                シンガポール共和国憲法14条は1)シンガポール国民に言論と表現、武器をもたない平和的集会と会合の権利を保証する。しかし、2)条に表明される理由によりシンガポール議会により執行される法によりこの権利は制限されることがある。 

                この2)条の中には実にさまざまな条項が含まれ、実質的に議会がNoの意思表示をすれば何も認められなくなります。現実に、シンガポールでは日本でよく政治家が行っているような駅前演説や署名活動などを見たことがありません(選挙キャンペーン中の立候補者のキャンペーンは別)。
                 
                このような情報から、15年前にシンガポール人の夫と結婚したときも「この国にはあまり住みたくない」ということを言い、夫からひんしゅくを買ったこともありました。
                 
                ■政府の政策を皮肉るコメディアンが大人気
                毎週火曜日の夜に放映されている人気コメディ番組、The Noose(絞首台のロープの意)はシンガポール社会を風刺する番組として絶大な人気を誇っており、2007年から続く長寿番組です。登場するコメディアンの数はほんの数人で、低予算で作られているのが明らかにも関わらず、かなり際どいギャグも連発することがあります。また、主要メンバーがやはり国民的コメディアンである女装芸人でゲイのKumarと定期的に行っている舞台では、ユーモアの鎧をまとっているとはいえかなり辛辣な政策批判をすることも珍しくありません。ただ、その批判は決して他人や政治家を揶揄するものではなく、「こういうの困ってるんだから何とかしてよ」というようなニュアンスのことが少なくありません。
                 
                同じく人気舞台コメディアンの女性トリオDim Sum dolliesもラスベガスのような豪華な舞台が売りではありますが、やはり根底にあるのは鋭い風刺精神です。
                 
                今回のカウントダウン番組でも、The Nooseの看板コメディアン3人と、Dim Sum dollies3人が交代で進行役をつとめ、途中、ときどき辛辣な政治ギャグを飛ばし観客から大いに受けていました。日本でいえば紅白歌合戦のような番組で、進行役のお笑い芸人が「(国民に不人気でなくなってしまった政策を指して)あの時の政策はほんとひどかったよね」と言い、観客が大笑いするというようなものですから、いかにおおらかな雰囲気かおわかりいただけると思います。
                 
                ■mdaの審査官は「普通のおばさん」
                以前、私は実はmdaで検閲をする審査官の方々と数回、お会いしたことがあります。昨年まで日本のコミックをシンガポールに輸入する仕事を依頼されて行っていたのですが、シンガポールでは出版物の輸入には必ずmdaの許可が必要なため、許可基準のレクチャーを受けたのです。
                 
                許可されない出版物の条件にはいろいろなものがあるのですが、それだけではわかりにくいため、具体的にひとつひとつ「これはどうですか?」と聞いていったものがありますので、少しご紹介します。
                 
                <不許可>
                『課長 島耕作シリーズ』 性描写が頻繁に描かれ、主人公が家庭を顧みずに不倫ばかりしている。シンガポール国民の大多数は家族を大切にする価値観をもっており、国民感情に反する。
                『罪に濡れたふたり』 近親相姦のテーマはNG
                『快感フレーズ』 性描写が多すぎて不適当。
                 
                <「未成年不適当」のシール付きで許可>
                『進撃の巨人』 残虐シーンが多く、子供向けでない。
                『痛々しいラヴ』 芸術性はわかるが、性描写が多く子供には見せられない。
                『クレヨンしんちゃん』 親を敬わない表現が多く、子供の教育上よくない。
                 
                <問題なし>
                『まことちゃん』 この程度のグロテスクはOK
                『無能の人 日の戯れ』 性描写はあるが芸術的なのでOK
                手塚治虫の作品群 20年前はNGなものもあったが、現在はすべて問題なし。
                 
                丁寧に対応してくださった担当官の方は、柔らかな物腰と20代女性とその上司の40代女性で、こちらが「これはどうでしょう?」ともっていったコミックや作者はほとんどご存じ。よく勉強されている様子がわかりました(人気コミックは英語や中国語にも翻訳されているものが多いので実際に内容も把握しているものが多いようです)。
                 
                その上で、「あなたには理解できないかもしれないけれど、親として子供に読ませたくないもの、自分の判断力がしっかりと確立しないうちは遠ざけておきたいものはこうして規制しておく必要があるのです」とおっしゃったのが印象的でした。私も母親として、ヌードや幼児ポルノ漫画が氾濫している日本の漫画やウエブサイトは決して子供に見せたいと思えません。
                 
                巷間で「シンガポールの情報警察」のようなイメージが流布されているmdaの審査官とは、実はこういう普通の人たちなのです。
                 
                ■シンガポールは大人が責任をもって作っている国
                日本に9年暮らしたシンガポール人の夫がよく言うのは、「言論の自由はわかる。しかし、無責任に何を言ってもいいというものではない」という言葉です。日本にいるときにはこの意味がよくわかりませんでしたが、シンガポールに暮らして5年目になる現在、夫が何を言いたかったのか少しずつわかるようになってきました。
                 
                コメディアンやmdaの審査官のエピソードからもおわかりいただけたかと思うのですが、何かを言うとき、表現するときに「そのことによって何が起こるか」「それにより被害を受けたりダメージを受けたりする人がいないか」をまず考えてものを言う、表現する、ことがシンガポールでは第一に考えられているということです。
                 
                言論や表現を自由に行うことは重要である、しかし、それにより社会がよりよい方向に向かっていくのでなければ意味がない、という共通認識をシンガポール国民がもっているからこそ、この国はここまでの50年、バランスのよい発展を遂げてきたのではないかと思います。

                【参考記事】
                貧困家庭サポートNGOが超豪華パーティー主催!? 福祉も民間主導のシンガポール
                | 後藤百合子 | シンガポール社会 | 18:55 | - | - |
                貧困家庭サポートNGOが超豪華パーティー主催!? 福祉も民間主導のシンガポール
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                  ■貧困家庭サポートNGOが開く超豪華パーティー
                  シンガポールのオフィスにシンガポール・チルドレンズ・ソサエティという団体からDMが送られてきました。11月に開催されるチャリティ・ガラディナーへのお誘いで、場所はリッツ・カールトン・ホテルの大宴会場。シンガポール副首相も臨席。財界セレブが大挙して出席し翌日の新聞社交面を賑わせること間違いなしの豪華パーティーです。

                  そんなパーティーへのご招待がどうしてわが社のような超零細企業にも送られてきたかというと、1席で1,000シンガポールドル(約8万6千円)、テーブル買いだと12,888ドル(約110万円)、VIPテーブルは30,000ドル(約258万円)というバブル時代のような超高額パーティー券販売のため。ほかにも約130万円からの広告や、「たとえ1席でもとても無理」というわが社のような会社向けに1ドルからでもOKの寄付メニューがあります。

                  このNGOは1952年設立、つまりシンガポール建国以前から活動している由緒ある福祉団体で、シンガポール国内にサービス拠点が10か所あり、2013年単年度でも72,640人の貧困層の子供たちとその家族をサポートしているそうです。

                  ■NGOへの寄付控除は何と2.5倍に!
                  ここまで読んで「うちみたいな貧乏会社でも少しだけなら寄付できるかなー」と迷っていたときに目に飛び込んできたのが、以下の一文。

                  Table sales, event sponsorships and outright donations will all be entitled to 2.5 times tax-exemption.

                  つまり、このチャリティーに出席したりスポンサーになったり、寄付をしたりするとその2.5倍額が経費として税額控除になるということ。さらに、毎年表彰される社会貢献企業1000社またはシンガポール企業1000社にも自動的にリストアップされる(寄付のみは除く)という名誉つきです。

                  法人所得税最高税率20%のシンガポールで、さらに経費が2.5倍額認められて、社会貢献もでき、おまけに広告宣伝効果もある企業リストにも名を連ねることができるとなれば、多少利益が出ている会社の社長だったらすぐに「1テーブル分くらい買ってもいいかな」と思うのではないでしょうか?

                  ■経済効果は多方面に波及
                  イベント効果はそれだけではありません。まず会場のホテルにお金が落ちますし、ガラディナーですからそれなりのドレスやスーツも用意しなければなりません(シンガポール人はふだんはとてもカジュアルですが、パーティのときはきっちりドレスアップします)。そうすると、ブティックなどでも販売が伸びてあらゆるところでwinwinになるのです。そのためかチャリティー・ガラディナーはしょっちゅう開かれています。


                  ■税収が多少減っても政府にはこんな利点が
                  では、2.5倍控除によって税収入が減るシンガポール政府はどうでしょうか?

                  この団体のようなNGO活動(シンガポールではGrass Roots Organizationと呼ばれます)に政府は場所を無償で提供したり、多少の補助金を出すことが多いようです。しかし、NGO運営費は基本的にすべて寄付や独自事業の収益によってまかなわれます。

                  つまり、政府からほとんど補助がない代わり、このような税額控除などの恩恵を受けることができるのです。結果として、政府は福祉予算に回す支出が減り、日本のお役所に散見されるような予算のばら撒きが非常に少ないように見受けられます。

                  また職員として働く人はもちろん、シンガポールでは多くの人々がボランティアとしてNGO活動に参加しています。ボランティアたちにより政府はさまざまな社会的活動に関するコストを削減できるだけでなく、折にふれて彼らを国の行事に招いたりすることにより、自分たちの日々の活動が国家運営に関わっているという意識をもたせ、ひいては愛国心の向上にも貢献しているようです。

                  ■日本にもこんな制度があったら経営者は絶対に寄付します
                  今月末は日本の本社もちょうど決算月にあたります。日本ではもう少し利益も出ていますし毎年納税していますが、例年、その工面に四苦八苦しているのが現状です。

                  もし日本にこんなチャリティー・ガラ・ディナーがあったら、1テーブルは無理でも、2席くらいは買えるのに・・・。そして43万円の経費扱いで、18万円の節税になるのに・・・とつい無駄に計算してしましたが、こんなシンガポール的発想を日本政府が採用する日はいつか来るのでしょうか? 

                  もしこんな制度があれば、私のような多くの経営者は絶対に寄付するのに、と思ってやみません。
                  | 後藤百合子 | シンガポール社会 | 18:06 | - | - |
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